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背中に花を刻まれた影妃は王を手玉に取る最悪の女になる  作者: 春野まゆき


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第8話 傷ついた花紋

お読みいただきありがとうございます。


影妃としての役目は、

光の届かない場所でこそ試されます。


静かに、しかし確実に――

王と影妃の距離が近づいていきます。


楽しんでいただけると嬉しいです。

「まあ…お似合いです、レイシア様!」


 今にも小躍りしそうな勢いで、侍女ミラは甲斐甲斐しく主人の世話を焼く。

 髪はどうしましょう?今日は自然な感じ結い上げて、小さな花を散らしましょうか?いつもお綺麗ですが、今日はなんだか雰囲気がぜんぜん違います!陛下のお見立てでしょうか…町娘の姿に身をやつせ、とのご指示ですから、もっと粗末な装いかと思っていました。高級品ではありませんが、縫製がとても丁寧で刺繍が素敵ですよ!


 せせこましく動きながら、ミラのひとりごとは止まらない。


 ことの発端は、朝。

 影妃の離宮に、まだ朝日が射し切らぬうちに、ひとつの包みが届けられた。


「……衣装?」

 訝しむレイシアに、侍女ミラはきらきらと目を輝かせている。

「孤児院の慰問に同行せよとのご命令です。いつもの黒衣は目立ちすぎるので、せめて町娘に見えるくらいには身をやつせ、とお手紙に」

「…余計なことを」

「女性に服を贈るなんて、ロマンチックですね」

 うふふふと無邪気なミラを横目に、レイシアは苛立ちを隠せない。

(ロマンチック、どころじゃないわよ。女に服を贈る、ということが、なにを意味するかわかっているのだろうか、あのかたは)

 それとも、わかっていて意図的にやっているの?今度はなんの手計なのか?

 必要以上に近づきたくない、という思いと、王の思惑を探る疑念が、レイシアの胸に渦巻く。

「慰問にはひとりで行くわ。服は送り返して」

「受け取りましたよ」

 きっぱりと、侍女は言った。

「え?受け取ったの?」

「もちろんです!陛下じきじきのお見立ての衣装ですよ!」

「だからって」

 今日の侍女は強気だ。主の言葉を遮って、勢いよくまくしたてる。

「だって、レイシア様。王都の養護施設への慰問は宮廷の禄を食む者として責務のひとつですし、身分を知られずお忍びで町をまわるには若い夫婦を装ったほうが得策ですもの!」

 一歩も譲らない侍女に押されて、仕方なく、レイシアは王からの包みを解いた。


 淡い銀糸で縁取られた細長い箱の蓋を開けた瞬間、思わず息を呑む。 

 衣装は乱れ一つなく、まるで壊れ物を扱うような細やかさで畳まれ、薄い絹紙が幾重にも重ねられて包まれている。

 絹紙の端は、折り目も擦れもなく、指先で触れれば、その丁寧さがひと目でわかる仕立てだ。

 袖口のレースは、壊れぬようそっと持ち上げられており、

 襟元には、小さな留め具が布の重みから解き放つように添えられていた。

 雑に投げられた贈り物ではない。明確な気遣いと手間をかけて包まれた衣装だ。


 深い夜明けの紺の布地の衣装だ。

 その裾に、白い小花の刺繍が、まるで風の跡のように散っていた。

 布を持ち上げると、思いのほか軽く、柔らかかった。


 胸の奥がじわりと熱くなる感覚に、レイシアは内心で舌打ちする。

(困る)

 これは恋でも情でもない。

 利用のための衣装――王妃の盾である自分を、少しでも見栄え良く飾るためのもの。

 そう言い聞かせるが、胸の奥が不覚にもざわつく。


「それと……こちらも」

 ミラが差し出したのは、淡い蜂蜜色のスカーフだった。

 光を吸って、柔らかに輝く、蜜の色。

「レイシア様の瞳の色と揃えて選んでくださったのですね」

「…過分な贈り物だわ」

「お忍び視察の必要経費と思えばよいのですよ、レイシア様!遠慮することはありません、貢ぐだけ貢いでいただきましょう!!」

「貢ぐって…」

 さあ、髪を結いますよ、とミラはてきぱきと主の身支度を整える。

 複雑な表情で、レイシアはされるがままに侍女に任せた。


 ◇ ◇ ◇


 孤児院は王都の外縁部にあった。

 風にさらされた石造りの建物だ。

 手入れはされているが、ずいぶんと古い。

 狭い庭に、子どもたちの笑い声が満ちている。


「騎士様、こんにちは!」

「美しい奥さまですね!」

 どうやら、慰問のために王宮から派遣された騎士とその妻、という設定になっているらしい。

 子どもたちの世話をしている修道士たちの後ろから、小さな影がいくつも飛び出してくる。


「こんにちは」

 しゃがみ込み、子どもたちと目線を合わせる。

「……名前を教えてくれる?」


 怯えた瞳、好奇の色、縋るような指先。

 どれも、はるか昔、路地裏でレイシアの手を掴んだ子どもたちと、変わらない。


 影妃の表情が、柔らかくほどけた。


 ◇ ◇ ◇


 離宮に赴き、身支度を整えてそこに立つ影妃を見た瞬間、ゼクスは言葉を失った。

 深い藍青のドレスが、影妃の白い肌をやわらかく照らし、

 琥珀の瞳には、面紗が落とす淡い陰影が宿っていた。

 夜の闇に咲く毒花のようないで立ちの影妃の面影は微塵もない。

 黒髪はゆるやかに波を描き、肩へ柔らかく流れ落ちている。


「……悪くないな」

 それだけを、ようやく絞り出した。

 レイシアの睫毛が揺れる。

「金輪際、このような贈り物はお控えください。わたくしにも立場というものがございます。政治の駒として利用しようなどとはゆめゆめお考えになりませんように」

 淡々と返すくせに、視線がわずかに泳ぐ。

 その小さな揺らぎを、ゼクスは見逃さなかった。


 ◇ ◇ ◇


 レイシアは、穏やかな表情で、子どもたちを見つめる。

 痩せた子どもたちが寄ってくる。

 擦りむいた膝、赤い発疹、咳込み、涙。

 普通の貴族の娘なら、まず顔をそむけるだろう、とゼクスは思う。

 だが影妃は、迷わず膝をついた。

「痛かったでしょう? 少し見せて」

 声は驚くほどやわらかかった。

 子どもが鼻水を垂らした手で服を掴んでも、レイシアは眉ひとつ動かさない。

 彼女は病気の子どもの手を取り、傷に布を当て、乾いた唇に、そっと水を含ませる。

 咳をしている子の額に触れ、熱を確かめる。

「大丈夫。すぐ治る。怖くないわ」


 ゼクスは、少し離れた場所から影妃の様子を見入っていた。

 内々での王の慰問を知る孤児院の老女が、そっと囁く。

「影妃さまは、まるでこれが日常のようで……怖がるどころか、むしろ慣れておいでですね」

「慣れている……?」

「どの子にも迷わず手を伸ばしてくださる」


 ゼクスは胸の奥がざわつくのを感じた。

 影妃の生い立ちは調査済みだ。彼女はかつて貧民窟の孤児であり、影妃候補となるはずだった領主の娘のかわりに身代わりを願い出た。貧民窟の子どもたちの保護と生活の保障を担保に、自らの人生を投げうったのだ。影妃になるための刻印の儀式は、すさまじい痛みを伴う過酷な術だという。たったひとり、10にも満たない少女がそれを耐え抜いた。

「お母さまも…」

 ゼクスの眉がぴくりと震える。

「陛下のお母さまも、お忍びでよくここに慰問にきてくださいましたね。ゼクス様もよく一緒においでになって、子どもたちと遊んでくださいました」

「…そう、だったな」

「ご立派になられました」

 老女は過去の記憶を懐かしむように、目を細めた。

 と、その時。

 孤児のひとりが、不意に転んで泣き出した。

 レイシアはすぐに駆け寄り、抱きしめて背を撫でる。

「大丈夫よ」

 レイシアが微笑んだ。祈りを込めたような、やさしい声だ。


 ゼクスは、息を呑んだ。

(これほどまでに……)

 気づいてしまったことが、正と出るか、蛇と。出るか。

(美しい女だったか)


 孤児院の長官や修道士たちの面会、病気の子どもたちの問診が続き、院長が現状を説明する。

 配給が足りない日もあるという話を聞きながら、ゼクスは胸の奥に、ひりつくようなざわめきを覚えていた。

(……神脈は、ここでも痩せている)

 王の神脈と国土を巡る地脈は、ひとつの循環でつながっている。

 本来なら、王の魔力は正妃の花紋でならされ、神脈となって大地へと還元される。

 その恵みが、実りとなり、雨となり、人々の暮らしを支える。


 だが、正妃はいない。

 均衡点を欠いた魔力は、王の内部で偏り、神脈の歪みへとつながる。

 すると土地が痩せ、民の暮らしに影が差す。


 いまはまだ──影妃の偽紋が、王の魔力の一部を受け止め、辛うじて均衡を保っているにすぎない。

 本来、彼女が負うはずのない痛みと負担で。

(影妃が背花で受け止めているぶん、まだこの程度で済んでいる……)

 その事実が、胸に、深く、重く、突き刺さった。


 そんな折だった。

 遊び場として使われている庭の端で、古くなった木柵が、みし、と嫌な音を立てた。

 次の瞬間、小さな子どもが足を滑らせ、斜面に転げ落ちかける。


「──危ない!」


 誰より早く動いたのは、レイシアだった。

 裾を踏み切り、駆け出す。

 落ちていく小さな身体に自分の身体をぶつけるようにして抱きとめ、そのまま地面に身を投げ出した。


 鈍い音。

 石と土と、背中に走る激痛。


 肩甲骨のあたりに、鋭利な何かが食い込む。

 同時に、背に刻まれたゼフィールの偽紋が、灼けつくように脈打った。


「影妃!」

 ゼクスの叫びが、数拍遅れて響いた。


 少年はレイシアの腕の中で泣きじゃくっている。

 レイシアは、痛みに歯を食いしばりながらも、笑顔をつくった。

「大丈夫よ。怪我はない?」

「こわかった……!」

「もう大丈夫。ね?」


 彼女の背から、赤い液体がじわりと滲み出す。

 隠しきれない血の匂いに、ゼクスの神脈がざわり、と騒ぐ。


 神脈の揺らぎは地脈を介していっそう増幅し、影妃の背花に襲いかかる。

 焼けごてを押し当てられたような熱。

 骨の中から砕かれるような痛み。

 レイシアは奥歯を噛んだ。

 喉の奥から悲鳴がこみ上げるのを、なんとか飲み込む。


 その腕を、唐突に強い力が引いた。

 ゼクスだ。


「もういい。離せ」

「子どもが──」

「お前が倒れたら、余計に騒ぎになる」


 ゼクスは少年を修道士に引き渡すと、迷いなくレイシアを抱き上げた。

 軽かった。

 あまりに。


「自分で歩けます」

「黙れ。これ以上、神脈を乱すな」


 低く吐き捨てるように言う。

 王の腕の中で、レイシアは息を詰まらせた。

「王宮に戻る!影妃の手当を!」


ここまで読んでくださり、ありがとうございます。

もし少しでも続きを気にしていただたなら、

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