神の子
第二章 神の子
「ミッハ!今までどこに行ってたの!」
家に帰り着くと、母親らしき女性が目に涙を浮かべて出迎えてくれた。
この女性の髪の毛もミッハと同じ緑色で、瞳は赤をしている。
耳が尖っていたのですぐにエルフだと分かった。
ミッハの母親はエルフだ。
しかし、ミッハの耳はエルフみたいに尖っていない。
母親はエルフなのに、ミッハはエルフではないのか?
「ああ、父さんも喜ぶわ!」
母親は最愛の息子の帰還をかみしめるように味わい、細枝のようにか細い腕で力一杯シャロンを抱きしめた。
温かい、母親の愛を感じる。
「久しぶりだね、母さん。元気にしてた?」
はじめて会う母親に、生まれた時からずっと一緒に暮らしている息子のようにシャロンは問いかけた。
「あなた、突然行方不明になるんだもの。母さんはずっと心配してたわ。あなた、今までどこに行ってたの?」
「色んな街を、ちょっとね。」
「何で何も言わないで出て行ったの?」
「それは…。」
早く良い答えを見つけなければ。
「すぐに帰ってくるつもりだったんだ。旅行感覚で出て行ったんだよ。」
いかにも本当のように、シャロンは笑って答えてみせた。
シャロンの笑顔に母親もだまされたようだ。
あっさりと頷いてくれた。
「でも、あなたが無事で本当に良かったわ。」
息子の姿を見て母親は安心したようだった。
外見はミッハ、中身はシャロンなのに。
「アイネス。」
「なぁに、母さん。」
妹の名前はアイネスというようだった。
「司祭さまにも報告しておいた方がいいかしらね。」
「そうね。兄さんが戻ったこと、司祭さまに伝えてくるね。」
アイネスは長い髪の毛をなびかせると、踵を返して玄関から出て行った。
司祭さまとやらにミッハの帰還を伝えに行くらしい。
司祭といえば教会の主だ。
どうしてそんなお偉い人に、たかが人っ子一人の帰りを伝えに行かなければいけないのか。
やはり、ミッハが神の子だということに関係があるのか。
そもそも、神の子とは何だ?
言葉通りに受け取っても良いものなのだろうか。
「ささ、ミッハ座って。」
母親が椅子を差し出してくる。
「旅の話を聞かせてちょうだい。あなたが今までどこで何をしていたのか、母さん知りたいの。」
そう言われても困る。
旅なんてしたことないし、第一、自分の街から外へは出たことがない。
旅どころか旅行にすらろくに行ったことがないのに、各地を巡る旅の話なんてできたものじゃない。
「母さん、今日はちょっと疲れてるんだ。だから、その話はまた今度でいいかな?」
シャロンはその場をうまく切り抜けた。
母親はミッハの部屋のベッドのシーツを新しいものに代えてやると、おやすみのキスをおでこにして、シャロンを部屋に返した。
大きく溜息をつく。
これまでの疲れが一気に押し出されたようだった。
他人のふりをするというのは、これほどまでに大変なことだったとは。
アイネスも母親も、街の人々だって、きっとミッハをミッハとして疑っていない。
まさか中身がシャロンだなんて、誰が想像するだろうか。
「ミッハ、おっかえりー!帰って来たんだって?」
バン!とノックもなしに部屋の扉が開く。
驚いたシャロンは座っていたベッドから瞬発的に腰を上げた。
「何日ぶりだっけ?いや、何ヶ月ぶり?」
ノックもなしに入ってきた無礼者は女の子だった。
ミッハよりも少し年下のようだ。
シャロンと同じ年くらいか。
池と同じ水色の短い髪に、大海に似た蒼海のブルーの瞳。
こんがりと健康的に焼けた褐色の肌。
少女はコスモスの咲き誇るような満面の笑みを浮かべると、うずうずしていた体を両手いっぱいに広げて、シャロンに抱きついてきた。
「もー、君がいなくなって、皆心配してたんだからねー。」
まったく、悪い子だね。と説教くさいことまで垂れてくる。母親気取りか?
「ミッハ?」
少女はシャロンに腕を絡ませたまま体を少し離して、シャロンの顔を不思議そうに覗きこんだ。
「違う…ミッハじゃない。」
少女は片手をシャロンから離した。
「君、何者なの?」
この少女こそ何者なのか?
ミッハの外見をしたシャロンがミッハではないと、何故分かった。
「ミッハのエネルギーが感じられない。ミッハの色は緑だ。でも、君の色は赤をしている。人間もエルフも生まれ持ったエネルギーの色は一生変わることはない。赤のエネルギーを持つ君は誰なの?」
少女は怯えた顔はしていない。
ただ不思議そうにシャロンの顔を下から覗きこんでいる。
知らないものをはじめて見るような瞳。
これは一体何ていう名前なの?
「君の言うエネルギーって、何のことかな?」
シャロンの問いに、少女はスラスラと答えた。
「マナの力のことだよ。どんな生物にもマナの力は宿ってる。それが強いか弱いかで魔術が使えたり使えなかったりするんだけど。私には人の持っているマナの力が見える能力があるんだ。何でそんな力があるのか知らないけど、見えるものは見えるんだよ。」
すごいだろ?と少女は得意気に胸をそらした。
「で、君は誰なんだ?ミッハじゃないよね。」
この少女は外見だけで人を判断するような子ではないようだ。
オーラで人を判断する。
なんとも変わった心眼の持ち主か。
「そういう君は誰なの?よく僕がミッハじゃないって分かったね。」
シャロンが、自分はミッハではないと認めると、その正解を教えてもらえた少女はまたまた得意そうな顔をした。
「だってマナが違うんだもん。分かって当然。」
えっへん、と鼻を鳴らす。
「私はアロック。人間の女の子で十五歳。」
人間の証に、耳を見せてくれた。
丸みをおびた人間の耳だった。
「僕はシャロン。」
「女みたいな名前だな。」
「でも、男の子だよ。歳は十六歳。」
「ミッハは十八歳だったよ。」
私は十五歳だけどね。とアロックは右の指を一本、左の指を五本立てた。
「ねぇ、どうして中身はシャロンなのに、外見はミッハなの?」
「そんなの、僕が聞きたいくらいだよ。」
「シャロンはどこから来たのさ?」
アロックはミッハのベッドに両手をついて、ストンと腰を降ろした。
「ルーマックの街から僕は来たんだけど…。」
シャロンは部屋の中を徘徊しながら順を追って話した。
「海の中でミッハに会ったんだ。」
「海の中で?」
アロックが大きな瞳を真ん丸く見開いて聞き返してくる。
「自殺しようとして崖から海に飛び込んだんだ。そしたら、海の底に行き着いて、そこで氷石に閉じ込められたミッハに会った。」
「ミッハ、氷づけにされてたの?」
「そう。」
うわぁ、とアロックは両手で口を押さえた。
「氷の中って、冷たくないのかな?」
「どうだろう?ミッハの奴、寒いとか何とかは言ってなかったな。」
「でも、どうして氷づけになってたんだろうね。」
「分からない。」
「誰かに氷づけにされて、海に沈められたのかな?」
「そうなんじゃないかな?」
自分からカチンコチンに固まって、海に落ちる奴なんていないと思うから。
「誰がそんなひどいことしたんだ。」
「分からないよ。」
「でさ、何で自殺したはずのシャロンは生きてて、ミッハの体になってるの?」
「だから、分からないってば。」
さっきから同じ言葉の繰り返しだ。
分からない、分からない。
全部、分からないことだらけだ。
「ルーマックの街っていったら、けっこう離れてるよね。」
地図で見ても遠い位置にあるのだから、実際の距離は想像しているよりも長いのだろう。
そんな所からシャロンはやって来た。
「ねぇねぇ、他人の体に入ってるのって、どんな感じ?」
興味津々といった感じで、体を前のめりにしてアロックは聞いてくる。
人間を警戒しない度胸の据わった風変わりな子猫のようだ。
ねこじゃらしを目の前にちらつかせたら、手でじゃれつくどころか、体全体で飛びかかってたわむれてくる。
「どんな感じと言われてもなぁ。僕は僕であってミッハではない、といった感じかな。体はミッハかもしれないけど、僕は僕だ。」
シャロンは手をじっと見つめる。
ミッハの手だけど、シャロンの意思で指は動く。
「シャロンはさ、何で自殺なんてしようと思ったんだ?」
死にたくて海に飛び込んだんだろ?アロックは遠慮という言葉を知らないのか、ズカズカと何でも聞いてくる。
「生きることが嫌になったんだ。」
「どうして?」
「辛くて苦しくて、しょうがなかったんだ。」
「何でそんなに辛くて苦しくなったんだ?」
「だって、世界は汚いじゃないか。」
地球が悲鳴をあげている。
汚い空気に、土に還れない金属に、油で汚されていく海が悲鳴をあげて叫んでいる。
これ以上、私を傷めつけないで。
人間は地球を守ろうと言っているくせに、自分の手で斧を振り上げる。
ざっくりと、地球の体に斧をのめりこませては、地球を守ろうと豪語する。
やっていることと言っていることが正反対だ。
こんな汚い世界、生きていくのには辛すぎる。
息をするのでさえ苦しい。
だから、死んでしまいたかった。
こんな汚い世界はいらない。
シャロンの言葉に、アロックは不思議そうに首をかしげた。
「世界はとても美しいよ。」
世界はとても美しい?
「本気でそう思ってるの?」
「だって、地球はこんなにキレイじゃないか?」
アロックは目を瞑る。
「鳥のさえずりはどんな歌手よりも綺麗な歌声だ。森の木々だって、太陽の光を浴びて気持ち良さそうに息をしている。風は澄んでいる。水は清らかだ。透明で澄みきったオーラが生きている全部のものから溢れてる。どんなものにも、生命力が宿ってるんだ。生きる力って素晴らしいと思わない?」
アロックは目を開けると、太陽のようにキレイに笑った。
「ね、世界は美しいでしょ?」
アロックの目には、世界は美しく映っているようだった。
「僕には、そうは思えない。」
やっぱり、世界は汚いと思う。
アロックのような目線では、世界を見ることができない。
そういう風に世界を見ることができたら生きることもそんなに辛くないかもしれないが、シャロンにはそれができない。
シャロンの目には、シャロンの思う汚れた世界しか映すことができない。
幼い頃から世界は汚いと思っていた。
駄目なんだ、美しいなんてとうてい思えない。
「僕たちは考え方が違うみたいだね。」
「そうかな?」
そんなことないよ。とアロックは言う。
「シャロンも私も、世界のことを真剣に想って真面目に考えているじゃない。それって同じことじゃないかな?」
「でも、答えが違ってる。」
シャロンは汚い世界。
アロックは美しい世界。
「答えなんて、どうでもいいじゃない。」
アロックはベッドの上に寝そべって、足をばたつかせた。
「答えなんてどうでもいいんだよ。答えなんて、十人いれば十人の答えがあるんだから。」
おやすみ。とアロックはそのままミッハのベッドに居座ってしまった。
まるで自分の部屋かのように、くつろぎすぎている。
この娘には親しき仲にも礼儀あり、という言葉はないのか。
やれやれ、とベッドをとられてしまったシャロンは、しかたなく椅子に腰を降ろした。
コンコン、と部屋をノックする音が聞こえた。
「兄さん、いる?」
司祭さまとやらへのご報告が終わったのか、アイネスが帰ってきた。
玄関の扉が閉まる音がしてから、すぐにミッハの部屋をノックする音が聞こえたから、帰ってきて直接この部屋に向かったらしい。
はぁい。と部屋の中から返事を返してやると、アイネスが部屋の中に入ってきた。
「アロックったら、また兄さんの部屋でお昼寝してる…。」
まったくもう、と小さな子供を叱るような口調でアイネスは腰に手を当てた。
「兄さん、司祭さま喜んでいらしたわ。兄さんが帰ってきてくれて嬉しいって。」
「そう、それは良かった。」
シャロンはアイネスに向かって微笑みかけた。
「…?兄さん、少し変わった?」
「そう?」
何かおかしなところがあったのか?シャロンは内心ヒヤリとした。
「いや、前はもっとふわっとした感じで笑ってたのに、なんだかキリッとした感じになってたから。」
「久しぶりに会うから、変わったように見えただけじゃないかな?」
「そうかもしれないわね。」
母がアイネスを呼ぶ声が聞こえた。
アイネスが部屋を出て行く。
緊張の糸が解けて、シャロンはホッと椅子の背もたれに背を落とし、腕を投げ出した。
「アイネスには言ってないんだ?」
いつから起きていたのか、体は横たわったまま、アロックが目を覚ましていた。
「誰にも言ってないよ。知ってるのは君だけだ。」
というよりも、見破ったのがアロックだけだ。
「何で誰にも言わないの?外見はミッハだけど、中身はシャロンだって。」
「言ったって信じてもらえるわけないだろ?頭がオカシイ奴だと思われる。」
「でも、それってシャロンがオカシイ奴って思われるんじゃなくて、ミッハがオカシイ奴って思われるだけだよ?」
そういえばそうだ。
アロックに言われる今まで気付きもしなかった。
体はミッハなのだから、シャロンをミッハだと思っている連中は、シャロンの言葉をミッハの言葉として受け止める。
オカシイ奴と思われるのはミッハだ。
「だったら、いいんじゃない?」
体を反転してうつ伏せになり、肘をついた両手の上に顎を乗せると、アロックはニタリと笑った。
「それでも駄目だ。」
ミッハが変な奴だと思われてしまっては、これからのシャロンの行動が取りづらくなる。
何事もなかったかのようにミッハとして振舞うのが平穏への道だ。
自分から茨の道に足をつっこむ必要はない。
「おもしろそうなのに。」
「人事だと思って…。」
「だって人事だも~ん。」
アロックは声を上げて笑った。
「ね、ね。シャロンはこの街のこともミッハのことも何も知らないんだよね?」
アロックがベッドから起き上がる。
「私が教えてあげるよ。」
何から知りたい?と先生にでもなったかのように、アロックはベッドの上で色っぽいお姉さんのように足を組んで大人の女性のような演出をした。
子供が化粧をしたくて背伸びしているようで、かわいいが、ちぐはぐだ。
ミッハについて、この街について、分からないことが多すぎる。
ここはアロックに頼っておくべきだろう。情報は多い方がいい。
シャロンは椅子をアロックの座るベッドに向かい合わせた。
森の街。
人間とエルフが共存している街。
こんな街は世界中を探したところでここだけだろう。
人間とエルフは太古の昔より仲が悪い。
悪いなんていうものじゃない。
お互いの種を絶滅させようと種族同士の戦争までやらかしたくらいだ。
戦争の結果は人間ばかりがはびこる世の中を見れば一目瞭然だろう。
戦争は圧倒的に数の多かった人間の勝利。
生き残ったわずかなエルフは人間が足を踏み込めないような辺境の森へと追い込まれた。
森の街は、もとはエルフの住む街だった。
人間が一緒に住むようになったのは五十年ほど前からのことだ。
近隣の街では戦争が起こっていた。
その戦争に負け、傷を負った兵士たちが迷い込んだ森というのが、エルフたちの住む森の街だった。
瀕死の兵士たちを憐れに思ったエルフたちは、兵士たちを手当てした。
はじめは化け物でも見るような目つきでエルフを見ていた兵士たちも、優しい手つきで傷に包帯を巻いてくれるエルフたちと接していくうちに、自分たちの考えが間違っていることに気付いた。
こんなに優しい人種が敵のはずがない。
怪我を最後まで手当てしてくれたエルフたちに、兵士たちは心を開いていった。
エルフも、人間である兵士たちを毛嫌いすることはなかった。
「なぁ、俺たち、ここで暮らしてもいいかな?」
こうして、エルフの住む森に人間も暮らすようになった。
「ね、いい話でしょ。人間とエルフが仲良しなんだよ。」
ベッドに足を投げ出してブラブラと揺らしながら、アロックが嬉しそうにはにかんだ。
森の街にどうして人間とエルフがいるのかの由来は、この街に住む者なら誰もが知っている当たり前のことなのだそうだ。
その当たり前のことを、自慢話のようにアロックは鼻を高くして喋った。
「森の街ってさ、変な地形してるよね。」
「うん、それは私も思ってた。」
東に行けば海が広がり、北に行けば崖が口をガッポリとあけて待っている。
西と南には森が広がり、獣たちが住んでいる。
外界との接触ができないのだ。
この街では自給自足。たまに海から貿易商がやって来る程度。
「他に聞きたいことは?」
アロックの目がランランと輝いている。
お喋りしたくてたまらないのだろう。
シャロンは頭の中を整理して順番に聞いていくことにした。
「ミッハの家族は?」
「父親と母親。それに義理の妹だな。」
「義理の妹?」
「アイネスのことだよ。」
アイネスは同じ母親の腹から生まれた兄妹ではないのか?
「アイネスは捨てられた子供なんだ。」
父親も母親も分からない。
生まれたばかりのアイネスを、彼女の両親はこの街に捨てに来た。
そして、二人だけで自分たちの家へと帰って行った。
「アイネスはハーフエルフなんだ。」
ハーフエルフとは、人間とエルフの間に生まれた子供のこと。
人間にも嫌われ、エルフにも嫌われている。
しかし、人間とエルフが共存しているこの街では関係のないこと。
「可哀想に思ったミッハの両親が引き取ったんだ。ミッハが三歳の頃から一緒に生活しているから、ほとんど本当の兄妹と変わらないよ。」
アイネスは十五歳。
歳のわりには大人びて見える。
自分が捨てられたという過去があるから、強がって大人のふりをしているのかもしれない。
「ちなみに、アイネスのオーラは青。氷のように冷たいんだよ。アイネス自身は冷たい人じゃなけど。」
アロックとアイネスは友達で、歳も同じ歳のようだが、どう見てもアロックの方が年下に見える。
身長が低いせいもあるのだろうが。
「それから…ミッハは人間なのか?それとも、ハーフエルフなのか?」
ミッハの母親は耳の尖った見た目からもハッキリと分かるようにエルフだった。
父親には会っていないが、父親はエルフなのか、人間なのか?
「ミッハはエルフだよ。両親ともエルフだから。」
ミッハはエルフらしい。しかし…
「耳は尖ってないよ?」
シャロンは自分の両耳を指先でつまんだ。丸い人間の耳だ。
「ミッハは特別なエルフだから。」
特別なエルフ。
「ミッハは神の子だもん。」
そうだ、神の子!アイネスもそんなことを言っていた。
「ねぇ、神の子って一体何なの?」
シャロンは思わず身を前に乗り出して聞いた。
「神の子ってね、神様から予言を賜る巫女のことだよ。ミッハには予言の力があるんだ。」
だから教会の司祭とも面識が深いらしい。
「ミッハが街からいなくなった時、街中大騒ぎだったんだから。」
神の子が失踪したとあれば、そりゃあ街中も騒ぐだろう。
なにせ、予言を賜る巫女がいなくなったのだから。
「それが海の中で氷づけにされてたなんてね。何でそんなことになってるんだろ?」
アロックは首を傾げた。
「他にも聞きたいことあるんだけど、いいかな?」
自分の考えに耽りはじめたアロックに、シャロンは声をかけてこちらを向かせた。
「フィランドって、誰なんだ?」
町の中であった婦人は、フィランドは姫で、もう死んでしまっているというようなことを言っていた。
「フィランド姫はエルフで、この街のお姫様なんだよ。ほら、大きなお城見なかった。」
そういえば、街の奥のほうに赤い屋根をした、てっぺんの尖った大きな城を見たような気がする。
自分のことで精一杯で、あまり印象に残らなかったが。
「去年、病気で死んじゃったんだ。人間なら治った病気なんだけど、エルフがかかると絶対に治らない病気でね。」
部屋の電気を消したように、シュンとアロックの表情が暗くなった。
「お姫様、とっても優しくて美人でいい人だったんだよ。それなのに、病気で死んじゃうなんて…。」
まるで親友の死のように、アロックは目に涙を溜めはじめた。
「ねぇ、アロック。」
アロックの瞳から涙がこぼれ落ちないうちに、シャロンは聞いた。
「僕はミッハの願いでここにいるんだ。」
海の中でミッハがシャロンに託したこと。
「フィランドの隣で死にたい。」
ミッハはそう言った。
「これ、どういう意味だと思う?」
「お姫様の隣で?」
アロックは考えはじめた。そして答えを見つけたようだ。
「お姫様のお墓の前で死にたいってことじゃないのかな?」
シャロンも同じようなことを考えていた。
やはり、ミッハは姫の墓前で命を絶つことを望んでいるのだ。
深い深い海の中ではなく、姫の眠る墓の前で。
「ミッハとお姫様は恋人同士だったんだ。結婚の約束だってしてた。」
婚約者が死んだとあれば、ミッハもそうとう落ち込んだだろう。
死にたいと思っても無理はない。
愛した人に先立たれたとあれば、自分もその後を追って…。
しかし、ミッハは自分から望んで氷づけにあったわけではないようだ。
海の中に沈められたのも、誰かの陰謀?ミッハは同じ死ぬのであればフィランドの隣を望んでいる。
「ミッハ、お姫様の隣で死にたいって言ってたの?」
「そうだよ。」
それが海の深くで氷の中に閉じ込められて眠っているミッハの願い。
「だから僕は死ぬためにここに来たんだ。」
アロックの目の色が変わった。
ベッドから飛び降り、シャロンの二の腕を両方掴んで、強く揺さぶった。
「死ぬなんて、そんなの駄目だよ!」
「でも、それがミッハの望みだから。それに、僕だって自殺した身だし。」
「何で死ぬなんて言うの?何で生きようとしないんだ?」
アロックは必死になってシャロンの瞳を睨むように見つめている。
今にも泣き出しそうだ。
「せっかくもらった命なのに、自分から捨てるなんてもったいないよ!」
「でも、僕は生きていることが嫌なんだ。こんな汚い世界…。」
「世界は汚くなんてない!だって…。」
シャロンの瞳から涙が一粒こぼれ落ちた。
しかし、シャロンの顔は笑っている。
「姫様が生きた世界だよ。ミッハだってまだ死んでないんでしょ?シャロンだって自殺したはずなのに、まだ生きてる。まだ死んじゃいけないから、こうやって生きてるんだろ。」
シャロンの肉体がどうなったのかは分からない。
けど、魂はここにある。
ミッハの体の中でシャロンはまだ生きている。
「姫様は生きたかったのに死んじゃった。それは姫様の天命だったから仕方ない。けど、シャロンはまだ死んじゃいけないんだよ。だって、自殺したのに死ねなかったでしょ?」
崖から海に飛び込んだ。
しかし、シャロンは死ねなかった。
「それって、神様がまだシャロンに死ぬなって言ってるんだよ。」
「神様が何と言おうと、僕は死にたいんだ。僕の意思は僕のものだ。神が決めることじゃない。」
それに、はなから神なんて信じちゃいない。
信じられるのは現実だけだ。
薄汚れた現実世界だけが信じるべき世界。
「シャロンのばか!」
「バカでいいよ。」
「ばかばかばか!絶対死なせないからな!」
最後にボロボロと涙を流して叫ぶと、アロックは部屋から走って出て行った。
「兄さん?」
バタン、とアロックが勢いよく玄関の扉を閉めて出て行った後に、入れ替わりにアイネスがミッハの部屋に入ってきた。
「アロックと何かあったの?あの子、走って出て行っちゃったけど。」
「別に、何でもないよ。」
シャロンはやんわりと笑ってみせた。
ミッハの笑い方は、こんな感じか?
アイネスが安心したように笑い返してくれるということは、これで正解なのだろう。
シャロンはもう一度、ミッハの笑い方を練習した。
「ミッハが生きているだって…?!」
真夜中の教会に明かりがついている。
五人の男たちが顔を近づけ合ってヒソヒソと話をしている。
丸い耳が三つに、尖った耳が二つ。
「氷づけにして、遠くの海に沈めたはずだ!」
「どうやって戻って来たというのだ!」
「やはり、我々の手で殺すしか…。」
「それは駄目だ。同族を殺すと自分も死ぬことになる。」
「だったら、我らの中の人間の手で…。」
「俺たちにミッハを殺せというのか!無理だ!エルフを殺すなど恐ろしくて出来ん!しかも、あいつは神の子だぞ。どんな天罰が下るか分かったもんじゃない!」
話し合いは口論となろうとしていた。
「やめないか!」
その中のリーダー格の男が立ち上がった。男の耳は丸い。人間だ。
「我々が争ってどうする!講じるはミッハの抹殺だ。彼を生かしておくわけにはいかない。」
「そうだな。」
口に火をつけたように言い争っていた男たちが口を鎮めた。
「予言が本物にならないうちに…。」
「そうだ、予言が現実のものとならないうちに…。」
男たちは声を揃えて言った。
「ミッハを殺してしまおう。」