本当の特別な人
第六章 本当の特別な人
シャロンの生存を聞いて、まずはじめに喜んだのは兄だった。
人目も構わずにシャロンを抱擁する。
父親も母親も信じられないような様子で、呆けたような顔をしていたが、シャロンが本当に目の前にいるのを感じると、涙を流して喜んだ。
人間一人の死は大きい。
その大きさを、シャロンは改めて思い知らされた。
「森の街へ行く?」
夜、クラウスと二人でベランダに出て、夜空を見上げていた。
家族四人の邪魔をしまいと、アロックとリアリドとミッハは宿を借りてそこに泊まっている。
「好きな人ができたんだ。」
シャロンは少しだけ頬を紅葉させた。
「あの褐色の肌の元気がいい子か?」
コクリとシャロンは頷く。
「僕の生き方や考え方を変えてくれた子なんだ。あの子がいるから、僕も生きてみようかとおもえるようになったんだ。」
世界はやはり汚く廻り続けている。
けど、その汚い中にも光があった。
ゴミ山に捨てられたほんの小さな宝石。
小さな宝石のために生きてみるのもいいかもしれない、とシャロンは思うようになっていた。
死んだら、アロックの傍にはいられない。
「お前、変わったな。」
「兄ちゃんこそ。」
「俺はお前を亡くして悲しそうにしているお袋を見てるのが辛くて、お前の真似事をしてただけだよ。中身は前と同じ俺のまんまだ。あ、だけど勉強はするようになったから成績は上がったかな。」
「だったら良かったじゃない。」
「いいもんか。お前が死んだって思って、俺がどれだけ…。」
クラウスはぐっと言葉を飲み込んだ。
溢れてきそうな涙と一緒に。
「とにかく、お前が生きてるっていうのが分かっただけでも良かった。もう、自分で自分を殺すなよ。お前がいなくなっただけで、こうも周りは変わるんだ。」
クラウスの言う通りだと思った。
母は毎日泣いて泣き疲れたのかゲッソリとやせていて、父にも以前のような活力がなかった。
しかし、シャロンが幽霊ではなく地に足つけた生きた人間だと分かると、二人とも顔色を良くした。
「森の街に行くのか。あそこ、遠いだろ。」
「馬車で四時間もかかるんだよ。」
「へぇ、四時間も。あそこってさ、エルフと人間が共存してるんだろ?どんな感じなんだ?」
「どんな感じっていっても、普通だよ。この街とさほど変わらない感じ。エルフも人間も、森の街では人種が関係ないんだ。」
「いいな、そういうの。俺も森の街に行ってみたいな。」
「遊びに来ればいいよ。」
「そうだな。遊びに行くよ。だから、その時はお前が俺を案内してくれ。」
それまではちゃんと生きていろよ、という兄の無言の言葉。
シャロンは頷いて答えた。
家族にも、森の街に行くことを話した。
家族も大事だが、やはりアロックも大事なのだ。
本当は両方とも手に入れたいが、そんなわがままは許されない。
どちらを手に入れて、どちらを捨てるか。
天秤にはかけられないものだけど、かけるしかない。
シャロンにとっては、アロックの存在の方が大きかった。
「そう、森の街に行くのね。」
母親は寂しそうな顔をした。
しかし、反対はしなかった。
父親も、「お前がそれでいいなら好きにすると良い。」と背中を叩いて笑顔で見送ってくれた。
これからシャロンは新しい街で新しい人生を送る。
一度死んだ身だ。
この後、何が起こったってくじけたりはしない。
隣にアロックさえいてくれれば、自分は死んだりなんかしない。
家族に別れを告げた。
そして、朝日が昇る時間になると家を出て、アロックたちの泊まっている宿屋に行った。
「本当にいいの?森の街に来て。」
シャロンと一番離れたくないくせに、アロックが聞いてくる。
「いいんだよ。」
アロックとの縁が切れることの方が怖い。
家族とは一生切れない縁で結ばれているが、アロックとは赤の他人で、少しでも衝撃を与えればプツリと切れてしまうような細い縁で繋がれている。
だったら、森の街に行こうじゃないか。切れそうな縁を太くしてやろう。
「ところでミッハ。氷の中ってどんな感じだったの?」
アロックがミッハに尋ねる。
「そうだね。冷たさも温かさも何も感じなかったよ。浮いているような感覚はあったけどね。正直、死んでしまいたいと思った。だからシャロンにフィランドの隣で死んでくれるように頼んだんだけど。」
でもね。
「本当は死にたくなかった。こんな場所で死ぬくらいなら、フィランドの隣で死にたい。そう思っただけなんだ。君たちが来てくれて、それでどうしても生きていたいって思った。そうしたら氷が溶けてくれた。」
でも、どうして氷が一瞬のうちにして溶けたのだろうか。
「きっとシャロンの心と僕の心がリンクしたんだね。それに、シャロンは赤いオーラの持ち主だから、炎系の魔術の才能があるでしょ。」
炎は氷を溶かす。
潜在的な能力で、シャロンはミッハの氷を溶かしていた。
「さ、帰ったら何をしようかな。」
「アイネスが心配してるよ。はじめに顔を見せてあげたら?絶対、泣いて喜ぶから!」
ニヒ、と白い歯を覗かせて、両手を頭の後ろに組んで、アロックが笑った。
話を弾ませながらシャロンたちは森の街へと向かう。
しかし、平穏な森の街は彼らの帰りを大人しく待っていてはくれなかった。
「どうなってるの?」
外には誰もいない。
風に剥がされた張り紙が、人々に何度も踏まれてボロボロになっている。
街の中全体が暗い雰囲気に包まれていた。
家の窓も扉も、店のシャッターも全て閉じられている。
いつもなら賑わっている出店市場も、一店舗も店が出ていなかった。
不審に思ったシャロンは街の中を少し回ってみた。
が、どこも状態は一緒で、閉まるもの全てをピシャリと閉めて、ネズミ一匹入れないようにしていた。
「何があったんだ?」
天気も悪い。
暗雲がたちこめている。
その時、奇声を発する何かの音が聞こえた。
「な…!」
奇声の正体は、人間の二倍はある毛むくじゃらの怪物だった。
魔物なのか?白い毛に覆われている。
顎の髭が誰かを連想させた。
「とりあえず、逃げようか!」
先に踵を返したのはリアリドだった。
どう見ても友好的ではない友達を前にして、この判断は正しかった。
毛むくじゃらの怪物は、シャロンたちを見るなり襲いかかってきた。
鋭利な爪が地面をひっかく。
石の地面がえぐりとられて、破片となって飛び散った。
「教会へ行こう!あそこなら魔物は入ってこられない!」
魔物は魔の力を持つもの。
神聖な場所を嫌う。
魔物は教会が嫌いだ。
シャロンたちは教会に走った。
息を切らせて、せっせと足を動かす。
魔物も大きな体をぐわん、ぐわんと揺らしながら、人間が歩くペースでシャロンたちを追いかけてきた。
しかし、シャロンたちの走るペースの方が速く、魔物が追いかけてこようが、追いつかれることはなかった。
教会が見えた。
教会の前まで走る。
教会に着くと、扉を開いて急いで中に入った。
がちゃり、と重い扉を閉める。
「ミッハじゃないか!」
聖堂には司祭がいた。
他にも三人のエルフと一人の人間。どれも司祭見習いの弟子たちだ。
「どうしてこんなことに?それに、あの化け物は何ですか?」
「予言が本当になったんじゃ。」
司祭が目玉を魚眼のように大きく見開いてミッハの腕を掴んで揺らした。
「特別な人が街を滅ぼす。その予言を受けたから、僕を氷づけにして海に沈めたんじゃないんですか?」
ミッハは少し皮肉を込めて言った。
「違ったんじゃ。特別な人というのはお前さんのことではなかった。」
では、誰のことなのだろう。
「図書館に通いつめていた老人がいるじゃろ?」
「ハナハドのこと?」
「そう。そいつじゃ。」
ハナハドがどうかしたのだろうか。
「永遠の命を手に入れるためにとか言って、街の閑散とした場所、つまり空き地に大きな魔法陣を描きよった。そうしたら、魔物が何十匹も召喚されて、その老人にとり憑いたんじゃ。」
魔物は死んだ動物から生まれるだけではない。
魔界というところには、たくさん住んでいる。
住んでいる世界は違うけれど、召喚術を唱えれば、こっちの世界に呼ぶことが出来る。
「それで、あの老人はとり憑かれ…。」
「じゃあ、あの白い毛むくじゃらの化け物って、ハナハドなのか?」
シャロンは目をむいた。
あれがハナハドだって?
体は大きかったけど、優しくて博識な、自分のおじいちゃんにしたいような、あの老人が?
「街には人っこ一人出ておらんじゃろ。皆、あの化け物のせいじゃ。」
いつ襲いかかってくるか分からない化け物に、皆怯えている。
だから戸口という戸口のドアを閉めて家に篭って嵐が過ぎるのを待っているのだ。
「まだ人には危害を加えてはおらんが、あの様子だと…。」
確実に人間を襲うだろう。
「何か良い手はないの?」
アロックが司祭に尋ねると、司祭は難しそうな顔をした。
「ない、わけではないが…。」
「だったら早く教えてよ。」
「魔法陣を消すのじゃ。」
魔法陣を消す。
自分で描いた魔法陣なら自分で消せる。
しかし、他人の描いた魔法陣を消すことはできない。
「聖水を使えば、魔法陣も消せるかもしれんが、いちかばちかじゃぞ。それに、あの化け物が襲ってくるかもしれん。」
「その役目、ぼくたちが引き受けます。」
言ったのはリアリドだった。
「ぼくが魔物の注意をひきつけておくよ。その間にミッハたちは魔法陣を消して。」
「でも、リアリド一人じゃ危ないよ!」
「じゃあ、僕もリアリドの加勢をしようかな。」
「シャロン!」
シャロンは化け物の注意をひきつけておくリアリド側に手を上げた。
「こう見えても、剣術の成績はトップだったんだよ?」
剣術は選択科目で遊び半分に取った科目だったけれど、こんなところで役に立つとは。
遊びの授業でも真面目に取り組んでいて良かった。
「では、僕とアロックが聖水で魔法陣を消す係。シャロンとリアリドがハナハドを足止めする係。これでいいかな?」
「おっけいです。」
ぱん、とリアリドが手のひらで拳をたたいた。
「さて、予言を取り消しに行きますか。」
外は真冬の枯れ木のように閑散としていた。
教会よりもっと遠くから、化け物の唸る声が聞こえる。
ハナハドの声は、こんな声じゃなかった。あれはもう化け物だ。
「魔法陣は空き地だったね。」
ミッハが確認する。
「じゃあ、僕たちは反対側に化け物をおびき出せばいいんだね。」
シャロンが腰の短剣に手をやった。
本当は化け物に傷をつけたくない。
化け物になっても、もとはハナハドなのだ。
彼の朗らかな声が耳に甦る。
まさかあんな姿になってしまうなんて。
永遠の命を追い求めて、失敗して、退治される化け物へと変わってしまった。
「それじゃ、行くよ。」
ミッハの号令で、みんな教会から出た。
ミッハとアロックは聖水を持って魔法陣のある空き地へ。
シャロンとリアリドは剣を持ってハナハドの暴れている場所へ。
「ハナハドなんだ。」
ミッハやアロックたちと別れて、自分たちのポジションへと行く途中、リアリドがポツリともらした。
「ほら、この前ハーブ畑で話したじゃない?ぼくはまだ死ぬべき運命じゃないって言って、ぼくの自殺を止めてくれたおじいさんの話。あれって、ハナハドなんだ。」
そのハナハドに、これから剣を向けなければいけない。
「一度化け物になった者は、もう救えない。ハナハドを救うためには魔法陣を消去して、殺してしまうしかないんだ。」
それが、彼の魂を救ってあげる唯一の方法。
「ぼくらハナハドを殺しに行くんじゃない。助けに行くんだ。」
リアリドが言った。シャロンもそう思う。
そう思わなければ、罪悪感のおもりに押し潰されそうだった。
化け物の声がだんだん近くなる。
そして、とうとう肉眼で化け物を確認できるところまでやってきた。
シャロンとリアリドに気付いた化け物は、一直線に二人の方に向かって駆け出してきた。
毛むくじゃらの化け物が、頭をふりながら突進してくる。
シャロンは短剣を抜いた。
リアリドも剣を取る。
「これから先には行かせないよ。」
二人は息を揃えて、化け物へと立ち向かった。
空き地のいたるところにバスケットボールのリングくらいの大きさの魔法陣が細やかに描かれていた。
十個くらいはありそうだ。
そのひとつひとつに聖水をかけていく。
これはかなり時間がかかりそうだ。
聖水はただふりかければいいだけじゃない。
魔法陣の形にそって、紅茶をカップに注ぐようにしてふりかけなければならないのだ。
「一人ノルマ五個だね。さぁ。はじめようか。」
ミッハが聖水の瓶のふたを開けた。
クリスタル色に輝く聖水には何も匂いがしない。
アロックも聖水の瓶を開けた。
ミッハは左側にある魔法陣から、アロックは右側にある魔法陣から魔法陣を筆でなぞるように聖水をかけていく。
聖水をかけた場所が乾くと、一緒に魔法陣は消えていった。
「これが消え終わったら、ハナハドはどうなるのかな。」
「多分、死んでしまうだろうね。」
ミッハは歯に衣をきせずに言った。
「いい人だったんだ。それなのに、なんでこんなことになったんだろう…。」
「その人、永遠の命を求めたんだろ?」
うん。とアロックは頷いた。
「永遠なんてね、人にはないんだよ。長寿だとされている妖精だって、いずれ死を迎える。永遠の命を持っているのは、神様だけなんだ。禁忌の領域に触れてしまったんだから、それは彼に対する罰だよ。」
「ミッハは冷たいことを言うなぁ。」
「だって、僕は神の子だから。真実しか口にしない。してはいけない。」
ごめんね、冷たい言い方しかできなくて。
ミッハは眉を八の字に曲げて苦笑いしながら謝った。
こんなところが、ミッハは優しい。
聖水も半分なくなった。
魔法陣も十個のうち五個が消えた。
残りは半分。
「シャロンたち、大丈夫かな?」
「だったら、早く魔法陣を消してしまわないとね。」
ミッハは残りの魔法陣に聖水を流しはじめた。
いくら化け物だからといっても、ハナハドなのだ。
傷を付けたくないというのが本音。
だから、彼が攻撃してきた時だけ剣をふるって、攻撃をかわした。
「まだ魔法陣は消えないのか?」
シャロンにだんだん焦りが登ってきた。
このままいくと、自分の短剣で化け物になってしまったハナハドを殺してしまいかねない。
自分の手で殺してしまうのは嫌だった。
いや、他人の手でも、ハナハドを殺してしまうのは嫌だった。
でも、それしか彼を救う方法はない。
禁忌に触れてしまったのだ。
その代償は大きい。
「ハナハド!ハナハド!」
いくら呼びかけても、化け物は化け物で、自分の本当の名前すら覚えていないようだった。
あれはもう、ハナハドのかけらも残っていない。
残念ながら、完全に化け物になりきっていた。
毛むくじゃらだが、手の爪は鋭利な刃物よりも尖っていた。
五本の指が、そのまま五本の剣になっているようだった。
攻撃をかわし、追撃もかわし、ハナハドには自分から攻撃を仕掛けない。
しかし、これではいつまでたっても攻防戦は終わらない。
ミッハたちも頑張ってはくれているのだろうが、こんな守りの戦いを続けていれば、体力がなくなってしまう。
体力の限界はまだだが、そろそろ危なくなってきた。
「このままじゃ、ぼくたちが持たないよ。予定変更。ハナハドの心臓を狙う。」
リアリドの提案に、シャロンは頷くしかなかった。
このままでは自分たちが危ない。
もうこれはハナハドではないのだ。
自分たちを脅かす、驚異的な化け物なのだ。
自分にそう言い聞かせて、シャロンは短剣を握り直した。
カキン!
化け物の爪とシャロンの短剣が交差する。
その隙にリアリドが化け物の心臓を狙う。
しかし、化け物に暴れられ、リアリドの体は地面へとたたきつけられた。
「リアリド!」
「ぼくはいいから、心臓を狙って!」
倒れこんでしまったリアリドめがけて、化け物が襲ってくる。
かっこうの獲物をみつけた狼のようだ。
シャロンに背を向け、リアリドに襲いかかる。
リアリドに鋭い爪が襲いかかる。
その時…。
ざくっ!
あと一センチで化け物の爪はリアリドを切り裂いていた。
しかし、その一センチのところで化け物の動きが止まった。
シャロンの短剣が、化け物の心臓を後ろから刺していた。
化け物の動きが止まる。
「ハナハド…。」
シャロンが彼の名前を呼んだ瞬間、化け物の体が淡い光をあげた。
温かい色の光に包まれて、化け物からハナハドへと戻っていく。
魔法陣が消えたのだ。
「シャロン…か?」
ハナハドはシャロンの本当の姿に会うのははじめてだ。
しかし、すぐにシャロンだと分かった。
「やはり、人間に永遠はないのじゃな。」
ごほっ、とハナハドが吐血した。
襟元をべっとりとした血液が赤く染め上げた。
「これが…わしの運命で寿命じゃったようですじゃ…。」
永遠を追い求めた男の最期だった。
「シャロン…それにリアリドもいるのか…。お前たちはまだ死ぬ運命じゃないですじゃ。だから、命は大切に…。」
ハナハドの言葉が途切れた。
それと一緒に心臓も音を止めた。
ハナハドは死んだ。