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黒い羽根の真意

作者: 夏川あかり

黒い羽根。そう聞くとほとんどの人はこう連想するだろう。カラスの羽、欲望の羽、悪魔の羽。黒という色には様々な悪の擦りこみ的概念がある。映画やドラマ、舞台や漫画、ありとあやゆる芸術の中で、不吉なものの象徴として用いられたり、空から舞う様はまさしくこの世の終わりを感じさせる。どうしてそうなったかについて、その経緯を私は知る由もない。しかし、それは確かに人間が感じる感覚であり、恐怖であり、美しい恐れでもある。人間がスケールの違う大自然を目の当たりにした時と同じような恐怖と言ってもいい。偉大で、力強く、吸い込まれそうな魅力を持つ。それは誰しも経験があるだろう。でも今回僕が…

「やっぱお前変だよ」

僕のすぐ後ろから声がした。僕は部屋の隅にある机に向かって、真っ白な自由帳に言葉を埋めていたところだった。

「わっちょ…ちょっと啓太くん、なんでここにいるんだよお」

急いでその自由帳を閉じ、机の引き出しに無理やり押し込んだ。

「そんなに驚くなって、幼馴染だろ?そりゃあ家に来るくらい普通だろ?」

啓太は野球のグローブとバットを肩に担ぎ、僕を見下ろしていた。いつから僕の家が君の家になったんだ…なんて言えない。

「そ…そういうことじゃないってば」

「せっかく人が引きこもりの幼馴染を外に連れ出してやろうとして来てやったのに、お前はまた変なこと書いてるしなあ」

自分の髪をくしゃっと片手でつかんで呆れた顔をする。啓太は実際の年齢よりもすこし大人っぽい表情をするから、ときどき反応に困ってしまう。

「いいでしょ…ほっといてよ」

ぼそっと独り言のように呟いたから、聞こえてないと思ったんだけど、いつものようにこつんと拳が落ちてきた。

「あのなあ、何かを書くのはいいし、人の勝手っていうところもなるけどな、もっと明るいことは書けないのかよ。あんな文章じゃ気も滅入るだけだろうが」

「そんなことないよ。それにあれは…別に暗い話じゃないんだ…よ」

僕は自分で書いた言葉のことになると、急にどもり始めてしまう。どうにもならない。

「じゃあ、どんな意味があるわけ?聞いてやるよ」

そう言って、啓太はバットとグローブを抱え込んで床に胡坐をかいた。それはまさしくドーンなんていう擬音語がふさわしい。こうなっては言わざるおえない状況になっちゃったな。秘かな趣味っていうか、好きなこととかって知られたくない心理ってあるでしょ。まさにそれなんだけど、目の前にバット抱え込んで座られたんじゃ言うしかないよね。黒い羽根じゃないけど、ほんとちょっと怖いもんな。

「空を飛びたい…それだけ、だよ」

最初は良かったけど、どんどん声が小さくなっていくのが自分でもわかった。それにしても啓太はほんとに男らしいというか、僕と同い年のくせに変に迫力があるというか。とにかく僕とは違うんだ。目が合わせられない。なんなんだよこの沈黙は。だめだ。目を合わせちゃだめだ。啓太からの視線を感じるけど絶対に合わせちゃだめだ。確実に気迫負けする…。これでも男のはしくれだ。プライドっていうものも、ちいさいけれどもあるつもりだし。それよりこの沈黙が怖いんだけど。またなんか言われるよなあ、これは。そう思っていたが、帰って来た言葉は以外で、やっぱり表情は大人っぽくて、反応に困ってしまったのは言うまでもない。

「そっか…」

少し間をおいて、さっきはきつく握られた手の平だったけど、今度は開いてて、軽く僕の頭に乗せられた。

「叶うといいな」

そういった啓太の顔は絶対に忘れないと思う。そのくらい、優しい目をしていたから。まるで父親が子供をあやすみたいだ。暖かい手はすぐに離れて行ったけど、その温度だけはきっと記憶になって頭に染み込んでいったに違いない。だって、こういうことを話せるのも、聞いてくれるのも、笑ってくれるのも、啓太だけだから。

「う…ん…」

そう小さい声で返事を返すのが精一杯だった。でも啓太は反応薄いなあって、さっきとは全然違うつよい笑顔で笑うんだ。

「おい、お前が空を飛ぶ前に、予行練習も兼ねていっちょ野球ボールでも飛ばしに行くかっ」

「うん!」

いつだって大人っぽいかと思えばすぐに子供になって無邪気になるんだ。僕達二人は騒々しく家を後にして、太陽の照りつける真夏の大地をけっとばして走って行った。走る早さは啓太の方が早いから、僕はいつもその背中を見て走る。顔も呼吸も見えないから、前を走ってる啓太はいつも涼しげに走っているように見える。だけど、意外なことに体力は僕の方があるんだ。家から飛び出してから、いつも決まって一分くらい走ってから、ちょうどカーブミラーの所で啓太は止まる。その時肩が上下に動いているのを見て、初めて疲れてんじゃんって思う。

「っていっても空は淋しいよなあ」

立ち止まった啓太がカーブミラーの細い支えに寄りかかりつつ上を見上げた。僕もつられて上を見る。大きい空。青い空。広い空。いきなり何を言うんだと思ったけど、そのことを先に言いだしたのは僕だってことを思い出して苦笑い。

「だってこんな広いのにさ、雲しかないんだぜ?可笑しくない?」

「可笑しいって言われてもさ、空って知ってる限りこんなもんじゃん」

「そうだけど、海にだってあんなにたくさんの動物とか魚とかいるのに、その海よりも広い空にはなんで雲しかいないんだ?」

そう言われてみれば、そうだよな。

「鳥がいるじゃん!」

黒い翼のカラスならたくさんいそうだ。

「鳥だって地面にいないと暮らせないだろ。ただ飛べるだけだ。俺達が海を泳げるみたいにさ」

「そうだね」

啓太はまだ荒い呼吸のまま、片手を空に伸ばした。

「どうやったって、こんなに短い手じゃ届くはずねえよなあ」

強い日差しが啓太の顔に手形の影を落とす。空へ飛んで行かないようにもう一つの手が、啓太の体を押さえつけているみたいだ。

「啓太も空を飛びたいと思ったことがあるの?」

「ふっ、そりゃああるさ。誰だってさ」目がなくなるくらいくしゃっと笑う啓太の横を暑い風が素通りして、いとも簡単に空へと昇って行くもんだから、二人して少し空から目をそむけた。

「でもさっき変だっていったじゃん」たまにはむすっと過去のことを掘り返してみる。

「はあ?だってあの文章みて、誰が空を飛びたいだなんてこと分かるんだよ。すごい力持ってる人にだって分かりっこないと思うけど?」

「やっぱり僕は可笑しいのかなあ?」珍しく否定しないで受け入れられているのはきっと暑いからだ。そうに違いない。

「何言ってんだ。お前はお前でいいんだ。普通っていう概念に囚われてる方が可笑しい奴だと俺は思うね。それにさ、そういうの才能っていうんじゃない?

「才能?ははっまさか。そうだったらいいんだけど」

「だって考えてみろよ。俺なんて文書くのすっごい苦手がし、好きにはなれない」

啓太はカーブミラーから離れると、また僕の前を歩き始めた。今度は手を半ズボンのポケットにつっこんで、ゆっくりと歩いて行く。

「僕は色々書いたり、想像したりするのが好きなだけで…」

「だーかーらー。俺が言いたいのは、好きも才能の内ってことだよ」

好きも才能の内?もう一度声に出して言ってみた。どこかで聞いたような感じだけど、まあいっか。でも理解できない。啓太も僕が理解していないと分かったのか、くるっと後ろを向いて

「例えば、サッカーが好きってやつもいれば、野球が好きだってやつもいる。でもその反対に、サッカーが嫌いなやつもいるし、野球が嫌いなやつもいる。そうだろ?それと同じだよ。好きじゃなきゃ何にも始まらないんだ。やろうとしないからな」

「そういうものかな」

「そういうもんだろ」

「僕はてっきり何にも努力しなくてもできちゃったりするのが才能だと思ってた」

テレビでよく言ってる。生まれ持った才能がなんとかみたいな感じで。

啓太は急に下を向いて何か考えだした。考え事をする時は必ずしゃがみ込むのが彼の癖。学校であろうと、街中であろうと、どこでも決まってしゃがみ込む。ほんと、分かりやすい。

「ああ」

そういって捨て台詞の凝縮版を吐き出し、立ち上がる。

「そんなの知るかっ。小せえことは気にすんな。男だろ。そういうのはさ、あれだ。天才ってやつだ」じゃあ天才と才能はどう違うんだろうって聞きそうになったんだけど、あからさまにだるく歩く背中をみて、後で自分で考えようと思った。

だるく歩く姿も案外様になってるな。啓太はぴたっと止まって、顔だけ後ろにいる僕に向ける。そして、突然ニカっと笑って走って行くから、僕は驚いて転びそうになった。目だけが彼の背中を追ってたから。

「待ってよっ啓太」

「うっさい、付いてこい」

僕はやっぱり啓太にあこがれてる。走って行く日の照る背中には何色の翼が似合うのかな。それから、すぐ公園に着いた。野球をするにはちょっと狭い公園なんだけど、何本かノックをやって、キャッチボールをした。最後に夕焼けに向かってフライをした時は、なんだかホームランを何回も打って、何回も取っているみたいで心が満たされてくすぐったかったんだ。それに眩しい光があんまりにも二人をきれいに映すから、余計に感覚が可笑しくなっていたのかもしれない。あの空に届くように、何にもない、何の匂いもしない、そんな空に大きくて大きくてこんな子供の小さな心に収まらないような夢と憧れが吸い込まれていく。そんな感覚が何故だか心地よかったんだ。僕はあの文章をちょっと訂正しようと思った。

「ねえ啓太」ボールを高くまであげながらいった。

「なに?」

「黒い羽根ってやっぱりあんまりいい印象ないよな?」

「なんだよいきなり。さっきお前が書いてたやつか?」

「うん」

空から降ってくるボールをあまり動かず取って啓太は言った。

「俺にはないよ。そんな印象」

「そうなの?でも僕も今思ったんだよ」

「何を?」

「黒い羽根に悪は似合わないって」

「ふっ、じゃあ何だって言うんだ?」

「強さの。憧れの象徴」

「なんでまた堅苦しいことを…」

啓太はただ笑って僕の話を聞いている。そんな啓太にぴったりだと思うんだ。

「僕はさ、啓太の背中に翼があるとして、それは何色なんだろうって考えてたんだ。そしたら、やっぱりどんな色より黒が一番しっくりくるんだ」

そんなことを言うと啓太からの拳がまた降ってくるのかと思ったが、少し待ってもそんなそぶりはない。

「そんなの当たり前だろ」

そう言って意外にも彼は笑っていて、太陽よりも輝くくらいだった。

啓太はグローブを手から外して乾いた地面に置いた。ふらっと砂が舞う。

「だって俺…」

夕日とかぶって啓太が真っ黒に見える。漆黒ので染まり、光が吸い込まれていくかのようだ。だけれどそこに恐怖はない。宗教的に例えるのなら間違いなく神と言うのだろう。その闇のような影は、まるで啓太自信が光っているように見せる。人影のシルエットが少しずつ形を変えていく。残像だろうか。いや、違う。残像ではない。目の錯覚ではない。確かにそれは存在感を持ち、風を切る。一枚、また一枚、繊細な線が広がる。全てが形を保った時、僕へと吹いていた風が向きを変え、吸い込まれていく。黒い、黒い、漆黒の翼へと。それは大きい影。黒い影。広い影。僕さえもその中に収まりそうな。辺りの夜はきっと、黒い羽根の作り上げた世界なのだと思いたくなる。

啓太はきっと笑っている。決して悪の笑いではない。僕の部屋で、カーブミラーの下で見せた、あの優しく強い微笑み。僕の記憶に染み込んだ啓太の温度が疼くから。

「本当の俺は、黒い羽根を持った鳥だからさ…」

僕は何も考えられなかった、その時から何を選ぶでもなく、捨てるでもなく、ただただその存在感に心が支配されたんだ。啓太の持つ、その輝く広い背中の、黒い翼に。


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