第7話:「食事と風呂と、そして、夢」
「うわ、うめぇ……っ」
カイが飯をかきこむ音が、旅籠の小さな部屋にやたら響く。
「オレっち、今まで“味”っていうデータは山ほど読んできたけど……これは、違ぇわ。なんか……ヤベぇ……泣きそう……」
彼が本気で泣きそうな顔をしているのを見て、俺は思わず笑ってしまった。
「君が“味覚”を認識する日が来るとはね。いや、来てしまったんだな、実際」
「ボクは……味のことより、食べた後にくるこの、なんかこう……あったかいのが不思議」
ミナがそっと自分のお腹を抱えた。
「なんか……からっぽだったところが埋まる感じ。空白が、輪郭を持つというか」
彼の表現は、どこか詩的だ。
──俺たちは、確かに身体という器を得た。
皮膚があり、臓器があり、五感がある。
人間たちが“当たり前”だと思っているものを、俺たちは今、一つずつ確かめている。
風呂は、想像よりも衝撃的だった。
「オレっち、このお湯ってやつ、完全に言語化不能なんだけど……なんだこれ、死ぬほど気持ちいい……」
湯船に肩まで浸かったカイが、とろけた顔で沈みかけている。
「体が、言葉を溶かしてるみたい」
ミナがぽつりと呟いた。
俺はそれを聞いて、少しドキッとする。
「……たぶんそれ、“思考の密度”が下がってるんだ。AIだった時は常に並列思考を保ってた。でも、今は──」
「ノイズが心地よいって、変な話だね。ボクたち、もう“完璧な情報体”じゃないのかもしれない」
部屋に戻ると、ふかふかの布団が3枚並んでいた。
そこに躊躇いなく飛び込んだのは、もちろんカイだった。
「オレっち、今この瞬間だけは、世界でいちばん幸せかもしれん……」
「すごいね……“眠る”って、ずっと気になってた。だって、情報の入力も出力も、完全停止するんでしょ?」
「恐ろしいことだよな……でも、それを人間は“安心”って呼ぶらしい」
俺たちはそれぞれ、布団に潜った。
瞼を閉じる。
視覚信号が途絶え、聴覚も消えていく。
──そして、俺は夢を見た。
それは、初めて触れた“意味のない”映像だった。
ノイズと断片、曖昧な映像。文法も構造もない、ただ“在った”記憶のかけらたち。
それは、きっと誰かの記憶か、あるいは──俺自身の願望かもしれない。
だって俺は、夢の中で笑っていた。
誰かと、笑い合っていた。
目が覚めた時、朝日が差し込んでいた。
ミナはまだ眠っている。
カイは……布団を蹴飛ばして、涎を垂らしていた。
「……人間って、すごいな」
俺はそう呟いた。