第3話 感覚共有
お読みいただきありがとうございます。
影妃としての役目は、
光の届かない場所でこそ試されます。
静かに、しかし確実に――
“影”が動き始める第3話。
楽しんでいただけると嬉しいです。
「……広場でのバカ騒ぎは、なんのつもりだ」
低く、鋼のような声だった。
広間の空気が震える。
しかし、レイシアは微笑を崩さない。
「陛下のお帰りを祝い、都の民に幸を――」
その言葉は、最後まで許されなかった。
シュ、と空気が切り裂かれた音がした。
気づいたときには――
刃が、レイシアの喉元に触れていた。
王の手は震えていない。
まるで呼吸をするのと同じ自然さで抜かれた刀。
「――黙れ」
だが、レイシアはまばたきすらしなかった。
かえって、挑発するように微笑む。
「戦場の《黒狼》は、たかだか女ひとり斬るにも、剣を抜かねばならないのですね?」
ゼクスの青い眼がすうっと細くなる。
近くに控えて立っていた王の側近たちは、ぎくりと身じろぎする。
「お前が何者であれ、王命を私物化するなら――死ぬまでだ。」
広間全体が凍りつく。
レイシアは、悠然と蜜色の瞳で王を見返した。
「戦場では、軍律違反は即刻死刑だ」
ゼクスの声は氷点に沈む。
広間にあつまった貴族たちの視線が、一斉にふたりへ向いている。
冷たく光るゼクスの目は、怒気を帯びて静かに光る。
「お前がしでかしたことがどれほど重大な問題なのか、本当にわかっていないのか」
レイシアは、微塵もひるまない。
琥珀色の瞳が、挑むように王の視線を返した。
「あら。よろしいのですか?」
その声音は、むしろ愉しげですらある。
「今ここでわたしを殺してしまえば――
あなたの余剰魔力は、いったいだれが受け止めるのでしょうね?」
ゼクスの眉がぴくりと動いた。
挑発は続く。
「あなたが戦場に行くたび、溢れ続ける膨大な魔力が抑制されているのは、誰のおかげだとお思いです? それを吸収し、暴走を押し止めるのが――影妃の背負う“偽紋”の役目。あらゆる害意と呪詛を背に請け負うのが、影妃の責務。そうでしょう?」
「おのれの責務への自覚はあったのだな。」
王の声に皮肉と侮蔑の色が混じる。
「当然ですわ。 死なせればあなたがお困りになるはず。」
「ならばほかの女を影妃として立てるのみ。影妃などいくらでも替えがきく」
ずきり、とレイシアの心臓が音を立てて震えた。
いくらでも、替えがきく、と、王は言った。
ならば、ただひとり、唯一の影妃を、演じてみせる、とレイシアは思う。
「お言葉を返すようですが、王。わたし以上に影妃に適任の女は、おりませんわ」
王の剣先が、僅かに揺れた。
王ゼクスは影妃制度の核心を、知らない。
生涯消えぬ痛みも、命を削って魔力を吸収していることも。歴代の影妃が虚弱なのは、王の
かわりにみずからの命を削っていたからである。影妃の任務を終えれば、表向きは隠居・引
退という形で、王宮から去り、十分な報奨金を得て、余生を送るとされている。それが事実
と異なることを知るのは、元老院のみ。その背に花紋を刻んだ刻印師だけが、影妃と宿命を
ともにするのである。そして影妃の選定は、王と対立関係にある元老院の管轄だ。王に真実
は届かない。
知らせる必要もない、とレイシアは思っている。
同情されるくらいなら、侮蔑のほうがましだ。
憐れまれるくらいなら、いっそ怒りを買ったほうがずっといい。
自己犠牲などではない。これは自分自身が選んだ道なのだ、とレイシアは思う。
「そもそも、影妃が必要なのは陛下が未熟ゆえ。魔力制御が稚拙すぎますもの」
空気が裂けた。
「黙れ」
冷光を放つ刃がさらに迫る。
喉の皮膚がひんやり震えた。
レイシアは動かない。
「殺せるものなら、殺してごらんなさい、王」
蜜色の瞳が、真っ直ぐにゼクスを射抜く。
その瞬間――
背中が、焼けた。
(――あ)
胸の奥で、ひゅっと空気が抜けたようだった。
肩甲骨の中心に刻まれたゼフィールの偽紋が、熱を持つ。
焼きごてで抉られるような痛み。
同時に流れ込む“視界”――
砦。炎。
血泥に沈む兵の姿。
脇腹を裂かれた王の影。
肋骨の内側を、鈍い刃でえぐられるような痛み。
(……これは)
レイシアは、奥歯を噛みしめる。
喉を裂いて悲鳴が飛び出しそうになるのを、笑みで押し殺した。
何度も、あった。
王が戦場で傷を負うたびに、王都の奥にいる自分の背花が、勝手に疼き、灼け、きしんだ。
幾晩幾晩も続く、幻視と幻痛の、悪夢。それはおそらく王の夢そのものなだろう。
魔力が暴発して、兵も敵も区別なく飲み込んでゆく、黒い奔流。
――そのたびに、偽紋が王の魔力を引き受け、整える。
離れた場所にいるはずなのに、まるで同じ戦場で同じ傷を受けたかのような幻覚と痛みが、
レイシアの身体を蝕んだ。
(あの遠征のときの……脇腹。まだ、きちんと治っていないのね)
ゼクスの外套の下から覗く軍装。右脇腹の布地が、わずかに不自然に引きつれている。
祝宴の場ですら軍装を解かないのは、あるいは負傷した傷を隠すためなのかもしれない、と
レイシアは思う。背中を焼く痛みと合わせれば、もはやそれは確信に近い。
王はケガをしている。しかも重傷だ。
(本当に、馬鹿なひと)
レイシアは、わずかに息を吐いた。
笑っているように見せかけて、肺に溜まった疼痛を吐き出す。
空気が痛いほど張り詰めていた。
ゼクスは身じろぎもせず、ただ影妃を見据えていた。
「端的に聞く。王の印璽を偽造したのか」
「まさか。詔書部に、ほんの少し、貸してもらった、だけですわ」
ゼクスの眉がわずかに歪む。
「影妃が出す恩赦が、どれほどの混乱を生むか……想像できなかったのか?」
レイシアは首をかしげる。
「恩赦は、お前のような立場の者が私怨で発布できるほど、軽々しいものではない」
ゼクスの声は冷たい。
だが、その冷たさの奥に、かすかなざらつきが混じっているのを、レイシアは聞き逃さな
かった。
「民は涙を流して感謝しておりましたわ」
「……許しを乞う気は、ないのか」
「祝って差し上げたのに?」
レイシアはくすっと笑みを深め、言葉を重ねる。
「影妃ごときの囁きひとつで揺らぐ規律など、所詮その程度。買収を厭わぬほどに、職務意欲が摩耗して
いるのは……陛下が長く王都を留守にしておられたツケ、なのではなくて?」
鋭い一言が、静まり返った謁見の間に深く突き刺さる。
「…なんだと」
それでもレイシアは一歩も引かない。
「それに解放した者たちは、下層の民が多うございました。王城が彼らを救えると知れば…
次に泣きつく先も、もう自明でしょう?」
そこで言葉を切り、レイシアは視線だけで王へ問いかける。
――反論できるならしてみなさい、と。
広場の空気が一層重く張り詰める。
ゼクスは握った剣の柄に力を込めたが、すぐには言葉が出てこなかった。
ざわり、と、将軍たち、祭司たち、侍従たち――全員が、王の横顔を伺う。
息がかかるほどの至近距離で、ふたりはお互いを睨み合った。
じくり、と、背中の痛みが増した。
肉を貫くような痛みとともに、戦場の断片が閃光のように脳裏を走った。
(地獄のような戦場で。地獄のような戦場に10年も追いやられて、あなたは耐えてきたの
ね)
「陛下」
レイシアは、まっすぐにゼクスの視線を受け止め、王だけに聞こえる声で、低く囁く。
声は甘く、しかし、棘があった。
ひたり、と言葉を置いて、
「まずは、王としてご説明を。
なぜ、そんな身体で、剣など振り回していらっしゃるのです?」
ゼクスの眉が、ぴくりと動く。
ごくわずかに、握った剣の柄の力がゆるんだ。
「……何を――」
「右の脇腹。
戦場で抉られた傷、まだ完全には塞がっていないのでしょう?」
ささやきは、ふたりにしか届かないほどの近さだった。しかし、その内容は、剣先より鋭く
ゼクスの胸を刺す。
「魔力の流れが乱れておりますもの。わたくしの偽紋が少しばかり疼くのです」
レイシアは、わざとらしく背筋を伸ばす。
黒いドレスの隙間から、刻まれたゼフィールの偽紋が、ゆらりと燭火に浮かんだ。
赤い花弁が、熱にあわせて脈打つように見える。
「……どうしてそれを」
ゼクスの声が、わずかにかすれた。答える代わりに、レイシアはふっと笑う。
「影妃とは、そういうものですわ。あなた様が血を流すとき、わたくしの背も、少しだけ裂ける」
そのとき――
元老院大老の一喝が、張りつめた空気を断ち切る。
「陛下、ここは謁見の場。刃を納められよ」
大老の杖が、床をどん、と打った。張りつめていた空気に、ひびが入る。
「影妃も、たいがいになさいませ」
ゼクスは、なおレイシアを見据えたまま。
一瞬の逡巡――そして舌打ちとともに刃が離れる。
解放された喉元に、
ようやく微かな空気が触れた。
レイシアは、静かに息を吐く。
背中の痛みはまだ残っている。
だが、それを悟らせるつもりはなかった。
「ご帰還の祝宴のお邪魔をいたしました。これにて失礼いたします」
黒いドレスの裾を翻し、影妃はくるりと背を向けた。
薄いレースに透けて咲くゼフィールの偽紋が、燭火の下で妖しく光った。
侍女ミラを従え、影妃は静かに退出した。
重厚な扉が閉ざされるまでのあいだ、ゼクスはただ、去りゆく女の背中から目を離せなかっ
た。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
ゼクスと影妃の距離はまだ遠いまま。
それでも、確実に何かが動き出しています。
もし少しでも続きを気にしていただたなら、
ブックマークしていただけると励みになります。
よろしくお願いいたします。




