52.蠢動
陰と陽のバランスが崩れようとしている。善と悪の天秤が傾こうとしている。
しかしまだだ。今は少し傾いただけ。完全に崩れた訳ではない。深い眠りから醒めようとした男は、微睡みに身を委ね、開きかけた目を閉じる。完全に傾いてどちらかが地に落ちたとき、彼は眠りから醒めるだろう。
マリーは辟易していた。パズスが休み時間毎に寄って来てはまるで友人であるかのように話しかけてくるのである。それに乗じたロッソ君が張り合ってくる。ロッソ君が出て来ると、マルクス君が何故か張り合ってくる。そうなると、私に話しかけているのか、3人で喧嘩してるのか解らない状態になる。
パズスも人間に化けている時は凄く美丈夫なので、嫉妬の目も少なくない。
私は喧々諤々の騒ぎの中、黒曜にしがみ付いて嵐が去るのを待つくらいが精々だ。「私の為に喧嘩は止めて!」なんて言うとどれだけ自己評価が高いのか、と自分で自分に突っ込みたくなるので言わない。黒曜にすりすりして頭を撫でて貰って癒しを貰う。
ただ、一回だけ突っ込んだ事はある。3人の中で誰が一番良いか、決闘だ、と言い出した時に、「1番も2番も3番も全部黒曜だから」と突っ込んで3人は肩を落した。
そしてハッと気付く。これか、これなんだな?「顔の良い男がわんさか!」
さっとアディを確認すると、うむうむと頷いている。
なんて面倒なんだわんさか!
「で、3人とも、私に話しかけてるのか3人で仲良く喧嘩したいのかどっちなの?」
「こいつらと話したって何の益もない!勿論君に話しかけて居るんだよ、マリー」
「そうですよ!こんな陰険眼鏡やよりによって魔国の王弟なんかと話す意味がない。貴方に話しかけてるんですよマリーさん」
「私は最初からマリーに話しかけていたぞ。後から私にちょっかいを掛けて来たのはこの2人だ」
「「なんだと!?」」
いやいや、なんだと、じゃないよ。見てたらパズスの言うとおりだったよ。無視してたけど。
「お前ら、喧嘩ばっかで鬱陶しい。自分の席に帰れ」
あ。お嬢様言葉抜けた。まあいいや。パズスにだけ特別にお嬢様言葉で応対してやる義理もなし。
ロッソとパズスが自分の席に戻ると、これ幸いと別の女の子達がそちらに群がる。
イイカンジにモテてんじゃん。其処から女の子選びなよ。…まあパズスが私に寄って来てるのは好きだからとかではない事は解ってるけどね。油断してたらグッサリ、とかその辺りを狙ってるんじゃないかな。だが私が油断したからって黒曜が油断する訳がない。黒曜ガードもすり抜けないとならないから大変だね。
パズスが適当に群がる女子をあしらって居ると、ぴくっと顔色を変える。
チッと舌打ちして空を睨み、「余計な事を…」と呟くが、それきり無表情になった。
なんとなくその挙動に不安な気持ちになるが、黒曜にくっついて授業を受けているうちに忘れてしまった。
昼にもパズスがくっついて来ようとしたが、入り口も見えない人に解放している場所じゃない為、其処で撒いた。
「最近そなたの周りには、言い寄る者が多すぎる。私はずっとやきもちを焼きっぱなしだぞ、マリー」
入るなり、黒曜に抱き上げられ、お姫様抱っこのまま膝の上に座らされる。うう。面倒な思いをさせているんだから、これくらいは、これくらいはっ………恥ずかしいぃい~!
両手で顔を覆って、真っ赤になった顔を隠す。アディやソラルナ、囃し立てて来るのを止めて欲しい。恥ずか死ぬ!
なんかこう…アレだ。赤ちゃんになった気分だこの体勢。
「黒曜ぅ~」
もう勘弁してくれと名前を呼ぶが、勘違いされたらしい。顔中にキスを落された。留め刺すのやめれ!
ぐったりと顔から熱気を放出させつつ黒曜に凭れ掛かっていると、皆がくすくす笑いながらお昼の準備をしてくれている。リシュ神様の料理は、今日も美味しい…竹輪っぽいものに入ってるの、チェダーチーズだ!好き!
白身魚のすり身と小麦粉等を混ぜて練ってちくわ作ってくれたらしい。あーご飯が欲しい!!
「白ご飯…」
と呟いていると、黒曜がそれに反応した。
「米の事か?」
「えっ…そうだけどあるの!?」
「ウチの国の主食だな」
「うわ…輸入したい…!」
「君主が叔父に代わったんなら取り寄せ出来ると思うぞ?」
これには転生組が大喜びだ。リシュが食いついてくる。
「短粒種です~?あと、餅米ありますか~?わらび粉とか道明寺粉とか小豆とかはありますか~?」
そう、大豆だけはあったんだよね。醤油も味噌もリシュは作れるという。納豆も。でも、そんなものを作って米がなかったら悲しいから、と今迄封印してきたのだ。
「短…?それは解らないが、白くてつぶつぶしたやつだ。もち米は聞いた事がある。多分あると思う。粉の事は解らないが、小豆はあったように思う」
「一応全部書き出しますので~、あるやつを取り寄せて貰えますか~?」
「解った。故郷では知識はあっても余り食べた記憶はなくてな。リシュ殿の手に掛かれば素晴らしい料理になるのだろうな」
嬉しそうに黒曜が言う。やっぱり胃袋を掴むのは大事なようだ。今度リシュに手解きして貰おうかな。
「あ、私黒豆食べたい。甘い奴」
「マリー渋いとこ選ぶねえ。私は筍と鶏肉でちまきが食べたいかな!」
こういう話題は転生者でないと解らない。他の人間の顔には?マークが浮いている。
「あー、前世はかなり食に凝った国に住んでて、主食は米だったんだよ、私達」
「そうなの、パンだと作れないものが多くて~」
「あー、餅食いたいな。餅」
一気に溢れ出す食の欲望。人間は美味しいもの食べてるときが幸せなんです。
わいわいと故郷のご飯の話や、一部次の錬金を何にするか、などの話で、この昼も充実して終わった。
昼が終わって教室に戻ると、ぴくりともしないパズスが座っていた。どうやら体だけ置いて魂をマダルガスに飛ばしているのだろう。
と、思っていると、体に幾筋か切り傷を負って魂が戻ってきた。見た目がアレなのでヒールで癒してやる。
「くそっ…」
何があったかまでは聞かないし聞きたくない。どうせファムリタ関係か、お国騒動かどっちかだろう。関わりたくない。静かに席に戻り、授業を受けた。
帰りの時間に、皆で固まって居ると、シュネーが嬉しそうにしているものだから、何かあったのか聞いてみた。
「親父から、自分は文に優れていてもお前ほど武には優れておらん、故に王家に伝わりし聖剣を託すって言われてね。今日帰ったら授与される予定なんだ。認めて貰えたようで嬉しい」
全員で拍手だ。それはめでたい!
「ただ、完全じゃないって言ってたのだけ気になるな。私の手で完全に出来たりするものだろうか。その辺りもちょっとわくわくするよ」
「シュネー、明日持って来れそうなら持ってきて見せて!」
「ああ、明日は聖剣を佩いて来よう」
そう、シュネーは安請け合いをしてしまった事を、明日死ぬほど後悔するのだった。