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第四章・第二話 呼び声(弐)

それは、呼び出しではなかった。

だが、断りとも言えない。


「ご多用のところ、少しお耳を拝借できればと」


使者の言葉は丁寧で、用件を告げない。

告げないこと自体が、用件だった。


直弼は、その場で返事をしなかった。

返事を急がせる言い方ではない。だが、返さずに済ませる空気でもない。そういう言葉の選び方だ。


「改めて、日を見て」


それだけを告げると、使者は深く頭を下げた。

礼は尽くされている。無礼はない。だが、余地もない。


埋木舎に戻ると、雪はやや強くなっていた。

庭の白は、朝よりも厚みを増している。踏み跡はない。ここでは、まだ何も変わっていない。


直弼は、いつもより長く、庭を眺めた。

視線は動かない。だが、思考は止まっていなかった。


名が出るということは、役目が定まるということだ。

役目が定まれば、立場が変わる。立場が変われば、見える景色も変わる。


そして何より――

戻れなくなる。


書机の上に、見慣れない書付が置かれていた。

差出人は曖昧だ。用件も簡潔だ。ただ、「お話を」とだけ記されている。日付は、数日先。


正式ではない。

だが、無視できる類のものでもない。


直弼は、書付を裏返した。

裏には、何も書かれていない。余白は白く、静かだ。


その余白に、言葉を置けば、記録になる。

記録になれば、立場が生まれる。


直弼は、筆を取らなかった。


夜になっても、雪はやまなかった。

音はない。ただ、白が積み重なっていく。どこまで積もれば、形が変わるのか。境目は、まだ見えない。


江戸の内では、同じ名が、別の場所でも囁かれている。

肯定でも否定でもない。確認でもない。

ただ、「そういう話がある」という形で。


それは、最も扱いやすい噂だった。

責を持たずに、広げることができる。


誰かが決めたわけではない。

だが、決められる準備だけが、整っていく。


直弼は、灯を落とした。

闇の中で、埋木舎はいつもと変わらぬ姿を保っている。だが、その静けさが、かえって異質に感じられた。


ここは、まだ静かだ。

だが、静かでいられる時間が、残り少ないことを、直弼は理解していた。


呼び声は、もう遠くない。

振り向かずとも、背後に立っている。

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