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20.きれいな月見て何を思うか



 いつものように、ハルウの屋敷で特訓をして、夕食をご馳走になったあと。

 アケヒの家までの帰り道を二人は歩く。

 すっかり暗くなった夜道を、隣り合って。

 家までの道のりはそう長くはない。

 このわずかな時間が、ルミは嫌いではなかった。


「月がきれいだね」


 空を仰いで、ルミはそうこぼした。

 今宵は満月。欠けのない正円が地上を照らしていた。

 魔界でも、太陽も月もまったく変わらない。

 まるで人界を模したかのように、太陽はまぶしく、月は満ち欠けを繰り返し、暦すらも同じだった。


「そうだな」


 世間話に付き合ってくれるつもりなのか、少しの間ののちに同意が返ってきた。

 そのときになって初めて、ルミは気づいた。

 文豪の残した愛の告白と同じ言葉を告げてしまったことに。

 アケヒがそれを知っている可能性は低い。普通に返事をしたことを思えば、たぶん知らないのだろう。

 ぶわっと、熱が頬に集まっていく。

 アケヒが知らないのなら、何も気にすることはないのに。

 意図せずにこぼれてしまった恋心に、平常心ではいられなかった。


「月を見てると、なんか……変な気分になってくるんだよね」

「なんだよ、それ」


 ごまかすようにして話を変えると、怪訝そうな声で問われる。

 その声が真剣なものであることに驚いて、ルミは隣を歩くアケヒを見上げた。

 アケヒは眉をひそめながら、鋭い視線をルミに向けていた。

 予想外の視線の強さに、ルミは思わず立ち止まってしまった。


「……アケヒ?」


 どうしたのだろう、と様子をうかがうように彼の名を呼ぶ。

 アケヒはそれに、はっとしたような顔をして、ついで小さくため息をつく。

 一度目を閉じ、再びその瞳がルミを映した。

 ルミを追いつめるような鋭さはなくなったけれど、アイスブルーの瞳が真剣な光を宿しているのは変わりなかった。


「変な気分って、なんだ」


 アケヒの低い声が、静かに尋ねる。

 まるで、ルミの答えによっては、何かが終わりを告げるとばかりに。

 望まない答えでもあるかのように。


「悲しいような、泣きたくなるような、無性に叫び出したくなるような。

 そんな感じ」


 ルミは慎重に言葉を選びながらも、本心のままに告げる。

 満月に対して感じる思いを、一言で言い表すことはできない。

 血が騒ぐ、とでも言えばいいのか。

 目が吸い寄せられ、胸がぎゅっとしめつけられて、ドクドクと心臓が鳴る。

 理屈ではない。本能が、満ちた月に揺り動かされる。

 ルミは、そんな満月の夜が、あまり好きではなかった。


「魔界に生きてる連中は、多かれ少なかれ月に影響を受ける。

 ほとんどの種族は満月のときが一番力が強くなる」


 アケヒは止まっていた足を再び動かしながら、そう説明をした。

 そのあとをついていくルミは、初めて聞く内容に驚きを隠せない。

 ハルウは魔力の扱い方は教えてくれるが、魔界や魔族については休憩時間に多少聞く程度。

 彼の屋敷にいられる時間は有限で、優先順位を決めなくてはならないのだ。

 だからといって、共に暮らすアケヒもそれほどいい教師役ではない。

 気まぐれに教えられる情報を、しっかりと聞きもらさないようにすることしか、ルミにはできなかった。


「じゃあ、この気分もそれの関係?」

「さあな。オマエの覚えてない記憶によるもんかもしれねぇし」


 アケヒの気のない言葉に、ルミはその可能性もあるのだと思い至る。

 過去、満月の夜に、泣きたくなるような何かがあったのなら。

 満月を見ただけでおかしな気分になることもあるのかもしれない。


「この魔界で、一番犯罪が増える日がいつだか、わかるか?」


 急に、アケヒはそんなことを口にした。

 新たな話題に頭がついていけず、ルミは目をぱちぱちとさせる。

 アケヒは月を見上げながらゆっくりと歩みを進めている。

 その横顔は、どこか悲しげで、やりきれない思いを秘めているような気がした。


「わ、わかんない」


 戸惑いながらも、ルミは答える。

 今までの話と、犯罪の話に、つながりがあるのかどうかさえルミにはわからなかった。


「満月の日と、朔月の日だ」

「どうして?」


 ルミが問いかけると、アケヒはルミを振り返る。

 彼の顔には、なんの感情も浮かんではいなかった。

 無機質な表情にルミは息を飲む。

 どうして彼がそんな顔をするのか、魔界についていまだに知らないことの多いルミには、想像もつかない。


「力が高まる日と、抑えられる日。

 つまりは、力の差が一番広がる日と狭まる日だ。

 前者は、元の力が強い連中が弱者を、後者は、元の力が弱い連中が強者を狙う」


 説明する声は冷たさすら感じるほどに淡々としていた。

 だからこそ、それが事実であることをルミに教えてくれた。

 魔界の住民は、そのほとんどが魔力を持っている。魔力がないのは魔界に落ちてきた、あるいは魔族によって連れてこられた人間。もしくは、人間の血を色濃く継いでしまった子孫。

 そんな魔界では、当然、犯罪にも魔力が使われることが多いのだろう。

 竜族や吸血鬼など、元の魔力が強い者は、さらに力の増す満月の日に。獣人など魔力が低い者は、上位の魔族との力量差が減る朔月の日に。

 薄気味悪くなるほどに、合理的だ。

 もう夏も近いというのに、寒気がした。


「……そんなことまで、月の影響を受けるんだ」

「ま、だからこそ警察やなんかはその日は特に注意してる。

 こうやって夜に普通に出歩けるくらいには、安全だってことだ。

 オマエの住んでた国ほどじゃねぇけどな」


 アケヒはそう言って、苦笑いをこぼす。

 日本がどれだけ安全な国だったのかは、ちゃんと理解しているつもりだ。魔界が日本とは違うということも。

 アケヒは決してルミを一人では出歩かせない。

 その理由は、一週間ほど前にハルウに聞いたばかりだ。

 今のルミならば以前と比べればそこまで危険はないのかもしれないが、危ない橋を進んで渡ろうとは思わない。

 魔界も、人界と同じだ。いい人もいれば悪い人もいる。

 ただ、魔力というものがあるために、一度何か起きてしまえば、事が深刻化しやすい。


「きれいなだけじゃない、ってことか」


 満月を仰ぎ見ながら、ルミはそうつぶやく。

 薄金色に輝く正円の月は、優しく夜を照らしてくれているのに、温度を感じさせない。

 魔界に住む人の力に、心に、大きな影響を及ぼす存在。

 大きくて、怖くて、やはり少しだけ、泣きたい気持ちになった。


「月に罪はねぇだろ」

「うん、そうだね」


 アケヒの言葉にルミは自然と微笑みをこぼした。

 それが彼なりの優しさであることに、気づいたから。

 満月の夜に何が起きていようと、月がきれいなことに変わりはない。

 たとえそこに因果関係があったとしても、悪いのは罪を犯す人であって、月ではないのだ。

 そんな単純なことを、ルミは危うく見失うところだった。


「月、きれいだね」


 ルミはアケヒの横顔を見つめながら、もう一度、先ほどと同じ言葉を告げる。

 いつもは隠している恋心を、少しだけにじませて。

 気づかれなくてもいい。いや、気づかれていないから、言うことができる。


「……そうだな」


 アケヒはこちらを振り向くことなく、小さな声で返事をした。







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