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背中に花を刻まれた影妃は王を手玉に取る最悪の女になる  作者: 春野まゆき


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第4話 白銀の刻印師、そして夜の執務室

お読みいただきありがとうございます。


いかにして影妃を篭絡するか?

王と側近たちの秘密の軍議がはじまります。


楽しんでいただけると嬉しいです。

 夜の王宮は、いつだって冷たい。

 レイシアは部屋に戻るなり、扉に背を預けて大きく息を吐いた。

 喉元に押し当てられた刀の感触よりも、背中を焼く灼熱の痛みのほうが恐ろしく鋭い。


(……負傷を隠してまで祝宴に出るなんて)

 元老院への牽制だろう。祝宴という公の場で、軍装を解かず、一切の弱みを見せず、「完全無欠の王」を演じ切りたかったはず。それは元老院に対する宣戦布告に近いのだ。


 ひとりきりになった途端、膝が崩れ落ちそうになるのを、残りわずかな気力で支えたその時――


 コン、コン、と控えめなノックの音がした。


「失礼します、レイシア様」


 扉が静かに開いた。白銀の髪が闇を裂き、紫紺の瞳が燭火に溶ける。


 男の名はノア・エルバスという。神殿の秘されし神童と謳われた幼少期を過ごし、元老院の手元に潜む最も鋭利な懐刀。若き日に戦場の聖刃と呼ばれ、禁術刻印の術式を唯一完全に理解できる最高位の神官である。

「……無茶をなさいましたね」

 叱責よりも気遣いを滲ませた低い声に、レイシアはふっと肩の力を抜いた。


 たった一人。

 ――影妃という仮面を、降ろすことを許された相手。

 冷たく計算ずくの笑みも、毒を含む言葉もいらない。

 余計な虚勢も、張り詰めた意地も、すべて置いていい。

 

 ほんの刹那、レイシアの瞳に年相応のあどけなさが宿る。

「ありがとう、ノア」

 寝台にうつ伏せになり、 レイシアは黒髪を片側へ流して、背中の花紋をあらわにした。ノアの長い指  先が、レイシアの肌に刻まれたゼフィールの花紋にかざされ、その背の上で、難解な術式の印を描く。

 深紅の花弁を模した偽紋は、熱を帯び、 まるで今も血が通っているかのように脈打っている。

 ノアは無言で手袋を外す。

  長い指先が、己が刻んだ花紋の背をなぞる寸前で、止まった。 

 

 触れれば、この娘の痛みも絶望も全部、自分のものになる気がした。

 

 小さく息を吐き、ノアは術師としての顔に戻る。

  淡い蒼光が指先に灯り、 レイシアの肌へ――そっと、降りる。

 指先が描くのは、王の魔力を整える禁術印である。

  複雑な紋様が背花の中心へ吸い込まれるたび、裂けるような痛みが静かに引いていく。

(ノアの魔力は、やさしい)

 レイシアはほっと目を閉じる。

  幻視の中、王の魔力が荒れ狂う戦場へ、 ひとり繋ぎ止められていた恐怖が、 静かにほどけてゆく。

「……楽になったわ」

「一時的です。ミラに薬酒を煎じさせています。もうじき運んでくるでしょう」

「ミラがあなたに知らせたのね。別に、耐えられないほどじゃないのに」

 銀髪の刻印師は気遣うようにレイシアを見つめる。気丈に振る舞う影妃の痛みがどれほどかは知っていた。

「王と接触したのですか」

「至近距離でにらみあった程度よ。でもこんなに明確に王の痛覚や視覚が流れ込んでくるなんて。…痛みには、慣れてるから、大丈夫」

「影妃だからといって、痛みに慣れる必要はありません」

 まっすぐにレイシアを見て、ノアは言う。その、眼差しの意図が、影妃に伝わっているのか、いないのか。レイシアは兄のようにノアを慕い、全幅の信頼を寄せてくる。

「心配しないで」

「王の傷がまだ癒えぬままです。魔力が荒れている……この疼きはその証左」

 祝宴での王とのやりとりを、元老院の配下の者からあらかた聞いているのだろう。彼は息を詰めるように言った。

「……あなたが倒れれば、王も滅びるのに」

 それは忠誠か、怨嗟か。

 レイシアには、答えを知る資格がない。だから微笑みだけを返す。

「大丈夫よ、ノア」

 ノアはゆっくり首を振る。

「大丈夫でないと、何度言わせるのです」


「どうか……これ以上、ひとりで痛みに耐えないでください」

 その言葉が胸に刺さり、レイシアは思わず目を伏せる。


 影妃はひとりで死ぬ役目だ。誰にも寄りかからず――王にさえ知られず。

 なのに、このひとは。

 影妃の痛みを、背負おうとしてくれる。

「ありがとう、ノア。でも、これはわたしの役目。私が、自分で選んだ」


(……役目など、捨ててしまえばいい)

 銀髪の刻印師の、眼差しが揺れる。そしてノアは深く頭を下げた。

「良い夜を、レイシア様」


 扉は重く閉ざされた。


 * * *


 一方その頃、王の執務室。

  祝宴の喧騒が遠のき、  王城の窓に揺れる灯火だけが、帰還した王の精緻な横顔を照らしている。


 ゼクスは椅子に沈んでいた。

 脇腹の傷は、先ほどより痛む。

 それでも医師を呼ぶつもりはない。

 弱さを見せれば、「敵」は容赦なくそこを突いてくるだろう。

(影妃の前で、隙を見せた――)

 それだけが癪だった。

 執務室の椅子にひとり腰かけたまま、ゼクスは机に手をつき、動かない。

(……影妃)

 黒い刃が喉元に迫るというのに、ひるむどころか笑って見せた。

「なぜ……」

 まっすぐに見返した琥珀色の瞳が印象的だった。

  あれほど冷たい言葉を浴びせられながら、動揺ひとつしない女。

(俺に挑み、俺を見透かす)

 あの女の考えていることが全く理解できない。おそらく、相当頭の切れる女だ。

 そもそも、敵なのか、味方なのか?

 どこまで元老院の息がかかっているのか?

 苛立ちを押し殺すように、拳を握ったときだった。


 扉が、控えめに叩かれる。

「失礼いたします、陛下」

 開け放たれた扉から、まず真っ先に駆け込んできたのは、柔らかい赤毛の少年だ。

「ゼークース―!遊ぼうぜーっ!」

 翡翠色の瞳をきらきらと輝かせて、年の頃10~12歳に見える少年はゼクスの首筋に抱きついた。

「ジン、やめなさい。王はおケガをしている」

 にこにこと穏やかな声音で少年を諫めたのは、銀縁眼鏡をかけた執事兼軍師のオルフェンである。

 王直属護衛の双璧ツヴァイとラスが、軍師に続いて執務室に足を踏み入れる。

 戦場で、何度も、5人で軍議を重ね、戦の危機を乗り越えてきた。

 遅れて王都に到着した彼らは、辺境での戦後の処理をすべて片づけて駆けつけたのだ。

「祝宴は盛大だったと聞き及びましたよ?」

  オルフェンが愉快そうに口角を上げる。

「盛大すぎてな」

  ゼクスは不機嫌な声で返した。

「影妃が、囚人を解き放ち、下層民の涙を誘ったとか。見ものだったでしょうな」とツヴァイが言うと、ラスも愉快そうに付け加える

「宝物庫を民衆に開放したとか。念の入った戦勝祝いですね」

「……勝手な真似を」

 ゼクスが吐き捨てると、ジンが猫耳をピンと立てながら身を乗り出した。

「でもっ、民はすげー喜んでたよ!“王様が救ってくれたんだ”って。おれたち王都に来る途中、ちゃんと情報収集してきたんだぜ!」

 ほめてくれ、とばかりにジンはゼクスの膝によじ登る。仕方なさそうに、ゼクスはジンのやわらかい赤毛をくしゃくしゃと撫でた。

 ツヴァイは不満げに言う。「あいかわらず、王はジンに甘い」

 ラスがつぶやく。「ほんとは単なるチビ猫のくせに」

「うるせー!おまえらキライだ!」

「やかましい」

 ピシャリと軍師がその場をおさめた。


「俺は民衆を救ってなどいない」

  ゼクスが言う。

「勝手に、影妃がやったことだ」

「ま、その勝手な行動がですね……」

  オルフェンが手にしていた書類をひらりと広げる。

「下層市場の労働力不足の解消。物価の過剰上昇の抑制。夜警強化による治安向上。なかなかの経済効果を生んでいますよ。……意図して、ですかね?」

 ツヴァイとラスが目を見合わせる。ジンがピューッと口笛を鳴らした。

「やるじゃん、その女」

「偶然にしては……出来すぎてるな」

 認めたくはない。

 しかし、影妃の不適な笑みが、不遜な態度が、脳裏に焼きついていた。

「陛下」

 オルフェンがにこりと笑って言った。

「影妃の真意を探るべきです」

「どう対処すべきだ?…意見があるなら聞こう」

 束の間の沈黙の後、声を発したのは、銀縁の眼鏡を軽く押し上げた参謀軍師オルフェンである。

「では一つ、最適解を」


 オルフェンは、まるで暇つぶしの戯れのような笑みを浮かべた。

 ゼクスが目を細める。

 こいつがこんな顔をするのは、たいがいはろくでもない提案を持ち掛ける時だ。

「また妙な策を思いついたか」

「妙ではありません。むしろ、王道ですよ。陛下」


 オルフェンは、癖のある抑揚の声で言う。

「陛下。影妃殿を敵に回すのは得策ではありません。元老院の掌の上で踊らされます」

「……あの女は元老院の単なる駒だ」

「駒が王を傷つけることもあります」

 言われずとも分かっていた。

 偽紋。背花。影妃だけが握る、王の命脈。

(俺の弱点が……あの女の背中に刻まれている)

 笑えない冗談だ。

 ゼクスの沈黙を肯定と受け取ったのか、オルフェンはさらに踏み込む。

「ゆえに――

 陛下のお側に引き入れる必要がございます」

「俺の側に、だと?」

「はい。懐柔し、篭絡し、元老院から影妃を奪い取るのです」

 ゼクスは、一瞬、黙る。

 ジンが口をはさむ。

「要するに、影妃を口説けって言ってんのか?」

「チビ猫は黙ってな」

 ツヴァイが制し、ラスもうなずく。

 かまわず、オルフェンは言う。

「影妃を――陛下の女にすべきです」


 空気が凍りついた。

「……何だと」

 ゼクスの低い唸りに、ジンの毛が逆立つ。

「うわー、またエセ軍師がゼクスを怒らせた」

「女を政治の駒に使えと言うのか」

「駒とは失礼な。影妃は『王の魔力を制御する器』です。ならば王の側に置き、王の手で守るべきでしょう?」

 オルフェンの声音は、あくまで穏やかだ。

「まだ正妃候補も選定されておりませんし、殿下は男盛りの独身です。女のひとりやふたり囲ったとて、だれが責めるというのです。第一、王の魔力を受け止められる肉体は、影妃だけなのですよ」

 ゼクスの瞳が揺れる。

 軍師は容赦なく追撃する。

「おそらく、影妃は弱者を切り捨てられない性質です。民心は、すでに彼女に向いている」

 ツヴァイがぼそりと言う。

「罪人の中から、労働力の高い者を選んで恩赦を与えて解放していました」

「貨幣流通量が増加、治安の緊張も一時緩和。王都全体の安定度が上昇しています。何者でしょうか、影妃は?」

 ラスも興味深そうに首をかしげた。


 ゼクスはちっと舌打ちする。

「……勝手にやっただけだ。王の許可なく、恩赦など」

 オルフェンは、静かに王に視線を向けた。

「王が為せなかった救済を、影妃が代わりに成したのです」

 刹那、ゼクスはギリッと性悪の軍師をにらんだ。

 オルフェンはさらに一歩踏み込む。

「彼女を敵対勢力の駒として野放しにすれば、元老院の思う壺」


「……だからといって」

 王に二の句を告げさせず、オルフェンは続ける。

「ならば」

 権謀術数に長けた銀縁眼鏡の軍師は、にっこりと笑った。

「王の鞘に収めるだけです」


「意味深じゃーん」

「うるさい、チビ猫小僧」

「オマエこそうるせえよ!」

「やかましい!」

 再度、軍師は一括する。

「王自らの寵姫として影妃を迎える。護る名目を得る。影妃は元老院から切り離され、王が唯一の拠り所になる」

「……それは、影妃を支配下におけと言っているのか」

「愛と支配を区別できる女など、この国にはおりません。まして、あなたは王なのです。拒絶する女などいませんよ」

 オルフェンは、言い含めるような優しい声音で言う。

「誠実な陛下だからこそ、影妃を傷つけずに済む。

 私の師匠も言っていましたよ。“楽に勝ちたいなら、敵も女も味方にしろ”と」

「師匠、だと?…あのじじいは全面的に信用ならない」

「なら陛下らしく、誠実に、抱きしめて差しあげればよろしい。元老院か、王か。どちらが先に、影妃という駒を得るか。わたしの勘では、どうやら影妃は、完全に元老院側、というわけでもなさそうです。それならば、てっとりばやく…」

 オルフェンの声が、静かに沈む。

「――影妃を、王の女に」


 完全な沈黙。

「……影妃は、俺を嫌っていると思うが」


 ゼクスは、脈打つ脇腹の痛みを押さえた。

 負傷を言い当てたときの、あの女の、視線。どこまでも徹底して王に逆らうことを決めた、美しい蜜色の瞳。

「そこをどう挽回するかが、陛下の腕のみせどころですよ」

 にやりと、軍師は人の悪い笑みを浮かべてみせた。

「まあ、女に追われることは多々あっても、御自らは女を追いかけたことのない陛下のことです。このオルフェンが、ご指南申し上げましょう」

「…黙れ。そんな下策、採用するとは言ってない」

 冷徹な声。

 しかし、オルフェンが最後に一言。

「ご安心を。――先に堕ちるのが陛下でも、私は止めません」

 ゼクスの呼吸が一瞬止まる。

「…だれが!」


 ふいに、影妃の、挑発するような笑みが、脳裏に浮かんだ。

(殺せるものなら、殺してごらんなさい、王)

 ゼクスの拳が、かすかに震えた。

「……俺が影妃ごときに屈する日など来るものか」


 オルフェンは肩をすくめる。

「では、賭けますか? 陛下」


ここまで読んでくださり、ありがとうございます。


ゼクスと影妃の距離はまだ遠いまま。

それでも、確実に何かが動き出しています。


もし少しでも続きを気にしていただたなら、

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よろしくお願いいたします。

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