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背中に花を刻まれた影妃は王を手玉に取る最悪の女になる  作者: 春野まゆき


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第54話 港祭り

 港は、ひどく静かだった。

 昼間の喧騒が嘘のように、潮の音だけがゆるやかに満ちている。

 その静寂の中で、いくつもの小さな灯が、ひとつ、またひとつと生まれていた。

 紙でできた小舟。

 薄絹を張った灯籠。

 まだ火の入っていないそれらが、桟橋の上にずらりと並んでいる。


「リリィお嬢様、それはまだ運びませんよ」

 ミラが苦笑した。

「だって、きれいなんだもの!早く流したい」

 少女は、両手いっぱいに灯籠を抱えたまま振り返る。

 薄桃色の紙に、幼い手で描かれた波の模様が揺れていた。

「海に流すのは、あとですよ」

 ミラが苦笑した。

「式が終わってから、灯りを入れて、海へ返しましょう」

「知ってるもーん」

 知っているのに、今すぐ海へ浮かべてみたくてたまらないらしい。

 つま先で波打ち際を踏みしめ、灯籠を掲げては、月明かりに透かして眺めている。

「ねえ、明日は、いちばんきれいな灯籠を流していい?」

「もちろんです」

 ミラが頷く。

「海に返しましょう。ありがとう、って」

 少女は、しばらく考えるように灯籠を見つめていたが、やがて小さく呟いた。

「……じゃあ、父様と母様のぶんも、流す」


 風が、吹いた。

 少し離れた場所で、ゼクスは、楽しそうに灯篭を運ぶ娘の姿を眺めている。

「……ほんとうに、王都は、いいのですか」

 レイシアが、灯籠の紐を結びながら言った。

 ゼクスは、少しだけ肩をすくめる。

「来月、譲位の発布がある」

「女皇として、クリシュナが立つ。独裁権は持たせない形でな」

 レイシアの指先が、わずかに止まる。

「ノアが執政につく。評議会をまとめる役だ」

「軍は?」

「ツヴァイに預けた」

 短く答える。

「神殿は解体して、星宿庁に統合した。ラスエルが祭祀長だ」

 沈黙が落ちた。

「……もう、本当に」

 レイシアが、小さく息を吐く。

「戻らないのですね」

「言っただろう。おれが欲しいのはお前の男、お前の夫、リリィとこれから生まれてくる子の父親、その肩書だけだと」


 灯の入っていない灯籠たちが、かさり、と微かに触れ合う。

 明日、この海は、光で満ちる。


 ◇ ◇ ◇


 酒場の奥は、昼の喧騒が嘘のように静かだった。


 港に面した窓が半分だけ開け放たれている。

 潮の匂いと、灯籠に使う香草の甘い香りが、ゆるやかに流れ込んでいた。


 カインは、磨き上げたグラスを灯りにかざす。

 薄い曲面に、月光がすべる。


 そこへ、淡く金色を帯びた液体を注いだ。


 潮香酒――『リリィ・ココ』。


 祝いの夜のために、特別に仕込んだ一本だ。

 テーブルの向こう側で、オルフェンがそれを受け取る。

 長い指で、グラスの脚をつまみ上げた。

 揺れる液体の中に、港の灯が、かすかに映り込む。

 口に含むと、甘みの奥に、潮風のような塩味が残った。

 やわらかな熱が、喉を滑り落ちる。


「……再生を祝う祭り、か」


 低く呟き、オルフェンは、ゆっくりとグラスを傾けた。

 外では、誰かが太鼓の皮を張り直している。

 乾いた音が、夜気に混ざる。

 カインは、何も言わずにその様子を見ていた。

 遠く、港の中央に停泊した三本マストの船が、月光の中で静かに息をしている。


 婚礼の夜が、来る。


「――今年は、特別ですから」

 カインが、静かに言った。

「港の再生。そして……」

 その視線が、遠く沖合へと向けられる。

 帆を下ろしたまま、月光の中に沈む一隻の船。

 静かに港の奥へ身を寄せるその姿は、まるで夜を待つ獣のようだった。

「婚礼の、前祝いでもありますしね」

 オルフェンが、わずかに口元をゆるめる。

「では――乾杯を」

 グラスが、かすかに触れ合った。

 それぞれの想いを、胸の内に秘めたまま。


 ◇ ◇ ◇


 三本マストの商船の甲板は、まだ半分、ただの船だった。


 潮に晒された木板の匂い。

 縄と滑車の軋む音。

 積み荷の名残りの刻印が残る、粗い床。


 そこへ、布が運び込まれてくる。


 白い薄絹。

 波を思わせる淡青の織物。

 珊瑚色に染めた帯布。


「そっちは違う!」


 甲板の中央で、リリィが腕を組んだ。

 船員が、困ったように布を持ち上げたまま立ち尽くす。


  リリィが、むっとした顔で言った。

「白いのは、まんなか!」

「え?」

  「まんなかにして。そっちだと、きれいじゃないの」

  船員が顔を見合わせる。

「……どっちがいいんだ?」

  リリィは、少し考えてから、

  「……えっと」

 指を折りながら、一生懸命なにかを数える。

  「いっこ、にこ、さんこ……」

 そして、ぴたり、と止まった。

「ここ!」

 布の端を引っ張る。

  「ここにすると、風がきもちいいの」

「……風?」

「うん。ゆらゆらしないの」


「もっと、きちんと説明しなければ伝わりませんよ」


 オルフェンが、布の張り方を見ながら口を開いた。

「灯籠の配置は、風の流路を読むがある。桟橋の中央に白布を置くことで、両側の水路から吹き込む潮風の圧が均等に分散される」

 船員たちが、ぽかんとした顔で見返す。

「今は、南東からの微風がある。そうすると布の片側にだけ揚力がかかり、振動が増幅される。結果、灯籠の揺れ幅が大きくなる」

 オルフェンは、リリィが引いた位置を指した。

「ここに配置すれば、風圧は左右に逃げ、張力は均衡を保つ。振動周期も短くなり、視覚的な揺らぎが減少する」

 一拍おいて、

「――つまり、〈ゆらゆらしない〉ということだ」

 リリィが、ふん、と胸を張った。


 遠目にその様子を見ながら、レイシアが、小さく笑った。

「あなた譲りですね……風と光を読んでる」

「お前に似たんだろう?おれは、あそこまで勘はよくない」

 ふたりは、自然に寄り添いながら、灯籠を飾り付けていく。

 レイシアが手を伸ばそうとした紐を、言葉もなくゼクスが先に取った。

 結び目を作る位置を、彼女がわずかに指で示す。

 彼は頷き、何も言わずに結び直す。


 オルフェンの瞳が、ふたりの後ろ姿を、少しだけ追う。

「だいじょうぶよ」

 唐突に、少女が言った。自信ありげに、にっこりと笑う。

 なにやら、嫌な予感がする。

「なんです?」

「あと十年、ひとりでいて」

「……は?」

「それまで、カインに取られないでね」

「はい?」

「そしたら」

 リリィは、胸を張った。

「あたしが、およめさんになってあげるから」

 沈黙。

 オルフェンは、がっくりと肩を落として、深いため息をつく。

「そのセリフは、お父上に言ってさしあげなさい。きっと狂喜乱舞するでしょう。わたしは、少女趣味の犯罪者になる気はありません」

 オルフェンは、てんで相手にしない。少女の本気は、全く伝わらない。

「あたしはね」

 指をびしっと立てる。

「あの父様と、あの母様の娘なのよ」

「だから?」

「ぜったい、すっごい美人になるわ」

 げんなりした声で、オルフェンは応える。

「はいはい、そうでしょうとも。あのご両親のお子さまだからこそ、将来どれほど手のつけられない面倒な女性になるかも目に見えるようですよ」

「えー!」

 軍師と少女のやりとりを横目に見ていたミラが、ため息をついた。

「オルフェン様は、変わった方々に気に入られますよねぇ」

 心底気の毒そうな顔で。

「美貌の暗殺者とか、五歳の天才児とか。……前途多難ですねぇ……」



 白布が張られていく。


 帆柱から帆柱へ。

 欄干から欄干へ。

 風を受けて、ゆるやかにふくらむそれは、帆ではなく、まるで天蓋のようだった。

 その下に、香草を編み込んだ灯籠が吊るされていく。

 乾いたラベンダー。

 潮香草。

 若い珊瑚の枝を模した白い飾り。

 甲板の奥には、低い台が据えられていた。

 天地に誓うための、簡素な壇。

 その周囲に、淡い金糸で縁取られた布が、幾重にも重ねられていく。

 月光を受けて、静かに揺れた。

 ただの商船が、ゆっくりと――婚礼のための祭壇へと姿を変えていく。


 ◇ ◇ ◇

 港の灯が、ひとつ、またひとつと点り始める。

 やがて、それは線となり、線は帯となって、夜の水際を縁取っていった。

 商館の軒先には、色とりどりの布が張られ、香草を編み込んだ灯籠が、潮風に揺れている。

 子どもたちが走る。

 笑い声が跳ねる。

 屋台の鉄板の上で、貝が弾けた。

 香ばしい匂いと、甘い果実酒の香りが、

 再生した潮の匂いと混ざり合っていく。

 港まつりだ。

 禁海の封印が解かれてから、三度目の夏の夜。

 かつて“呪われた港”と呼ばれていたこの場所に、いまは人が集まり、歌い、灯を掲げている。船乗りたちが、甲板の上で笑いながら酒樽を転がし、商人たちは帳簿を放り出して杯を掲げていた。


「今夜だぞ!」

「本当にやるのか?」

「船の上でだってよ!」

 囁きが、波のように広がる。

 やがてそれは、期待へと変わった。

 港の中央――潮待ちの船が並ぶ水路に、ひときわ大きな三本マストの商船が停泊している。


 その甲板に、白い布が張られていた。

 風を受けて、ゆるやかに膨らむ。

 まるで――帆ではなく、婚礼のための、祝福の帳のように。


 港の灯が、すべて点り終えた。

 水路の両脇に並ぶ灯籠が、静かな波に合わせて揺れている。

 白布が、夜風をはらんだ。

「……できた」

 リリィが、小さく頷く。

 太鼓の前に立つ。

 大人用の撥は重い。

 両手で、ぎゅっと握る。

 少女の瞳は、月光を受けて、蜜のように輝いていた。

「いまが、いちばんきれい」

 誇らしげに言う。

「うみが、ぴかぴかしてる」

 そして――どん。

 小さな腕が、太鼓を打ち鳴らした。

 港に、低い音が響き渡る。

 どん、どん。

 灯籠の光が、水面に揺れる。

 どん。

 低い振動が、桟橋を伝って足裏に響く。

 それに応えるように、別の場所で笛が鳴る。

 ――船の上で、白布が翻った。


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