第五幕 1
第五幕 1
幸いにしてエスターは一命を取り留め、比較的火傷の軽かった顎や二の腕は傷跡も残っていなかった。しかし、両手には火傷特有の、あの引き攣った跡が残り、元通り動かせるようになるには時間がかかるだろうと医者は言っていた。
あの襲撃をしてきたのは誰で、どんな目的があったのか?
その道の専門家たるヴィリオーネや兵士たちの語るところによると、あれだけの規模の火炎の言霊術を使ったのが山賊の類だとは考えづらく、第一波以降攻撃してこなかったところを見ると、殺害が目的とも思えないらしい。
狙われたのは俺だろう、ということは満場一致の推測だったが、当の俺はそれよりも気になることがあった。
あれ以来、ふとした拍子に炎と黒煙の幻影がちらついて見えるのだ。
同時に、死の気配を含む寒風を感じて背筋が震える。
何か、とんでもない過失を犯してしまったような酷い後悔に襲われるが、いくら考えても該当するものが見つからなかった。フィアンマでの会談失敗が原因かとも思ったが、漠然とした不安はもっと血なまぐさいもののように思える。
エスターを設備の整った病院に連れて行ったり、馬車を新調したりと手間取ることもあったが、六日間かかった行きと違い、フィアンマ国の王城を出てから三日目の昼にはテュルクワーズ国内へ入っていた。
それからさらに一日後、俺は懐かしの城――オリネラさんの別邸――へと帰って来た。
「よーやっとお帰りなすったかあ!」
ところが出迎えてくれたのはまったく見覚えのない、厳つい風体の男だった。テュルクワーズ国軍を示す紺色の生地にターコイズブルーの線が入った軍服を着ているが、その背中には今まで見たこともないほど巨大で凶暴な鎌が負われている。アレクに比肩する高身長だが、横幅は二倍も違った。短く刈り込んだ髪に、頬骨の浮いた四角い顔、褐色の瞳は細く、猛禽類を思わせる。
ちょうど男も外出から帰ったところらしく、城の玄関前広場に停車した俺たちの方へ、馬の轡を引きながら近づいて来た。
「どうにもあの城は重苦しくていけねえ。バルタザール様に会談の詳細を確かめてこいって言われたんですがね、正直、俺はここに来たくありませんでしたよ」
快活な性格をうかがわせる大声で、独り言なのか誰かに話しかけているのか分からないことを言う。
「アルフレード将軍! お話はわたくしの方からいたします」
馬車から下りたアレクが大急ぎで将軍とやらに詰め寄った。
「ミゴール卿、お久ぶりです! しかし、リセイ様に直接、事の次第を窺って来いとの、バルタザール様の仰せでしてね」
「あいにくですが、リセイ様は大変疲れていらっしゃいます。せめて一日――いえ、数時間でもお休みをいただけないでしょうか?」
懇願するような勢いで申し出るアレクに、俺は傍らのヴィリオーネに訊ねた。
「俺ってそんなに疲れてそうに見えるか?」
「そうねぇ、少し顔色が悪いかしら。でもミゴール卿は、心配ももちろんしているけど、本当はアナタと将軍を会わせたくないのよ」
「会わせたくない? どうしてだ?」
「おっ! リセイ様、そこにおられましたか!」
アレクの肩越しに俺を見つけたらしく、男はいかにも親しげに片手を上げて、こちらに大股で近づいて来た。
「将軍! 事情を説明しますので、今は何もおっしゃらないでください!」
アレクの叫びにも、もはや将軍は一瞥もくれない。
「お目にかかるのは一月ぶりですね、リセイ様! しかし、あのときよりは断然調子が良さそうだ!」
一月ぶり? まるで俺と会ったことがあるみたいな口ぶりじゃないか? それに、たった今ヴィリオーネに少し顔色が悪いと言われた俺をつかまえて、調子が良さそうだって?
男の観察眼を疑っていると、相手はさらに聞き捨てならないことを言った。
「しかし、会談の方は上手くいかなかったみたいですね。こう言っちゃなんだが、まだ父上のことを引きずっておいでですか? そりゃあ、目の前で亡くなられたのは辛かったでしょうが、俺だって十四のときに親父が死んだが、落ち込んでる暇なんてありませんでしたよ――と、おしゃべりがすぎちまったな。すいません」
「――は? ちょっと待て……どういうことだ?」
――目の前で亡くなられた? 誰が? 父上?
「……とう、さん……?」
視界が真っ赤に染まった。
血のように濃い赤の中を、もくもくと黒煙が立ち上り、赤と黒が入り混じって酷く不快な色になる。
「イッつ――!!」
酷い痛みに目が眩んだ。
立っていられなくて、その場にしゃがみ込む。
ガンガンガン! とけたたましい音が頭の中に響く。手足から引き上げた血が、脳と心臓に押しかけて血管がパンクしたみたいだった。
逃げろ!
誰かの叫びが、耳元で木霊する。
「……うぅ……ど、いうことなんだ……とう、さん……?」
それが誰で、なぜ叫んでいるのか。
思い出した途端、赤と黄の閃光がフラッシュバックした!
「――ぐっぅぅあああああああっっ!!」