第四幕 3
第四幕 3
それからの二日間を、俺は殆どダス棟内で過ごした。
食事も風呂も揃っているし、なにより棟外へ出ると敷地内を巡邏している兵士たちに、まるで檻から脱走した動物のように奇異な視線を向けられるのだ。棟内にいても視線は感じるが、単に見られている気がするものと、明らかに見られているものとでは、俺の受けるストレスが違う。
そんなこんなで四六時中誰かの視線を感じるという、ありがたくない生活の二日目の朝、レンナルトが女王からの言伝を持って来た。
『本日十五時、エーク棟のセッルへお越しください。案内はレンナルトが致します』
夕方、その言伝に従い、俺はレンナルトに案内されてエーク棟へ入った。入り口にこそ兵士が二人いたものの、中は無人らしく、静まり返っている。
「私はここで失礼します」
俺を建物の中に残し、レンナルトはすぐに踵を返して外へ出た。後ろで、扉が静かに閉められる。
このエーク棟のある区画は、先ほどまで俺のいた場所の隣であり、何事かあればエスターたちが駆けつけられるようになっていた。二つの建物の距離はおよそ五十メートルだったので、彼らの足なら六、七秒といったところだろう。
言伝にあったセッルとは何で、女王はどこで待っているのか。訝しみながら俺は白いタイル張りの床を進み、道なりに沿って左折した。
病院の通路を思わせる、清潔感のある通路の左手にはずらりと扉が並び、そのうち中央にある一つが開いていた。カツン、カツンと自分のたてる足音を聞きながら、その扉に近づく。
どうやらそこがセッルらしく、教室の半分ほどの広さの部屋にアドリア―ナ女王がいた。
「お待ちしておりました、ロレンツォ様」
部屋には窓もなく、四隅に置かれた灯台が空間を照らしていた。
火炎精霊の恩恵があるここ、フィアンマ国では燃える石や水、空気が採れるらしく――俺はそれを石炭や石油、ガスではないかと思っている――灯台では拳大の石が赤赤と燃え盛っていた。熱と光を放出するその石によって、まるで外と同じ夕暮れの中にいるように、室内はオレンジに染まっている。
「どうぞ、おかけください」
女王に勧められて席につく。
謁見の間で女王が座っていたのと同じような、よく磨かれた木の机だった。二メートル四方のそれの向かいに、アドリア―ナ女王も着席する。彼女が来ている派手な民族衣装――と勝手に思っているが、本当にそうかは知らない――とは裏腹に、机に施された装飾は控えめで、だからといって価値を下げるわけでもなく、それどころか慎ましやかな品格を備えているように思えた。
「この度はお互いの意見を交換する、このような場を設けていただき、誠にありがとうございます」
「いえ、わたくしとしても、両国が手を取り合うことで利こそあれ、害はないと常々思っていました」
なら、どうして三年間もこちらの誘いを蹴っていたのか。そのときに、さっさと応じてくれていれば、俺がここに座って、こうして微笑なんだかにやけてるんだか、顔が歪んでるんだか分からない表情を拵えることもなかったろうに。
そんな恨み言をつらつら思っていたとき、不意に女王がそれまでの、一国の主たるにふさわしい上品な微笑みの質を変えた。口元に浮かべる柔らかな笑みはそのままに、視線だけは剃刀のように鋭くなる。
「しかし、そのお話に入られる前に、まずはあのことについてお話し願えませんでしょうか?」
口調こそ丁寧だが、彼女の視線も語気も、命じるように辛辣だ。
ここに来るまでの間に、アレクと散々、会談で話すべきことを煮詰めてきた俺だが、『あのこと』というものにはさっぱり心当たりがなかった。
何か該当するものはないかと脳内を大捜索しながら、女王へ恐る恐る訊ねる。
「……失礼ですが、あのことと言われましても……具体的にはどんなことでしょうか?」
その瞬間、女王の態度が一変した。まるで巧妙な変装を解いた怪盗のように、浮かべる微笑も、品がありながら柔らかい物腰も剥落し、睨みつけるようにして俺を見る。
「とぼけるつもりですか! あなたがあのときのことについて真実を話すというから、わたしはこの場を設けたのです!」
嵐のように激昂する女王を落ち着かせようと、俺は努めて静かに訊ねた。
「真実……? あのときというのは、いったいいつのことでしょうか……?」
「いい加減にしてください! それ以上誤魔化すつもりなら、わたしはこの場を引かせていただきます!」
それは困る! 俺たちはまだ、何についても話していないのだ。
しかし、これ以上『あのこと』について聞き出そうとしても、アドリア―ナ女王の怒りの炎に油を注ぐだけだろう。
何と訊ねるのが最善か? はたまた、これについては触れず、強引に会談の目的を果たすべきか?
俺が迷っている間、女王は親の仇を見るような強い眼差しで見てきたが、それでも黙って辛抱強く俺が答えるのを待っていた。
いっそこのまま、黙っているのが最善なのではないかと思い始めた頃、「分かりました」と言って女王が席を立った。
「それが貴公の答えなのですね。この事には追って抗議を申し上げます。今日中に、わたくしの国から出てください」
それは、凶悪犯に死刑を宣告する判事よりも、取り付くしまのない冷たい声音だった。