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背中に花を刻まれた影妃は王を手玉に取る最悪の女になる  作者: 春野まゆき


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第25話 眠りと殺意

 冬至節の夜、王は眠る。

 一年で最も神脈が濃く、最も不安定になる夜だ。

 この夜、王はすべての力を消失する。

 神脈と王の魔力が共鳴したままでは、循環が更新されないからだ。

 魔力を手放し、神脈との接続を一度、断つ。

 王は世界から切り離され、ただの人として、氷室に横たわる。


「……ほんと、何度見ても、死装束みたいですね」

 背後から、気楽な声がした。

 ゼクスは、祭祀服の紐を結びながら、振り返らない。

 白に近い布。

 金糸も紋章もない。

 王の衣ではなく、力を持たぬ者の装いだ。

「縁起の悪いことを言うな」

 短く返す。

 ツヴァイは肩をすくめた。

 王の背中を見つめる。

 祭祀服に着替えるため、上衣を脱いだその背に――まだ新しい痕が残っていた。

 細い線。

 爪の跡。

 一晩で消えるはずのない、浅く、確かな痕跡。

「……なんとも色っぽい爪痕ですねえ?」

 からかうような言い方だった。

 だが、声は軽くなかった。

 ゼクスは、何も言わない。


 背中に回した白い手。吐息。縋りついて、堪えきれず、爪を立てた女の。


 その背に残る痕は、王が最後に世界と触れた証だった。

 昨夜の熱の名残を、ゼクスは無理に押し払う。


「……ところで」

 ツヴァイは、ゼクスの背に視線を向けたまま、ふと思い出したように言った。

「私が差し上げた酒は、美味かったでしょう?」

 ゼクスの手が、一瞬だけ止まる。

「ツヴァイ」

「ええ、ええ。答えなくていいです」

 軽く笑ってみせるが、その目は冴えていた。

「どうせ、わたしに抜け駆けして――

 オルフェン様と、二人きりで飲んでいらしたのでしょう?」

「……あいつは、飲むと説教が長い」

 それだけ言った。

 ツヴァイは、満足そうに肩をすくめる。

「でしょうね。だから、あえて私を呼ばなかった」

 一拍。

「……何か、約束をなさった」

 断定だった。

 ゼクスは、否定しない。

 ツヴァイは、それ以上踏み込まなかった。

 理由を聞かない。

 内容を探らない。

 王がまだ隠された王子だった頃。オルフェンがまだアビゲイルに師事する未熟な軍師見習いだった頃。ひとまわり以上年上のツヴァイはすでに戦場の将であり、悪童のふたりを一番最初に引き受けた部隊の統括者だった。なんの力も技術ももたない、軟弱で生意気なだけの少年たちが、男同士ふたりで酒を酌み交わすまでに成長した。年の離れた兄のような心境で、ツヴァイはゼクスを見つめる。


 冬至節の夜。

 王が唯一、無力になる夜。

 魔力を断ち、神脈から切り離され、

 眠りという名の空白に落ちる時間。

 その間、王は――王であってはならない。

 だからこそ、その夜は狙われる。

 王に成り代わろうとする者。

 王の不在を確定させたい者。

 神殿の外から呪いを投げる者。

 遠国から雇われた刺客。

 剣も、毒も、呪術も、

 すべてがこの夜に集中する。

「……今年も、忙しくなりそうですね」

 ツヴァイは、壁際に立てかけられた弓に視線をやった。

 神弓。

 神殿の封印と同じ木脈から切り出され、王の魔力と同調することなく、王を守るためだけに存在する武具。

 だからこそ、使い手は限られる。

 王に忠誠を誓いながら、王の力に頼らず、王を“人として”守れる者。

「……お前以外に、任せられない」

 ゼクスの声は、低い。

 命令ではない。

 それは、信頼の言葉だった。

 ツヴァイは、いつもの軽さを少しだけ引っ込めて、弓を手に取る。

「ええ。王が眠る夜は、わたしの夜です」

 世界のどこかで生じる殺意が、この場所へ向かう前に、射抜くべき“兆し”として現れることを、彼は知っている。

「ご安心を」

 ツヴァイは、笑った。

「王が無力な間、わたしが、王の眠りをお守りします」

 ゼクスは、短く息を吐いた。

 それは笑いに、少しだけ似ていた。

 今年の眠りが、例年と同じかどうかを、ツヴァイはまだ知らない。

 だが、知る必要はない。

 眠りの番人に必要なのは、未来の予測ではなく、今夜、王が戻るまで世界を阻む覚悟だけだった。

 冬至節の夜は、静かに、しかし確実に、殺意を集めはじめていた。


 ◇ ◇ ◇


 元老院の会議室は、冬でも温かい。

 分厚い石壁の内側。

 外界の寒気も、民のざわめきも、ここまでは届かない。

 卓を囲む十二の席。

 その上位、半段高い玉座に、大司教が座していた。

 髪も顔も被布で隠され、白衣の奥で、ゆっくりと指が組まれる。


「——冬至節を前にして、王は眠りに入る」

 それは、確認にすぎない。

 誰も異論を挟まない。

「影妃レイシアについて」

 次の言葉で、空気がわずかに引き締まる。

「彼女は、禊ぎの期間においても、王と接触した」

 老神官の一人が、淡々と報告書を読み上げる。

「地下神殿に入るべき三日目に、王の寝室へ向かったとのこと」

「——情交の事実を否定できません」

 沈黙。

 誰も眉を動かさない。

「これは、明確な違反ですな」

「冬至節は、国家最大の祭祀」

「神脈の更新、断絶、再接続——すべてが国の存続に関わる」

 別の神官が続ける。

「禊ぎを穢す行為は、王権そのものを穢す」

「影妃は、その立場を理解していながら——王を誘惑した」

 言葉は整っている。

 だが、その結論は、すでに決まっていた。

「——水牢に」

 誰かが言った。

「殺す必要はない」

「器としての価値は、まだある」

 影妃は、女ではない。

 人でもない。

 神脈の器だ。

「地下水牢に軟禁」

「禊ぎを終えぬまま、隔離」

「生かして、削ぐ」

 それが、神殿と元老院の秩序だ。


「では、王については?」

 その問いで、空気が変わった。

 大司教が、ゆっくりと顔を上げる。口元が、歪んだ。

「王ゼクスの出自について——改めて確認する」

 卓上に、古い羊皮紙が置かれる。

「実母は、鮫人族」

「海の民。人魚の血を引く女」

 ざわり、と空気が微かに波打った。

「——異端ですな」

「王権に、人ならぬ血が混じる」

 誰かが言う。

「伝承によれば」

「人魚の肉を食らえば、不老不死を得る」

 その言葉を、誰も否定しない。

「王の母は、すでに処理されている」

「肉は、神殿に献上された」

 視線が、自然と大司教に集まる。

 大司教は、穏やかに微笑んだ。

 誰も問い返さない。

 誰も、咎めない。

 10年前、王の実母は惨殺された。

 それは“必要な犠牲”だった。

「王は、庶出であり、しかも、鮫人族の血を引く」

「ゆえに、魔力の質が異質」

「制御が難しい」

 一人が、決定打を放つ。

「——王を排すべきでは?」

「冬至節の夜」

「王は、眠りに入り、無力になる」

 大司教の指が、卓を叩いた。

「刺客を放て」

「神殿の外の手を使え」

 静かだった。

 誰一人、声を荒げない。

「影妃は水牢」

「王は、眠りのまま消える」


「神脈は、正統な器へ」

 その名を、誰かが口にした。

「——クリシュナ様」

「正統な王脈の花紋を持つ女」

「神殿に属し、王権に属さない女」

 大司教の目が、かすかに細くなる。


 結論が、整然と並ぶ。

 正しい情報。

 正しい論理。

 正しい秩序。

 会議は、滞りなく終わった。

 重い扉が閉じる。

 外では、冬至節の準備が、着々と進んでいる。

 誰も知らない。

 この夜、王は眠り、影妃は囚われ、神殿は、最も深い罪を重ねることになる。


 ◇ ◇ ◇


 神殿の最深部。


 壁に刻まれた古い紋様は、もはや装飾ではない。

 神脈そのものの走行を写した、地図だ。

 ノアは、石床に膝をつき、上衣を脱いでいた。

 胸元——

 心臓のすぐ上に、複雑な刻印が、すでに半分以上刻まれている。


 血は、もう流れていない。

 代わりに、淡い光が、脈打つように浮かび上がっていた。

「……もう、後戻りはできない段階ね」

 背後から、軽やかな声。

 クリシュナは、祭祀用の外套を羽織りながら、興味深そうに覗き込んでいた。

 そこに、畏れはない。

 あるのは、好奇心だけだ。


「神脈の分流、位相のずらし、器の再定義……3つ同時に術式を展開するなんて、やっぱりあなた正気じゃないわね」

 ノアは、息を整えながら答えた。

「正気である必要はありません」

 刻印刀が、再び動く。

 刃先は、肉を切っていない。

 “流れ”を切り替えている。

 ノアの指は震えていない。

 だが、その背中には、冷たい汗が流れていた。

「神脈は、王から切り離されます」

 クリシュナは、くすりと笑う。

「預かり先が、私とあなた」

 ノアは、顔を上げない。

 ほんの一瞬、神脈が軋む。

「あなたが神脈を盗み、わたしが捉える。最高のお遊びね」

「……遊びではありません」

 低い声。

「これは、罪です。王の罪。影妃の罪。そして——私の罪」

 クリシュナは、目を細めた。

「ふうん。…でも、罪って、誰が決めるのかしら」

 歩み寄り、ノアの胸元を、指先でなぞる。

 触れていない。

 だが、神脈が応じて震えた。

「あなたは、世界の裏側を繋いでいる。王権と神殿と、そして——“彼女の逃げ道”を」

 ノアは、静かに言った。

「レイシアは、国外へ逃げる。彼女の商団は、生き残る。国には、金が流れ続ける」

「……つまり」

 クリシュナが引き取る。

「王は失われ、影妃は消え、それでも、国は回る」

 指先が離れる。

「最高じゃない」

 本心だった。


 ノアは、最後の線を刻んだ。

 刻印が、閉じる。

 その瞬間——神殿全体が、低く、うなった。


 神脈が、移行した。


 ノアの胸に刻まれた紋が、音もなく収束する。

 刃を離した瞬間——神殿の奥深くで、何かが反転した。

 低い、唸るような振動。

 それは揺れではない。

 流れが、向きを変えた音だった。


「……っ」

 クリシュナが、思わず息を詰める。

 全身に、焼けるような感覚が走った。

 否。

 焼けるのではない。

 満ちるのだ。

 閉じていたはずの花紋が、ノアの刻印を経由して、外界と接続される。

 押し寄せる。

 怒涛のように。

 堰を切った水脈のように。

「……あ、……」

 声にならない息が、喉から零れた。

 今まで、ただ溜まるだけだった力。

 循環せず、世界に流れ出ることもなかった魔力。

 それが——今、怒涛のように流れ込んできた脈音と、ひとつになる。

 ノアの刻印を経由し、王から切り離された神脈の一部が、まっすぐに、クリシュナへと注ぎ込まれていく。

「……すごい……」

 思わず、膝に力が入る。

 花紋が、開かないまま、拡張していく。

 まるで——巨大な子宮だ。

 受け取るためだけに存在する、空間。

 生み出さない。

 放出しない。

 ただ、抱え込み、蓄え、耐える器。


「これが……」

 喉が、震える。

「これが……神脈」

 恍惚。

 それは快楽ではない。

 支配感でも、全能感でもない。

 もっと原始的で、もっと危険なもの。

 ——世界を内側に抱え込んでいる、という感覚。

 クリシュナは、思わず壁に手をついた。

 指先が白くなる。

「……ふ……」

 小さな、笑い声。

「なるほど……これは……」

 視線が、ノアへ向く。

 刻印を刻み終え、わずかに肩で息をしている刻印師。

「あなた……とんでもないものを、私に預けたわね」

 声は、震えていない。

 だが、目は明らかに熱を帯びている。

「閉じた花紋だからこそ、受け止めきれるのです」

 ノアは、静かに答えた。

 クリシュナは、ゆっくりと息を整えた。

 胸の奥で、まだ力が渦を巻いている。

 制御できる。

 ——いや、制御しなければならない。


「……秘密にするわ」


 先ほどより、ずっと低い声で言う。

「この感覚も。この力も。あなたが刻んだ、この経路も」

 そして、微笑んだ。

 今度は、完全に“遊ぶ側”の顔で。

「特に——あのヒトには、絶対に内緒」

 一拍。

「知られたら……遊べなくなってしまうもの」

 神殿の奥で、二人だけが知る神脈が、静かに脈打っていた。

 王の眠り。

 影妃の逃亡。

 元老院の策謀。

 それらすべてとは別の場所で。

 新しい循環の“胎動”が、始まっていた。


ここまで読んでくださり、ありがとうございます。

もし少しでも続きを気にしていただたなら、

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