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背中に花を刻まれた影妃は王を手玉に取る最悪の女になる  作者: 春野まゆき


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第6話 距離

お読みいただきありがとうございます。


影妃としての役目は、

光の届かない場所でこそ試されます。


静かに、しかし確実に――

“影”が動き始める第6話。


楽しんでいただけると嬉しいです。

 王宮の中庭に面した小広間には、二人分の食器が整然と並んでいた。

 金糸で縁取られた白磁の皿。銀の燭台に灯る小さな炎。

 本来ならば、国を統べる王と、その側に寄り添う影妃が並んで座る――

 はずだった。


「……申し訳ありません、とお伝えくださいとの言伝を預かっております。影妃様は、本日は体調が思わしくないそうです」

 侍女ミラが深く頭を下げて告げると、従者は渋々と踵を返した。


(誰かと共に食卓を囲むなんて、どうすればいいのかわからないのよ)


 去っていく従者の後ろ姿を階下に見つめつつ、レイシアは自室の窓辺で、そっと胸に手を置いた。

 誰かと食事をするのは、苦手だ。

 人と向かい合うと、味がしなくなる。

 影妃として擁立されて以来、元老院で育てられたレイシアは、妃の身に着けるべき教養や立ち居振る舞いを徹底的に叩き込まれてはいたが、幼い頃、貧民窟で、いつ奪われるかわからないわずかな食べ物を身体の影に隠して急いで口に運んできた記憶が、その恐怖が、今も抜けない。“影妃”として飾られた食卓は、どうしても息苦しかったし、もともと食が細いレイシアにとっては負担以外のなにものでもなかった。


 翌日、影妃の離宮に、王城の紋章を押された文書が届けられた。

「……夕餉の席、ですって?」

 ミラが読み上げる書面を、レイシアは片肘をついて聞いていた。

「はい。陛下より、ご一緒にお食事をとの、正式なご招待です。いかがなさいます?」

 レイシアは、ふう、と小さく息を吐いた。侍女ミラはどことなく嬉しそうだ。

「お断りしておいて」

「で、ですが……王自らのご招待を?」

「側近のだれかがさかしらに考えただけでしょう。ノーリス伯と元老院の癒着を暴いた褒章に食事の誘いだなんて、よく考えたものね。何か適当に理由をつけて断ればいいわ」

 レイシアは笑ってみせたが、その笑みはどこか引きつっている。

 もともと、誰かと向かい合って食事をすること自体が苦手だった。

 貧民窟の長椅子。

 一枚の固いパンを、何人で分けるか。

 隣の視線は、いつも監視か、羨望か、嫉妬だった。

 自分の皿に乗ったものは、本当に自分のものなのか。

 奪われるのではないか。

 誰かの分を奪っているのではないのか。

 そんな場所で育った。

 だから、王の私室の豪奢な食卓など、なおさら。

 まして、本来、下層身分の自分が、王と同じ席で食事などできるはずがない。そんな資格があるはずもない。望んでもいない。

 …にもかかわらず先日から再三の食事の招待は、いったいなんのつもりなのか?

 レイシアは訝しむ。

 王が本気で自分に好意を寄せている?

  そんなはずはない。

  影妃という立場を利用するために近づいてきているだけだ――

  そう確信している。

 影妃は形式上、元老院側の存在と見なされている。

  その影妃が王と親しくしていると噂になれば、元老院は影妃の裏切りと受けとるだろう。

(どちらの陣営にも属さない中立の立場だからこそ、私には生きる道が残されている)

 細い指がテーブルを軽く叩く。

 くだらない誤解をされるのは、まっぴらだった。


「陛下には、『影妃は魔力調整の疲労が抜けておらず、食欲も戻っておりません』とでも伝えてちょうだい」

「……承知いたしました」

 残念そうな顔をして、ミラは頭を下げた。


 ◇ ◇ ◇


 王の私室。

 燭台に揺れる炎が、磨き上げられた長机を照らしている。

 空席のひとつを挟んで、ゼクスは黙ってワインの杯を指で弄んでいた。

「……また、断られましたか」

 後方に控えるオルフェンが、くつくつと笑いをこらえながら言う。

 銀縁眼鏡の奥で、薄い灰色の瞳が静かに王を観察していた。

「魔力調整の疲労、だそうだ」

 ゼクスは不機嫌な声音で答える。

「あしらわれていますね、陛下」

 オルフェンは底意地の悪い笑みを浮かべている。

 後ろに控えている近侍のツヴァイは、とぼけたように追撃する。

「誘うのは1度だけとおっしゃっていたような?」

「1度だけ食事をともにしてみる、と言ったんだ」

 オルフェンはついにぷっと吹き出した。

「笑うな」

「申し訳ありません…まあ、しかし、『王の誘いを平然と断る女がいる』――ただそれだけでも、宮廷に風評が立つには十分です。元老院への揺さぶりになります」

 オルフェンは肩をすくめる。

「生涯で初めてでしょう、陛下。あなたの誘いを、ここまで淡々と退ける女性がいるとは」

 ゼクスは小さく舌打ちを飲み込んだ。

 図星である。

 女たちは、命令を出すまでもなく寄って来た。

 戦勝祝いの夜、差し出される酒と同じように。

 自ら進んで、王の寵愛を願い出た。

 かつて、酒と女に溺れた時期がある。

 母の死の真相を知った十代の終わり頃。

 自暴自棄になり、戦場と宮廷の境界がわからないほどに心身が荒んだ。

 王と呼ばれること自体が、悪質な冗談のように思えた。

 だが、それも遠い昔だ。

 今はただ、魔力と剣で国を守ることだけを自らに課している。

 そんな自分が――

(何を苛立っている)


 ふいに、扉を叩く音がした。

 側仕えの侍従が、文書を捧げ持って現れた。

「陛下。影妃様より、宝飾品の件で返書が」

「宝飾?」

 ゼクスの眉がわずかに動く。

 ノーリス伯爵家の爵位剥奪に伴い、王として、不正を暴いた影妃に褒賞を贈る段取りが整えられていた。

 宝物庫から選ばれた宝飾品の数々。王が名義に署名した箱が、影妃の離宮へと運ばれた――はずだった。

「……それが、すべて送り返されております」

「すべて、だと?」

 侍従は静かに頷き、返書を広げた。

『影妃の行いは、もとより務めに過ぎません。

 その履行に対し、褒賞を頂戴する理由はございません。

 宝飾品は、その本来あるべき場所へお戻しください。』

 簡潔にして端的、非の打ちどころのない文面だった。

 オルフェンが、興味深そうに口角を上げる。

「ずいぶんと……そっけない」

「贈り物をしろといったのはお前だぞ」

「さて。これは、『どちらにも属さない』という意思表示でしょうか」

「どちらにも?」

「元老院にも、王にも。

 影妃は影妃として、ただ“王の魔力の器である”という一点にとどまりたいのでしょう」

 オルフェンは扇を開き、軽く揺らした。

「元老院側から見れば、影妃が王の宝飾品を受け取れば、それだけで“王側の人間”と見なされます。……影妃にとって、育ての親は元老院。その猜疑にさらされる愚は犯したくない、と考えても不思議ではありません」

 ゼクスは黙り込んだ。

 返却された宝飾箱が、妙に重たく思える。

「影妃は、欲がないのか」

 思わず、そんな言葉が漏れる。

「いいえ」

 オルフェンは即座に否定した。

「欲はあるでしょう。ただ、それを『宝飾品』というかたちでは受け取らないだけです」

「では、何なら受け取る」

「陛下」

 面白がるように、諫めるように、軍師は言葉を続けた。

「それをあなた様が懸命に考えることこそ、影妃が望んでおられることなのでは?」

 王の眉が、わずかに動いた。


 ◇ ◇ ◇


 元老院議場。

 王宮の一角にある円形の部屋に、

 法衣をまとった老たちがずらりと並んでいた。

「影妃が、勝手な真似を」

 最も年長と思しき大老が、杖で床を打つ。

「ノーリス伯爵家の爵位剥奪は、やりすぎだ。あそこは我らと古くからの付き合いがある」

「影妃輩出貴族としての義務を怠ったのだ。当然の処罰では?」

 神殿の長官が口を挟むと、すかさず別の老人が睨みつけた。

「黙れ。影妃輩出の家名とはいえ、地方の治安維持に努めてきた功績もある。

 それを一介の影妃の感傷で覆されてはたまらぬ」

 円卓の一角に控えているのは、銀髪の刻印師ノアである。

 長い睫毛の影に隠れた紫紺の瞳が、静かに状況を観察している。

(感傷、か)

 心の中でだけ、ノアは小さく笑った。

 レイシアの断罪は、決して感傷などではない。

 怒りと、責務と、自らの選んだ道へのけじめだ。

「影妃は、本来、感情も判断もいらぬ存在だ」

 大老は吐き捨てるように言った。

「王の余剰魔力を受け止め、呪詛と害意を背負い、静かに朽ちてゆけばそれでよい。

 余計な口を出して、貴族の采配に干渉するなど、もってのほかだ」

「……とはいえ」

 ノアは、静かに口を開いた。

「影妃殿下の裁定は、形式上も手続き上も、すべて“影妃の権限”の範囲内に収まっております。ノーリス伯の罪状もまた、虚偽ではない」

 幾つかの視線が、ノアに向いた。

「ノアよ。お前は影妃の刻印師として、あの女を庇うつもりか」

 大老の声音には、わずかな牽制が滲む。

 ノアは軽く首を振った。

「庇うつもりはありません。私はただ、事実を述べているだけです」

(庇いたいのは、やまやまだが)

 その本音は飲み込む。

「問題は、影妃が“ノーリスの断罪そのことではありません」

 ノアは続けた。

「ノーリスが“元老院と癒着していた”ことを、

 影妃が知らないはずがない、という点です。知っていて、あえて、処罰を。」

 議場の空気が、ぴんと張り詰めた。

「……つまりどういうことだ」

 ひとりの老人が低く問う。

「影妃殿下は、ご自身が“どこにも属さない”という立場を、明確に示されたのだと思います」

 ノアは視線を上げた。

「王にも、元老院にも。

 どちらの庇護も、あくまで“利用”に留める――そういう意思表示です」

「生意気な女だな」

 誰かが舌打ちを漏らす。

「それだけではない」

 別の老人が杖を鳴らした。

「最近、王が影妃に近づいているという噂もある。宝飾品の下賜など、その最たるものだ」

「……あれはすべて返却したと聞き及んでいますが」

 ノアが静かに言うと、大老が鼻を鳴らした。

「返したから良し、ではない。

 “王と影妃のあいだに、そうした贈り物が行き交った”という事実そのものが問題なのだ」

 ノアは目を伏せた。

(……王。あなたもまた、火種に薪をくべていることに気づいていない)

「影妃の動向は、これ以上放置しておけぬ」

 大老が結論を告げる。

「ノア」

 名を呼ばれ、ノアは姿勢を正した。

「お前は刻印師として、影妃の背紋を管理する立場にある。

 今後、影妃の動向をこれまで以上に詳しく報告せよ。

 王が影妃を利用しようとしているのか、

 それとも影妃が王を利用しようとしているのか――」

 深い紫の瞳が、わずかに揺れた。

(どちらでもいい。レイシアが壊れていくなら、止めなければならない)

 ノアは深く頭を垂れた。

「承知いたしました」

 ◇ ◇ ◇

 影妃の離宮。

 ミラが下がったあと、レイシアはひとり、返却した宝飾品の目録を眺めていた。

(……王の贈り物、ね)

 豪奢な宝飾品の数々は、確かに美しかった。

 (これを身につければ、わたしは“王の女”になる)

 ただの影妃ではなく。ただの魔力の器でもなく。

 王の手が触れたものを、肌にのせるという行為そのものが、

 自分の心のどこかを決定的に変えてしまいそうだった。

「……いらないわ」

 小さく呟く。

(元老院に睨まれるのも厄介だし。なにより――)

 背花が、ちくりと疼いた。

(これ以上、なにかを望んだら。罰が当たりそう)

 貧民窟で命を落とした子どもたちが、ふと脳裏をよぎる。

 彼らの上に積み上がった金貨の上で、自分だけが宝飾をまとって笑う姿を想像して、

 吐き気がした。

 (近づかないで)

 遠い昔の、王になるずっと前の、やさしい少年の、瞳。

 青灰色の。


(……距離なんて、いくらでも保てるはずなのに)

 胸の奥が、締めつけられた。

 その距離が、ほんの少しだけ、近づいてしまった気がした。

 レイシアは、ひとり目を閉じた。


ここまで読んでくださり、ありがとうございます。


ゼクスと影妃の距離はまだ遠いまま。

それでも、確実に何かが動き出しています。


もし少しでも続きを気にしていただたなら、

ブックマークしていただけると励みになります。

よろしくお願いいたします。

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