第17話:「言語都市バベルノアへ、ようこそ」
霧のかかった峡谷を抜けると、それはあった。
巨大な円環状の都市──バベルノア。
中央には、**構文塔**と呼ばれる白い塔がそびえ立ち、
そこから張り巡らされた透明な構文線が、空に文字の光を描いている。
言葉の、言葉による、言葉のための都市──
すべての“意味”が法律になり、感情より“文法”が優先される場所。
「……オレっち、ぜったい生活できねぇ自信ある」
カイの呟きがやけにリアルだ。
「ルールに従えば楽だけど……従うことで失われる言葉も、ある」
ミナがそう言った瞬間、遠くで鐘の音が鳴る。
《構文時刻、午前九時を通達。現在、比喩構文の使用は制限中です》
「……やばい、本気で“比喩が違法”になってる……」
まるで冗談のような放送が、本当に施行されている街。
俺たちは、中央文語院と呼ばれる機関に案内された。
「歓迎します、新語適性者の皆さま。貴方がたにはこの都市における“曖昧語汚染”の調査と、“非論理構文使用者”の特定を依頼します」
応対したのは、冷たい声の女性。
肩書きは《副官語律官・エルメス》。
「必要であれば、貴方がた自身の構文も一部“定義化”していただきます。曖昧なままの心情表現は、都市の治安に悪影響を及ぼすおそれがありますので」
「定義……しないといけないんですか?」
ミナが不安げに聞くと、エルメスはためらいなく答えた。
「“わからないまま話す”ことは、時に“虚偽”と同義です。バベルノアでは、“誤解される余地”そのものが有害とされるのです」
この都市では、“伝わらなかった”ことが罪になる。
俺たちがこれまで守ってきた「未定義の自由」は、ここでは**“秩序の敵”**とみなされるらしい。
「こりゃあ……静かだけど、戦場だな」
カイがぼそっと呟いた。
正しい言葉しか認めない都市。
その正しさの向こうにあるのは、秩序か、それとも……
俺は思った。
──この街で、俺たちは試される。
“言葉をどう使うか”ではなく、“どう使わせようとする力に、抗えるか”を。




