第五章・第二話 朱に至る(弐)
問いは、増えてはいなかった。
ただ、重くなっていた。
直弼の前に置かれる言葉は、相変わらず丁寧だった。
強いるものはない。迫る調子もない。だが、選択肢だけが減っていく。それが、誰の手によるものかは分からない。分からないまま、整えられていく。
「お考えがまとまりましたら」
その言葉は、結びとして使われる。
だが、考えがまとまる時点で、すでに一歩踏み出していることを、互いに承知している。
埋木舎の中で、直弼は座を替えた。
同じ部屋だが、見る角度が変わる。庭の白は、以前よりも薄い。雪解けの水が、低い場所へ流れていく。高いところに残った白は、いずれ消える。
高いところに残るものほど、
消えたときの跡が目立つ。
「お役目にあらずとも」
そう前置きされる話が、増えた。
役目でない、という言葉は、役目の外に逃げる道を塞ぐ。引き受けなかった場合、それは役目を拒んだのではなく、状況を拒んだと解釈される。
それは、直弼にとって、もっとも避けたい形だった。
直弼は、ある一文を何度も思い返していた。
誰の言葉でもない。書かれてもいない。ただ、話の中で、繰り返し浮かび上がる含意だ。
――あなたでなければ、いまは困る。
その言葉は、口にされない。
だが、別の形で何度も差し出される。
「他に、適う方が見当たらず」
「今は、関わりの少ない方が」
「角が立たぬという点で」
それらは理由ではない。
消去の過程だ。
残ったから、名がある。
選ばれたのではない。残された。
夜、直弼は書付の束をほどいた。
要点だけを拾い読みする。すべてに目を通す必要はない。すでに、何が問題で、どこが詰まっているかは見えている。
問題は、解決策ではない。
解決策は、いくつもある。
問題は、誰が引き受けるかだ。
直弼は、自分の名が書かれていない文を、一枚ずつ元に戻した。
そこに名を書き入れれば、文は完成する。だが、完成した文は、もう直せない。
書き入れなければ、文は未完のまま残る。
未完の文は、誰かが続きを書く。
どちらも、他人の手に委ねることになる。
直弼は、そこで初めて気づいた。
これは決断の物語ではない。
引き受け方の物語だ。
すべてを引き受ければ、割れる。
何も引き受けなければ、崩れる。
ならば、
引き受けるものを、選ぶしかない。
その夜、直弼は初めて、筆を取った。
書いたのは、答えではない。
「できること」
「できぬこと」
その二行だけだった。
朱は、まだ見えない。
だが、白の下で、輪郭が生まれ始めている。




