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背中に花を刻まれた影妃は王を手玉に取る最悪の女になる  作者: 春野まゆき


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第17話 娼館

「ゼークースー」

 舌っ足らずな少年の声が、背後から降ってきた。

 開いていた窓枠から、音もなく飛び降りる気配。

 赤毛の少年が、王に抱きついてくる。翡翠色の瞳が、王の顔をのぞき込んだ。

「離れろ。近い」

「やだね」

「なにしに来た。影妃から目を離すなと言ったばず」

「今なら、オマエ、殺せちゃうかなあ」

 翡翠色の瞳が光る。

(このくそガキ。半分本気か)

 ゼクスが少年の首根っこをつかんで持ち上げた。

「どんな理由でおれを殺すと?」

「あ、うそうそ、ゼクス降ろせよー」


「お前と遊んでるヒマはない」

 トン、と床に足をつかせると、ジンは、じっと王の顔を凝視した。


「その唇」

 少年は指を伸ばし、空を切る。

「なに?」

 無遠慮な視線が、そこに突き刺さる。

「なんなわけ?」

 首を傾げる。

 獣が匂いを確かめるような仕草。

「そんなとこ、誰に噛まれたわけ?」

 ゼクスは、一瞬、言葉を失った。

「オマエの唇に傷をつける女?そんなの、ひとりしかいないよなあ」

「・・・余計な詮索をするな」

 ふうん?とジンは、くるりと背を向け、何でもないことのように続ける。

「この間さあ」

 少年は、どさ、と王の執務室のソファに体を埋めた。

「部屋にもどってきた影妃」

 ほんの一拍。

「蒼白だったぞ」

 ゼクスは、振り返らない。ジンの追撃は続く。

「震えてたかも」

 その言葉に、ゼクスの指先が、わずかに強張った。

 ジンは気づかないふりをする。

「あのさあ・・・怖がらせて、どうすんの」

 ゼクスは、視線を逸らす。

「あの女さ」

 ジンは、肩越しに言った。

「高潔で、無垢だろ」

 断定。

「それくらい匂いで分かる。あんないい女、そうそういないよなあ」

 そしてまた、一拍。

「……覚悟がないんなら」

 翡翠色の瞳が獲物を狙うように光る。声が、少しだけ低くなる。

「手ぇ出すなよ」

 ぎっ、と、ゼクスは、ジンを睨む。

「オマエが捨てるならさ」

 ジンは、軽く言う。

「……オレが拾っちゃおうかなあ」

 一瞬の、殺気。

「ふざけるな」

「うそうそ、怒るなよー」

 どこまでが本気で、どこまでが冗談なのか分からない軽さで、さらりと少年は言ってのけた。

「ま、影妃を慰めたい男なんていっぱいいるしなあ?別に心配いらないよなあ?」

 意味ありげな上目遣いで、ジンはゼクスの顔色を伺う。

「・・・刻印師か」

「ノア・エルバス?ああ、いや、そいつはさあ、もう愛を超えてるから、影妃に対しては。オマエみたいに中途半端に手出したりしないから、身内役に徹してるからそいつは」

 ずけずけと傷を広げる言い方で、楽しそうにジンは続ける。

「影妃がけっこう頻繁に入り浸ってるヒミツの場所があるんだよなー」

「どこだ」

「イリスの館」

「・・・娼館?」

 ゼクスの目が、鋭くなる。それは怒りではない。まず、判断だ。

 噂ではなく、本当に通っている?なんのために?

 諜報か。攪乱か。それとも――

 そこまで考えて、思考が、一瞬だけ止まった。

「知ってるか?」

 ジンの眼差しは、完全に、捕らえた獲物をいたぶる目つきだ。

「あそこの男娼は王都随一で、神のごとき美貌と女を堕とす手練手管は最高だって」

 ゼクスの喉が、わずかに鳴る。

「影妃、楽しそうに、そいつと笑ってたなあ」

 ゼクスの目が、細くなる。

 だが、それ以上は動かない。

 声も出ない。

 怒りでもない。叱責でもない。命令でもない。

 ――沈黙。

 それは、王が感情を切り離すときの沈黙だと、少年は知っていた。

 ほんの、数拍。

 ジンは、内心で舌打ちした。

 面倒、という意味ではない。

(やってしまった)

 完全に。

 ゼクスは、影妃のことになると、考える前に、止まる。

 止まるくせに、引き返さない。

(いちばん、タチが悪い)

 王としては、正解だ。

(・・・要するに、男としては、致命的に失敗してるってやつだよな)


 だから――楽しい。


(ほらほら)

(もっと、黙れ)


 ジンは、わざと視線を逸らした。

 王を見ない。

 見なくても、分かる。

 沈黙の匂いが、じわじわ、濃くなっていく。


(……これ)

 たぶん。

(オレが初めて見る、ゼクスの顔だ)

「……ま」

 ジンは、肩をすくめる。

「仕事、しよ」


 ◇ ◇ ◇


 王都随一の娼館「イリスの館」は、今宵も賑わっていた。


 歌声が、階段を流れ落ちる。

 酒杯が触れ合う音。

 笑い声。


「いらっしゃいませ、影妃さま」


 歌姫イリスが、ゆるやかに頭を下げた。

 濃紺のドレスは、夜そのものの色だ。

 深く落ちる布地に、金の刺繍が星のように散っている。

 動くたび、光を拾い、音もなくきらめいた。


 歌姫の所作には、一切の無駄がない。

 深くもなく、浅くもない。

 相手が「大切に扱われている」と錯覚する、ちょうどいい角度。

 微笑みは柔らかい。

 だが、近すぎない。

 親しみと計算の境界線を、完璧に心得ている。


「今夜は、随分と静かね」

 レイシアは、外套を預けながら言う。


「嵐の前ですもの」

 イリスは、くすりと笑う。


 その横から、男が歩み寄った。

 背が高く、柔らかな金髪。

 光を孕んだような笑み。

「影妃」

 カインは、恭しく手を取る。

「お久しぶりですね」

「ええ。あなたも、相変わらず」

 言葉は軽い。距離も近い。

 だが、触れ合う指先に、淫靡さは微塵もない。

 そこにあるのは――信頼だ。


「今日は、どちらの部屋を使われますか」

 カインが低く問う。

「二階を」

 レイシアは即答する。

「“奥”は、今日は使わない」

 それは、客を通さない部屋。

 帳簿と伝令が集まる、館の中枢だ。

「了解」

 男娼は、ためらいなく一歩引いた。

 誘う素振りも、探る視線もない。

 合図だけで、意思が通じている。


 ◇ ◇ ◇


 通りを挟んだ向かいの屋根。


 ゼクスは、夜陰に溶けるように立っていた。

 隣には、赤毛の少年。

「……随分と、親しげだな」

 王が、低く言う。

「だろ?」

 ジンは、あっさり頷く。

「まあ、色事の匂いは感じないけどさ」

「なに?」

「男娼カイン。影妃の手を一番最初に取ったやつだよ。いい男だろ?」

 にやにやと少年は笑う。

「影妃がずいぶん自然体で笑ってる。オマエの時とちがってさ」

「・・・黙れ」

 ハイハイ、と少年は軽く嘯いた。

「・・・諜報機関のようなものか」

 ゼクスは、視線を逸らさずに言った。

 歌姫。男娼。噂。

 人が油断する場所に、情報は集まる。

 ここに集まるのは、欲と油断だ。

 金を払い、酒に溺れ、舌を軽くした者から、

 王都の裏が、自然と流れ込む。

 隠そうとしない。

 だから、疑われにくい。

 影妃が動かすには、

 あまりにも、理に適っていた。

「たぶんね」

 ジンは、気のない調子で答える。

「念のため」

 ゼクスは、視線を切らない。

「オルフェンに、詳細を調べさせろ」

「了解」

「影妃に害なす者がいれば」

 ゼクスの声が、冷える。

「――殺せ」

「はいはい」

 軽い返事。

 それでも、視線は館に戻る。

 美形の男娼とにこやかに会話している影妃が遠目に見える。


「なあ」

 ジンが、ぽつりと言う。

「楽しそうだぞ?影妃を傷つける感じじゃないよな」

 ゼクスは、答えなかった。

「見張る必要あるのか?」

 笑っているレイシアの姿が、ゼクスの胸の奥で、わずかに軋む。


 ◇ ◇ ◇


 イリスの館を見下ろす屋根の上で、

 ゼクスは、最後に一度だけ振り返った。

 娼館の灯りは、相変わらず華やかだ。

 影妃の姿は、もう見えない。

「……いいか」

 低く、命じる。

「片時も目を離すな。影妃を見張れ」

 命令は、それだけだった。

 ジンは、軽く手を振る。

「だから分かったって」


 ゼクスは、それ以上何も言わず、夜の闇へと戻っていった。


 王の気配が、完全に消える。

 その瞬間だった。

 ――“いる”。


 ちっ、と舌打ちするや否や、ジンは身を翻した。

 刃が、頬をかすめる。


「……っ」


 避けた、と思った時には、

 背後に男がいた。


 金色の髪が、夜に溶ける。

 整いすぎた顔立ち。

 だが、立ち方が違う。


(ああ)

(こいつ)


 同類。


(……厄介)


 背は高いが、細身。

 無駄な筋肉がない。

 重心が低い。

 微笑みが、一瞬だけ緩む。

 殺しを専門にする人間は、いとも簡単に殺意と気配を消せる。


「こんばんは」

 男は、柔らかく言った。

「のぞき見なんて、ずいぶん悪趣味だね」

「そっちこそ」

 ジンは、胡散臭そうに男を見る。

「王の護衛に、よく手ぇ出せたな」

 返事はない。


 次の瞬間、二人は同時に踏み込んだ。


 音が、消える。

 刃が交わる前に、互いの急所が、逸れる。


 喉。

 心臓。

 頸動脈。


 どれも、完璧に狙って、完璧に外す。


 数合。

 ほんの、数秒。

 ジンが、ふっと距離を取った。


「……あー」

 頭を掻く。

「これ、めんどくさいやつだ」


 男も、刃を下ろす。

「同感」

 落ち着いた声。

「これ以上やるのは、無駄だよね」


 ジンの耳が、ぴくりと動く。

「アンタ何者?単なる男娼じゃないよな」

「カイン」

 即答。

「この館の、用心棒みたいなものだよ」

「嘘くさ」

 ジンは笑う。

「殺し専門だろ」


「元、ね」

 カインはあっさりと認めた。

「今は、守る側にいる」

「影妃?」

「そう」

 一瞬、空気が張る。

 だが、殺意は、戻らない。


 ジンは、にっと笑った。

「じゃあさ。・・・やりあっても、あんま意味ないよな?」

「そうだね。ぼくと君は、ほぼ・・・互角だ」

 カインは、淡々と言う。

「勝っても痛手を負いそうだし・・・負ければ、確実に死ぬ」

「それじゃあお互い困るよな?」

「・・・困るかな?」

 天使のような微笑みを崩さないまま、金髪の男娼は、少しだけ首をかしげる。

「影妃が泣く。一応、おれはこう見えてあの女が溺愛してるかわいい仔猫だぞ。いいのか?」

 ぬけぬけとジンが言う。うーん、と男娼は微笑む。

「王も、困るだろうね。知ってるよ?王の側近に獣人族の暗殺者がいるって。

 聞きしに勝る、戦闘能力だね?」


 二人は、ほぼ同時に刃を納めた。


「……なあ」

 ジンが、軽く言う。

「ちょっと、心配性の王でさ。今夜は、影妃の見守り、オレが担当なんだけど」

「了解」

 カインは、あっさり頷く。

「ぼくは、館の中を守る」

「役割分担?」

「そういうこと」

 一拍。

 じゃ、とジンは踵を返す。

「今夜は、引き分けな」

「いいよ」

 カインは、微笑んだ。

「次も、そうだといい」


 ◇ ◇ ◇


 イリスの館の奥は、静かだった。


 表の喧騒が嘘のように、分厚い扉一枚で、音が遮断される。

 香は弱く、灯りも落としてある。

 ここは、“客に見せる場所”ではない。

「お疲れさま、レイシア」

 イリスは、歌姫の仮面を外した声で言った。

 外套を外したレイシアに、温い茶を差し出す。

「ありがとう」

 レイシアは、腰を下ろす。

 その動きに、疲労はあっても、緊張はない。

 カインが、壁際に立つ。護衛の位置だ。


「今夜は、二件」

 男娼は、淡々と告げる。

「北門の倉が一つ」

「南の穀物問屋が一つ」

「滞りは?」

「なし」

 イリスが、帳簿を開く。

 文字は少なく、記号が多い。

 娼館の帳簿には見えない。


「価格は?」

 レイシアが問う。


「上げていない」

「下げてもいない」


「正解」

 レイシアは、短く頷く。

「不安な時期に、数字を動かすのは愚策よ」


 イリスは、微笑む。

「女たちも、よく働いてるわ。噂は、ちゃんと流れてる。・・・“影妃は、男に溺れている”」

 王を誑かす悪女。娼館に入り浸る、恥知らずな女。

 民が好みそうな言葉を、選んで。

「信じたいものほど、広まるのが早いのよ」

「ええ」

 レイシアは、静かに頷いた。


「信じたいものは、すぐ信じられる」

 だからこそ、噂は盾になる。


 見られることも、計算の内だ。

 ――その報告は、すでに届いている。

「王は」

 イリスが、少しだけ声を落とす。

「まだ、ここを諜報だと思っている?」

「ええ、おそらく」

 レイシアは、即答した。

「それでいい」

 この段階では。

「気づくのは」

 レイシアは、視線を帳簿に落とす。

「もっと、後で」

 帳簿の数字は、静かに揃っている。

 物は流れ、人は飢えず、王都は崩れない。

 誰の名も出さず、誰の命令でもなく。


 ただ、〈動いている〉。


「……怖いひとね、レイシア」

 イリスが、冗談めかして言う。

「娼館を隠れ蓑にして国を支えるなんて」

 レイシアは、笑わなかった。

「娼館だから、よ」

 淡々と。

「誰も、ここに“正義”を求めない」

 だから、壊されにくい。

「今日も、泊まっていくの?」

 イリスが確認する。

「ええ」

「王は何もいわない?」

「・・・そういう役割だから」

「でも、あなたが心配で様子を見に来たのでは?」

 レイシアは、静かに瞳を伏せる。

 それから何も言わず、立ち上がった。

「いつもの部屋を借りるわね」

「薬湯の湯浴みを手伝うわ。痛むのでしょう?・・・背中の花」

「平気よ。朝起きてからひとりで浸る。今日は、もう眠りたい気分なの」

 扉に手をかけようとして、レイシアは一瞬、動きを止めた。

「――それから」


「もし」

 振り返らずに言う。

「私が、今後、ここに来られなくなっても・・・流れは、止めないで」


 イリスとカインは、互いに目配せする。そして、頷いた。

「分かっている」

「約束するわ」


 扉が閉まる。

 再び、娼館の夜が始まる。

 誰も知らない。

 この場所が、

 王都の“心臓”の一つであることを。


 ――まだ。


ここまで読んでくださり、ありがとうございます。

もし少しでも続きを気にしていただたなら、

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よろしくお願いいたします。

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