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背中に花を刻まれた影妃は王を手玉に取る最悪の女になる  作者: 春野まゆき


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第31話 豹変

 寝台に眠る王を、ジンとツヴァイが見下ろしている。

 呼吸は、ある。

 脈も、確かに打っている。

 ――だが。


「……なあ、これ」

 ジンは、寝台の脇にしゃがみ込み、じっと王の顔を覗き込んだ。

「どう考えても、おかしいよな?」

 ツヴァイは腕を組んだまま、壁にもたれている。

 視線は冷静だが、その眉間には、わずかな皺が寄っていた。

「…だな。どこが、とは言わんが……全部だな」

「だよな。髪、伸びてないか?」

「伸びているな」

「つーかさ、色も……これ、前と違くね?」

 ジンが指差した先で、王の髪が、燭台の光を受けて揺れていた。

 かつての濃紺の黒ではない。

 深海の底に沈む血を思わせる、黒に近い深紅。

 そして――まぶたの奥で揺れるのは、金を孕んだ赤。

「目もだ」

 ツヴァイが、低く言う。

「…倒れる瞬間、王を支える時に見えた。赤く変わっている」

「赤?」

 ジンがいかにも嫌そうな顔をする。

「うわ……それ、完全に“もどってる”じゃん」

「もともとの色、ということだな」

 ツヴァイは、ふう、と息を吐いた。

「神脈に繋がれていた間は、王統の血が前に出ていたのだろう。…神脈を切断されて、抑えが外れた」

「外れすぎだろ」

 ジンは小さく舌打ちする。

「なあ、これさ。外見だけならまだいいけど……」

 言葉を切り、ちらりとオルフェンを見る。


 寝台の少し離れた椅子に、オルフェンは座っていた。

 胸元には包帯。顔色はまだ青い。

 だが――生きている。


「……性格も、戻ってんじゃねえの?」

 ジンの声は冗談めいていたが、目は笑っていない。

「傍若無人で、破天荒で、自己中でさ。言うこと聞かねえ、手のつけられねえ悪童だった頃のゼクスにさ」

「それは……」

 ツヴァイが口を開こうとした、その時。


「…うるせえな」


 低い声が、部屋に落ちた。

 ツヴァイとジンが、凍りつく。

 寝台の上で、王が――ゼクスが、目を開いていた。



「な、なんだよ、起きてたのかよ」

「あいかわらず騒がしいなあ、お前」

 掠れた声。

 だが、その調子は――妙に、軽い。


 ゼクスはゆっくりと裸身の上体を起こす。

 腰のあたりまで伸びた黒髪をかきあげながら、包帯だらけのオルフェンを見る。

「よう、オルフェン」

 赤と金が混じる瞳が、愉快そうに細まった。

「死に損ないめ。俺の血を飲んでて、そう簡単に死ねるわけないだろうが」

「……陛下」

 オルフェンが、なんとも言えない微妙な表情で返す。

「ずいぶん、口が悪くなられましたね」

「”お利口さん”ごっこは飽きた」


 ツヴァイが、ぼそりと呟いた。

「……なんだか、既視感があるな」

 その声音には、警戒よりも先に――記憶をなぞるような困惑が混じる。

「だよな」

 ジンが顔をしかめる。

「おれ、知ってる。この感じ。ガキの頃のゼクスだ」


 ゼクスがまだ「隠された王子」だった頃。母親が死んで心身ともに荒れすさんでいた頃。

 誰の言葉も聞かず、誰の制止も歯牙にかけず、欲しいものは奪い、気に入らないものは壊し尽くし、戦場で獣のように敵の殺戮を繰り返した、“赤い目の怪物”。


 その視線を受けて、ゼクスは、ゆっくりと舌で唇をなぞった。

 獲物を前にしたときの、ゼクスの少年時代の癖だ。

「さあ、まず…どうするかなあ?」

 楽しげに、しかし軽すぎる声音。

 まるで、遊びの順番を考えているかのように。

「一応、聞くけどさ…何を、どうしたいんだよ?」

 ジンの問いに、くつくつと楽し気にゼクスは喉で笑う。


「誰から殺す?城ごと焼くか」


 側近たちは黙る。

 ジンが半歩だけ後ずさる。背中に、嫌な汗がにじむ。

「…これ、ヤバいやつだろ」

 オルフェンは、静かに息を整えながら、言った。

「兄君が亡くなり、王太子として擁立されて以来――陛下は、ずいぶん無理をなさっていましたからね」

 ゼクスは、ふんと鼻で笑う。

「王らしく?」

「亡き母君のご遺志でもありましたしね」

「そういうのは、ぜんぶ、やめだ」

 赤い瞳が、冷たく光る。

「神脈が――やっと、はずれた。もう二度と捕らわれない」

 ツヴァイも確信する。

 王は、理性が壊れたのではない。狂ったのでもない。

 抑え込まれていた本性が、解放されただけだ。

「まあ…陛下。まずは、落ち着きましょう」

 つとめて冷静を装いつつ、張り付いたような微笑みで、ツヴァイは言う。

「魔力暴走を起こしかけていたんですよ。お体も相当の負担があったはず」

「ばーか」

 ピキ、と、ツヴァイのこめかみに筋が浮き立つ。

「年長者に向かって、ばーか・・・・?」

「鮫人の血脈の人間に、負担もなにもあるかよ」

 吐き捨てるように言って、ゼクスは肩を回した。

 覚醒した直後の身体は、異様なほど軽い。


 ――まるで、肉体そのものが書き換えられたかのようだった。


 戦場で負った古傷。

 若い頃に刻まれた刃の跡。

 無理を重ねた王としての年月が残した歪み。


 それらが、いつの間にか消えている。

 皮膚はなめらかで、筋肉はしなやかに張り、呼吸は深い。


「……ふん」


 思わず、笑いが漏れた。

 これが、鮫人族の本来の肉体。

 老いも、摩耗も、拒む身体。


 ――そのはず、だった。


 つ、と。

 ほんの一瞬、背中に走る、痛みの感覚。


「…?」

 ゼクスは眉をひそめ、肩越しに背中へ手を伸ばす。

 指先が触れたのは、かすかな、細い、ひっかき傷だ。

 爪の痕。

 消え切らず、浅い傷が、肌に残ったままだ。

「…この、おれが?」

 低く、呟く。

「こんな傷ひとつ、治せない?」

 答えは、ない。

 ただ、胸の奥で、何かがひっかかる。


 ――鮫人族は、癒える。その回復力と自然治癒力は尋常ではない。

 刃も、毒も、病も。骨が砕けようと、血が尽きようと。


 だが。


「……ああ、そうだ」


 記憶の底から、浮かび上がる。

 忘れていたというより、思い出さないようにしていたもの。


 ――情を交わした相手から受けた傷は、治らない。


「…なんか、あったなあ、そういうの」

 ぽつりと、独り言のように。

 それは、鮫人族が背負う、最も原始的な呪い。


 結ばれた証。

 縛られた証。


 神脈には、もう捕らわれない。

 王権にも、秩序にも、誰の檻にも。


 ――それなのに。



 なのに、今度は別のモノに捕らわれてしまっている。

 元来、鮫人族が最も忌み嫌うものは、「束縛」だ。

 愛も、誓いも、執着も――自由を削るものは、すべて敵。


「めんどくせえな…」

 舌打ちする。苛立ちを、振り払うように。

「いっそ…」


 殺してしまおう。

 情を交わした女など、面倒で厄介なだけ。


「なあ」

 朱金の瞳が、妖しく光る。

「あの女は?」


 ぎくり、と側近たちの気配が揺れる。

 オルフェンが重い口を開く。

「影妃ですか?あなた、今の状態では、会いにいかないほうがいいのでは」

「そうですよ、王。あなたが覚醒したときの瘴気にあてられて、レイシア様は衰弱がひどく、まだ眠っています」

「それに、影妃の処刑日が近づいています。逃がす算段を各方面と詰めておかないと」


「逃がす?」

 ゼクスの顔から、すっと笑みが消えた。

 怒気ではない。

 一瞬で、感情そのものが削ぎ落とされたような無表情。


 逃がす?誰を?どこへ?

 このおれをここまで縛り付けている女を、生かしたまま逃がす?


 思考が、遅れて追いつく。


 おれを、捨てて、逃げる?だれが?


「…は」

 喉の奥で、乾いた音が鳴った。

 笑いとも、嘲りともつかない。


「笑える」


 そういって、ゼクスは寝台から立ち上がる。

 そして、扉に向かい、乱暴に手をかける。

 開け放つ音が、部屋に響く。


 ――その背中を見送りながら。

 側近たちは、しばし、沈黙する。

「…ジン」

 ツヴァイが、低く、慎重に声をかけた。

 まるで、地雷原を歩くような口調で。

「念のためだ。ついて行け。万が一、影妃を傷つけるようななりゆきになりそうだったら、王を止めろ」

 ジンはあからさまに眉をひそめる。

「はあ?いや、とまらねえだろ…アイツいま正気じゃねえよ」

 その言葉に、椅子に座ったままのオルフェンが、静かに首を振った。

「王は、すこぶる、正気だ」

 軍師が断言する。

「ただ、正常じゃないだけだ」

 ジンが、がり、と頭を掻く。

「だからタチが悪いんだろ!ああ、もう!」

 少年の姿が揺らぎ、次の瞬間には、赤毛の猫が床を蹴った。

 小さな舌打ちを残して、ゼクスの後を追う。



 王は、戻った。

 だがそれは――かつて誰も制御できなかった、“本来の王”の帰還だった。


ここまで読んでくださり、ありがとうございます。

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