第53話 そして三年後
「何しにきたのよ、赤髪男!」
商館の前で、仁王立ちの少女が金切声を上げる。
声が、高い。
妻と同じ音域の声だ。。蜜色の、大きな瞳。まつげの角度まで似ている。
娘は、今年で、五歳になる。
どうやら最近はピンクがお気に入りらしい。
くるくるとはねるピンクゴールドの巻き毛に、小さなピンクのリボンをいくつもからませている。
頬をふくらませてプンプン怒っている少女を、愛しげにゼクスは見つめる。
「……お姫さま」
「ばかにしないで、リリィ・ココよ!ちゃんと呼びなさいよ!」
「リリィ・ココ」
「なによ!」
「……いいかげん、レイシアに会わせてくれ」
「約束の日より3日遅れたでしょ!」
「……だからそれは、薬草を仕入れるために予定外の港に立ち寄ったからで……」
「薬草だけもらうわ。よこして」
仕方なさそうに、どさ、と袋を渡す。
「だいたい、こういうときは、薬草よりおっきな花束を持ってくるべきでしょ」
「花が良かったか?匂いが強いかと思ってな。……つわりがきついと、オルフェンが知らせてきただろう。妊婦に安全なものを選んできたつもりだが」
「高山地帯に咲いてる花は匂いがないのよ、でもすごくかわいくて、母様はその花が大好きなの!」
「分かった。肝に銘じておく。次に来るときには摘んでくる」
「次っていつの話してんの!年に数回しか会いにこないくせに」
ゼクスは、一瞬だけ言葉に詰まった。
王としてなら、それは必要な時間だった。
だが――父親としては、ただの空白だ。
「もう、新しい父様みつけちゃうからね!」
「いや、それは勘弁してくれ……」
「なんでもかんでも、オルとミラにまかせりゃいいってもんじゃないんだから!」
「リリィ……」
「あたしはだれの子?赤髪男!」
「おれの子だ」
神妙な顔で、ゼクスは言う。
「それにしては、チチオヤの責任ってやつが分かってないんじゃないの!母様のおなかには、あたしの弟か妹がいるんだからね!」
「……これからは、ずっと、一緒にいる」
ぼそり、とつぶやいたゼクスを、少女は一蹴する。
「けっこうですー、そういう口だけのやつは!どうせ忙しいんでしょ、すぐ王都に戻るんでしょ!」
かなわないな、お前には。
ゼクスは笑う。
「土産だ」
袋いっぱいの、甘い菓子を差し出す。
海の向こうの、異国の菓子。色とりどりで、小さな宝石のようだ。
「その程度のご機嫌取りじゃ、母様には取り次いであげませんよーだ」
あっかんべー。
「頼む、リリィ……」
万策尽きた、という表情で、ゼクスはうなだれる。
「機嫌を直してくれ」
そしてレイシアにも会わせてくれ。
「オイオイ、こいつすげーな、弁が立ちすぎだろ」
遠巻きに様子を見ていたジンが肩をすくめる。いつの間にか、背が伸びていた。
リリィがぱあっと笑顔になる。遊び相手としてこいつは使えるやつだ、と認識したときの少女の変わり身は早い。
「ジンジン!」
「なんだその呼び方は。勝手に反復すんな。おまえはおれのトモダチか何かかっつーの」
「また背中のせてくれる?」
「この間は特別だって言ったろ。おまえがあんまり泣くから」
「ジン、相手をたのむ」
神の助けだ。
「はあ?またかよー」
親バカもたいがいにしとけよな、まったく!
リリィはぱっと笑顔になり、迷わず彼の背へ飛びついた。
月明かりの下で、ジンの影が、ゆっくりと伸びる。
その輪郭が、人のそれではなくなっていた。
◇ ◇ ◇
「また、そんなところから」
窓から入ってきたゼクスに、レイシアはくすりと笑う。
窓の外には、再生しはじめた珊瑚礁を照らす灯が、海面に揺れていた。
「正面からいらっしゃればよろしいのに」
「あなたを阻むことができる人間なんて、いませんよ」
いや、いるだろう。ひとりだけ。
「正攻法でいっても、リリィには通じないからな」
「今日は何を貢がされたんですか」
「菓子と飴。山ほど」
くすくすと、レイシアは笑う。
「つわりは?」
「もうすぐ落ち着きますから」
一拍。
「……落ち着いたら」
ゼクスは言った。
「結婚式を挙げよう」
レイシアの目が丸くなる。
「ええ?」
「名乗って、手順を踏んで」
彼女の手を取る。
「正式に、お前を娶りたい」
そして――
「王位を、返してきた」
レイシアの瞳が揺れた。
「……」
「評議会に、預けてきた」
「……あなたは」
彼女は、静かに息を吐く。
「何もかもを捨てて、戻ってきてくださったのですね」
「おれが欲しいのは」
ゼクスは静かに答えた。
「お前の男、という肩書きだけだ」
風が、窓を抜ける。
潮の匂いが、やわらかく揺れた。
「式なんて。わたしは、こだわりは全然ありませんよ。子どももいますし、無理に挙げなくても」
「おれはこだわりたい」
レイシアは、小さく瞬いた。
「でも、わたしは最初から、あなたの妻でしたよ。影妃となったのは、十二の頃ですもの」
ふふ、と懐かしそうに笑う。
「……あれは、契約だ」
ゼクスはゆっくりと言った。
「誓いじゃない」
その言葉に、レイシアの呼吸が止まる。
「花嫁としてお前が着飾っている姿を見ていないし、祝福の中を並んで歩いていないし、ともに天地に礼拝して誓ってない」
「まあ、それは……そうですけど」
「なにひとつ手抜かりなく、完璧に手順をふんで、お前を娶りたいんだ。……オルフェンにも前に言われたしな。正式に名乗り、手順を踏み、きちん商主を娶れと」
レイシアは、くすりと笑った。
「わたしは、もう十分すぎるほど満たされていて、とても幸せなんですが」
「ならば、もっと満たしてやる」
それに、とゼクスは付け加える。
「お前のドレス姿を見たら、リリィが喜ぶぞ」
観念したように、レイシアは笑った。
「……ずるいですね」
「式を挙げたら」
彼は続ける。
「海洋商団を率いて旅をしよう。世界中を巡る」
「リリィも喜びますね」
「ああ」
ゼクスは、笑った。
「おれは鮫人族だ。望みは――海に還ることだ」
◇ ◇ ◇
潮は、静かだった。
三年前、毒に濁っていた海は、いまや月光をやわらかく返している。
浅瀬には、幼い珊瑚の芽がいくつも息づいていた。
「港の偵察ですか?」
背後から、カインが声をかける。
「……いや」
オルフェンは、海を見たまま答えた。
「ゼクスが来てる。ふたりきりにしてやろうかと思ってな」
「さみしいですか」
軽い口調だった。
「軍師殿は、王も、商主も……おそらくどちらも深く愛していらっしゃる」
「愛、ねえ……」
自嘲のように、息を吐く。
もはやそれは、誰に対する、どんな愛情なのか、境界があいまいだった。
いつだって、王が見つめるものを、自分も見つめてきた。
王が海を見れば、海を。
王が商主を見れば、商主を。
そういう形の思慕も、あっていいと――思っている。
「慰めてあげましょうか?」
「遠慮する」
「てっとりばやく、からだを先に重ねてみる形も、ありですよ」
「断固、遠慮する」
「さすがの軍師殿も、男とは、経験、ないでしょう?知見を広める意味でも、僕とどうです?」
「却下だ」
即答だった。
カインは肩をすくめる。
「冷たいなあ」
オルフェンは、灯り始めた港を見下ろしたまま、小さく息を吐いた。
「……それとこれとは、別だ」
「軍師殿は、これからどうするんです」
「ゼクスは、海洋商船を率いて旅に出ると」
「一緒に?」
「もちろん」
「あきれるくらい、即答ですねえ。かつて次期宰相と目されていたひとが」
「宰相なんて、つまらない」
軽く、言い切る。
「王都にいる頃は、世界のすべてを、紙の上でしか知らなかった。あるいは、戦場の権謀術数でしか、世界を認識していなかった」
オルフェンの言葉に、カインは、静かに、ほほえんだ。
「だが今は違う。神脈は、自然へ戻った。珊瑚は再生し、潮は自ら流れ始めている」
軍師の目が、わずかに細まる。
「海洋生物の採集も兼ねて、あの男についていく。珊瑚の再生検証も、酵母菌の発見も――ぞくぞくするほど楽しかった」
一拍おいて、付け加える。
「研究は、性に合っている」
その視線の先で、港の灯が、ひとつ、またひとつと点り始めていた。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
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