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背中に花を刻まれた影妃は王を手玉に取る最悪の女になる  作者: 春野まゆき


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第22話 血杯の絆

「…今日は、なんの要件ですか」

 不審げにオルフェンが問う。唐突に呼びつけられて来てみれば、王の執務室に酒壺がある。その事実だけで、嫌な予感は十分だった。

「まあ、座れ」

 ゼクスは奥からグラスを2つ持ってきた。左手に硝子でできた異国の酒壺を抱えている。

「こんな時に、酒を?」

 冬至節の前だ。本来王は身を清め行いをひそめて入眠を待つ身のはずである。

「お前と飲むのは、久しぶりだろう。以前ツヴァイが持ってきた酒だ。ツヴァイには悪いが、先におれたちで空けてしまおう」

 おれたち、という響きを、久しぶりに聞いた気がした。それはまだ、王と自分が単なる幼馴染だった頃の響き。お互い悪童で、ともかくよく笑い、よく遊んだ。そしてよく、クリシュナからいじめられては二人で泣いた。

「…影妃処刑の書面には、目を通しました」

 ゼクスは、かすかに笑った。そして酒壺を傾ける。陶の杯に、濃い酒が満ちる音が静かに響いた。

「逃がすおつもりですか」

「…悪かった。事前に相談する時間がなかった」

 ふ、とオルフェンは笑う。一拍置いて、杯を持ち直し、軍師は一気に杯をあおった。

 酒が喉を焼く。

 強い。

 だが、悪くない。

「ええ、ええ。いつも何もかも、事後報告ですよ、アナタというひとはね」

「王を降りようと思う」

「…思う、って、もう<思って>いる段階じゃないんでしょう。決めてしまったあとの事後報告でしょう、いつものように」

「おまえは次期宰相候補だ。クリシュナが女皇として立つだろうから、そっちに仕えるといい」

「ご冗談を!」

 即答である。

「たとえ天地がひっくり返っても、その選択肢だけはありえませんね!」

「なら、どうする」

「どうするって、どうもしません。昔にもどるだけの話です。辺境でも、異国でも、もうどこでもいいですよ。戦場を駆け回ってもいいし、荒野を切り開いて町をつくってもいい」

「レイシアを、愛している」

 ——言葉は、それだけだった。

 炎がはぜる音が、やけに大きく響いた。

「は?それを私が聞いてどうしろと?言っておきますが、影妃と二人だけで駆け落ちなどは許しませんよ。わたしはアナタについていきますし、ツヴァイも同じです。ジンに至ってはアナタ以外の主にどうやって手なずけられるというのです…あんな物騒なチビ猫」

 しばらく、言葉はなかった。

 火のはぜる音だけが、二人の間を満たす。

 ゼクスが、ぽつりと口を開いた。

「冬至節の夜……おれは、眠りに入る」

 オルフェンの指が、杯の縁で止まった。

「……存じ上げてます。即位なさってからは例年のことでしょう」

「ああ」

 肯定は短い。

 その先を、あえて続けない。

「今回は……戻らない可能性が、ある」

 杯の底に、酒が揺れる。軍師の目が、王を凝視する。

「影妃を神脈から切り離す。魔力をクリシュナに継承する」

「…そんな話、聞いていませんよ」

「だから、今、言っている」

 オルフェンは、ぎっ、と王を睨みつけた。

 ゼクスは続けた。

「魔力消失に陥れば、覚醒しないまま、終わるかもしれない」

 それは、死とよく似ていた。

「刻印師が、命を賭している。何か策があるのかもしれない」

「かもしれない、とは?そのわけのわからない策の勝算はあるんですか!」

「策、というより…単なる選択の話をしている」

「単なる選択?アナタはバカなのか?女ひとりのために王位を投げうち、しかも命まで捧げると!?到底、納得できない!」

「レイシアが捧げてきたものを知っているか」

 …女ひとり。たったひとりだ。国中が凶兆と呼ぶ象位を再構成し、経済を支え、商団を組織して王都の金を回してきた。貧民窟の痩せっぽちの少女。子どもたちを助けるために自ら影妃候補の身代わりを名乗りでた。その背中に何千もの針を打たれ、ゼフィールの花紋を刻まれた。正妃の身代わりとして、その命を削りながら激痛に耐えて生きてきた。たったひとりで、耐えながら、戦いながら、王の無事を祈り続けていた。

「おれはお前に理解を求めているわけではない。ただ、お前にだけは、おれの選択を伝えておきたかっただけだ」

「わたしがその選択を阻止するとは思われませんか。女を救うためだというのなら、その女がこの世から消えてしまえばいいと、わたしが考えない保障があるとでも?」

「オルフェン」

 ゼクスが、笑う。

「お前が、おれの頼みを聞き入れなかったことがあるか?…一度もない」

 オルフェンは、ゆっくりと息を吐いた。

「頼み?あなたがいつ、何を、わたしに頼んだと?」

 軍師の声は苛立ちで震えるのをかろうじて抑えていたが、ゼクスの声には迷いがない。

「お前は、王が戻らなかった場合の世界を、考えられる男だ」

 称賛ではない。

 信頼だった。

「王がいない国を、想定できる。それでも、国を壊さずにすむ方法を、探せる。それを、冷静にやれる」

 オルフェンの喉が、鳴った。

「……本当に、目覚めない気ですか」

 ゼクスは、否定しなかった。

「わからない」

 杯を置く。

「だが、今やるべきことをするまでだ」

 再び、酒が注がれる。

「血に賭けて、誓おう」

 ゼクスは、自らの掌をナイフで切りつけた。2つの杯に、血を垂らす。

 赤い雫が、酒の底でゆっくりと広がった。

 それは血であり、誓いであり、もう後戻りできない線だった。

 軍師は固く目を閉じて——ゆっくりと、開く。

「仕方がない。では、私も血に賭けて誓いましょう」

 オルフェンも、掌でナイフを握る。2つの杯に、赤く、血が滴った。

 ゼクスは、杯を持ち上げる。

 オルフェンも、同じ高さで杯を上げた。

 二人は、杯を合わせない。

 音を立てない。

 それでも、同じ酒を飲んだ。

「国をまわせ」

「必ず目覚めていただきます」

 杯の底が、静かに空になる。


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