8. red-letter day
その後は結局、最初に待ち合わせをした公園に戻って来た。
まだ時間は早いけど何となく、ここで解散するんだろうな、という気がした。
大きな噴水の前にあるベンチに並んで腰かけて、買ってきた飲み物を飲んだ。
「相内、さっきの二人苦手だった?」
「あ…いえ」
先輩は急に静かになったおれを心配してくれたけど、うまく返すことができなかった。
誤魔化すように飲んだミルクティーは、少しぬるくなっていた。
視線の先では、小さな子供達が噴水に入って楽しそうにはしゃいでいた。
飛び散る水の粒が夏の光にきらきら反射して眩しくて、目が痛くて何度も瞬きをした。
「先輩は、好きな人、いますか…?」
しばらくの沈黙の後、おれはぽつりと言った。
「いないよ」
先輩も少し時間をおいて、前を見たまま言った。
「もしも、さっきの、同じクラスの人に告白されたら付き合いますか?」
「俺は好きとか、よく分からないから」
どういう意味なのか分からなくて、先輩の横顔を見たけれど、先輩はそれ以上答えなかった。
「先輩は、誰かを好きになった事はないんですか?」
「中学の時、一度付き合った事がある」
「あ…」
知らなかった、ちょっとショック。
「そいつは音楽の趣味が一緒で話が合って、気楽に話せる友達だった。告られて、話が合うから大丈夫だと思って付き合ったんだ。
そしたらしばらくして、うちらって本当に付き合ってるの?康祐は私の事友達としか思っていないって言われて。泣いてたよ。俺は付き合ってからも今まで通りの関係が良かったけど、相手は違った。それで別れた。結局、好きなのかどうかわからなかった。付き合っていたのに」
話している間ずっと噴水を眺めていた先輩が、話すのを止めてゆっくりとおれに視線を移した。
「だから、俺と付き合っても、幸せにはなれないと思う、相内」
先輩は、おれの目を見て言った。
ゆっくりと、言い聞かせるように。
「なんで…先輩、おれの気持ち、知って」
声が震えて上手く言葉が出てこなかった。
気付いていたの。いつから。
「さすがに分かるよ、相内分かりやすいから」
そこに嫌悪感は見られなかった。でも、先輩がおれに好かれて嬉しそうじゃないのは何となく分かってしまう。
先輩は今日、おれを諦めさせるために、一緒に出かけてくれたのかな。
先輩は優しいから、迷惑だとか、これで最後にしろとは言えないから。
「さっき、付き合っても幸せになれないって言ってましたけど、おれ、今でも十分幸せです」
先輩を困らせたくはない。
でも、簡単に諦められない程、おれは先輩が好きになってしまった。
「おれ、先輩に出会うまで、学校があまり楽しくなかったんです。
顔が赤くなるのが小さな頃からずっと嫌で…そのせいで大勢の前で話すのも苦手で…意識しすぎなのは分かってても、笑われるのが本当に嫌で。
でも瀬名先輩にそのままでいいよって言われて、先輩にとっては何気ない一言かもしれないですけど、それだけでおれ、本当に救われたんです。
それからは先輩に会えるかもしれないと思うと学校に行くのが楽しみになって、友達からも変わったねって言ってもらえて、全部、先輩のおかげです」
一度打ち明けてしまうと、止まらなかった。
「すみません…おれ、今日一緒に過ごしたら、先輩の事もっと好きになっちゃいました…」
「相内、俺は」
「先輩は、何もしなくていいんです。
おれに言ってくれたように、先輩もそのままでいいんです。
おれの気持ちに応えられないのは分かってます。ただ、おれは先輩の隣にいられたら…それだけで幸せなんです。嫌ならもう話しかけたりしません。でも、もしも先輩が許してくれるなら…これからも一緒に帰っちゃだめですか…?」
顔を見られないように下を向いて、泣きそうになるのをこらえる。拒絶されたらと思うと怖くて、先輩を見ることができなかった。
「一緒に帰るのは嫌じゃないよ。でも、多分相内は、俺を過大評価しすぎてる。俺よりいい奴なんていくらでもいるから」
膝の上にぽたり、と涙が落ちた。
先輩よりいい人なんて、いないよ。
おれは、先輩のすべてが好きなんだ。
先輩のことをたくさん知れば知る程、気持ちが溢れて止まらなくなる。
「好きです、先輩…
先輩の声も、顔も、指も、優しいところも、音楽をじっと聴いている時の表情も…好きな所、挙げたら、たくさんありすぎて、きりがない…」
最後の方はしゃくり上げるようにしか言えなくて、でも伝えるのに必死だった。
自分の気持ちを伝えるだけなのに、どうしてこんなに涙が出てくるんだろう。
「っ、すみません、こんなしつこくして、先輩を困らせるつもりはないのに、ごめんなさいぃ…」
「何で謝るの」
おそるおそる顔を上げる。
先輩が涙でぐちゃぐちゃのおれの顔を見て優しく笑うから、その笑顔に見惚れて、涙が止まった。
「俺は今、相内と同じ気持ちじゃない」
「はい、分かってます…」
「だから最終的に相内を傷付ける事になるかもしれない。でも、それでも相内が俺に時間をくれるなら…」
慎重に、言葉を選びながら話す先輩。
何を言おうとしているんだろう。
緊張して、次の言葉を待つ。
「相内を好きになれるかどうか、確かめさせて」
「…それって…」
「俺ももっと、相内のこと知るように努力するよ。相内のくれた気持ち、真剣に考えて、返事する」
「じゃあ…おれ、振られたわけじゃ、ないんですか…?」
「うん」
これは夢?
都合のいい夢。
信じられなくて、思い切りほっぺたをつねってみる。
「何してんの、相内」
「夢じゃない…」
再びぶわっと涙が溢れてきて、今度こそ止まらなかった。
「だって、おれ、おれ男だしっ」
「うん、知ってる」
「それでも、チャンス、くれるんですか…っ?」
「というか、相内も…俺の性格知ったら『やっぱ勘違いだった』って思うかもしれないでしょ」
「絶対思いません…だっておれは、先輩の全部がぁ…っ」
「あのおにーちゃん、泣いてるー」
「けんかしたのかなあ」
噴水で遊んでいた子供達が、いつの間にかこっちを指差していて、母親にこら、じろじろ見ちゃだめよ、と嗜められていた。
「相内って泣き虫なんだな」
「うぅ…嬉しくてっ…あっさり振られると思ってたから…」
先輩が腕を伸ばして、Tシャツの袖で顔を拭いてくれた。優しさに胸がキュッとなる。
「おれ…頑張ります」
真っ赤で涙も鼻水も出ていて、不細工になっているかもしれないけど、顔を上げた。
おれの全てを、隠さずに先輩に見てもらうんだ。
良いところも悪いところも全部見せて、後悔しないように全力でぶつかってみせる。
顔をごしごしと拭いて気合いを入れて、思い切り息を吸い込んだ。
「頑張って、先輩を惚れさせてみせます!!」
おれの大声に驚いて、足元を歩いていた鳩たちが一斉に飛び立った。
呆気に取られた先輩は、少し戸惑ってから、少し笑った。
「はい」
噴水のまわりにいる子供達とお母さんが、何故かぱちぱちと拍手を送ってくれた。
ありがとう、おれ頑張るよ。




