第一話 記憶
「師匠、お昼できたよ。」
エプロン姿の宗一君が開いた扉から顔を出し、書斎を覗き込む。目線の先には机に向かい、黙々と作業をするソフィ。難しい顔をして何かをノートに書きこんでいる。よほど集中しているのか、一度目の呼びかけには応える様子がなかった。
「師匠ー?いま忙しいか?」
「んあ!?ああ宗一、ごめんごめん。もうお昼?」
一度目よりも声を張り上げることでやっと呼びかけに気づく。少し驚いたのか、肩を震わせてから振り向く。しかし、その際に机の端に積まれた本に腕が当たる。ドサドサと音を立てて崩れる本の山。
「うええ、あ~まってまって。」
「はぁ、全く何やってんの……」
慌てるソフィ、そんな彼女に呆れた様子で溜息をついて近づく彼。屈んで、床に落ちた本を一緒に拾い上げる。
「これは魔導書?師匠最近研究よくしてるよな。」
「そーなんだよね。今結構良いところでさあ。」
「魔力や深域の……魔法とかじゃないんだ。」
「うん。魔法作りも楽しいけど今はもっと深い事やってる。ホラ、私これでも天才魔女だし?」
「天才魔女ならこんなドジしないと思うけど。てかこれアリスさんの図書館から借りたやつでしょ。こんな雑に扱って怒られても知んないよ。」
彼女が持っていたのは具体的な魔法が書かれた一般的な魔導書ではなく、基礎。魔法の根幹たる魔力と、それから派生して生じる深域に関するものだった。基礎とは言え内容は非常に高度で、「魔力論」「深域解析報告」といった有名なものから、彼にはサッパリ分からないものまで幅広い範囲が網羅されている。よく見れば机上のノートにも、複雑に編まれた図や式が所狭しと並んでいた。
「ふう、これで一旦片付いたよ。ありがとね宗一。」
「さ、じゃあご飯にしよっか。今日のお昼は何?」
「サンドイッチ、師匠最近研究で忙しそうだし、これなら片手間にでも大丈夫でしょ。」
「え~そんなことまで考えてくれたの?いい子だねえ。」
「でも別にいいかな、ここで食べるよ。」
書斎からダイニングへと移動した二人は椅子に腰かけた。庭の木々を通った木漏れ日が窓越しに差し込む。木製の食卓が温かく輝き、その上のサンドイッチもきらびやかに食べられる時を待っている。
「いいの?別に俺は構わないよ。」
「私が構うの。ちゃんと一緒に食べたい。」
「そっか、じゃあ一緒に食べよう。」
並んだ食事に手を伸ばす。穏やかな時間が流れ、何気ない会話がテーブルの上を行き来する。
半分くらいを食べたとき、ソフィがふと笑いをこぼした。
「えっ、急にどうした?」
「ん?ああいや、幸せだなあって思って。なんていうか、あったかい。こんな時間がずっと続けばいいなって思った。私は弟子に恵まれたね。」
穏やかな表情でそう言って目を細める彼女。その言葉に彼は戸惑う。嬉しいことは確かで、しかしなんと答えてよいのか分からない、というような表情。彼は幸福を咀嚼しきれていない様子だった。
「今日はこの後一緒に魔法の練習しようか。」
少しの沈黙の後、彼女がそう提案した。彼は少し驚いたように「いいの?」と返す。
「うん、最近あんまりだったからね。私も研究ばっかじゃ息詰まるし午後は休憩ということで~。」
「…ありがとう、じゃあ残りは後で合間に食べないか?実はこれ間食用のもあって多めなんだ。」
「いいね~外の森でピクニックにしよ。」
「ああ。じゃあ俺は食器片してくるから師匠はその辺でくつろいでて。」
「せっかくだし私も手伝うよ。任せっきりじゃあ悪いしね。」
「そう?じゃあキッチンに運ぼう。」
残りをバスケットに詰め直し、空いた食器を洗う。一通り作業を終えた二人は、外に出た。彼女の家は町から少し離れた森の中にあった。森と言っても深いわけではなく、陽の光は十分に差し込むし、川や花畑もある。ソフィの管理する美しい庭だった。
宗一君は普段この庭で魔法の練習をしていた。周囲に人間のいない静かな環境では存分に魔力を行使できる。
時間は穏やかに流れるが、子供の成長というのは思ったよりも速い。まして、永い時を生きる魔女から見ればなおさらだ。ソフィに拾われたばかりの六歳の彼は、今まで両親に虐げられてきたこと、それでもたった二人の実の両親を喪ったことで浅からぬ傷を負っていた。自分から口を開くことはなく、陰鬱な表情を浮かべるばかりだった。
しかしそれから八年の時を経て、十四歳の彼は今、優しい子に育った。また、魔力の扱いもかつての比にならないほどに上達した。偉大な魔女の下、教わったことを全て吸収していった。
「今日は私の必殺技を教えたげる。」
「必殺技?」
「そ、まあまずは見ててよ。」
目の前の岩に魔力を込めた指でトン、と触れる。重々しく動き始めた岩は木々の間を抜け、重さを忘れたように離れた宙に浮かぶ。彼女はその影を追うように手を翳す。よく狙って照準を合わせると、自身から流れ出ていた魔力を手の先へと向かわせた。
『静謐なる夜、揺らめく灯。佇む月の下星影を守る。我は空を覆う霧を祓い、夜明けの希望を見守ろう』
彼女の周りに渦を巻くようにして、「夜」が流れる。淡い黒の中に星の輝きのような光の粒。
圧力が高まり臨界に達した瞬間、大きく爆ぜて迸る。一瞬にして標的に到達し、その形を打ち砕いた。
「どう?すごいでしょ。」
「凄い。凄いけど……これやってること普段と変わんなくない?古代語の詠唱で魔力を高めてはいるけど。」
「そーだよ。結局コレが一番なの。色々小細工するよりこうやって純粋に速さや威力に振ったほうがいいって私は思ってる。」
ソフィは物事を考えていないようで、実は深く考えているような人だった。よく考えを巡らせた上で、彼女の性格が普段の軽やかな言動を生んでいる。
彼女のあまりにも単純な理論にも、彼は納得した様子だった。彼の成長速度には目を見張るものがあったが、その一要因は間違いなくこの素直さであっただろう。彼は何事もよく学び、すぐに飲み込んだ。それを含めて、彼は「輝かしい」才覚の持ち主だった。
それもあってソフィは彼に修行をつけることを惜しまなかった。自分の持つ知恵を、あれもこれも、まさしく取りこぼすのは勿体ないといった様子で授けていた。彼女の性格もあって、教えるのが相当楽しかったのだろう。
しかしそればかりをしている訳ではない。一般に魔女は、普段は専ら魔法研究をして過ごしている。彼女も例に漏れず、書斎に蓄えた魔導書を一日中読み耽る事も少なくなかった。他の者と違ったのは、彼女が興味を示したのが特に「深域」関連であった、ということだ。
深域を研究する者がいなかった訳ではない。深域は多くの命を奪い、人々を悩ませてきた災害。むしろこれまでに多くの者がその恐怖に立ち向かうべく解析を行ってきた。しかしそれらは全て、実を結ぶことはなかった。数々の、中には命をかけた探求もあったが根本的な解決には至らず、対症療法的な取り組みをするに留まった。
「師匠はずっと深域の研究してるの?」
一度、彼がそう問いかけたことがあった。
「そうだね、もうかれこれ二百年ぐらいになるのかな。」
「え"、そんなに?よくそんなに続けられるな。」
「まあねえ、まだ分からない事だらけだし。それに成功すれば歴史が変わるよ。」
「そっか、師匠ならきっとできると思う。」
「任せてよ~なんたって私は天才魔女だからね~。」
「また言ってる……じゃあ俺は外で魔法の練習してくるから。」
「ん、行ってら~。」
ヒラヒラと手を振り彼の後ろ姿を見送った。
彼女は、彼が出て行った後の誰もいない廊下にふと目を向ける。
「……絶対やってみせるよ。この穏やかな日常も、大切な人たちも、もう絶対に奪わせない、」
さらに一年が経過した頃だった。十五歳を迎えた彼は大きく成長した。身長もかなり伸び、魔法の扱いも洗練されていて、まるで昔のソフィそのもののようだった。
一方ソフィはこの一年、ほとんどを研究に費やしていた。宗一君の指導をすること稀にあったが、大半の時間を書斎で過ごし、外に出る際はフィールドワークや魔導書調達に行くという目的を伴った。彼も、研究が佳境に入っていることを知っていたため、あくまで邪魔をしないように生活していた。
ある夜のことだった。
彼女は外出する旨を彼に伝え家を出た。夜から出かけるのは珍しいことではあったが、きっとまた研究に関連した事なのだろうと、彼は特段気にすることなく彼女を見送った。
そして、その夜を最後にソフィは私達の前から姿を消した。




