第35話 直談判、そして最初の手紙
神殿奥、白石の円形広間。
天窓から落ちる光は、まるで裁きの輪のように床を照らしていた。
元老院の長老たちが半円を描いて座す、その奥。
一段高い祭座に、白衣の男がいる。
——大司教。
間深く被った被布で顔を隠しているが、その袖先から見える手先は、年齢を感じさせぬ張りのある肌だ。
「王よ」
大司教が、ゆっくりと口を開いた。
「影妃の処刑、見事であった。民は安心し、神殿は安堵した」
その言葉に、ざわめきが走る。
ゼクスは、答えない。
代わりに、剣の柄に指をかけた。
「余談だが」
大司教は続ける。
「禁海の封印核について、要求があったと聞いている」
禁海、という言葉の響きに、広間の空気が一段冷えた。
「母の鱗を返せ」
豪奢な細工の椅子に腰かけて背もたれ、足を組みながら、上からねめつけるような視線で、短く、ゼクスは言った。
元首たちの円卓は波を打ったように静まる。
老いた元老のひとりが、杖を鳴らす。
「それは、神殿の聖遺物です」
「王とて、ご存じのはず」
「知っている」
ゼクスは遮る。
朱金の瞳が、元首ひとりひとりを威圧する。
「それが“何に使われたか”もな」
沈黙。
「母の鱗を故郷の海に返す。貴様らの思惑など、知ったことか。王様ごっこは、終わりだ」
鮫人族として生まれた者なら、だれもが知っている。
<隠された王子>だったころ、ゼクスは禁海の浜べで生まれ育った。
鱗を剥いで遺体を刻み、その肉を献上するなど、一族にとって到底許すことはできない最大の冒涜である。
「…冬至節以降、王は、変わられた」
「人魚の<鱗>が禁海にとってどれほど重要な役割を果たしているか、お忘れなのでは」
「…二十年前。鮫人族の大虐殺」
ゼクスの声に怒気が混じる。
「人魚の海が汚染され、水脈が毒に染まった」
一拍。
「——原因は、貴様らだ」
元老院がざわつく。
「王家の人間が、水脈を私物化しようとした。神殿は、人魚の血を“浄化の触媒”に変えた。それを阻止しようとした鮫人族は、反逆罪の名目で大虐殺の憂き目を見た」
低く、冷たい声。
ゼクスは、剣の柄に手をかけた。
「母の鱗は剥され、汚染された禁海を封じる結界を作るための封印核とされた」
「しかも」
「その遺体は切り刻まれて神殿に<献上>された」
元老のひとりが呻く。
「……王。それは、国を守るための、必要な犠牲——」
「違う」
断言。
「貴様らは、その犠牲を正当化しだけだ」
ゼクスは、円卓を見渡す。
「禁海は解放する」
「母の鱗は、取り戻す」
「拒むなら——」
一歩、踏み出す。
「この国の“正史”を、すべて書き換える」
それは、脅しではなかった。
宣告だった。
凍り付いた空気の中、たったひとり、ふ、と薄く微笑む気配がした。
大司教である。
「なるほど。……では問おう」
一拍。
「もし禁海を解放すれば、汚染された水脈が王都全域に流れ込む。民は死に、国は滅ぶ。それでもなお、返せと言うか?」
「それは、神殿が循環を“止めたまま”だからだろうが」
「止めた?」
大司教の眉が、わずかに動く。
「流れを殺し、腐らせ、毒に変えたのは、誰だ。水は流れれば浄化される。だが、お前たちは恐れた。制御できない循環を」
「循環とは混沌だ」
大司教の声が低くなる。
「管理なき力は、必ず争いを生む」
「違う」
ゼクスは、はっきりと言った。
「循環とは“選択”だ。貴様らの“選択”そのものが、間違いだったと言っている」
元老院の一人が、声を荒げる。
「王よ!それでは神殿の二百年の治世を否定する気か!」
「そうだ」
ゼクスは即答した。
「鮫人族を殺し、海を禁じ、影妃を縛り、神脈を囲い込んだ」
大司教が、静かに告げた。
「循環は、管理されるべきもの。流れは、制御されねばならぬ。さもなくば、再び大虐殺が起こる」
「起こしたのは誰だ」
ゼクスは、剣を抜いた。
だが構えない。
床に、切っ先を突き立てる。
「神脈の循環を恐れた貴様らだ」
静寂。
「母の鱗を返せ」
その声は、低い。
「禁海を解放する。神殿の管理は終わりだ」
◇ ◇ ◇
銀髪の刻印師が、王の執務室を訪ねたのは、真夜中を過ぎた頃。
「…何を言いに来た」
ノアは、姿勢を正し、王への敬意の礼をとった。
「レイシア様の件については」
ぴく、とゼクスの眉があがる。
「感謝しております」
「お前から感謝されるいわれはない」
ゼクスは心底不愉快な表情をする。
「お前が自身に経脈を刻んだのは、ラスエルから聞いている」
「…レイシア様は、胆力のある方です。そのようなことを負い目に感じるような繊細さなど、切り捨てることができる強さをお持ちです」
「一生お前のことを忘れないだろうな」
「独占欲ですか。それとも執着?ずいぶんと狭量でいらっしゃる」
「うるさい」
不機嫌な声音を隠そうともせず、ゼクスは言う。
「それで、要件はなんだ」
「……今すぐ禁海を解放すれば」
ゼクスとノアの視線がまっすぐに交錯した。
「水脈は再び汚染されます」
「…分かっている」
「だから、五年です」
ノアは、卓上に地図を広げる。
禁海、神殿、水脈、地脈。
「第一段階。神殿権限の解体」
「第二段階。地脈と水脈の分離循環」
「第三段階——」
指が、ひとつの点を叩く。
「クリシュナ様の花紋」
ゼクスの目が心底嫌そうに歪む。
「彼女が“循環点”として完全に開けば、毒化した水は、時間をかけて浄化されます」
ゼクスは、眉をひそめた。
「クリシュナの花紋が、開くのか」
「わかりません。しかし、何か鍵があるはず」
「…五年、だと」
禁海は閉じたまま。
民からの不満。
元老院の抵抗。
神殿の反撃。
「早くても、です、陛下。それまでは…王として、生きてください」
ノアは、まっすぐに言った。
「禁海は、必ず甦ります。母君の鱗も…それらが実現できてこそ、はじめて取り戻せる」
ゼクスは、目を閉じた。
◇ ◇ ◇
――冬至節から、三か月後。
王都・王の執務室。
山のような書簡の中に、ひときわ簡素な封蝋があった。
怪しまれぬよう、おそらく意図的に、軍務用の私信に紛れ込ませた――私信である。
ゼクスは、机に放り投げられたそれを、
見ないふりをして半日放置していた。
差出人の名を、見間違えるはずがない。
――オルフェン。
やがて、苛立つように舌打ちし、片手で封を切る。
中身は、短い。
驚くほど、事務的だった。
ーーー
陛下
数か月、海上を漂っていました。
ようやく、陸におりた港町は、禁海の縁にあります。
商団はすでに動き始めました。
影妃殿下は、体調が思わしくありません。
眠りは浅く、食事も満足に取れていません。
……医師の診断によると
「脈が、二つあります」と。
ーーー
紙が、くしゃりと音を立てた。
ゼクスの指が、震える。
「……脈が、二つ?」
意味を理解するまで、ほんの数呼吸の沈黙。
次の瞬間、机の上の硝子細工が、粉々に砕け散った。
魔力が、無意識に噴き上がる。
「……っ」
胸の奥が、焼ける。
怒りではない。
歓喜でもない。
――奪われたものが、戻ってきたという感覚。
ゼクスは、しばらく動けなかった。
——子どもが。
彼女の中で、自分と繋がる、もうひとつの“爪痕”。
「……くそ」
笑うような、呻くような声。
言葉が、続かない。
「……五年?」
笑った。
乾いた、獣のような笑み。
「長すぎる」
だが。
次の瞬間、ノアの言葉が脳裏をよぎる。
――禁海の解放
――鱗の奪還
――鮫人族の力の制御
――王であり続ける覚悟
拳を、強く握る。
「……いいだろう」
低く、誓うように。
「五年だ」
その間に、
世界をひっくり返す。
神殿も、元老院も、禁海も。
母の鱗も。
この国の嘘も。
そして。
「……レイシア」
追えば、奪える。
触れれば、連れ帰れる。
しかし。今は、まだ。
知られてはならない。
動いてはならない。
ゼクスは、机の上の手紙を、蝋燭にかざした。
跡形もなく、燃え落ちるのを確認する。
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