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10.一番最初の出会い



「ずっと、自分は親に捨てられたんだって思ってた」


 ハルウが帰り、アケヒと二人きりになってから、ぽつりとルミは言った。

 きっとなんとかなる。そう心を奮い立たせてみても、教えてもらった事実は、ルミに大きな衝撃を与えていた。

 ハルウという非日常が去ったことで、ルミはアケヒに甘えたくなったのかもしれない。


「記憶がないのもさ、そんな不思議に思ったことなんてなかったんだ。

 あたしにとってはそれが普通だったし、施設には虐待のショックで記憶をなくした子もいたから」


 施設での生活は、楽しいことばかりではなかった。

 みんながみんなそれぞれに事情を抱えていて、傷を舐め合うようなことだってあった。

 記憶がなくても特別視されたりはしなかったし、ルミより三年遅れて入ってきた子も同じ事情だったため、そこまでめずらしいことではないのだと思っていた。


「吸血鬼だって知ってからも、どうして人界に捨てられたのかなんて、ちゃんと考えたことなかった。

 ずっと、捨てられたんだって、そう思い込んでたから」


 アケヒに出会い、血をもらって、有無を言わさず魔界に連れてこられて。

 自分が吸血鬼だということを理解しても、だからといって何かが変わるわけではないと思っていた。

 変わらず自分は捨て子なのだと、誰に言われたわけでもないのに自分で決めつけていた。

 どうして、ルミが人界の施設に保護されることになったのか。

 誰がルミの養育権を放棄したのか。

 考えずにいれば、傷つかずにすんだからかもしれない。


「あたしは、守られてたんだね」


 ルミは捨てられたわけではなかった。

 育てたくても、どうしようもない状況で、せめてルミの命だけはと人界に逃した。

 それなのにルミは、自分を守ってくれた両親の名前も、顔すら思い出せない。


「……悪かったよ」


 くしゃりと、うつむいたままのルミの頭をなでる大きな手。

 ルミは顔を上げて、気まずそうな表情をしているアケヒを見上げた。


「? なんでアケヒが謝るの?」


 ルミの思い込みも、今はもう両親が生きてはいないことも、ルミの記憶がないことも。

 どれも、アケヒにとっては関係のないことだ。

 アケヒはただ、人として育っていたルミを保護してくれただけ。

 むしろアケヒには感謝してもしきれないくらいなのに。


「オマエの記憶にロックがかかってんのなんて、すぐにわかった。

 いまだに満足に血を吸うことができねぇのもそのせいだ。

 人間としてあっちの世界で暮らせるようにしたんだろ。

 少なくともこっちにいるよりは長く生きられるだろうから、ってな」


 アケヒはルミが知らなかったことを初めからたくさん知っていたらしい。

 面影すら思い出せない両親の、ルミを慈しむ思いに、胸がいっぱいになった。


「オレは知ってて何も言わなかった。

 だから、悪かった」

「アケヒはあたしを守ろうとしてくれてたんでしょ?

 ハルウさんもそう言ってた」


 魔界から消えていたルミの存在は、いらぬ争いを生むかもしれない。

 だからハルウは今までどおりここで暮らせと言ったのだし。

 あのとき、アケヒも認めていたはずだ。


「巻き込まれんのがめんどくさかっただけだ」


 アケヒの口癖に、ルミは思わず笑みをこぼす。

 ルミに気を使わせないための言葉だと、わかってしまったから。


「結局、微妙に巻き込まれてない?

 あたしのほうこそ厄介な身の上みたいで、ごめんね」

「拾っちまったもんはしょうがねぇよ」


 アケヒに迷惑をかけたいわけではないのに、と思いながらルミが謝れば、アケヒは大きな手で、再度ルミの頭をなで回す。

 慎重な手つきが、優しいぬくもりが、ルミの心を溶かす。

 めんどくせぇ、と言いながらもルミをまるごと受け入れてくれるアケヒ。

 口は悪いのに面倒見がよくて、実は心配症で。

 そんなアケヒが、やっぱりルミは好きだ。


「記憶、戻せるかな?」


 ハルウとアケヒの話を聞いていて思ったことを、アケヒに尋ねてみる。

 封じられている、というのがどういうことなのか、ルミにはよくわからない。

 けれど消されているわけではないのなら、なんとかなるんじゃないか。

 ただの表現の違いかもしれなかったけれど、わずかな望みだろうとそれに賭けたい。


 思い出したい理由は、両親への罪悪感だけではない。

 先ほど、ルミが吸血行為をできないのは記憶をなくしているせいでもあるだろうとアケヒは言った。

 記憶を取り戻すことで、少しでも吸血鬼らしくなれるのなら。

 アケヒの負担を減らすことができるのではないか、とルミは考えたのだ。


「思い出してぇなら、ダンナがなんとかしてくれっだろ」

「そうならいいな。あたしのことを守ってくれた両親のこと、忘れたままなのは嫌だから」


 理由の一つを口にすると、アケヒはかすかに眉をひそめた。

 何か変なことを言ってしまっただろうか。

 両親のことを思い出したいというのは別におかしくはないはずだ。

 それとも、隠したほうの理由に気づかれてしまったのだろうか。

 アケヒの顔色をうかがっていると、彼は自分の朱金の髪をくしゃりと握り、それからため息をついた。


「……コウシュと、ランだ」


 その言葉が何を指すのか、理解することはできなかった。

 ルミは意味がわからずに目をまたたかせる。

 そんなルミにアケヒはもう一度ため息をつき、ルミの立っているすぐ近くの椅子にどっかりと座り込んだ。


「オマエの父親と母親の名前」


 アケヒの補足に、ルミは目を丸くした。

 ルミの、父親と母親の名前。

 コウシュと、ラン……。


「なんでアケヒが知ってるの?」


 反射的にルミは疑問をぶつけていた。


「ダンナの親戚くらい知ってる。

 このあたりじゃ有名だったしな」


 考えてみればルミはアケヒとハルウの関係性もほとんど知らないのだ。

 ハルウは友人だと言っていたけれど、アケヒはハルウを“ダンナ”と呼ぶ。

 その理由すら想像もつかないほどに、二人のことを何も知らない。

 たとえば、幼なじみのような間柄だったとすれば、ハルウの親戚のことを知っていてもおかしくはないんだろう。

 少なくともごく最近の付き合いではないということはわかった。

 有名だった、というのがどういう意味なのか、今度ハルウに会ったときにでも両親のことを詳しく聞いてみようと思った。


「いい人たちだった?」

「悪い噂は聞いたことがなかった。

 だからこそ、真っ先に狙われた」

「……そっか」


 正直に話してくれた内容に、ルミは苦笑いを浮かべる。

 捨て子として施設で暮らしていたルミには、権力争いというものは自分には関係のない世界のものだった。

 両親がどのような争いに巻き込まれたのかなんて、想像することすらできない。

 切ないような、申し訳ないような気持ちで、心が重くなる。


「そういえば、あたしがハルウさんの親戚だってこと、アケヒは知ってたんだよね。

 やっぱりアケヒもハルウさんみたいに血でわかるものなの?」


 複雑な感情をごまかすように、ルミは明るめな声を出して、気になっていたことを尋ねる。

 まだまだ魔界や魔族というものを理解しきれていないルミには、アケヒが、淫魔がどんな力を持っているのかもよくは知らないのだ。


「吸血鬼じゃあるまいし。

 オレは魔力で個人を特定できるくらいだ」

「じゃあ、なんで知ってたの?

 時期が合ってたからってだけ?」


 首をかしげるルミから、アケヒは視線をそらす。

 座っているせいで自分よりも低い位置にある彼の横顔をじーっと見下ろしていると、居心地悪そうにアケヒは顔をしかめた。

 それから、観念したのか髪をぐしゃぐしゃと掻き回し、ボソリと小さくつぶやく。


「……ガキんときにオマエと会ったことがあった。それだけだ」


 不機嫌そうな顔で告げられた言葉に、ルミは目を丸くした。

 子どものときに会ったことがあった、というのは。


「あたしと、アケヒが?」

「ああ」


 短い肯定。誤解しようのない答え。

 嘘を言っているようには見えない。そもそもそんな嘘をつく理由がない。

 なら、アケヒの言ったことは本当なんだろう。

 衝撃的すぎる事実に、ルミは驚くことすら忘れてしまっていた。


「それだけ、って……初耳なんだけど」

「言わなかったからな」


 悪びれることのないアケヒに、ルミは少しむっとする。

 アケヒにとってはどうでもいいことなのかもしれないが、ルミにとっては“それだけ”ではすまされないことだ。

 ルミは、魔界にいたときの記憶がまったくない。自分が吸血鬼だということを理解しながらも、いまだに完全には受け入れられていないのは、それが原因でもある。

 もし、吸血鬼として育てられていたころのルミを知っていると、アケヒが教えてくれたなら。

 それだけで、今よりは人外の自分を受け入れられていたかもしれないのに。

 そう考えてしまうことすら、甘えなのかもしれないけれど。


「アケヒは、昔のあたしを知ってたんだ……」


 ふと、人界でアケヒと出会ったときのことを思い出す。

 知っていたから、声をかけてくれたんだろうか。

 知っていたから血をくれて、魔界に連れてきて、今まで居候させてくれたんだろうか。


「知り合いってわけじゃねぇ。会ったのは一回きりだ。

 けど、淫魔ってのは人の魔力を見分けんのが得意でな。

 だから人界でオマエを見たとき、すぐにわかった」


 たった一度だけ。それなら仲が良かったわけではないだろう。むしろ知り合い以下だ。

 よくそれでルミの魔力を覚えていられたものだ。

 淫魔というのは不健全なイメージが強かったけれど、意外と有能なのかもしれない。


「それなら言ってくれればよかったのに」

「別に、言うほどのことでもねぇだろ」


 ルミが不満をこぼしても、アケヒはこちらを見もしない。

 あまり機嫌がいいわけではないようなので、言葉を返してくれるだけマシなのかもしれないが。

 半年も一緒に住んでいても、アケヒのことはいまだに理解できていない。

 今も、どうしてアケヒがそっぽを向いているのか、どうして機嫌が悪いのか、ルミにはわからない。

 ……過去を知れば、少しは彼に近づけるんだろうか。


「アケヒのことも、思い出したいな」


 本心から、ルミはそう言った。

 魔界にいたときの記憶を思い出せるというのなら。

 一番大切な人との、一番最初の出会いを、思い出したい。


「無理だろ、オマエ一歳かそこらだったし」


 ハッ、とアケヒは鼻で笑った。

 相変わらず意地悪だ。そういうことはもっと早く教えてくれてもよかったのに。

 一歳児のときの記憶がある、という人間はほとんどいないだろう。

 吸血鬼にもその常識が当てはまるのかはわからないけれど、あまり望みは持てなさそうだ。


「……残念」


 アケヒに聞こえるか聞こえないかくらいの声で、ルミはつぶやいた。

 どうしても思い出せないなら、あとはもう、悪印象を抱かせるような出会いではなかったことを願うばかりだ。

 どうか、一歳のときの自分がアケヒに迷惑をかけたりしていませんように。

 都合のいいときだけ信じる神仏に、ルミは心の中で祈った。







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