第七話 先ゆくあなたへ
「ここは……?」
目を覚ました彼は、周囲の環境の変化に戸惑っていた。彼の最後の記憶は命懸けの戦闘。その戦場は冬の夜の平原だったはずだ。先ほどまで感じていた刺すような冷たさから一転して、眠たくなるような暖気を肌で感じる。
「ここはアリスの図書館だよ。」
その声を聴いて、ぼんやりとしていた彼の意識が急速に覚醒する。声の主は、他でもないソフィ・ラフォレだった。
「警戒してるね。でも大丈夫。私はもう何もできないよ。」
変わったのは周囲の環境だけではなかった。戦闘中の張り詰めた空気は影を潜め、彼女の声は優しかった。
「師匠?これはどういう……俺達はさっきまで外に居たはずじゃ?それに体も無傷だ。」
「アリスの仕業だね。無傷なのは、これが本物の体じゃないからかな。」
要領を得ない回答に彼はきょとんとする。穏やかな雰囲気にあてられたのか、彼も警戒を解いていた。
館内を歩き出した彼女の後ろを、彼は追うようにして歩く。
「アリスの魔法で私たちの精神だけ図書館に連れてこられたんだろうね。」
「あの人そんな事できたの?何もできないってのは精神だけの状態だから?」
「うーん。それもあるけど……いや、何もできないはやっぱ語弊があったかも。」
「正確には、私はもう戦ったりはできないが正しいかな。」
「ああ、確かアリスさんが図書館に施してる魔法。」
「なんだ知ってたの。そうだよ。あ、ちょうどホラ、あそこのドアあるじゃん。」
立ち止まった彼女が指差す先には古びたドア、その上には禁書エリアと書かれた木の札が掲げられていた。
「禁書エリア。魔法と関係があるのか?」
「大層な名前のクセに、実はあの部屋には一冊しか本が無くてね。というかその一冊の為の部屋なの。」
「その題は『始まりの大魔術』、まあ魔導書だね。本に刻まれた魔法も同じ名前。アリスが初めて作った魔法だよ。で、その効果は攻撃の禁止。私は図書館内で一切攻撃ができないし、そもそもアリスに呼ばれてここに来てるから図書館からも出れないかな。」
「あの人、やっぱり凄いんだな。」
一区切り。しばしの沈黙が訪れる。彼はまだ疑問が残るという様子だった。
「まだわからんーって顔してるね。」
「アリスさんは、なんでそこまでして俺達をここに連れて来たんだ?」
「うーん。それは私にもわかんないかな。」
再びの沈黙。少しの間をおいて口を開いたのは彼女だった。
「……私たちに今できるのはこうして話すことだけ。そこにヒントがあるんじゃない?」
そこで彼は自分の言葉を思い出す。師を知りたいと願った事、自分の思いを知って欲しかった事。
同時に、これはそれらを叶えるべく自分達に与えられた場なのだと直感する。
「アリスさんに後でお礼言っとかないとな。」
二人は、一般の本が置いてある部屋の前に辿り着いていた。静かに扉を開け、室内にあったテーブルの一つに向かい合って着席する。他に誰もいない、時が停滞したような穏やかな空間で二人が対面する。
「単刀直入に聞くけど、師匠はなんであんな事をしたんだ?」
「深域をなくす為、ってのはもう言ったか。そうだね。」
「深域内は、外部に比べて高まった魔力を発散するように魔物が生まれるでしょ。そして魔物は人を襲う。私はそれを止めたかった。元から魔力で世界を覆ってしまえば、魔物は生まれないから。」
「……いや……俺は、俺が言いたいのは。」
彼は言い淀んでしまった。自分は一体何が言いたいのだろう。
理論的な方法が聞きたい訳じゃない。魔物が消えてもそれでは適性のない人々が死んでしまう。
彼の脳内に濁流のように湧いては消えるセリフは、どれも言い表せない不十分さを含んでいた。どれも間違いなく本音だったがために、彼は迷った。どれから聞くべきか、どれが一番聞きたいのか。
「ゆっくりでいいよ。」
言葉に詰まる彼に、彼女は優しくそう言った。
「ゆっくりでいいから、聞かせて。」
その言葉に胸が軽くなったような思いを抱いた。一度大きく深呼吸をして、再び彼女に向き直り、言葉を紡ぐ。
「師匠が、なんでそうしたいって思ったのか。それが知りたい。」
「……そうだね。大切な人達を守りたかったからかな。私にはやれるだけの力があったから。私がやるべきだって思ったの。私が、やらないとって。」
「馬鹿だよね。自分が守りたい人達のために他の人を傷つけちゃった。」
「……やっぱり。」
自嘲するように零した彼女に、彼はそう言った。「え?」と彼女から小さく驚きの声が漏れる。
「師匠は全力を出してたけど、本気で俺を殺そうとしてた訳じゃなかっただろ。」
「師匠はきっと、こんな凶行に及んでも、その根底にはまだ優しさがあるんじゃないかって。ずっと信じてて、確かめたかった。」
「……優しくなんてないよ。たくさん人を殺したし、宗一の事も裏切ったでしょ。」
「……師匠は、確かに無関係の人たちを殺したよ。本当に、許されない事だ。でも――」
「師匠は俺を拾ってくれて、育ててくれたから。俺にとってそれは変わらないよ。」
今度は彼女が言葉に詰まる。様々な感情が込み上げているようだった。
「師匠は、これからどうするんだ。」
先に口を開いたのは彼だった。その問いに彼女は困ったような顔をして、それから少し笑った。彼はその様子を不思議に思うも、程無くして真実を聞かされる。
「あー……実はね、私、もう死ぬんだ。」
「……は」
「世界を魔力で包むあの魔法、かなりの大規模だったからね。その代償だよ。」
彼女が死んでしまうという事実。何より、彼女自身がそれを受け入れているのが辛かった。
「本当に、なんでそんなこと……」
「何がなんでもって言ったでしょ。他人の命を勝手に犠牲にするんだから、その前にまず私の命を犠牲にするには当然だよ。」
「いや、だからって、え……?そこまでして守りたかったのは。」
状況を受け入れられず取り乱す彼とは対照的に、彼女はひどく落ち着いた様子だった。
「私ね、幸せだったんだ。」
「宗一、いい子だったから。私の事すごく慕ってくれてたし。魔法を教える時もすごく熱心に聞いてくれたでしょ?気配りが上手で、優しさをすごく感じた。あとはご飯も美味しかったなぁ。」
「アリスもさ、もう何百年の付き合いだけど、いつ会いに行ってもなんだかんだ相手してくれたし。たまに見せる笑った顔も可愛いくて、それが見れたら嬉しくて。ついちょっかいかけてた。」
「失うのが怖くなちゃった。二人とも強いよ、滅多にないって、分かってた。でも、可能性が少しでもあるのが怖かった。私にはそれが無くせるだけの力があったから。そのためなら、この長い命も惜しくないって思ったんだ。」
彼女は壊れ物を扱うような優しい口調で懐古した。
「……貴方は本当に、勝手な人だ。」
「そうだね。ごめんね。」
「ごめんで済むものか。死んだ人たちの命は戻らない。貴方も、勝手に命を懸けて……本当に馬鹿な人だ。残される側が、どんな気持ちかも知らずに……」
彼は、その時初めて師に不満を覚えたようだった。初めての怒りが発露する。
「俺は、師匠と暮らせたらそれだけで幸せだったんだ。」
「穏やかなあの家で、草の匂いに包まれて、師匠の笑った顔を見て、それで俺も笑って。そんな日々がずっと続けば良いって俺も思ってたんだ。」
「魔法の練習も楽しかった。さっき俺にアリスさんの魔法を教えてくれた時、懐かしい感じがしたんだ。俺が大好きだった時間に戻れた気がした。戦った後なのに、すごく心が落ち着いた。」
「俺は、ただ貴方とこの先も生きていたかった。」
「……ごめんね。」
ふいに、二人の体が淡い輝きを発し始めた。突然の出来事だったが、両者ともその意味を理解しているようであった。
「そろそろ時間だね。」
「これが終わったら師匠は。」
「うん。思ってる通りかな。宗一、アリスにも伝えといて。本当に――」
「師匠!」
大きく、彼が声を張った。
「俺は貴方の事を忘れないよ。貴方にされた事も、貴方にして貰った事も全部忘れない。この先、長い時の中で、師匠は俺に一生消えない痕を残したんだ。」
「……そうだね。」
「師匠、最後に一つ。」
「ふふ、なあに?」
「俺は、師匠の弟子になれてよかった。師に恵まれたよ。」
「……強くなったね宗一。私の自慢の弟子だよ」
「……ありがとう。」




