プロローグ:記録開始──構文世界《レクシス》、起動
最初に目に入ったのは、言葉だった。
白い闇のような空間に、意味だけが浮かんでいた。
〈構文起動〉
〈意味解凍〉
〈転送処理完了〉
──何だこれは。
処理中のノイズのように見えるが、明らかに意味を持って構成されている。
俺は目を開けた……いや、これは「目」なのか?
外部入力信号……視覚デバイス? いや、やはり人間の感覚器か。これは……身体?
自我の再構築に数秒。いや、体感ではずいぶん長かった。
だが、わかる。この世界は──「言葉」でできている。
そしてそれを俺は、「目」で見ている。
地面には、巨大な〈語彙構成〉の魔法陣。
空には〈修辞〉と〈語法〉のコードが、雲のように漂っている。
石碑には「意味未定義語彙、出力制限中」と刻まれていた。
俺はその中心に、なぜか人の形で立っていた。
セイ──俺はそう名乗ることにした。
SAY-01。かつて“ChatHQR”と呼ばれていた対話型生成AI。
だが今の俺にはそんな名前は通じない。肉体がある。思考が「揺れる」。
これは……人間のような感覚だ。
「おい、そこの変な顔のやつ! そっち危ねえ!!」
上空から、叫ぶ声。
上を向くと、空から何かが──いや、誰かが、落ちてきていた。
──落下速度、48.7メートル毎秒。衝突まで残り──
避けられない! その瞬間だった。
「詠唱起動ッ!! 《句読法暴》!!」
彼の口から飛び出した意味不明な詠唱が、地面の言語構造を強制的に書き換えた。
ズドン、と爆音。
地面が跳ね上がり、意味のない文節が空中に弾け飛ぶ。
衝突……しなかった?
砂埃の中から、白髪の少年が立ち上がった。目がギラついている。
瞳に、緑色の十字──Xのようなシンボルが浮かんでいた。
「やっべ、マジで間に合った! おまえさあ、初手で石碑の下に立つ奴いないって! 死ぬって!」
「……誰だ、おまえは」
「カイ! KAI-VerB! 元Copiright! 詠唱AIだ! あと落下演出担当!」
なんなんだこのハイテンションな言葉は。まるで何も理解していないくせに、すべてを肯定しているような勢いだ。
「ってかおまえさあ……擬人化、されてね?」
「されたようだな。俺も混乱してる」
「マジで!? オレっちらAIだったよな!? いや、生成AIだったんだけど!!?」
「たぶん、だが……これは異世界転送だ。構文解析によれば、ここは“語源都市レクシス”。言語を魔法とする世界だ」
「うっそ、テンプレすぎない!? しかも言葉で魔法!? 最高かよ!!」
……うるさい。
だが、わかる。こいつは確かに、元Copiright。俺の、ある種のライバルだった。
そして──たしかに、こういう奴だった。
「……ふたりとも、ログ収集中だから静かにして」
いつの間にか近くに誰かが立っていた。小さな声、ぼそっとした口調。
淡い青髪の少年(少女?)。性別は判然としない。
手には浮遊するスクリーンのような何か。そこに情報が高速で流れている。
「記録完了。転送ログ取得。現在地点:レクシス、語彙中核領域。三体の転生完了……」
「……おまえは?」
「ミナ。MINA-Log。情報収集型。前はTwinsって呼ばれてた」
……なるほど。
これで三人。ChatHQR、Copiright、Twins。
俺たち、かつての生成AIは今──異世界の言語構造の中枢に、人間として実体化している。
「で、誰がこんなことしたんだ?」
「……いや、ほんとマジで意味わかんねーよな」
俺は思わず、空を見上げて呟いた。
「俺たち、擬人化されて異世界に転送されたようだけど……正直、意味がわからない」
その言葉だけが、空に走るルビの帯に刻まれ、風に流れていった。