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生きる老人と死ぬ青年

第三章  生きる老人と死ぬ青年





「おはよう、アイネス!ミッハいる?」

 朝食が終わったばかりの朝っぱらから、玄関がバタンと開いた。

元気よく飛び込んできたのはアロックである。

「兄さんなら自分の部屋にいると思うけど?」

「ありがと!」

 さっそくミッハの部屋へと向かう。

ドンドンと気持ちばかりのノックを適当に叩くと、中の人の返事も聞かずにアロックはミッハの部屋の中へと入っていった。

「君、ノックの後すぐに扉を開くのはやめてよね。もしも僕が着替え中だったらどうするの?」

「そんなの見慣れてるから平気だもん。」

 ミッハはアロックに着替えを覗かれたことが何度もあるらしい。

「ほら、行くよ!」

「行くって、どこへ?」

「外!」

「何で?」

「部屋の中に閉じこもってるよりはいいでしょ!ピクニックに行こうよ!こんなに天気もいいんだしさ!私、お弁当も作って来ちゃった。」

 アロックは片手に弁当包みを持っている。二人から三人分はありそうだ。

「僕はこれからフィランド姫の墓に…。」

「町の中をずっと南に進んだところにね、とっても綺麗なお花畑があるんだ。そこでピクニックをしよう。はい、決定!」

 着替えの済んでいるシャロンの腕を引っ張って、アロックは強引にシャロンを部屋の外へと引っ張り出した。

「いやぁ、いい天気だね。」

 能天気なアロックは弁当包みを右手に、眩しそうに太陽に手をかざしている。

 今日はフィランドの墓に行って、自殺の方法を考えようと思っていたのに…。

シャロンの計画はアロックの独断で水に流された。

「どうしたの、シャロン。顔が暗いよ?」

「もとからだよ。」

 完璧に立てた一日のスケジュールを完璧に崩されたのだ。

顔くらい暗くさせてくれ。

「あ、お花畑が見えてきた。」

 アロックが花の海に向かって駆けて行く。

シャロンは自分のペースでアロックのあとをついて行った。

「きれいだろう?」

 シャロンとアロックの目の前に広がるのは、色とりどりの花の世界。

名前は何か知らないが、コスモスのような格好をした小さな花が星空に広がる幾千、いや幾万の星のように小さな体を重ね合わせてビロードをひいている。

草と同じ緑色をした花に、チューリップよりも少し大きな花弁を持つ紫や赤や青をした花束。

ここは花の楽園か、と思わず溜息をついてしまうほど美しい。

時間の流れを忘れて、現世までも忘れてしまいそうだ。

「どう、世界は汚くないだろ?」

 隣でアロックが笑っている。

白い歯が綺麗に光る。

「そうだな、ここは綺麗だ。」

 しかし、街に戻れば現実世界が待っている。

「でも、現実は汚い。」

「ここも現実世界だよ。ただ、町の中とは場所が違うだけ。」

「ここは異空間だ。」

 現実から切り離された世界。

浮世を忘れさせてくれる世界。

この花畑はそういうところだ。

現実であって非現実的な美しさで全てを忘れさせてくれる。

だから、ここは現実であって現実世界ではない。

 シャロンの言い分にアロックは納得していないようだ。

頬をぷくっと膨らませて、眉を吊り上げている。

怒っているわけではないようだが、怒っていないわけでもない。

「まったく、とんだ分からず屋だなぁ。」

 まぁ、いっか。とアロックは花畑の上に腰を降ろす。

「これから、もっともっと綺麗なものを見せてあげる。色んなところにつれて行ってあげる。世界は綺麗だって思い知らせてやるんだから。自殺願望も取り除いてあげるよ。」

「無理だと思うけど。」

「無理じゃない。」

 キッ、とアロックはシャロンを下から見つめた。

「シャロンには楽しみが無いんだよ。生きていくことに対しての楽しみが。」

「どういうこと?」

「例えばさ、週末に旅行に行くって予定があったら、その週は自然と気合を入れて頑張っちゃわない?週末の旅行を楽しみにさ。」

「僕は旅行が楽しみだったことはないから。」

「だから例えばの話だって言ってるじゃん。」

 旅行限定とかじゃなくってさ。

「何か楽しみがあれば人は頑張れる。何だっていいんだ。仕事終わりのビールとか、趣味のお裁縫とか。」

「ないな。そういった楽しみは。」

「これから作っていけばいいんだよ。そうだ、恋とかどう?」

 ニタ、と笑ってアロックは言った。

「恋をすると人は変わるってよく言うじゃん。だからさ、シャロンも恋をしてみたらいいんじゃないかな?人生変わるかもよ?」

「恋っていってもなぁ…。」

「私の友達でも紹介してやろうか?」

 ニシシ、とアロックの笑い声が花畑に届いた。

 恋か…。そういえば誰かを好きになったことなんてなかったな。

 シャロンは今までの自分を振り返ってみた。

女の子から告白をされたことは数えきれないくらいある。

しかし、そのどれも好きにはなれなかった。興味を持てなかったのだ。

誰かを好きになるということに。

自分のことで精一杯で、他人を見る余裕なんてなかった。

成績優秀、スポーツ万能の優等生であるためには、他人にかまってなどいられなかった。

誰かを大切だとは思ったことはある。

それは父であり母であり、最愛の兄である。

しかし、自分は大切な人を裏切るように死に走ってしまった。

大切だとは思っていても、彼らの気持ちを考えることができても、それでも死んでしまいたかった。

生きていくには苦しすぎる世界だったから。

やはり一番大切なのは自分なのかもしれない。

「シャロンにも楽しいことが見つかればいいのになぁ。そうしたら、死にたいなんて思いもなくなるかもしれないのに。」

「けど、仮に見つかったとしても、体はミッハのままだ。シャロンで人生に楽しみを見つけて、外見だけはミッハとして生きていけってことか?」

 それってちょっと難しすぎないか?

「そうだよねぇ。てかさ、ミッハとシャロン、両方助ける手はないのかな?」

 バン、と両手を叩き合わせて、アロックが目を真ん丸く開いた。

「そうだよ!ミッハもシャロンもまだ死んでないんでしょ?だったら、二人とも自分の体に戻って助かる手があるかもしれないじゃん!」

 どうして今まで気付かなかったのだろう、とアロックは自分のおでこをこづいた。

「それはどうだろうね。二人とも無事に自分の体に戻って、生きていく手なんてないかもしれない。」

「どうしてシャロンはそう否定的かなぁ。もうちょっと前向きに行こうよ!」

 アロックは前向きすぎると思う。

何の足がかりもないのに、すこしの隙間だって見当たらないのに、どうしてシャロンとミッハが幸せになる手立てなんて考えることができる?

 それでもアロックは真剣なようだった。

眉根をひそめて、唸りながら自分なりにシャロンとミッハを救い出す方法を考えている。

こんな綺麗なお花畑で腕を組んで考えることなんかじゃないだろう、と思いながらも、シャロンは何も言わずに弁当箱の包みを開けた。

「ね、お弁当にしようよ。せっかく作ってきたんでしょ。」

「そうだった、そうだった。」

 切りかわりの早いアロックはスイッチをオンにしたように、明るくシャロンに振り返った。

「シャロンの好物分からなかったからさ、とりあえず私の好きなもの詰め込んでみたよ。」

 どれも子供の好きそうなお弁当の中身だ。

からあげにエビフライ、たこさんウインナーにおにぎり、甘そうな卵焼き。

野菜が少ないのは気のせいか?

「どれもこれも私の手作りだからな!うまいぞ~。」

 料理は得意なんだ、とアロックはシャロンにフォークとナプキンを渡した。

 まずはからあげから試食してみる。

ぱくり、と口に入れると、油っぽいかと思っていた味が意外とアッサリとしていることに驚いた。

風味も悪くない。

はっきり言って完璧だ。

「嘘みたいだね。君が料理得意なんて。」

「お前、バカにしてるのか?」

「そうじゃないけど、なんか活発で外で走り回ってそうなイメージがあったから。」

 短い青の髪の毛に、よく焼けた褐色の小麦色をした肌。

南国のイメージがつきまとうアロックがキッチンに立つ姿など、はっきり言って違和感があってたまらない。

「まぁ、外で走り回るのが好きってとこは否定しないけど。よく孤児院の子供たちと追いかけっことかして遊んでるし。」

 昨日は隠れ鬼ごっこをした、とアロックは楽しそうに話してくれた。

孤児院の子供たちと仲が良いようだ。

話だけ聞いていると、まるで兄弟のように聞こえる。

「シャロンってさ、食べ物では何が好きなんだ?」

「何でも食べられるけど、わりとアッサリとしたものが好きだな。」

「うどんとか?」

「うどんって何?」

「東の大陸の食べ物だよ。ほら、今日のおにぎりだって、東の大陸から伝わってきたものなんだよ。」

 おにぎりが東の大陸特有の食べ物ということは知っている。

こっちの大陸にも米が伝わってきているから。

しかし、うどんというのは初めて聞いた。

「今度、私の家に食べに来なよ。ごちそうしてあげるよ。」

「ピクニックみたいに弁当じゃ駄目なの?」

「汁がこぼれるからな。どんぶりにもつがないと赴きがないし。お弁当向きじゃないよ。」

「へぇ。」

 どんな食べ物なのか、少し興味が沸いてきた。

「食べるの、楽しみになった?」

「まぁ、ね。」

「じゃあ、その日を楽しみにここ数日は生きるといいよ!」

 楽しみが出来てよかったな、まだ死ぬなよ!とアロックは背中をポンと叩いた。

「さて、町の中に帰るとするか。」

 弁当箱を包みでくるんで、少し花畑を堪能して町に帰る。

幻想的な花畑は現世を一瞬でも忘れさせてくれて、心が軽くなったような気がする。

少なくとも、花畑で弁当を囲んでいる時は死のうとは思わなかった。

少しだけだけど、死ななくて良かったと思った。





 本には興味がある。自分の中に知識を貯えるのは大好きだ。

死んだらそこで無駄に終わってしまうと分かっていても、本だけは読んで知識を貯えていようと思う。

 そういうわけで、アロックに案内されて街立図書館にやってきた。

この街で一番大きな図書館らしい。

外装もまるで城のようだ。

姫様の住んでいた城の方が二倍も三倍も大きいけれど。

 近頃、アロックと行動することが多い。

いつも朝になるとアロックがやってくる。

一緒にいない時間の方が少ないんじゃないかと思うくらいだ。

まぁ、自分の正体を知っているアロックと一緒の時間の方が楽といえば楽だけど。

「シャロンはどんな本が好きなの?」

 アロックはあまり図書館に来ないらしい。

キョロキョロと周りを見渡しては、難しい顔をしている。

本に免疫ができていないのだろう。いつも外で遊んでばかりだから。

「僕はわりとどんな本でも読むけど、一番好きなのは小説かな?」

「何の小説?」

「SF。」

「へぇ、意外だな。」

「そう?」

「だってお前、ノンフィクションとか、もっと現実的なものが好きそうなイメージがあるんだもん。」

「現実世界が生き苦しいから、非現実的なものに惹かれるんだよ。」

 小説を読んでいる時は、時間も現実も忘れられる。

現実を忘れたいのに、どうして現実的な小説をわざわざ読まなければいけない。

こういう時こと、ぶっ飛んだものを読むべきだ。

そう、現実ではあり得ないようなものを。

「じゃあ、私もSF小説とやらを読んでみるよ。面白いんだろ?」

「好みは人それぞれだと思うけど。」

「でも、シャロンはそれが好きなんだろ。だったら面白いんだよ。その面白いものとやらを私も読んでみたいの。シャロンのオススメはどれ?」

 オススメか。推薦本を聞かれることなんてなかったから、どれを薦めていいか選択に困る。

どれもだいたい楽しんで読んでいたから。

どれがいいだろうか。

「『ミステリック宇宙へ』は面白いけど描き方が哲学っぽいし、『ローランドの奇跡』は多分アロックには難しいだろうなぁ。『君に届け、テラ』は十六巻まであるし…。」

「ああ、もう。どれでもいいから、早く決めなよ!」

 シャロンがもう一回読みたいって思ったのでいいじゃんか!

「だったら『コーラコスモス』。これは面白くて三回も読んだ。もう一回読んだっていいかな。」

「じゃあ、それ!それを私も読破する!」

「アロックにとっちゃ長い話かもしれないけど、大丈夫?」

「平気、平気!一日十ページずつ進んでいけばいつか読み終わるだろ。」

「十ページじゃ返却期限に間に合わないよ。」

 本の貸し出し期間は二週間である。

「だったら、また借り直すからいいの。どのコーナーにあるかな?」

 図書館の案内表を見に行こうとしたちょうどその時、運悪く後ろに人がいたようで、アロックはその人と正面衝突してしまった。

ボトボトボト、と大量の分厚い本が落ちる音がした。

「いたたた…。」

「お怪我はありませんかな、お嬢さん。」

 先に起き上がったのはぶつかった人の方だった。

肩幅も広くて頑丈そうな、背の高い老人だ。

白い髭が顎に少しだけついている。

丸い小さな眼鏡に、腰には使い古されたポシェットがベルトに挟みこまれていた。

生きた年数もそうとうなものだろう。

 老人はまだ尻もちをついたままのアロックに、腰を屈めて手を差し伸べた。

アロックは老人の手をとって立ち上がる。

「ごめんね、おじいちゃん。そっちこそ怪我はない?」

「なに、これしきのこと。犬に足を踏まれたのよりも痛くありませじゃ。」

 ファッファッファッ、と老人は軽快に笑った。

「あーあ。本が散らばっちゃった。」

 老人が抱えていた本の山が、ぶつかった拍子に散乱してしまった。

十冊は超えている分厚い本。

大人が二人で抱えたってそうとうな重さのこの本たちを老人は一人で抱えていたというのか。

見事な腕力だ。

「おじいちゃん、この本どこまで運ぶの?」

「あちらの空いている机まで。」

「だったら、私たちも運ぶの手伝うよ。一人じゃ大変だろ。」

 私たち、ということはシャロンも含まれているのか。

「でしたら、お言葉に甘えて。いやぁ、老人一人でこれを運ぶのはさすがに腰に響きますじゃ。」

 大人二人で運んでもぎっくり腰になっている。

 シャロンは本を四冊、アロックは二冊、老人は六冊持った。

一冊だけでもかなりの重さがある。

女の子のアロックは二冊しかもっていないにもかかわらず、途中で根を上げてシャロンの上に一冊置いてきた。

四冊でも限度だったのに、五冊も重ねられたとあれば、腕がもげて落ちそうだった。

そんなに重たい本を老人は一人で持っていたのか。

どういう筋力をしているのだろう。

「ありがとうございますですじゃ。」

 老人は頭を下げた。

「おじいちゃん、こんなに分厚い本に何が書いてあるの?」

 何にでも興味を持つ子供なアロックは、赤い表紙をした本をパラパラとめくった。

「うぎゃ、古代文字だ…。何書いてあるのか分からないよ。」

 シャロンもアロックがめくったページを覗き込んだ。

この文字には見覚えがある。

「ローン語ですね。」

「よく分かりましたな、青年。」

「以前に一度、授業で習いましたから。」

 しかし、ローン語といえば…。

「あなたは長生きしたいのですか?」

「まぁ、そういうことですじゃ。」

 ローン語はロールン族が昔使っていた言葉だ。

この文献には、ロールン族のことが書かれている。

「ねぇ、どういうこと?」

 話の見えてこないアロックは一人仲間外れにされたようで、不機嫌そうな顔をした。

「ローン語ってね、ロールン族が使っていた文字のことなんだけど、ロールン族にはある言い伝えがあるんだ。」

 その言い伝えとは。

「永遠の命。」

 ロールン族の秘術に、不死の術がある。

それが本当にできたかどうかは知らないが、不死の言い伝えが今でも残っている。

「おじいちゃん、死にたくないの?」

「まだまだこの世とおさらばしたくないのでな。」

 よく見ると、老人の抱えていた本はどれもロールン族にまつわる文献だった。

貸し出し禁止の文献も半分以上混じっている。禁書らしきものまで発見した。

この老人、本気だ。

「でも、何でそんなに死にたくないの?」

 純粋な瞳でアロックが聞いてくる。

「世界には知らないことがたくさんある。わしはその知らないことを全て知りたいと思うのじゃ。世界の全てを知りたい。」

「夢が大きいね。」

「夢は大きい方がいいですじゃ。」

「あのね、私はアロックっていうの。」

 アロックは小さな胸を大きく膨らませて、胸を張って言った。

「私の夢は世界中の料理を集めたレストランを開くこと。」

「これまた、大きな夢ですじゃ。」

「でしょ?」

 自分の夢を褒められて、アロックは嬉しそうだ。

「わしの名はハナハド・クーラリッヒ。」

「ハナハドじいちゃん、歳はいくつ?」

「今年で八十ですじゃ。でも、まだ夢は追いかけるつもりですじゃ。」

「うん、うん!素敵なことだね!シャロンにも見習わせてやりたいよ。」

「シャロンとは、そちらの青年のことかね。」

 街の人々は皆ミッハのことを知っている。

ミッハを知らないということは、この老人は旅の流れ者か何かか。

「シャロンか。女子のようだが、いい名前じゃ。お前さんは長生きするぞ。」

「それは分かりませんよ。」

 自分から命を絶ったら、それまでだから。

「いいや、生きる。生きることは素晴らしきことだからな。」

「そうでしょうか?」

「そうでしょうとも。」

 わしみたいに歳を重ねれば分かる、とハナハドは言った。

「これも何かの縁だね。ハナハドじいちゃん、時間がある時は、私たちもじいちゃんの夢のお手伝いに来てあげるよ。ずっと図書館にいるんでしょ。」

「次の旅に出るまではな。」

「じゃ、決定!」

 アロックはいつも何でも一人で決定する。

「それは頼もしいことですじゃ。」

 ハナハドは嬉しそうに髭をなびかせた。





 夕方になるとアロックは家に帰っていく。

「じゃあね、シャロン。また明日。」

「明日もなの…?」

「何~、そんなウンザリした顔は?私といるのはそんなに嫌い。」

「嫌いじゃないけど。」

 前向きすぎて、少し疲れる。

「明日も元気に生きましょう!というわけで、ばいば~い!明日は町で遊ぼう!」

「はいはい、遊ぼうね。」

 じゃあね、とアロックは最後に笑顔をくれた。

この顔を見ると、少しだけ心が明るくなる。

まるでランプに火が点ったようだ。

「あ、兄さん。お帰りなさい。」

「ただいま。」

 家に戻るとアイネスが出迎えてくれたが、心なしか元気がないような気がする。

「アイネス、何かあったの?」

「何でもないわ。」

 何でもないという顔ではない。

もう一度聞いてみても、何でもないと跳ね返された。

そんな泣きそうな顔で何もないと言われれば、意地でも聞き出して助けてやりたくなる。

「何でもないわけないでしょ。兄さんにも言えないこと?」

 アイネスの瞳をじっと見つめる。

ついにアイネスは白状した。

ポロリと零れ落ちる涙と一緒に。

「本物の父さんと母さんがくれたペンダント…失くしちゃったの…。」

 アイネスは捨てられた子だ。

それをミッハの父と母が拾って、ミッハと一緒に育てられた。

本物の父さんと母さんというのは、ミッハを産んでくれた両親のことだ。

「私を捨てた時、私の手の中に握らされていたものなの。いつも肌身離さずつけてたんだけど…。」

 いつの間にか落としてしまっていたらしい。

「心当たりのあるところは全部探したわ。でも、見つからないの!」

 うわああん、と声を上げてアイネスは泣き出してしまった。

まるで生まれたての赤ん坊のようだ。

「大事なものなのに…私、失くしちゃった!」

「大丈夫だから、アイネス。そんなに泣かないで。」

 アイネスを落ち着かせようと、シャロンはアイネスの背中を平手でさすった。

「僕も一緒に探すよ。」

「でも、もうすぐ日が暮れるわ。暗くなったら無理よ。」

「だったら、暗くなる前に見つけだそう。二人で見つければ、見つかるよ。」

 大丈夫だから。そう言って、シャロンはアイネスの背中を叩いた。アイネスの涙も少しだけ引っ込んだ。

「果物市場かハーブ畑にあると思うの。」

「じゃあ、僕がハーブ畑を探しに行くよ。」

 ハーブ畑の場所は知っている。

一昨日、アロックに連れられて遊びに行った場所だ。

今は紫色のハーブが旬だった。

「ありがとう、兄さん。」

「さ、涙は拭いて。ペンダントを探しに行こう。」

「うん。」

 やっとアイネスの涙が止まった。

 暗くならないうちにシャロンとアイネスは家を出る。

大切なペンダントを探しに。

アイネスは果物市場に、シャロンはハーブ畑へと向かった。





 ハーブ畑には紫色のハーブの匂いが満ちていた。

夕焼けに輝きながらも、紫色はちゃんと紫色に輝いていた。

 昼間、ハーブでも取りに来たのだろう。

そういえば、玄関の花瓶に飾られていたものがこれと一緒だった気がする。

「どこに落としたんだ。」

 ハーブ畑に来て、一気に脱力感が襲いかかってきた。

予想以上に広いハーブ畑。

この中から一粒のペンダントを見つけ出すのか。

海に投げた小石を探し出せと言われるほど難しい。

「ん?」

 ハーブ畑の真ん中に人影が見えた。

夕日が邪魔をして、黒い影の形しか分からない。

その人影は、腰から剣のようなものを抜き出した。そして…。

「駄目だ!」

 シャロンは叫びながら人影に飛びかかった。

人影の腰から抜かれた剣は、人影の喉を貫こうとしていた。

間一髪、シャロンが飛び込んだおかげで、人影は喉を突き刺さずに済んだ。

「な、ななっ、何してるんですか?!」

「いや、自殺でもしようかなぁと。」

「駄目じゃないですか、そんなことしちゃ!」

 言った後、「あ。」とシャロンは思った。

自分は人にそれを言えた立場ではない。

死のうとして、海に飛び込んだ人間なのだから。

「君は誰?」

 自殺を図ろうとした青年は剣を腰におさめて聞いてきた。

 ここはミッハと答えるべきだろうか、シャロンと自分の名前を答えるべきだろうか。

「ミッハって知ってますか?」

「ミッハ?ぼくはこの街にははじめて来るから、ちょっと知らないなぁ。」

 どうやら、この青年はここの土地の者ではないらしい。

だったら、自分の素性を話しても平気か。

「僕はシャロンといいます。あなたは?」

「ぼくはリアリド。自殺しようとしたんだけど、やっぱり無理だったようだね。」

 ははは、とリアリドは気の抜けた笑い声を上げた。

「ね、いい感じの夕焼けだしさ。少しぼくとお話しない?」

 リアリドはハーブ畑の中に腰を降ろした。シャロンのスペースも空けてくれる。

リアリドにつられて、シャロンも腰を降ろす。

「ぼくはね、生きていることが辛いんだ。」

 リアリドはゆっくりとした口調で語りはじめた。

「世界は汚い。薄汚れた空気、人間。地球を綺麗にしようと宣言しながら、自分たちで自然を壊していく。」

 あ、とシャロンは思った。

「環境を守ろうと言いながら自分たちで木を伐採し、土に還らない機械ばかりを作っていく。魔術を駆使しマナをすり減らし、地球をどんどん傷めつける。」

 自分と一緒だ。

シャロンもそう思っていた。

「世界は汚い。君もそうは思わない?」

 同じだ。

何もかも。

シャロンはリアリドの考えに頷いた。

「だから、ぼくは死のうとしたんだ。今回のこれだってはじめてじゃない。」

 リアリドは長袖の服の両腕をめくり上げて見せてくれた。

「はじめて自分につけた傷だよ。」

 右腕にも左腕にも、手首から肩あたりの二の腕まで、ざっくりと刃物で切られたような跡がみみず腫れになって出来ていた。

リストカットの跡だ。

ここまでくると生々しい。

「何もかもが嫌になって、苦しくて、自分を傷つけた。でも、何も解決しなかった。切っている間、切った直後は痛みで自分の心をごまかせたけど、その後は全く駄目だった。」

 苦しかった心。

世界は汚いと思ってしまう自分。

生きづらい世の中。

リストカットをしている間は全ての苦心を、腕を切り裂いた痛みですり返られた。

しかし、痛みも潮を引くと心の苦しみがまた襲ってきた。

「だから死にたいと思った。それで睡眠薬を大量に飲んだ。」

 しかし、一日意識を失っただけで、二日後には目を覚ました。

「あの時は肝臓をやられて入院したな。体を壊しただけで何もいいことはなかったよ。」

 あとは…、とリアリドは指折り数えていく。

「一番苦しかったのは、市販の薬を六十錠以上ワインで飲んだ時かな。苦しくて気持ち悪くて、大量に吐いたよ。最後なんて吐くものがなくなっちゃって、吐血しちゃったからね。いやぁ、あれはきつかった。」

 笑いながら話してくれているけれど、当時は笑えなかったはずだ。

「そうやって、何度も死のうと試みたけど、結局死ねなかった。今だってそうだ。喉を剣で突いて死のうとしたら、君に止められた。」

 この前もね、人気のないところで心臓を刺して死のうとしたら、偶然通りかかったおじいさんに止められたよ。とリアリドは笑いながら言った。

「だからね、ぼくは思ったんだ。」

 リアリドは下に沈みそうになっている夕日を眺めながら言った。

「ぼくはまだ死んじゃいけない人間なんじゃないかって。」

 ふふ、とリアリドは笑う。

「だって、これだけ死のうとして死ねないんだよ。これは神様がぼくに死ぬなって言っているとしか思えない。」

 だから死ねないのだ、とリアリドは言った。

「こう言ってくれたのは、この前心臓を刺そうとした時に止めてくれたおじいさんなんだけどね、ぼくも今はじめて少しだけそう思えたよ。今だって、絶対人が来ないような場所で死のうとしたのに、君が止めにきてくれた。」

 ふわり、とリアリドは笑った。

「君はどうなの?」

「僕は…。」

 シャロンはリアリドに自分と通じるものを感じた。

親近感というのだろう。

だから、全部話してみたい気になった。

「僕はシャロンだけど、シャロンじゃないんだ。」

「じゃあ、一体誰なの?」

「心はシャロンだけど、体はミッハ。」

 へぇ、と一歩も引かずにリアリドはシャロンの話を聞いてくれた。

「僕も君と同じで、自殺しようとしたんだ。いや、正確には自殺した。」

 崖から海に飛び込んだ。

「そこで、氷づけにされた青年に出会った。」

 それがミッハだった。

「ミッハは婚約者の傍で死にたいと言った。だから僕はその願いを叶えてやろうと思ってミッハの体になってここに来たんだ。」

「不思議な話があるものだね。」

「君は、僕の話を聞いて、嘘だと思わないのかい?」

「だって本当の話なんでしょ?」

 この青年はのんびりとしている。

人を疑う心を持っていない。

だから世界が汚く映るのかもしれない。

純粋すぎて、リアリドにはこの世界は汚れすぎている。

「ねぇ、君は何か用事があってここに来たんじゃないの?」

 そうだ、忘れていた。

アイネスの失くしたペンダントを探してここまで来たんだった。

「ペンダントを探してるの?もしかして、これのこと?」

 リアリドはポケットを探ると、銅色に鈍く光るペンダントを取り出した。

「アイネスって裏に彫ってあるんだけど。」

「それだ!」

 アイネスのペンダントはリアリドが見つけて拾ってくれていた。

「大切なものなんだね。良かったね、見つかって。」

「これで妹の泣き顔を見らずに済むよ。…本物の妹じゃないけど。」

「シャロンには妹じゃなくても、ミッハには妹でしょ。」

「そうだけど。」

「シャロンは妹さんが嫌い?」

「いいや、嫌いじゃないよ。」

「だったら、シャロンの妹さんって言ってもいいんじゃない?」

 のったりと、それでいて優雅にリアリドは笑う。

彼の笑顔には人の心を和ませる何かがある。

 ペンダントが見つかったのだから、早くアイネスを安心させてやらなければ。

シャロンは立ち上がった。

が、シャロンの服の袖をリアリドが引っ張って止める。

中腰姿勢でシャロンは止まった。

「君もぼくと同じだよ。」

 ふわり、とマシュマロがとけたような笑みでリアリドが笑う。

「まだ死ぬべき運命じゃないんだよ。だからね、生きよう?」

 死にたい時はあるだろうけど、それを実行に移してしまいたい衝動に駆られることもあるだろうけど。

「でも、ぼくたちは死ねなかった。神様がまだ死ぬなって言ってるんだよ。だからね、もう少しだけ生きてみようよ。ぼくも生きるから、君も生きて。」

 そう言って、リアリドは掴んでいたシャロンの服の裾を放した。

「ぼくも君も、まだ死ぬべき人間じゃないんだよ。だから、苦しいだろうけど生きてみようよ。生きるのには苦しい世界でも、この時代に生まれてきたんだから、生きるしかないじゃない。」

 リストカットだらけの青年は、寂しそうに笑った。

きっと、機械や魔術が発達していない、もっと大地も人間も純粋だった時代に生まれたかったのだろう。

シャロンもリアリドと同じ思いだった。

笑い返すも、どこか寂しげな笑みを返してしまった。

二人とも、違う時代に生まれたかったから。

「ぼくはまだこの街にいるから。機会があったら、またお話しよう。」

「うん。」

 リアリドは沈みきった夕日をまだ眺めていた。





 シャロンはリアリドと別れて家へと向かう。

先に帰って肩を落としていたアイネスに、見つかったペンダントを見せてやると、大喜びで抱きつかれた。

普段は大人のように振舞っていても、こういうところはまだまだ子供である。

顔を赤く蒸気させて、何度も「兄さん、ありがとう!」と礼を言われた。

よっぽど大切だったのだろう。命と天秤にかけられるくらいに。

「アイネス。」

「何?兄さん。」

「アイネスは、僕が死んだら困るかい?」

 アイネスの笑顔が一瞬で凍った顔に変わった。

「困るなんてものじゃないわ。兄さんが死んだら、悲しい。行方不明になった時だって、もしかしたら死んだんじゃないかって…。だって、あんなことになってたから…。」

「あんなこと?」

 しまった!というようにアイネスは口をつぐんだ。

「ミッ…僕に何かあったのかい?」

「やっぱり、兄さんは何も覚えてないのね。彼らが氷づけにされた兄さんに何をしたのかも…。」

「アイネス、僕は一体何をされたというんだ?!」

「ごめんなさい!私の口からは言えない!機密事項に触れるから…!」

「機密事項?」

「本当にごめんなさい!」

 アイネスは自分の部屋に逃げ込んでしまった。

これ以上の深追いは無理だろう。

 ミッハは『彼ら』と呼ばれた人物たちに何を一体何をされたのか。

そして…。

「どうしてミッハが氷づけにされていることをアイネスが知ってるんだ?」

 街の人間は単なる行方不明、ふらりと一人旅にミッハは出ていたものだと思っている。

氷づけの話をしたのはアロックとさっき出会ったばかりのリアリドだけだ。

「アイネス…。何か知っているな。」

 部屋に逃げ込んでいった妹は、確実に何かを隠していた。


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