第1話 背花の少女
はじめまして。
この作品を読んでくださって、ありがとうございます。
背に花を刻まれた影妃レイシアと、
痛みを共有する王ゼクス。
互いに知られざる〈運命〉に縛られた二人の物語です。
陰謀と恋慕、呪いと解放。
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礼拝堂は、冷たい雨の匂いで満ちていた。
神殿の祭壇の前で、その少女は跪き、背をまっすぐに伸ばしていた。
衣は肩まで剥がされ、白い背が燭火に浮かび上がった。
――この年で、震えていない。
それが、銀髪の刻印師が最初に抱いた、少女の印象。蝋のように白い背中。細い肩のあた
りで、ゆるやかに巻く漆黒の黒髪が無造作に切りそろえられている。
祭祀のための式服をまとった初老の男が、厳かに宣言する。
「これより、刻印の儀式をはじめる。」
それから、若き刻印師に向かって、低い声で耳打ちする。
「王妃の盾となる娘だ。…深く、美しく刻め」
耐えられるはずがない、と、か弱い少女の背中を一瞥して、刻印師は思う。
しかし、責務を遂行しなければならぬ。それが自分の使命であるからには。
刻印師の長い指が、火にあぶられた細い銀の針をかまえた。
これより少女の背に刻まれるのは、国花ゼフィールの花紋である。
肩甲骨から肩の線にかけて、何千もの針をさし、色を挿れ、それと同時に魔力を注入してい
く。痛みとともに生涯消えないゼフィールの花紋。
この花紋をその背に刻んだ者こそ、正妃を守る盾、絶大なる王の魔力を吸収する器であり、
正妃擁立とともに王の手で殺されるーーそのように定められたかりそめの妃。滅びゆく運命
をその背に刻んで、今夜、少女は正真正銘の「影妃」となる。
針が、皮膚に触れた。
「深く息を。呼吸を止めてはいけない。痛む」
「痛みは、生きている証でしょう?」
少女は振り返らない。
ただ前をまっすぐに見据えたまま、言った。その声には、不安も、怯えもなかった。
どれほどの覚悟をして跪いているのか。しかし、無理だ、と、刻印師は思う。
雨の音が、遠い。
刻印師の針が、薄い白い肉を刺した。裂けた傷から、血が滲む。
少女の肩が僅かに震えた。
けれど、泣かない。
少女は声ひとつ上げず、息すら乱さない。
ただ、ぎり、と歯を食いしばった薄い唇から、血が一筋流れた。
強い。刻印師は、驚きとともに少女を見た。
幾人もの影妃候補の娘たちが、泣き叫び、恐怖に引き裂かれ、正気を失う姿を見てきた。
しかし、白い背をさらして目の前に跪くこの少女は。
下賤な出自の娘だと聞いていた。 虚弱で、長くは生きられないとも。
なのに――なんだ、この強さは。
「……名を、聞いても?」
影妃は正妃を守る盾。
その名は元老院によって記録され、影妃を出した家には娘の命の代価として莫大な褒賞が与
えられる。だが、少女には記すべき家名がない。
沈黙が落ちた。
少女は小さく笑って言った。
「レイシア」
針が深く沈む。
痛みで眩暈がする。
少女は琥珀色の双眸を見開く。この地下の神殿に奉られているのがなんの神なのか、知らな
い。第一、神などいない、と少女は思っている。ただ、目の前の祭壇をにらみつける。なに
も怖くない。すべてを記憶しておく。これは、自分の手で選び取った運命なのだから。
痛みで朦朧としている意識の中で、かつて少女の名を尋ねた、優しい瞳の少年の姿がよぎっ
た。
――あのとき少年の瞳は、吸い込まれそうな、深い夜の色をしていた。
そしてその手で、ほこりと煤にまみれた少女の髪をなでてくれた。
「大丈夫だよ」
その声を思い出した。
涙がこぼれそうだった。
けれど、泣かなかった。
ただ、つい、唇が動いた。
「……ゼクス様」
刻印師は聞き逃さなかった。
王統の血を引く庶出の王子。
国防の要を担う若き将軍。
そのお方の名を――なぜ、この少女が。
背花の魔力が皮膚を裂き、肉を破り、骨を貫く。
礼拝堂は、古い壁にしみ込んでゆく雨の匂いと血の香りで満ちる。
少女はひたすら耐えた。
どれほどの時間か分からない。
そして――
白い背に、この世のものとも思えぬ美しい花が咲いた。
5枚の花弁には、細く、鋭く、しなやかな血管――魔力の導管が走り、その流路は、生き物
のように脈打っている。紋章であり、灯火であり、呪具であり、栄華の象徴である「それ」
こそが、国花ゼフィールの花紋ーーもとい、王妃の代わりに呪詛と災厄をその背に受けるた
めの偽紋である。
「…終わりました」
刻印師が、ふう、と息を吐いた、その瞬間。
少女は静かに崩れ落ちた。
* * *
――同じ夜。
王城の地下通路。
ひとりの少年が、礼拝堂の扉に近づいていた。
好奇心と、焦燥と、得体の知れない胸騒ぎ。
「ゼクス様!危のうございます!」
側仕えが止める声を振り切り、少年は地下神殿の扉の前で立ち止まった。
扉は、閉ざされている。しかし、そのわずかな隙間から、血に濡れた背花が見えた。
祭壇に、贄のように跪く少女の、血まみれの背中。
その白い背にたつ、幾千もの細い針。
少女の背に刻まれてゆく、国花ゼフィールの紋章。
少年は息をするのも忘れてその光景を見ていた。
まるで胸の奥が焼けるようだった。
そして――
その少女が、音もなく倒れ落ちる光景を見たのが、最後。
首の後ろに鈍痛を感じて、少年もまた深い闇の中に落ちた。
* * *
――それから、数年。
「影妃レイシア」は、常に国中の噂の的である。
悪女。
傲慢。
男を侍らせ、貴族を踏み潰し、王宮を好き勝手に荒らし回る女。
贅沢と享楽に溺れ、気に入らぬ者を即座に断罪する、前代未聞の影妃。
「レイシア様、ようやく王がご帰還されますね」
主人の豊かな黒髪をすきながら、侍女が言う。
「うれしいの?ミラ?」
鏡の前でけだるげに頬杖をつきながら、影妃レイシアは興味なさげに言う。左手の赤い爪
で、トン、トンとリズムを刻む。また何かよからぬことを考えている、と、レイシアをよく
知る侍女は思う。
「そりゃあ、だって…やっとお会いすることができるじゃありませんか」
ずっと、お待ちになっていたのでしょう?と、まだあどけなさの残る侍女の優しい目が語っ
た。
「別に」
きっと王は、影妃になど興味はないだろう。
影妃は正妃の盾となる者ゆえ、王との婚姻は形式上のものである。王は影妃の選定を戦場で
聞いただけで、特になんの感慨もない様子だったらしい。
「まあ、そうよね」
影妃となって7年、王からはなんの便りもない。
「よくも7年間も知らぬふりを決め込めたものだわ」
そちらがその気なら、はっきりとその目に焼き付けてやろう。これが、あなたの影妃だと。
少なくとも今以上には、私の存在を無視できないように。
ふふ、と影妃は笑った。
心の底で、ゼクス様、と呼んでみた。おそらく生涯、その名を声に出して呼ぶことはないで
あろう、大切な記憶の中に閉じ込めておくべき名前を。
「さあ、ミラ。王のご帰還を盛大に盛り上げてさしあげましょうか。」
にっこりと、影妃レイシアは微笑んだ。
読んでくださって、本当にありがとうございます。
様々な出来事を経て、レイシアとゼクスの距離感が、痛みとともに少しずつ狂い始めます。
「最悪の女になる」という彼女の宣言が、
どんな形で叶っていくのか――
ぜひ見届けてください。
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