第十七章 摩耗の兆し
急遽、手術、入院することになってバタバタして、更新しそこねました。
いまは、手術も終わって、うつ伏せで、極力寝てろと言われて、できることが制限されて困ってます。
昨日の分をupします。
削れる音は、誰にも聞こえない。
名は、守られている。
不用意に使われることも減った。
配置も崩れていない。
それでも、何かが減っていく。
最初は、言葉だった。
直弼の返りは、以前より短くなった。
余白が増え、条件の幅も広がる。柔らかく、扱いやすい文だ。外にも内にも摩擦を起こさない。
だが、文の中にあった芯の硬さが、少しだけ薄くなる。
誰も指摘しない。
むしろ、「円くなった」と言われる。
円いということは、角が削れたということだ。
内の会合で、判断を問われる場面が減った。
代わりに、「この形で進めます」と報告されることが増えた。整っている。合理的だ。直弼が止める理由はない。
止めない。
止めないことが、摩耗の始まりだった。
象徴は、前に出ない。
だから、周囲が判断する。
周囲が判断すれば、象徴は確認だけをする。
確認だけを重ねるうちに、
最初に引いた線の位置が、少しずつ動く。
ほんのわずかだ。
だが、確実に。
外からの文も、変わっていく。
以前は、条件を合わせてきた。
今は、合わせる前提で書かれている。
「貴意に沿う形で」
その言葉が、増えた。
沿う、というのは従うことではない。
だが、反らす余地もない。
直弼は、その言い回しをそのまま受け取る。
訂正しない。
否定しない。
否定しないことが、
名の輪郭をさらに固定する。
夜、埋木舎に戻ると、庭は風にさらされていた。
木の枝は揺れている。折れない。だが、葉は確実に落ちている。
直弼は、自分の声を思い出した。
かつては、線を引くとき、迷いがなかった。
今は、線を引く前に、一瞬の計算が入る。
計算は、悪いことではない。
だが、計算が入るということは、
単純ではいられなくなったということだ。
象徴は、強い。
だが、強さは外から見たものだ。
内側では、
小さな選択が積み重なる。
削られるのは、体力ではない。
判断の初速だ。
直弼は、まだ立っている。
声も変わらない。
だが、初速が、ほんの少し落ちている。
それに気づく者はいない。
気づくのは、本人だけだ。
朱は、色を失ってはいない。
だが、重ね塗りされた部分が、少しだけ鈍い。
摩耗は、破綻ではない。
止めるべき事態でもない。
ただ、
続ければ、必ず訪れるものだ。
直弼は、翌日の文を整えながら、
初速を取り戻す術を考えなかった。
代わりに、
落ちた速度で持つ方法を考えていた。




