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背中に花を刻まれた影妃は王を手玉に取る最悪の女になる  作者: 春野まゆき


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第19話 隠された商団

 神殿の奥。

 冬至節を前に、香の匂いが静かに満ちていた。

 卓の上には、数枚の羊皮紙。

 封蝋の色も、書き手もまちまちだ。

 アビゲイルは、老獪な目でそれらを並べていた。

「……噂は、失敗しましたな」

 低く、断定する。

 クリシュナは、長椅子に斜めに腰かけ、足を組んだまま片眉を上げた。

 その仕草は気ままで、どこか品がない。

「……ガラが悪うございますよ、お嬢様」

 わざとらしく、アビゲイルは深いため息をつく。

「いいでしょう。今は、あなたしか見ていないもの」

 クリシュナは、肩の力を抜いたまま言った。

「猫をかぶるのも、案外、体力を使うのよ」

 本来ならば、天使のように微笑むべき顔。

 だが今は、気崩れた薄い夜着の裾から、白い脚が無防備に覗いている。

 それを気に留める様子もない。

「……“王を誑かす悪女”の噂、ですかな」

「ええ」

 クリシュナは、口角だけをわずかに持ち上げた。

 微笑みというより、答え合わせを終えた顔だ。

「民の口には、きれいに乗ったわ。――でも」

 そこで、声の温度がすっと下がる。

「効きすぎた」

 無邪気さの仮面の奥で、思考が静かに回転している。

 アビゲイルは、一枚を指で叩いた。

「通常、この手の噂が流れれば、王都は荒れます」

  「投機が走り、穀物が滞り、治安が悪化する」

 別の紙を出す。

「ところが、今月の数字です」

 羊皮紙には、細かな記録。

「小麦の市価、前月比でほぼ横ばい」

  「塩の流通量、むしろ増加」

  「夜間犯罪件数、微減」

 クリシュナは、興味深そうに身を乗り出した。

「……噂が極まっているのに、街が安定している」

「さすがお嬢様。気がつかれましたか」

  「しかも、王は沈黙している」

 アビゲイルは、ゆっくり言葉を置く。

「普通なら、王の沈黙は不安を呼ぶ。だが今回は、そのような空気感がない」

 クリシュナは、指先で空をなぞる。

「つまり――」

  「王の不在、あるいは沈黙を前提に、すでに“回る仕組み”がある」

 ぱち、と指を鳴らす。

「しかも、それが噂の中心人物と無関係に見えるようで、実は密接」

 アビゲイルの口元が、わずかに歪む。

「ご明察」

 さらに一枚。

「王都への物資流入の経路を洗いました」

  「三つの主要な中継点がある」

 指で示す。

「北の河港」

  「南の倉庫街」

  「そして――娼館街」

 クリシュナの瞳が、きらりと光った。

「娼館?」

「ええ。表向きは酒と肉と女。裏では、情報と金と人」

 アビゲイルは、淡々と続ける。

「娼館街を経由した荷は、関所で止まらない。…検査も、帳簿も、形だけ」

「……なるほど」

 クリシュナは、椅子の背にもたれ、天井を見る。

「噂を流す。王を沈黙させる。民を安心させるための物流を裏で回す」

 一つ、また一つ、指を折る。

「しかも、それを“正義”ではなく、“悪女の放蕩”に見せる」

 ふ、と笑った。

「ずいぶん、性格の悪い手だわ」

「影妃レイシアの手並みでしょうな…おもしろい女ですのぉ」

 ふぉっふぉっと、アビゲイルは喉の奥で楽しげに笑った。

「彼女は、自分が疑われることを計算に入れている。だから、決して表に出ない」

 クリシュナは、目を細めた。

「噂を盾にする、か」

 クリシュナは、卓の上の数字から目を離さない。

「……つまりね、アビィ」

 ゆっくりと言葉を選ぶ。

「噂は“人心を乱すため”に流された。けれど実際には、逆の結果を生んでいる」

 指先で、物流の経路をなぞる。

「本来なら、王を誑かす悪女の噂が広まれば——」

「投機が走り、物は滞り、街は不安定になる」

 アビゲイルが続ける。可笑しそうに、目の奥が笑っている。

「ところが、そうなっていない」

 アビゲイルは、静かに頷いた。

「ええ。むしろ、王都は落ち着いております」

「穀物は不足せず、塩も布も途切れない」

「治安も、かえって改善している」

 クリシュナは、そこで初めて顔を上げた。

「おかしいのよ」

 声は軽いが、目は鋭い。

「王は沈黙している。影妃は悪女として糾弾されている。なのに、街は“王がそこにいるかのように”順調に、いつもと変わらず、回っている」

 一拍。

「……いいえ」

 訂正する。

「王ではない誰かが、“王の役割”を果たしている」

 アビゲイルの目が細くなる。

「影妃、ですな」

「ええ」

 クリシュナは、楽しそうに微笑んだ。

「彼女は、噂を否定しなかった。弁明もしなかった。ただ沈黙して、裏で流れを整えた」

 指を折る。

 物流。価格。人の移動。情報。


「王権がなくても、街が回る状態を、意図的に作った」

 アビゲイルは、低く息を吐いた。

「それは……元老院にとって、最も危険な兆候です」


「ええ。でも同時に——」

 クリシュナは、くるりと指先を返す。

「元老院が“勘違いする”条件でもある」

 視線が、遠くを見る。

「“影妃を切り捨てても、混乱は起きない”と」

 アビゲイルは、苦々しく言った。

「だからこそ…あらゆる“排除の選択肢”が浮上する」

「そう」

 クリシュナは、そこで少しだけ表情を変えた。

 軽さが消える。


「でもね、アビゲイル」

「彼女は“回る仕組み”を作っただけ」

 一拍。

「“循環する神脈”までは、作っていない」

 アビゲイルが、わずかに眉を動かす。

「……神殿の領分ですな」


「ええ」

 クリシュナは、自分の胸元にそっと手を当てた。

「そして、そこに絡むのが——私の花紋」

 指先が、何もない空をなぞる。

 開かない花紋。

 力はあるのに、循環しない。

 流れを生まず、ただ溜まるだけの魔力。

「私はね」

 声は淡々としている。

「“世界を回す器”には、なれなかった」

 アビゲイルが、視線を上げる。

「王権にも、神脈にも、完全には接続されていない。正確に言えば——接続できない」

 クリシュナは、ふっと笑った。

「欠陥品、というやつね」

 アビゲイルは、すぐには否定しなかった。

「……しかし、その欠陥が」

 クリシュナは、言葉を取る。

「今になって、意味を持ちはじめている」


 視線が、鋭くなる。

 先ほどまでの気怠さは消えていた。

「影妃は、王都の“現実の循環”を作った。王は、戦場で“力の循環”を担ってきた」

 一拍。

「そして私は——」

 間を置く。

「神脈を“預かる”ことだけができる」

 卓の上の数字と、見えない紋を、重ねるように。

「流さない。回さない。ただ、溜める」

「それだけなら——できる」

 クリシュナは、静かに断言した。

「パズルは、ほぼ揃ったわ」

 そして、穏やかに結論を置く。

「噂が失敗したんじゃない」

「成功しすぎて、次の段階に進んだだけ」

 さらに、静かに言った。

「彼女は、自分が切り捨てられるところまで、計算している」

 アビゲイルは、苦笑する。

「……おそろしい女です」

「ええ」

 クリシュナは、心底楽しそうに微笑んだ。

 面白い。

 ずっと、見ていたい。

 献身。したたかさ。愛と、痛み。そのむなしさと、苦しみ。

 ——自分にはない感情の形。

 致命的に欠落しているもの。

 最も国母に近い女とされながら、

 歴代の皇太子たちの許嫁として名を連ねながら、

 それでも擁立が進まなかった理由を、クリシュナは、誰よりもよく知っていた。


「開かない」からだ。


 正当な花紋を持ちながら、成熟しない。

 器として、機能しない。

 ——だからこそ。

 今、この局面でだけは。

「使い道が、ある」


 ◇


 ほぼ同じ頃。

 オルフェンは、軍部の補給記録を睨んでいた。


 おかしい。


 国境守備隊への糧食。

 王都近郊の馬用飼料。

 塩、鉄、油脂。

 どれも、滞っていない。

 ——否。滞らなさすぎる。


 王は沈黙している。

 元老院も、指示を出していない。

 それでも、数は揃い、時期は外れず、価格も乱れない。


「……誰が、回している?」

 問いは、すぐに否定に変わる。

 元老院ではない。王でもない。神殿でもない。ならば、民間。

 だが、民間にしては——


 オルフェンは、ある麻袋を引き寄せた。

 結び目。縄の太さ。規格。

 軍用だ。

 民間流通に混ざるはずがない。


「……補給網だな」

 利潤のためではない。都市を飢えさせないためだけに存在する流れ。

 視線が、報告書の末尾に落ちる。

 搬入元——娼館街裏倉庫。


 オルフェンは、ゆっくりと息を吐いた。

「影妃……」

 その名は、確信だった。


 ◇ ◇ ◇


 元老院の会議室は、冬の気配を閉じ込めていた。

 厚い石壁。高い天井。長卓の上には、書類が幾重にも積まれている。

 誰もが、それを“証拠”と呼んでいた。

「——以上が、調査結果です」


 発言したのは、白髪の老議員だった。

 細い指で、羊皮紙を示す。


「王の沈黙が続く中」

「影妃レイシアの周辺から、独自の物流網が確認されました」

 ざわり、と空気が揺れる。

「娼館街を起点に」

「倉庫、河港、地方都市へと物資が流れている」

 別の議員が口を挟む。

「正規の関所を通らずに、ですな?」

「ええ」

「検査は形だけ。帳簿は偽装されている」

 老議員は、満足げに頷いた。

「つまり——」

 一拍。

「王権を介さない、独立した補給線です」

 その言葉が、部屋に落ちた瞬間、元老院の誰もが同じ像を思い浮かべた。


 ——軍を動かすための準備。


「補給が安定しているのは、偶然ではない」

「民が飢えぬのも、治安が保たれているのも」

 別の議員が言う。

「すべて、“その時”に混乱を最小限に抑えるため」

「つまり、反乱だ」

 誰かが、断言した。異論は出なかった。


 なぜなら、元老院は秩序の言葉しか知らないからだ。


 彼らにとって、王権を通さない流れ、命令のない最適化、軍事的に美しい補給線

 は、すべて同義だった。

「影妃は、王を操っている」

「あるいは——」

 老議員は、声を落とした。

「王を排した後の、次の体制を準備している」

 卓上の書類が、静かに整理されていく。

「噂が広まっても、街が乱れない理由が、これだ」

「王が沈黙しても、国が回る理由が、これだ」

 誰かが、吐き捨てるように言った。


「——危険すぎる」


 影妃は、単なる悪女ではない。

 王の寵妃でもない。


「王の代わりになれる女だ」


 その評価が、決定的だった。

「許されぬ」

「王権を空洞化させる存在」

「しかも、民に支持されかねない」

 沈黙。


 そして、結論が落ちる。

「影妃レイシアを——」

 老議員は、ゆっくりと宣告した。

「〈処分〉しなくては」

 しかし、すぐに続く。

「しかし」

「神脈の器としての価値は、まだ残る」

 別の議員が、冷ややかに言った。

「水牢に落とし、生かしておけばよい」

「魂を削ぎ、意志を折り、ただの“器”として」

 誰も眉をひそめなかった。

 それが、秩序のためだと信じているからだ。

「交代の影妃は?」

「すでに候補はあります」

「クリシュナ様の花紋の成熟も間近では」

 話は、淡々と次に進む。

 ——彼らは気づかない。

 自分たちが見ている“証拠”が、反乱の準備ではなく、王都を守るための最終防衛線であり

 王が戻らなくても街を生かすための仕組みだということに。

 彼らは、正しい情報を集めて、最悪の結論を導いた。

 会議が終わる。

 重い扉が閉じる。


ここまで読んでくださり、ありがとうございます。

もし少しでも続きを気にしていただたなら、

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よろしくお願いいたします。

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