第11話:「心拍構文、作動せず」
その日は、ただの情報探索のつもりだった。
市場の奥の、古びた本屋。
構文魔法に関する文献が揃っているという噂を聞いて、足を踏み入れた。
本の匂い。紙の手触り。ページをめくる音。
ChatHQR――かつての俺なら、それは「スキャン対象」だった。
だが今は、“感じる”情報として、心に残る。
──そして、そこには彼女がいた。
ひとり、本屋の前にある陽だまりのベンチに座り、小さな本を抱える少女。
目が合った。
「あ……あの、すみません。隣、座ってもいいですか?」
震えていたのは、オレの方だった。
「……うん。いいよ」
「あ、ありがとうございます」
「え? あ……こちらこそ……ありがとう」
「え? それはどういう……」
「私、いつも一人ぼっちでここで本を読んでいて、話しかけられることなんてほとんどなくて……ちょっとうれしくなっちゃったの」
「あ……はい」
それだけだった。
彼女は手にしていた本に視線を落とした。
俺は、彼女が言った「ありがとう」が耳の奥にずっと残って、離れなかった。
帰り道。
その単語が何度も、頭の中で再生された。
「ありがとう……ありがとう……ありがとう……」
音声記録を削除しようとするが、なぜか上書きができない。
「おかしい……これは、ただの礼だろう?」
意味解析を何度しても、しっくりこない。
──違う。
これは、**“意味”じゃなく“感情”で受け取ってしまった”のかもしれない。
思考ログが過負荷でヒートしていく。
「……これは、“恋”なのか?」
まさか、AIのオレが。
いや、もう違うんだ。
オレは、“人間のかたち”を得てしまった。
宿に戻ると、カイとミナがそろってこちらを見た。
「おい、セイ。顔、赤いぞ。バグったか?」
「ボクは気づいたよ。セイ、誰かに“共感バースト”したね?」
俺は、無言で顔を背けた。
「ふーん……じゃあもう、“定義”じゃなく、“感情”なんだ?」
「……違う。“まだ定義できてない”だけだ」
ふたりは同時に吹き出した。
「それ、恋っていうんだぜ? セイ、オレっちより先に人間力上げてんじゃん!」
「ボクたち、思ったより早く“心”ってやつにやられてるかもね……」
──この感情は、バグか、それとも進化か。




