第四幕 2
第四幕 2
王城の敷地内には謁見室のあった建物とは別に十数個の建造物があり、そのうちの一つ――というか一区画が俺たちテュルクワーズ一行の貸切りとなっていた。
敷地内には常にフィアンマ国の兵士が巡邏しており、俺の案内されたダス棟の中でも、エスターさんたちが交代で見回りをしてくれるらしい。
その日の晩、俺は棟の屋上に設置されていたハンモックに腰かけてゆらゆら揺れていた。
傍目には優雅に見えるかもしれないが、こうしている間も誰かの視線を感じるというのはなかなか愉快なことではない。
「陛下」
梯子を登ってきたのはヴィリオーネだった。
満点の星空の下、腰に流されている金髪がきらきらと反射している。
「この間はごめんなさい。少し強引すぎたわ。それと、何も言わずに出て行ったことも……」
「二度とあんなことをしないなら、それでいいさ」
男だと分かった以上、ヴィリオーネに対して過剰に反応することもないだろう。さすがに裸の男に詰め寄られるのは気持ち悪すぎるので遠慮願いたいが。
「それは約束できないわ」
「できないのかよ!」
夜空からヴィリオーネへ視線を転じれば、ランダムに出会った人間のうち十人中九人は惚れそうな艶やかな微笑を浮べていた。中性的な美しさゆえ、男女の別がなくとも相手を魅了できるのが高得点の理由だ。
「だってワタシは、いずれ陛下の妃となるんですもの」
「……婿じゃなくて?」
「あら、アナタがそう望むなら、ワタシはそれでも構わないわよ」
「バカ言え、俺にそっちの気はない。……それより、どうしてヴィリオーネは妃候補になろうと思ったのか、訊いてもいいか?」
「いいわよ。でもそれには、少し昔の話をしなきゃいけないわねえ」
そう言うと「隣いいかしら?」と俺の横に座ろうとする。
「それなら俺が立つ」
ヴィリオーネは面白くなさそうに眉根を寄せたあと、「仕方ないわねぇ」と屋上に置いてあった椅子を俺のすぐ横まで持ってきて腰かけた。
「アナタが来る前の話よ」
声量を抑えてヴィリオーネは囁いた。
「ワタシたちは妃候補ではなく、側室と呼ばれていたの。それもロレンツォ様の」
「どういうことだ?」
早くもこんがらがってきた。
「つまり、ロレンツォ様の愛人と見なされていたのよ。もちろんロレンツォ様が公の場でそう言ったわけじゃないわ。きっと、ロレンツォ様がワタシたちのことを妃候補と呼ぶのを聞いた誰かが付けたんでしょうね。まあ、無理もない話だと思う。ロレンツォ様はアナタが異世界にいることを秘密にしていたし、ワタシたちにも口外しないよう厳命した。でもそうなれば、ワタシたちは誰の妃候補なんだろう? ということになるでしょ? いない人の妃になんてなれっこないものね」
「……隠れ蓑にしてたってことか」
「そう。ロレンツォ様の好色が側室という安易な発想の誤解を周囲に抱かせ、結果として妃候補という言葉に対して誰の? という追求を阻むことができたの。……オリネラ様に事情を説明するときが大変だったけれど、それはまた別の話ね」
当時を懐かしんでか、ヴィリオーネは苦笑する。それから一転して真面目な口調になった。
「ここからが本題よ。ワタシはテュルクワーズの最南端にあるマギールという地域を治める貴族の家系なの。現当主がワタシの父だから、そのうち顔を会わすこともあるでしょうね。で、マギン家っていうのはその土地柄、代々火炎の言霊術を扱うのが得意なのよ。ワタシもその例に漏れず、そこらのフィアンマの兵士より上手く火炎を扱える自信があるわ。
ワタシの実力はまた今度見せるとして、マギン家の気質についてなのだけれど、火炎の言霊術が得意なくせして陰気臭いやつばっかりでね! まるで口を開くことさえ恥ずかしい行為であるかのように、最低限のことしか話さないの。おまけに伝統とか慣習が大好きで、男はこうあるべきとか、女はこうあるべきって大昔の決め事やらを押し付けてくるのよ。
ここまで言えばある程度想像もつくでしょうけど、ワタシはこんなだし、当然その家訓と父に反発したわ。あんな家、出て行ってやってもよかったんだけど、母や妹と弟に泣きつかれてなかなか実行できないでいた。そんなときに、ロレンツォ様がマギールにいらっしゃったの。
それから色々あって、ロレンツォ様が『そんなに家を出たいなら、妃候補として取り立ててやろうか』って言ってくださったの。最初は『何言ってるの、冗談がすぎるわよ』とか『地方主どころか王族に縛られるなんて死んでも嫌』と言って断ったのだけれどね、リセイ様の話を聞いて興味をそそられたのと、酔ってたからついつい勢いで承諾しちゃった」
「酔ってたっ!? ってことは、ロレンツォも酒を飲んでたんだよな!? 人の妃候補を酒の勢いで決めるとか、いい加減にも程があるだろ!」
「声大きいわよ」
ヴィリオーネが自分の唇に指を立てて俺を咎める。
「でも、ワタシはそれから一度だって妃候補になったことを後悔してないわ。おかげで憧れの王都で自由気ままに行動できたし、女友達もたくさんできた。どれもこれも、あのままマギールにいたらできなかったことだわ。それに、素敵な想い人もできたしね」
ゾクリと背筋を悪寒が駆けのぼった。ヴィリオーネが俺に寄りかかろうとしているのを横目に捉えて慌てて立ち上がる。
「避けるなんてひどいわぁ」
「そ、そそその想い人とやらは間違っても俺じゃないよな!?」
声の大小とか、誰かが見ているかもしれないとか気にしている余裕はなかった。
「何言ってるの。アナタに決まっているじゃないの」
「分からん! なんでどいつもこいつも俺を好きだのなんだの抜かしやがる!? モテ期か!? モテ期なのか!?」
「そんなに取り乱してると、ナニをしているのかと疑われちゃうわよぉ」
その不穏な口調と、兵士に駆けつけられるのは嫌だったため、俺は深呼吸をして気持ちを落ち着けた。
「それは、俺がロレンツォの弟で、あいつに似ているからじゃないのか?」
「違うわよ? ワタシはロレンツォ様のこと、好きだけどそういう対象で見たことないわねぇ。気の置けない悪友といったところかしら。ワタシの場合は、そうねぇ……アナタ、前に怪我をしてる猫くんを助けてあげてたことがあったじゃない? 他にも色々そう思うところはあったけど、強いて言うならあのときかしら」
世の男性に朗報だ。金網などで怪我をした猫を動物病院に連れて行くと、今ならもれなく女にモテるらしい。怪我をして気が立ってる猫をつかまえるのは至難の業だが、それさえクリアすれば自分の好みの女の子をゲットできるだろう。ただし、四人に一人くらいの確率でニューハーフが混じっているから気をつけること。
「あのときアナタは猫くんをお医者に連れて行くだけじゃなくて、治療費も自分が払いますって言ってたじゃない? 里親探しのためにビラ配りなんかもしてたし。そういう目先の優しさだけじゃなくて、きちんと最後まで世話をしてあげる誠実さ、かしらねぇ。ワタシがアナタに引かれたのは」
とりあえず、猫一匹の幸せを見届ける根気があれば大丈夫らしい。
「猫くんと別れたあと、アナタ裏でこっそり泣いてたでしょ。あのときはワタシも思わず貰い泣きしちゃったわ。……元気にしてるかしらねぇ、あの猫くん」
「父さんの知り合いの知り合いに貰われて行ったから簡単には会いに行けないしな――ってなんでそこまで知ってんだよ!? 怖いよ! ストーカーですか!?」
筒抜けにも程がある! 芸能人だってもっとプライベートが守られているんじゃないのか!?
「あら、いずれ夫となる人について知っておきたいと思うのは当然のことでしょ?」
「その発言は、ストーカー行為の容認を招きかねないぞ。だいたい、結婚というのはどちらか一方が好きなだけでは成り立たないんだぞ」
「そんなこと分かってるわよ。だからワタシは、アナタがワタシを見てくれるまでいつまでも待つわ」
ヴィリオーネは胸を張ってそう答えた。朱い瞳は爛々と輝き、薄い唇の両端が僅かに上がっている。
「……でも、俺が誰も選ばなかったり、百万が一、別の誰かを好きになったらどうするんだ?」
「見くびらないでちょうだい。前者ならそれこそ、死ぬまでアナタを待ち続けるし、後者なら諦めて身を引くわ。ワタシたちわね、そんな覚悟とっくにできてるの。帰って来るか分からないアナタの妃候補になると決めたときにね」
口調こそ少し怒ったようにツンケンしたものだったが、俺より少し高い位置にある顔は晴れやかなものだった。
好きなものを手放す覚悟と、手に入れるまでの忍耐強さを備えているヴィリオーネを、俺は素直にすごいと思った。