第34話 同行者
港へ向かう船の甲板。
「……完全に、死んだ扱いですね」
意味深な笑みを浮かべて、柵にもたれたまま、カインが呟く。
「派手な演出でしたね。あの感じだと、数年は語り草になるでしょう」
レイシアは答えない。
肩の辺りでばっさりと切られた黒髪が、朝日を受けてきらきらと光りを反射している。
「彼、そろそろ、目覚める頃ですよ」
「そうね…」
困ったように、レイシアは微笑んだ。
次の瞬間。船倉から、声が響く。
「おろせー!!」
「おろせ!!今すぐ私をおろせと言っているだろう!!」
半狂乱の叫び声。
包帯だらけのオルフェンが、必死に暴れている。
「王のもとへ戻せ!!私は――私はあの方の側に――!」
「はいはい、無理無理」
その瞬間だった。
カインは、ため息をつくように一歩、間合いに入った。
速さはない。
走りも、跳躍もない。
ただ、気配が消える。
次の瞬間、オルフェンの背後に、すでにいた。
「動かないでくださいね」
耳元で、囁くような声。
肘が、ぴたりと鳩尾の位置に当てられる。
力は、入っていない。
――入っていないのに。
息が、抜けた。
「……っ!?」
抵抗しようとしたオルフェンの腕を、カインは指先だけで絡め取る。
関節の向き。
筋の張り。
壊さずに、動きを止める角度を、正確に知っている手つきだった。
「暴れると、骨、鳴りますよ」
甘い声とは裏腹に、親指が、神経の要点に沈む。
びく、と、オルフェンの身体が跳ねた。
「ほら。もう、わかるでしょう?」
首の後ろに、布越しに触れる冷たい感触。
刃ではない。
――だが、刃と同じ“位置”だ。
「ここ、少し押すだけで意識、飛びます」
「……ふざ、け……」
「ふざけてませんよ」
カインは、楽しそうに微笑んだ。
「ふうん?あなた、文官なのに、動きの反応がすごくいい。ちゃんと<戦える>レベルの身体に仕上がってる」
甘く響く声に、天使のように整った顔立ち。日に透ける淡い金髪が、揺れている。
昏い紺色の瞳が、からかうように細くなった。
「しかも、筋肉馬鹿じゃない。狂暴なだけの仔猫でもなく、頭が切れて顔つきも端正だ」
「離せ…!」
「好みかも」
一瞬、軍師はぎょっとする。
「…カイン。からかわないのよ」
どこか気の毒そうな眼差しで、レイシアは声を投げる。
「カインの悪い癖が出ましたね…男でも女でも、好みの人間はすぐ口説く…」
レイシアの後ろに隠れて、ミラも微妙な表情で事のなりゆきを見つめている。
「カイン、あまり手荒くしないで」
「暴れられるのも面倒なので、しばらく動けなくしたほうがいいかもしれませんよ」
「ふざけるな!!船をとめろ!!」
「今戻ったら、次はあなたが公開処刑ですけど?」
すこぶる軽い調子で、カインは主に尋ねる。
「レイシア様、あばらの1、2本、折っていいですか?」
「だめ」
「ええ?…じゃ、仕方ないなあ」
一瞬。
鈍い衝撃が、首の付け根を走る。
力は、ほんの一拍。
だが、それで十分だった。
オルフェンの身体が、糸を切られたように崩れ落ちる。
カインは支えもしない。
ただ、倒れる“位置”を、少しだけずらした。
「はい。おやすみなさい」
床に横たわる身体を見下ろし、軽く肩をすくめる。
「……惜しいなあ。もう少し色気があったら、僕の好みど真ん中なんですけどね」
血も、悲鳴もない。
あるのは、完全に制圧された静けさだけだった。
◇ ◇ ◇
――揺れ。
まず、身体が覚えたのは、地ではない感覚だった。
床が、呼吸している。
いや、違う。
これは――船だ。
「……っ!」
オルフェンは勢いよく身を起こそうとして、胸を押さえた。
焼けるような痛みが走り、視界が白く弾ける。
「……くそ……!」
手足が重い。
思考が、妙に鈍い。
甘い顔立ちの男娼の、嘲るような微笑が脳裏の端によぎった。
その瞬間、すべてを悟った。
――やられた。
ゼクスだ。
ジンだ。
あるいは、全員だ。
「降ろせ……!」
掠れた声が、喉から漏れる。
だが、返事はない。
甲板の向こうから聞こえるのは、波の音と、帆が軋む低い唸りだけだった。
オルフェンはよろめきながら立ち上がり、扉に手をかける。
「今すぐ、ここから降ろせ!!――船を王都へ戻せ!!」
叫ぶたび、胸の傷が裂けるように痛む。
だが、そんなことはどうでもよかった。
(王から――離れるだと?)
「……冗談じゃない……!」
ふらつきながらも、必死に前へ出ようとする。
その時、扉が、ゆっくりと開いた。
「やめておいて」
静かな声だった。レイシアが立っていた。
「王のもとに戻る!!今すぐ――!」
「無理よ、オルフェン」
レイシアは、深く息をつき、はっきりと、言った。
「あなたはもう、王都に残れる立場じゃない」
「……なに?」
「茅輪の封印を破った。それも、王の許可なく、神殿の立ち会いもなく」
レイシアは一拍置き、続ける。
「それは、ただの規則違反じゃない。王家と神殿が共有してきた“国家の楔”を、
個人の判断で外した、ということよ」
「……」
「しかも結果として、王は覚醒した。神脈と血脈の均衡が崩れ、“制御されていた王”は、もう存在しない」
琥珀色の瞳が、まっすぐにオルフェンを捉える。
「あなたが何を思って行動したかは、関係ない。王都は、必ず“責任を取らせる相手”を探す」
「……それが、わたしだと?」
「ええ」
即答だった。
「王を縛れなかった者。封印を守れなかった者。そして——王の覚醒を招いた者。…あなたは、罪をかぶせる人間としては、あまりにも都合がいい。しかも、元老院にとっては、王の右腕である軍師を抹殺できる口実になる」
「……それでもだ」
歯を食いしばり、オルフェンは言った。
「それでも、おれは――王の傍にいなければならない」
「死ぬわ」
即答だった。
「王都に戻れば、あなたは確実に消される。王の意思であろうとなかろうと、ね」
オルフェンの肩が、わずかに震えた。
「……それでも、構わない」
絞り出すような声。
「王が生きているなら……おれの命など……」
レイシアは、ため息をついた。
「……あきらめて、オルフェン」
その声には、哀れみも、叱責もなかった。
ただ、事実を告げる調子だった。
「わたしとともに行きたくないなら、途中の港で降ろしてあげる」
オルフェンが、はっと顔を上げる。
「でも、覚えておいて」
琥珀色の瞳が、まっすぐに彼を射抜いた。
「もはや、あなたも命を狙われる身よ」
一拍。
「王は……あなたの命を守りたかったのよ」
その言葉に、オルフェンの呼吸が止まる。
「それを、無駄にする気なの?」
沈黙。
「……卑怯だ」
かすれた声で、オルフェン言った。
「おれの意志は?勝手に、こんな拉致まがいのことを……あいつら、結託して…」
レイシアは、少し困ったように微笑む。
波の音が、二人を包む。
やがて、オルフェンは深く息を吐いた。
「……まったく」
額に手を当て、低く呻く。
「……このわたしが、王に、捨てられるとはな」
レイシアは、何も言わなかった。
しばらくして、オルフェンは、ゆっくりと顔を上げる。
その目には、すでに別の意志が宿っていた。
「……王は」
ぽつりと、呟く。
「あなたを、諦めるはずがない」
レイシアは、答えない。
「なら――」
オルフェンは、静かに結論を出す。
「王のもとへ戻る、いちばんの近道は……あなたのそばにいることだ」
苦々しく、だが確信をもって。
「……不本意だが」
そう言って、彼は船縁に背を預けた。
「しばらくは、同行させてもらう」
レイシアは、ほんのわずかに微笑んだ。
船は、夜の海を切り裂きながら、進んでいく。
◇ ◇ ◇
甲板に、風が抜ける。
波を裂く音の合間に、
ひょいと、影が一つ現れた。
「おー、起きてたか」
聞き慣れた、軽い声。
オルフェンが振り向いた瞬間、目を見開く。
「……ジン……?」
マストの陰から姿を現したのは、翡翠色の瞳をした、赤毛の少年だ。
「見送りに来ただけだよ。もうすぐ、船が王都を出る。そしたら、さすがに簡単には会えなくなるからさ」
「……お前、よくも!!」
オルフェンは一歩踏み出そうとして、胸を押さえる。
胸を突いた傷が、まだ、完全には回復していない。
「……なぜ、おれを捨てる」
低く、噛みしめるような声。
ジンは一瞬、目を細める。
そして、あっさりと言った。
「そりゃあ――」
一拍。
「いちばん信頼してる人間を、いちばん大事なものの近くに置きたいからだろ」
言葉が、胸に突き刺さる。
「……っ」
オルフェンは、言葉を失った。
「ゼクスはさ」
ジンは手すりにもたれ、夜の海を見る。
「今すぐ影妃を追いかけたいに決まってる。
殺したいし、抱きたいし、取り戻したいし、
できるなら、檻に入れて一生囲っておきたい」
オルフェンが、ぎょっとする。
「……お前……」
「でも、今はできない。なんか、やらなきゃならないことがあるんだってよ」
ジンは、にやりと笑った。
「だから代わりに、お前をやった」
その視線が、ゆるくオルフェンを見る。
「静養しつつ、せいぜい――」
言葉を切り、わざとらしく間を取る。
「影妃に悪い虫がつかないように、しっかり見張れよ」
そんなのは自分でやれ、と、喉まで出かかる。
オルフェンの拳が、きしりと音を立てる。
「……ふざけるな」
「ふざけてないって」
ジンは軽く手を振る。
「王の本音だよ。お前なら、理解できるだろ?」
一瞬、沈黙。
オルフェンは、ゆっくりと息を吐いた。
「……あいつは」
低い声。もはや敬語はない。
「人の心を、平然と利用する」
「今さら?」
ジンは笑う。
「でもさあ」
ふっと、表情が真剣になる。
「お前を“使い捨て”にする気なら、船には乗せてないだろ」
その一言が、決定打だった。
オルフェンは、目を伏せる。
「……生きて戻れ、ということか」
「そういうこと」
あっさり。
「で、生きて、王の女を守って、最後にちゃんと――」
ジンは、にやりと歯を見せる。
「連れて帰ってこい」
――じゃあな。
次の瞬間、甲板にいたはずの姿は、もうない。
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