後編
妹から見た姉妹の現実です。
私はアンナリーナ・フォン・クラルヴァイン。デッサウ侯爵家の次女。私には姉がいるが、諸々の事情から私が跡継ぎとされていた。
姉であるリーズベルトは父の先妻の忘れ形見。姉が3歳の時、その生母は病死した。その後、父は私の母と再婚。私が生まれた。
私と姉は同じ家に住んでいるのに、ほとんど顔を合わせることもなく育った。父と母の結婚は政略的なものであり、二人の間の溝は埋まることはなかった。私が生まれた直後、父と母の住まいは屋敷の西翼と東翼に別れた。西には父と姉が、東には母と私が。使用人たちも別々。お互いに干渉せず、特にいがみ合うようなこともなく淡々と暮らしていた。
父は父の、母には母の付き合いがあり社交があった。デッサウ侯爵夫妻の冷え切った関係は有名だったが、特にそれについてあれこれ言われることもなかったようだ。貴族社会では珍しくもない話だったからかもしれない。両親が社交場で偶然顔を合わせた時、母が「あら、まあデッサウ侯爵様」と言い、父は「これはこれは、デッサウ侯爵夫人」と応じてお互い礼儀正しくすれ違ったそうだ。
私と姉の関係は良くも悪くもないと思っていた。私の母は姉にとっては継母であるけれど、会うこともないので姉を虐げたりはしない。私自身も家の中で会うこともなく、学校でも見かけることはなかったため、級友たちより他人のように感じていた。
それでも同じ敷地内に暮らせば、相手のことはそれとなく見聞きする。姉は父に似て賑やかで派手なことを好むようだった。西翼には商人が出入りして、季節ごとに姉の新しい服が作られ、装飾品が増えていた。同じ年頃の令嬢たちと頻繁にお茶会を開き、招いたり招かれたりしていた。姉は社交界に参加するようになると、最初は父と共に、後には取り巻きの男性たちとあちらこちらの社交場に顔を出していた。
姉とは違い私は静かな生活を好んだ。そんな私の暮らしぶりは姉には想像もできなかったようだ。思いがけず屋敷内や外で姉と顔を合わせた時には、よく言われたものだ。
「まあ、あれが名ばかりとは言え私の妹だなんて恥ずかしいわ。ろくにお付き合いもできないのよ」
そうして姉は周りにいる友達とクスクスと笑いながら私のことを話しているのだ。姉にとって私は残念な妹であり、彼女の周囲での私の評判は芳しくないものだった。人付き合いもろくにせず、面白みもない。地味で気の利かない娘。姉の引き立て役としては役に立つかもしれないが、など。
私は全く気にせず、卒業後はそれなりに忙しく過ごしていた。
それは突然の事だった。ある日、姉が初めて東翼の私たちの住まいに乱入してきた。母は外出中だったし、姉のあまりの激しさに侍従も侍女たちも止めることはできなかったようだ。姉の後ろで恐縮している彼らにお茶の用意をするように言った。
「ひどいわ、アンナリーナ!」
久しぶりに会った姉は開口一番、訳の分からないことを叫んだ。
「どうかなさいまして、リーズベルトお姉さま」
「どうかじゃないわ!あなた、オクタヴィアン様と婚約するって聞いたわ。ひどいじゃない!」
オクタヴィアン・バルビエ様はルクリュ伯爵家のご次男。この度私との婚約が決定した。王家に報告して許可がおりれば、1年後に私は彼と結婚する。オクタヴィアン様はデッサウ侯爵家の籍に入り、私たちはデッサウ侯爵及びデッサウ女侯爵として家督を継いでいく。そこに姉が口をはさむことはできないはずなのだが。
姉は目を吊り上げ、顔を赤くしてなおも叫んでいる。
「オクタヴィアン様はあなたなんかがお相手できるような方ではないわ!あれほど凛々しくとっても優秀だと伺っているし、名門のお生まれなのにそれを鼻にかけることもなく気さくでいらして」
ええ知っていますとも。婚約者のことですから。
「オクタヴィアン様とお近づきになりたい女性はたくさんいるけれど、あの方は特定の女性と親しくなることはなかったわ。でも私だけは名前を覚えていただいて、声をかけてくださったのよ。これからよろしくとまでおっしゃって。オクタヴィアン様は私に結婚を申し込むつもりだったのに、これは何かの間違いよ!」
私は呆れてしまった。彼が姉の名前を知っていて声をかけたのは、彼女が腹違いとは言え私の姉だからであって、姉が思うような理由からではないのに。姉は西翼からずっと走って来たのか髪や服装は乱れ、大声でたくさん叫んだせいでハアハアと肩で息をしている。
「お姉さま、立ったままではお話もできませんわ。急なことで大したおもてなしもできませんが、どうぞお座りになって。すぐにお茶を用意させますから」
「お茶なんかいらないわよ!私の言ったことに答えなさいよ!」
姉の淑女教育はどうなっているのかしら。
「そんなに大声を出されても誤解はとけませんことよ。お姉さまと一緒にお茶をいただくのは初めてですもの。きちんと説明いたしますから、せめて落ち着いてお話ししませんこと?」
私がそう言うと、姉は初めて周りを見回して自分付きの侍女も取り巻きもいないことに気づいたようだ。背筋を伸ばして静かに立っている私をにらみつけると、いかにも不承不承といった顔で腰かける。
侍女が私たちの前に茶器を静かに置いていく。こんな異常事態でも変わらずおいしいお茶を入れてくれて、優秀な使用人たちはありがたいわ。
姉はさすがに喉が渇いていたようで、落ち着かない様子でお茶を飲んだけれど、何の感想も言わなかった。最近輸入されるようになったおいしいお茶なのに。興奮しているせいか、茶器を乱暴に置いたから結構大きな音をたてていたわ。私もひと口いただいてから話し始めた。
「それではお姉さま。答え合わせをいたしましょうか」
「なによ、それ」
「そもそも私たちが屋敷の西と東に別れて暮らしているのはなぜだと思われますか?」
「…っ!私が聞いているのはこの間違った婚約のことよ!それは関係ないでしょう?」
「いいえ、その結論に至るまでにきちんとしておかなければならない、大切なことです。なぜ私たちは別れて暮らすことになったのか」
姉はイライラと吐き捨てるように答える。
「そんなの決まっているじゃない。お父さまは亡くなった私のお母さまだけが最愛の女性だったのよ。お父さまはあれこそが真実の愛だったと私に繰り返しお話ししてくださるもの。お父さまは無理やり押しかけて来たあなたの母親が大嫌いだから別れて暮らすことにしたのよ」
「母が私を連れて東翼に移ったのは、西翼の使用人たちが赤ん坊だった私の養育を放棄したからです」
そう。姉が何度も言うように、父と父の先妻は彼らの言うところの運命の出会いによって恋に落ちた。父には当時先代侯爵が決めた婚約者がいたのだが、父はそれが気に入らなかった。厳しい親への反発もあって、父と先妻の「真実の愛」はあっという間に燃え上がった。身分違いだと反対されたことも彼らの情熱をあおるだけだった。その結果、卒業式直後の舞踏会会場で父は婚約者に婚約破棄を叩きつけたそうだ。先代侯爵は頭を抱えたが、先妻がすでに身ごもっていたことと、父が侯爵家のただ一人の息子だったことで仕方なく事をおさめた。婚約者だった女性にはかなりの額の賠償金が支払われたそうだ。
当時「真実の愛」「身分を超えて結ばれた二人」という耳に心地よい言葉に憧れる人は多かったようだ。父を甘やかしていた乳母や使用人も父と先妻の味方だった。なぜなら父は高位の貴族でありながら身分にとらわれずに先妻を愛したことにより、同じく身分の低い使用人たちの味方であるかのように思われたのだ。父と先妻は使用人たちの理想像だった。
「お姉さまの母上が亡くなられて私の母がこの家に迎えられた時、使用人たちはすでに母の敵でした。母は自分だけのことならば我慢もできたけれど、私の世話もろくにしない使用人を見てすぐに彼らを見限った。東翼に移り、実家から信頼できる者たちを呼び寄せて完全に生活を分けたのです。お姉さまをあちらに残したことが心残りだったと言っておりました」
「あ、あなたの母親なんか私には必要ないわよ。それなのに未練がましく同じ屋敷に残っていたのは、お父さまに愛されたいと思っていたからでしょ。相手にされなくて残念だったわね」
「侯爵家に母が残ったのは、父の代わりに侯爵家の仕事を続けるためです」
そう。父は優しかった。そして世間知らずだった。何度も甘い言葉にのせられて怪しい投資話に金を出して、先代侯爵が尻拭いをしたそうだ。一人息子だから仕方ないとはいえ、自分が死んで息子が家督を継いだらあっという間に潰れると思った先代侯爵は、私の母とその実家に頭を下げて息子の後妻に迎えた。母の実家は侯爵家の親戚筋にあたる。母もその家族もかなり悩んだそうだが、親族筆頭である侯爵家をつぶすわけにはいかないからとその話を受けた。優秀だった母はその能力を買われて、いわば侯爵夫人という職につくつもりで後妻になった。今も遊び暮らしている父の代わりに侯爵家の仕事を一手に引き受けてきたのは私の母である。今後は私も。
姉は私の言葉を理解できないようでポカンとしていたが、そのうちわなわなと震え始めた。
「なんて図々しい!侯爵であるのはお父さまなのよ。それなのに勝手に家のことをしているなんて」
どうしてそういうことになるのかしら。
「あんたもあんたの母親も追い出してやる!あんたなんかお父さまに相手にされなくてどこにも連れて行ってもらえないんだから、世間に認められなくて社交場にも出て来ないじゃない。そんなの侯爵令嬢なんて言えないわ。オクタヴィアン様だって間違われてお気の毒だわよ。この家にいる権利もないわ!」
そう言って私の顔を指さしてくるお姉さま。本当にどういう教育を…いえ、今さらですわね。壁際に控えた侍従がこちらを窺うような姿勢を見せるが、小さく首をふって止めておく。
「その社交場のことですが。お姉さまが初めて社交界に出られた時、王宮へ招かれましたか?」
「え?」
虚を衝かれたように言葉を詰まらせる姉。
「高位の貴族令嬢が初めて社交界に出ていく時には、王宮に招かれて国王様、王妃様ならびに王太子ご夫妻から拝謁を賜ることが決まりなのです。私どもにとっては生涯一度の晴れの日ですわ。両陛下の前で正式なお辞儀をして、陛下の御手の甲にキスをして忠誠を誓います。王妃様や王太子妃様からは私どもの額や頬にキスを賜ります。そうして初めて貴族社会の一員として認められ、正式な舞踏会や夜会に招待されます。私はもちろん、そういたしました。お姉さまはいかがでしたか?」
「何それ、知らない…。だって、わ、わたしは…お父さまがオークランス伯爵邸に…エローラ様に紹介してくださって…」
「オークランス伯爵家のエローラ様。ああ、お父さまの愛人のおひとりでしたわね」
「なっ…!」
「ご存じなかったのですか?付き合いの程度はいろいろですが、恋人や愛人は何人もいらっしゃるようですわよ」
「そんな…お父さまはお母さまだけが…」
思わずため息をついてしまう。いけないわね、姉の態度に引きずられるようでは私もまだまだ未熟だわ。
「お姉さまと社交場でお会いしなかったのは、そもそも私たちの参加する場所が違ったからです。私は母や親戚のご夫人たちに付き添われて、王宮や公爵家で開かれる舞踏会に出ておりました。お姉さまはエローラ様やそのお友達が開く気軽な集まりによくいらしていたでしょう?そういう場には私は伺いませんので」
暗に立場が違うのだと言われたことに、姉はようやく気づいたようだ。そう。高位の貴族とそれ以外では社交の場も、つき合う相手も違うのが当たり前。姉の好む騒々しく大勢が出入りする社交場に私は足を踏み入れないし、私が招かれる王宮や大貴族の屋敷に姉が受け入れられることはない。
「なん…で。私はお父さまの大事な娘のはずなのに。侯爵家の長女なのに、なんであなただけが」
ああ、できるならばこの答えは言いたくなかった。嘘と思われるかもしれないけれど、うわべではない私の本心よ。せめてお姉さまがわきまえていらっしゃれば、私の口から言う必要はなかったのだけれど。
「それはあなたのお母さまが騎士爵家の娘だったからです。騎士爵は一代限りの名誉。娘であるあなたのお母さまには何も引き継がれません。あなたのお母さまは平民でいらっしゃいました」
「…!」
平民である彼女をそのままでは侯爵家に迎え入れることはできない。生まれてくる子も庶子となってしまう。先代侯爵はここでも無理を重ねて、彼女を寄子の一員である子爵家の養女にしたうえで父と結婚させた。もちろん式など挙げてはいないし、彼女の死後はその子爵家から籍も抜かれているのだが、姉はそのあたりの事情も知らなかったらしい。あの父親がちゃんと説明するとも思えないから仕方のないことかもしれないが。
「私の母はデッサウ侯爵家の親族の中でも最有力である伯爵家の出です。先代侯爵様のたっての願いで嫁いでまいりました。なぜなら平民の娘であるお姉さまに侯爵家を継がせることはできなかったから。どうしても血筋の正しい子が必要だったのです」
表面をどれほど取り繕っても、姉の血筋は知られています。血統にこだわる貴族社会には私も思うところが多々ありますし、ここまで苦労した祖父である先代侯爵がお気の毒とも思えます。そして侯爵家を守るために嫁ぎ、仕事をし、子供を産んだ母は…自分で決めたことと思い定めているのか、何も語ろうとはいたしません。
「母が産んだのは私一人でしたが、親戚一同が侯爵家の正統な血筋であると認めました。私がオクタヴィアン様と結婚し、この家を次代につないでいく。それが決定事項です」
「お…」
「はい?」
「オク…オクタヴィアン様が私も出ている社交場にいらしていたのは…どうしてなの?」
お姉さまに会いに来ていたと言ってほしいのかしら。
「オクタヴィアン様はご実家の事業を手伝っておられました。小売業も含まれていたので消費者である庶民の好みや流行の様子も知っておきたいと、あのような集まりにもたまに顔を出してらしたそうです。思いがけずよい商談になることもあったようですわ」
それは表向きの口実。同級生だった第二王子殿下の依頼で密かに世情を探っていらしたと伺っている。ある程度の息抜きとなる賭場や遊技場は必要だが、犯罪の温床になったり不満分子のたまり場になっては本末転倒だからと。
「でもお姉さまがいらっしゃることには驚いておられました。あまり評判のよくない場所にも出入りしていらしたようですわね。好きで通っているなら仕方ないが、女性には危険な場合もあるからと気にかけてくださって」
「そんな…。私、あ、危ない目にあったことなんてないわ。変な場所を好きなように言わないで」
「お姉さまが危ない目に遭わなかったのは、取り巻きたちの中に母の息のかかったものがいたからです」
姉がまだ幼かったころ、母は姉の家庭教師を推薦したが、父もあちらの使用人たちも厳しすぎると言って断って来た。それ以来母は姉の教育や生活に一切口を出さなかった。だからと言って姉を危険にさらしていいという訳ではない。万が一誘拐されたり、悪評がたったりすれば侯爵家といえども無傷では済まないから。父が何もしないので、母が侯爵家の寄子の子弟の中から腕の立つ者を選んで、姉の取り巻きたちに紛れ込ませた。彼らは我儘な姉の機嫌を損なわないように気をつけながら、本当に危険な場所には近づかないよう誘導していた。気を使う難しい仕事だったことだろう。姉が可愛らしい男爵家の娘に嫉妬して、彼女を罠にかけ遊び人の男と同じ部屋に閉じ込めようとした時には、一人が姉の気をそらしている間にもう一人がなんとか娘を逃がしたそうだ。そのままにしておいたら、とんだ醜聞になるところだった。姉の言ういたずらは度を越している。苦労した彼らにはこれからきちんと報いて行かなければ。
「お姉さま」
私が声をかけると、姉はびくっと肩をふるわせた。
「私が成人したことで先日侯爵と私の母、そして親戚一同が話し合いの場をもうけました。その結果、私が女侯爵となり、現侯爵は隠居のうえ領地の別邸に住まいを移します」
「え…」
そう、この国の慣習では代替わりに伴って先代は屋敷を譲り渡し隠居所に移り住む。そして新しい当主の未婚の兄弟たちも…。お姉さまに求婚者は現れなかったから。
「お姉さまも残念ながらここに残っていただくことはできません。つつましく暮らしていくだけの財産は保証いたします。親子水入らずで暮らすか、自立の道を探すかお決めください」
「そんな…私を追い出すの?ひどい…」
「暮らしていくだけの財産は保証しますと申し上げました。お姉さまには最低限とは言え学校に通う機会があったのですから、何かしらの生活手段を身につけておけばよかったのです」
「最低限」
もうお姉さまは言い返す気力もなくなってきたようです。お姉さまには私が通った伝統ある国立学校に入る学力はありませんでした。お姉さまが通っていらしたのは制服が可愛らしいからと選んだだけの新しい学校でしたが、真面目に学んでいれば刺繍や裁縫、商店で役に立つ帳簿つけや礼儀作法など自立に役立つ技術を身につけることはできたはずです。
すっかり呆けたようになってしまったお姉さま。私は近くに立っている侍女たちに目をやりました。それだけで彼女らは静かに進み出て姉に優しく声をかけます。
「さあ、リーズベルトお嬢さま。お部屋に戻りましょう」
お姉さまは促されて立ち上がります。何も見えていないような、世界がほんのひと時で変わってしまったようなお顔。そのまま手を引かれ、背を軽く押されてふらふらと歩いていかれました。
その後、お姉さまは大好きだったお父さまと一緒に領地の端にある別邸へと移っていきました。西翼にいた使用人たちも彼らについていく一部を残してあとは整理しましたので、今はからっぽです。
あれほど派手好き、遊び好きだった二人が、何もない田舎暮らしに耐えられるでしょうか。きっと二人とも不平不満でいっぱいになるでしょうね。父には期待しておりません。でも姉は…贅沢はできませんが、働かずとも食べて行ける楽な生活にそのまま慣れ親しんでしまうか。その状況を屈辱と感じて自身の足で立ち上がれるか。
後者の道を選んでほしいと思うのは、決してこうなってしまったことを後悔しているからではないのです。
お読みいただきありがとうございました。




