第五話 沈みゆく太陽の見る夢
「当然さ。」
驚いた様子のソフィに対し、彼は自信と共に答える。
「四年間だ。四年間、ただひたすら師匠のだけを考えてきた。貴方を追うことを、貴方に追い付くことだけを。」
「今日こそは貴方の事を聞かせてもらう。」
力強く、感情の全てが籠った言葉は冷えた空気を震わせ、僅かな熱が迸った。
「……何も言わなかったのは反省してるよ。でも私はもう決めたんだ。」
「深域を無くす、何がなんでもね。」
彼女は淡々と答えた。しかしその中には彼と同じ、あるいはそれ以上の熱量が込められていた。
「何も知らない、無辜の人々を傷つけてでもか。」
「何がなんでもって言ったでしょ。断言しとくけど、これが良いことだなんて思ってないよ。むしろ大罪だ。でも、その上で私はやるんだ。」
「分かってるのにか。それが貴方の夢なのか。貴方の研究の、貴方の努力の行きつく先は本当にそうだったのか。」
「そうだね。これが私の成果。長かったけど、やっと終わり。」
「何?」
「あれから実践して調整して、ついに魔法が完成したんだよ。私の長い旅路も今晩で終わり。」
ソフィが右の掌を空に向けると、その上に魔力の玉が現れる。彼女はそれを強く握り締め、夜色の魔力を帯びた手で指を鳴らす。
途端に大地、それどころか世界全体が揺れたように感じる。
「まさかこれは……例の深域か。」
この四年間人々を恐怖に陥れた深域が姿を現す。ソフィを中心に生じた半径百メートルほどの半球状の空間は、発生後間もなく拡大を始める。その速度は通常の十倍はあろうかという驚異のスピード。周囲の地形、動物、植物。正に「全て」を無差別かつ無慈悲に飲み込んでいく。
「この魔法を完遂すれば、私の夢は叶うんだ。大人しく見ててよ。」
「させないさ。俺達はずっと、貴方を止める為にやってきたんだ。」
空高く黄金の魔力が光り輝き、現れた結界が瞬く間に深域を覆い、その拡大を止めた。
「アリスか。こりゃ厄介だなあ……」
そう零したソフィは彼に背を向ける。
「どこに行くつもりだ。」
「結界の解除。本当は術者本人をどうにかするのがいいけど、どうせアリスは図書館に籠ってるだろうしね。手こずるだろうし、悪いけど宗一の相手はできないかな。じゃあね。」
そう言って再び夜の中へと消えようとするソフィ。彼女が隠密の魔法を使ったことで、その姿が徐々に認識の外側へと移り、朧げになる。しかし、彼はその存在を逃すことなく、即座に生み出した無数の短剣が全方位から彼女を襲った。
彼女は向かってきた短剣を難なく魔力で撃ち落としたが、一方でその反動により隠密魔法は途切れた。
「『大人しく見てて』って言ったのに。」
「そっちこそ『させない』って言っただろ。ようやく会えたんだ、逃がしはしない。」
「はぁ。」
大きな溜息を吐き、諦めたように、あるいは覚悟を決めたように再び彼の方に向き直る。瞬間、辺りの空気が一瞬にして張り詰める。強風が吹き荒れたように錯覚するも、周囲の草花は揺れていない。
「やるしかないか。」
言い終わると同時、ソフィが魔力を放出した。大地を抉りながら一直線に彼の元へと突き進むも、寸前で現れた盾に阻まれ真っ二つに割れ、後方で深域を包む結界に触れたことで消滅する。
「いない。」
攻撃で舞い上がった粉塵が晴れると彼の姿はなかった。即座に索敵魔法を使おうとするも、それよりも前に背後から彼が現れる。形成した漆黒の刀による横薙ぎの一閃を、刀ごと魔力で掬い上げるようにして逸らす。即座に反撃を行うも、彼は咄嗟に結界を作りだして防御を行った。
しかしその威力の全てを受けきることはできず、結界は破壊され彼は後方に吹き飛ばされた。
「やるね。咄嗟の瞬発力が格段に上がってる。それにその魔法、アリスの教えだね。」
「そうさ、いろんなことを教わったんだ。まだまだこれからだぞ。」
「『剣』」
彼の周囲に無数の大剣が浮かび上がる。まるで無数の剣士がそこに実在するかのように、剣群があらゆる方向から彼女に斬りかかる。
「何回やっても同じだってば。」
しかし大量の剣による飽和攻撃すらも、彼女が少し腕を動かすだけで簡単に跳ね飛ばされる。
「今度は私の番。」
夜空へと浮かび上がった彼女はその細い指で彼を指す。彼が先ほど行った攻撃を返すかのように、彼女の背後から現れた魔力の激流があらゆる方向から彼を襲う。
彼女の使う攻撃魔法は純粋な魔力の放出。特殊な効果も付与しない、単純な魔力の塊をぶつける。全てを『放出』に費やしたことでその威力は洗練され、高密度に圧縮された魔力は絶大な破壊力を持つ。
「ッ『盾』」
魔力を固めた盾を全面展開し身を守る。彼女の猛攻撃は無慈悲にも生成された盾を砕いていくが、彼は割られた側から作り直すことで凌ぐ。
「なんて威力……!」
一連を何とか耐え切るも、全ての神経を防御に注いだ彼は息を切らし、真冬にも関わらず大粒の汗を滲ませていた。
「へえ、これも耐えられるのは驚いたね。」
「ッはぁ、当然。何度だって……!」
彼女は目を丸くした。彼の実力は彼女の想定を上回っていたらしい。驚きと感心の混ざった声を上げる。
「でも分かってるでしょ。私との間にはまだ差がある。」
彼女は右手を彼に翳した。手掌により狙いを定め、腕の先に魔力を流す。集約された魔力には膨大な圧力がかけられる。
「そろそろ、終わりにしようか。」
限界まで加圧された魔力が解き放たれる。あまりの威力。時の流れが遅くなったかのように、世界から音が消えたかのように感じる。
着弾と同時に大きな爆発が起こった。抉られ、巻き上げられた土砂や粉塵、煙により周囲の視界は閉ざされる。
圧倒的な出力。それを涼しい顔して少しの予備動作から引き出す。彼女は、ソフィは魔法使いとして遥か高みに君臨していた。
「…!、まさか。」
そこで、彼女が何かに気づいた。程なくして舞っていた粉塵が散り、視界が開ける。
「思ってた以上だね。」
先ほどの大出力の一撃を受けてもなお、彼は倒れていなかった。漆黒の盾に重ねて、黄金の結界が彼を守るように展開されている。
「『俺達』って言っただろ。でもアリスさんのこの術は一回きり。次はない。」
「だから、こっちも出し惜しみはしない。全てを賭して貴方を止める。貴方の話を聞いてやる。」
「『鴉』」
黄金の結界が消滅すると同時、彼の背から巨大な黒翼が生える。一度大きく翼をはためかせると、周囲には何千もの漆黒の羽が舞う。
「『剣』」
舞い散る羽が大剣に変化し、先程よりも数段上の速度で彼女の元へと飛来する。
羽と剣の浮かぶ黒く暗い空間で、彼女は印を組んだ。発動した術で襲い来る刃を迎え撃ち、砕き、落とす。両者の沈黙の中で、それぞれの術だけが剣戟を繰り広げる。
拮抗する押し合いの中、僅かに上回ったのは彼だった。
「…ッ。」
彼女の頬を刃が掠め、一筋の赤い線が現れる。血。決して深くはなく、彼の消耗と比べ取るに足らないそれは、確かに彼が魔法使いとして師と同じ次元に足を踏み入れたことを示していた。




