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背中に花を刻まれた影妃は王を手玉に取る最悪の女になる  作者: 春野まゆき


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第7話 王との食事

お読みいただきありがとうございます。


影妃としての役目は、

光の届かない場所でこそ試されます。


静かに、しかし確実に――

“影”が動き始める第7話。


楽しんでいただけると嬉しいです。

  その日、影妃の離宮には、珍しく朝から人の出入りがあった。

 侍女や下働きの者たちが、落ち着かない足取りで行き来している。


「……本当に、来るのね」

 窓辺に立つレイシアは、薄い帳越しに外を眺めながらぽつりとつぶやく。


 影妃のもとへ、王自らが「食事に行く」と言い出したのだ。

 名目は、影妃との同席による「魔力の調整、神脈の安定」。

 王の身体を巡る魔力は、神脈と呼ばれる見えない命脈を通り、国土へと注ぎ込まれている。

  森林の呼吸、大地の実り、雨雲の流れ──あらゆる恵みは王の魔力から循環する。

 本来、その魔力の戻り先は正妃の花紋だ。王統の血筋には、生まれながらにして背にゼフィールの花紋を持つ皇女がごく少数存在する。その娘たちの中から最も強力な花紋の持ち主が正妃の最有力候補になるのである。正妃を通じ、魔力は王へと還流し、均衡が保たれる。


 しかし、いまその循環点は存在しない。

  王の魔力は行き場をなくし、ゼクス自身の中で偏り、戦の力へと変貌し、周囲へと洩れ出す危険がある。

 だからこそ、影妃の偽紋が必要とされるのである。

   仮初の器。魔力を受け止めるための、消耗品。

(……与えられた役目を果たすだけよ)

 そう言い聞かせるが、レイシアは誰かと食卓を囲むことが得意ではない。

  「食べる」という行為は、癖も、好みも、品格も、すべてを露わにする。

  どこを見るか、どこを見ないか。

  匙を持つ指先、噛みしめる歯の動き、音の立て方──

 他者と向かい合うほど、弱さが透ける。

(…なんて面倒な方なの)

 ふう、とあきらめたように、レイシアは息をついた。


 ◇ ◇ ◇

 王ゼクスが影妃の離宮を訪れたのは、初めてである。

 扉が開き、ゼクスが足を踏み入れた瞬間、思わず言葉を失った。

 質素だった。

 拍子抜けするほどに。


 磨かれてはいるが飾り気のない床。

 壁には織物も絵画もほとんどなく、窓辺に小さな鉢植えがひとつ。

 必要最低限の家具と、読み込まれた古い書物の山だけが、この部屋の主の痕跡を示している。

 祝宴で見せた華やかで派手派手しいいでだちの影妃からは、想像もできないような慎ましさだ。

「……ずいぶん質素な住まいだな」

 ゼクスの言葉を、レイシアは肩をすくめて受け流した。

「過分な飾り立ては、時と場合によるのです。

 生贄の檻を、どれほど金で塗り固めようと、中身は変わりませんから」

 笑みは皮肉に濡れている。

 しかしゼクスの視線は、むしろ机の脇に積み上げられた本の山のほうに留まっていた。


「……本が好きなのか」

「ええ。食べるより、読むほうが得意ですもの」

 にゃあ、と下から声がした。

 ゼクスがぎろりと、足元の赤毛の仔猫を見据える。

「ミクシィ…どこにいっていたの」

 レイシアは仔猫を抱き上げて、思わずにこにこと話しかける。


「おまえの猫か」

 まったく情報をよこさない気まぐれな密偵を、値踏みするように眺めながら、心なしが冷ややかな口調でゼクスが問う。

「いいえ。そういうわけでは。いつもいつの間にかあらわれて、知らぬ間に消えているのです」

「ミクシィとは?」

「この子の名前です」

 ほお?とゼクスは仔猫の翡翠色の瞳と視線を合わせた。

 仔猫は、なんともわざとらしくびくりと肢体を震わせ、レイシアの胸に顔を埋める。

「威圧するのはやめてください。怖がっています」

「威圧などしていない」


 やがて、簡素だが丁寧に整えられた食卓が運ばれてきた。

 パンとスープ、少しの肉と野菜、それに色とりどりの果物。

 王のための席と、影妃のための席が、長机の同じ側に並べられている。


「向かい合うと、緊張なさると伺いましたので」

 情報通の軍師オルフェンの気の利いた手配だと、ゼクスはすぐに察した。


 席に着く。

 静けさが落ちた。

 スープの表面に、小さな波紋が広がる音までも聞こえそうなほどの沈黙。


 ゼクスは、視線で横の女を盗み見る。

 なんて静かに食べる女なのだろう、と思った。

 パンをちぎる手つきも、スープを口に運ぶ動作も、まるで儀式のように微塵の隙もない。

 無駄な身じろぎひとつせず、影妃はただ淡々と、必要なぶんだけを口に入れていく。


(……死人と食事をしている気分だな)


 戦場での食事は、もっと騒がしい。

 酒と笑い声と、下品な冗談と、明日をも知れぬ身の者たちの、やけくそじみた明るさ。

 その喧噪に、救われることが多々あった。

(この女は、ずっとこんな静けさの底で、ひとりきりで食事をしてきたのだろうか)


「まるで葬送の膳だな」

 思わず漏らしたゼクスの言葉に、レイシアの手が止まった。

「言いたいことがあるなら、はっきり言えばよろしいのに」

「いや…」

 肉にほとんど手を付けていない。

 パンも半分ほど残っている。


「……それで足りるのか」

 ゼクスに問われたが、レイシアは無表情のままだ。

「もともと食が細いたちなのです。もう十分いただきました。何度もお食事に招待してくださる王のご厚意も受け取りました。感謝しております」

 感謝など、心にも思っていない、という体の、淡々とした口調で謝意を述べ、レイシアははっきりと告げた。

「暇つぶしはもう十分でしょう。王もお忙しいはず。わたしもあれこれを諸用を抱えております。どうか政務にお戻りください」


 しばし逡巡し、ゼクスは果物へ手を伸ばした。

 赤い小さな実をいくつか選び、ナイフで手際よく皮を剥ぎ、種を取り除く。

 その手つきには、妙に慣れたところがあった。新鮮なハーブを数種類小さな皿にとりわけ、赤い果実をよそって、そのまま、皿をレイシアの前へと滑らせた。


「……果物なら、食べられるだろう」

レイシアは思わず目を見張る。

「昔、戦場で拾った仔猫に、よくこうして取り分けてやった。肉ばかり齧る仔猫でな。甘いものも摂らないと偏る」

 何気ない口調だった。

 レイシアのまつ毛が、かすかに震える。

「……私は、拾った猫ではありません」

「わかっている」

 即座に返され、レイシアは一瞬、言葉を失った。

 王は真顔だった。

「いいから食べろ」

「わたしはもう十分だと…」

「命令だ、と言わせたいのか?」

 怒気を孕んだ王の声に、レイシアはあきらめたように、そっと一粒の果実をつまみ、口に含む。

 やわらかな甘みと少しの酸味が、舌にひろがる、


「…おいしい」

 思わず、こぼれた言葉だった。


 ゼクスは、それ以上なにも言わなかった。

 ただ、影妃の横顔から目が離せなかった。

 影妃の仮面ではない。

 無防備で儚げな、どこかおぼつかない少女の横顔だった。


ここまで読んでくださり、ありがとうございます。


ゼクスと影妃の距離はまだ遠いまま。

それでも、確実に何かが動き出しています。


もし少しでも続きを気にしていただたなら、

ブックマークしていただけると励みになります。

よろしくお願いいたします。

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