7. blue rose
ついに…!
ついにこの日が来た。
約束の1時間前。
待ち合わせ場所の公園に到着したおれは拳をぎゅっと握り締めて気合いを入れ直した。
あの雨の日の翌日、勇気を振り絞って瀬名先輩に買い物について行ってもいいか聞いてみたら、先輩はあっさり「いいよ」と言ってくれた。
先輩にとっては休みの日に後輩と出かけるだけかもしれないけど、おれにとっては人生初デートなのだ。
学校以外で会うのも初めてだから、余計に緊張する。
変じゃないよね、といつもより少しふわふわした髪をつまむ。
朝起きたら寝癖がすごくて鏡の前で絶望していたら、姉ちゃんがセットしてくれた。
正直に先輩と出かける事を打ち明けたら、あんた昨日から浮かれていたもんね、と言われて恥ずかしかった。そんなに分かりやすかったかな。
服は何時間も迷ったけど、そんなに持っていないしよくわからなくて、結局一番新しいものにした。
先月姉ちゃんに連れ回されて、姉ちゃんが自分の買い物ついでに買ってくれた白いシャツ。中のTシャツの色でこれまた迷って白にした。
下は動きやすいインディゴブルーのデニム。
そわそわと落ち着かなくて歩き回りたかったけど、怪しいので我慢してベンチに座る。
そうして約束の10分前、遠くから歩いてくる先輩を見つけた。
私服の先輩…!
袖が肘くらいまであるシンプルな黒の半袖Tシャツに、グレーのゆるっとしたパンツ。
眩しい…!かっこいい…!
「早いね。けっこう待った?」
「い、いえ!今来たとこですっ!」
ぶんぶんと頭を振ったおれを見て、元気だね、と先輩は笑った。
「髪、いつもと違う」
「わっ!気付きました?寝癖がすごかったので、姉ちゃんが直してくれて。気合い入れたみたいで、ちょっと恥ずかしいです…」
気付いてくれたんだ。嬉しい。
変とか、思われていないかな。
「相内は色素薄いから、雰囲気と合ってると思うよ」
ひぃー!発言がいちいちイケメンすぎる!
「ありがとう、ござい、ます…」
急に熱くなる頬を隠すように下を向くと、頭上で先輩がふ、と柔らかく笑った。
好き、だなあ。
やっぱり好き。
昨日の夜は色んな先輩を想像して楽しみすぎて眠れなかったけど、実物は想像よりももっと素敵で、一瞬でも見逃したくないと思ってしまう。
それからずっと、ふわふわした気持ちで先輩の後をついて行った。
初めてレコード屋に入って、次はCDショップに行って先輩が好きだと言う曲を一緒に聞いて、何度も夢なんじゃないかと思った。
だって隣にずっと先輩がいて、先輩が見るのも話すのも全部おれだけだなんて。
隣を歩く先輩と腕が触れる度にひとりで意識して、横顔に見惚れて、本当に夢のようだった。
「そろそろ何か食べる?」
先輩を見るのに忙しくて時間を忘れていたおれは、お昼になっていたことに気付かなかった。
この日のために先輩の好きそうなお店を調べておいたから、ここはリードするのだ。
「おれ、食べるお店調べて来ました」
「おー」
「ブルーリーフって言うカフェなんですけど、そこのアップルティーが美味しいと聞いて…!先輩、好きかなって」
先輩の好きな食べ物はりんご。
コーヒーは飲めなくて紅茶を飲むと前に話していたので、アップルティーの美味しいお店に連れて行って喜んでもらおうと思っていた。
「へえ、その店知らなかった。アップルティー、好きだよ」
よしっ!
内心ガッツポーズをして、張り切って先輩を先導する。スマホに内蔵されているマップで100回くらいシミュレーションをしたから道順はばっちり。
ところが…
「えっ…」
入り口に張り出された白い紙には、無情にも「臨時休業」の文字が大きく印刷されていた。
なんでもお目当てのカフェが入っているビルが改装されるらしく、2週間ほど営業できないらしい。
口コミサイトばかり見ていたおれは、その情報に気付かなかった。
かっこよく、リードしようと思ったのに…
先輩が「美味しい」って喜ぶ顔が見たかったのに…
がっくりと肩を落としたおれに、先輩が声をかけてくれた。
「喉乾いたからとりあえず、近くのコンビニで飲み物だけでも買おう。俺、いつもそこのアップルティー飲んでるんだ」
「あ…はい」
すぐ側のコンビニに入って飲み物を買う。
先輩はカップのアップルティー、おれは隣にあったカップのミルクティー。
レジに並んでもしょんぼりして気を抜いていたせいで、先輩に奢らせてしまう。
迷惑、かけてばかりだ。
「あれ、瀬名?」
少し悲しい気持ちで先輩に続いてコンビニを出たところで聞き覚えのある声がした。
振り向くと、雨の日に会った、瀬名先輩と同じクラスの女子二人がいた。
「宮本、倉田」
「偶然だねー。あーっ噂の後輩くんと一緒だー!」
「マジ?えっどういう関係?」
目の前の二人は、学校で見た時よりも大人っぽく見えた。肩を出した白いブラウスも、ショートパンツからすらりと伸びる脚も、サンダルから覗く綺麗に塗られた足の爪も、自分との違いを見せつけられたような気がした。
二人にじろじろと見られている気がして、無意識に先輩の後ろに隠れる。
「照れてるの?顔赤くなってる、可愛いー」
先輩はおれを庇うように、覗き込もうとする二人の前に立った。
「近すぎ」
「えーっ、過保護」
「なんかお兄ちゃんと弟って感じで微笑ましいね」
お兄ちゃんと、弟。
ふつう同性の先輩と後輩なんて、そんな風に見えるのが当たり前だ。
だけど、もしも今日、先輩の隣にいるのがおれじゃなくて彼女のどちらかだったら、ふつうに、お似合いの恋人同士みたいに見えただろう。
分かりきっていた事なのに急に悲しくなって、彼女たちがいなくなるまでおれはずっと黙ったままだった。
一日中浮かれていた気持ちがしぼんで、先輩の隣に立つ自分が場違いみたいに思えた。
今日一日、先輩の隣にいられるだけで幸せだったはずなのに、いつの間にか、この場所を他の人に渡したくないと思ってしまうなんて。
何て自分勝手で、わがままな感情なんだろう。
先輩はべつにおれの事、好きじゃないのに。




