第二話 日没
「師匠が帰ってこない。」
そう言って私の元を訪ねてきた彼の言葉には、不安や焦りのようなものが滲んでいた。
「ソフィが?またどこかで研究でもしてるんじゃない?最近忙しそうにしてたもの。」
「最初はそう思ったけどもう4日くらい帰ってないんだ。」
その言葉を聞いて初めて、私は読んでいた本から目を離し彼の方を向いた。彼はその生い立ちからか、感情表現があまり得意ではなかった。喜怒哀楽といった情動が現れにくい彼の、珍しい表情を見て私は腰を上げた。
「そこの棚に栞があるわ。どれでも良いから取って寄越して。」
言う通りに彼が栞を手渡してくれる。受け取った私は読んでいたページに挟み込み、パタンと閉じる。
「まずは彼女の痕跡を探しましょう。」
「痕跡を探すってどうやって……」
「私もソフィと同じ『最高峰』よ。勿論魔法を使うわ。」
「ついてきなさい。」
席を立ち、図書館の奥へと進む。私の後ろを歩く彼の表情は分からないが、魔力が少し揺れていることから、きっとまだ不安が拭えないのだろう。
「ここは普段は解放してない部屋よ。ここで私の魔法で結界を……詳細はまあいいか、とりあえず探知用の術を張るわ。範囲が範囲だから時間はかかるけど。これでソフィの魔力を追う。」
「俺は何をしたらいい?」
「うーん、正直君にできることはないかな。その様子だとここ数日あんま寝られてないんでしょ。そこで少し休んで――」
言いかけたところで突如建物の外から、離れた位置で大きな魔力が動いたことを感じ取った。
「これは……深域?でもこんなに一瞬で発生するなんて。」
「アリスさん、俺ちょっと見てくるよ。」
深域は通常、小規模なものが発生した後ジワジワとその範囲を拡大していくはず。初期から大規模なものはない訳ではないが、極めて珍しい。私が驚いていると、彼は行ってくると言って部屋を出ようとした。
「ちょっと、待ちなさい。休んでなさいって……言ってはないけど言ったわよね。」
「なんか嫌な予感がするんだ、行かせてほしい。」
その時の彼の眼には、私に引き留めることをやめさせるだけのモノが宿っていた。
「……わかったわ。ただし無茶はしないこと。君が戻るころには解析も終わってるでしょうから、後でお互いの収穫を共有しましょう。」
「ありがとう、行ってくる。」
外へと駆け出す彼の背を尻目に、私も「嫌な予感」が拭えなかった。どうかこの予感が外れて欲しい願いつつ術式の準備に取り掛かった。
空を飛び最短経路で深域に到着した彼は、眼前の魔力の塊を見て普段のソレとは異なることを肌で感じ取った。そして実際に突入したことで、その違和感はより現実性を帯びてしまった。
深域内部には通常魔物が発生するはずだが、この深域には一切見られなかった。彼が偶然遭遇しなかったということではない。実際に端から端まで見て回った上で、魔力による探知も行って尚存在を認められなかったそうだ。
暗い。通常の深域も特有の薄暗さはある。しかしこの暗がりを彼はよく知っている。
遠くからでも何となく感じられた。深域の魔力がソフィの「夜」と酷似しているということ。
彼も私も、ソフィとは長い付き合いだった。私たちがその魔力を見誤ることなど万に一つも有り得ない。私がこの部屋から、そして彼が実際に触れて感じたソレは、間違いなくソフィのものだった。
「その様子だと、私の結果を言わなくても状況を察していそうね。」
図書館に戻ってきた彼は私に、深域内で見たものを一通り報告し、私も解析の結果を共有する。
「私の魔法にも、あの深域の元がソフィだと映ったわ。何らかの原因で、彼女が魔力を行使してアレを作り出した。」
「本当に師匠が自分の意志でやったのか?」
「彼女が他人の言いなりになるだなんて有り得ない。君もよく分かっているはずよ。もし私たちの知らない第三者がいたとしても、協力という形でしょうね。」
「それに、私の魔法はその深域の分の魔力しか捕捉できなかった。肝心のソフィ本体はどこにいるか分からない。」
「彼女は私の魔法をよく知っているわ。そして、失踪すればいずれ私が捜索を始めることも簡単に思い至るはず。」
「つまり……」
「ええ。信じたくはないけど、ソフィは意図的に消息を絶った。」
何が目的なのか、彼女が何を考えていたのかなんて分からない。ただ確実なのは彼女が自分から行方を眩ませたこと。先程発生した深域は彼女が作り出したものであること。そして――その深域に巻き込まれた一般人が大勢、浸食症状で傷つき、あるいは死んだこと。
私たちに残されたものは、偉大なる大魔女ソフィ・ラフォレが離反したという事実だけだった。
「どうして。」
「残念だけれど、それは私にも分からないわ。」
彼は事態を飲み込めていないようだった。それはある種当然とも言える。敬愛する師の突然の裏切りを簡単に受け入れられるはずがない。
私は彼の肉体的、そして精神的疲労が気になった。先程も指摘した通り、ソフィの失踪でここ数日心が休まらなかったのだろう。その上でたった今最悪の現実を知らされた。
「……君は暫く休んでなさい。自分の家でも、一人が不安ならここでもいいわ。部屋は貸してあげる。あとは私に――」
「アリスさん。」
彼の負った傷は計り知れない。とにかくケアをしてあげなければと私は考えた。しかし私の言葉を彼は遮った。
「俺は師匠の事が分からない。」
「師匠がどうしてこんなことをしたのか。何を思って今まで暮らしてたのか。」
「さっき師匠が裏切ったって気づいた時、俺はただ衝撃的で、裏切られたことへの怒りも悲しみも感じられなかった。」
「ここに帰ってくるまでの道中ずっと考えてた。どうしてだろうって。俺は気づいたんだ。一緒に暮らして来て、師匠の事をある程度分かってたつもりなのに、本当は俺は何も理解してなかったんだ。だからただただ呆然としてた。」
「俺は師匠の事をまだ知ってない。だから今は、師匠の事を知って理解したいと思う。」
「師匠の考えがどんなものだって受け入れる。何か事情があったとしても、あるいは本当に裏切られたのだとしても。受け止める覚悟はできてる。」
「もう一度師匠に会って話したい。師匠の口から本音を聞いて、それを知りたい、」
「だから、アリスさん。俺に力を貸してほしい。」
私は彼の事を侮っていたと強く思い知らされた。彼はまだ幼い、魔法の才があるとは言え実力はまだ私達には及ばない、彼はまだ守るべき対象なのだと思っていた。いや、それは間違いない。だがそんな彼に私はこの時確かに圧倒された。彼の強さを、この一瞬で理解した。
「……君は強い子ね。」
私は彼に近づき、腕を広げ、彼を包み込んだ。
「えっ。」
彼が素っ頓狂な声を上げたが、私は構わず手を伸ばし、彼の頭を優しく撫でた。傷や覚悟、彼の全てを包み込むつもりだった。
一しきり撫で終わった私はそのまま離れて、改めて彼に言葉を投げかけた。
「それで、私は何をすればいい?」
「師匠に会うなら、当然戦うことも考えられると思う。でも俺はまだ師匠に遠く及ばない。だから俺の事を鍛えてほしい。」
彼は直ぐに真剣な眼差しに戻って言った。私は、彼がこう答えることは予想できていた。彼の心はもう十分強かったから。
「分かったわ。ただ私はソフィほど戦闘向きって訳じゃないの。純粋な戦闘力なら彼女に劣るわ。」
「それでも貴方は。」
「ええ。それでも私は彼女と同じ最高峰。だから安心して頂戴、必ず君を強くしてみせる。」
「まずは……そうね、君を魔女の仲間にするわ。」




