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初めての感情

あのクッキー事件から私の体はおかしくなった。

一言でいうと不調。

特にアランのことを考えると胸がきゅーっと苦しくなってうまく呼吸が出来なくなる。

病気なのかもしれない。

アランの訪問の報告があっても会いたいはずなのに会いたくなくて仕事を理由にして断っている。

私の変化に気づいた姉が気分転換にお茶に誘ってきた。

外の空気を吸ったほうがいいのではということで庭でお茶をすることとなった。


「…クレア姉さま、最近私変なんです。病気みたいに胸が苦しいんです」

「まあ。お医者様に診てもらったほうがいいのかもしれないわ」


姉がカップをソーサーに置き、頬に手を当て不安げな顔を向ける。

医者か…だけどアランのことを考えてないときは別に苦しくないんだよねぇ。

もしかしたらアランのことが嫌いすぎて体が拒否反応を起こしているのかもしれない。


「やっぱり病気なのかなぁ。アラン様のことを考えると胸が苦しくなるんですよね。ストレスとかですかね?」


そう言ってカップを手に取り紅茶を口にする。

姉が目を丸くしてこちらを見ている。

私がストレスを抱えていたことに驚いているのかもしれない。


「エイミー、それは恋よ」


含んでいた紅茶を噴きかけた。

すんでのところで止めて無理やり飲み込んだが今度はのどに引っ掛けて咳が止まらなくなる。

慌てた姉が傍に駆けつけ背中を優しく擦ってくれる。

しばらくしてようやく体が落ち着いた。

一息ついてから、向かいの席に戻った姉に問う。


「こ、恋ですか?」

「ええ。恋よ」


姉はそれはもうとても嬉しそうに、至福を感じているような笑顔で頷いた。

理解に追い付いていない私に対し、目に見えて浮かれている姉は、体を乗り出して訊いてきた。


「何かきっかけがあったのではない?」

「き、きっかけ…」


恋と決まったわけではないが姉に問われて先日のことを思い出す。

思い当たることと言えばクッキーの件ではあるが…ああ。なんかまた顔が熱くなってきた。胸もドキドキしてる。


「き、きっかけかどうかは分かりませんが…クッキーを食べてくれたことが…嬉しかったです…」

「まあ!それよ!ああ。エイミーが…恋…姉さまとっても嬉しいわ!」


姉は本当に自分のことのように喜んでいる。

…私が恋? 馬鹿な。しかもアランに恋をしてしまった?

あまりにも信じられなくて姉が言っていることに対して疑念を抱く。

もしかしたら姉の勘違いかもしれないのでもう一度確認してみよう。


「あの、姉さまこれは恋なのでしょうか?」

「ええ。恋よ」

「本当に恋なのでしょうか?」

「もちろん恋よ」

「本当の本当に恋なのでしょうか?」

「間違いなく恋よ」


念押しで何度も何度も訊いたが帰ってくる答えは“恋”一択だった。

黙り込む私を気にすることなく、姉は鼻歌を歌いながら、お茶のお代わりを私のカップに注いだ。

姉が恋というのならこの体調の変化は恋なのだろう。

しかし、まさか惚れさせようとした相手に惚れてしまうなんて…一生の不覚かもしれない…。


「クッキーで心を掴みに行ったら逆に心を掴まれるってめちゃくちゃ面白いな!」


仕事場の事務所に出向き、エイリアスに経緯を話せば腹を抱えて大笑いされた。

笑いすぎて呼吸が出来なくなってヒーヒー言っている。

よほど面白かったのか彼はそのまま椅子から転げ落ちた。

本当にね!これじゃあミイラ取りがミイラだ。


「クッキーだけで惚れるのってやっぱり変よね!?おかしいわよね!?」

「はい。エイミーお嬢様ちょろいですねー。というかクッキーだけで惚れるって思ってないのにクッキー焼いたエイミー様面白すぎる!」


そう言って笑われる。

や、やっぱりちょろいわよね。男性に耐性がないから!?

嫌いな甘いクッキーを私のために無理して食べてくれたと考えるだけで胸が苦しくなる。

いや、本当に苦しい。締め付けられるようにきゅーってなってる。

これが恋だとすれば恋は本当に病だと思う。


「でも人を好きになるのってそんなもんなんじゃないですか?きっかけは案外些細なことですよ」


笑っていたエイリアスが目元に浮かんだ涙を拭きとりながらそんなことを言った。


「例えば?」

「困っていた時に手を貸してくれたとか、褒めてくれたとか、笑顔が可愛いとかそういうものなんですよ。人を好きになるきっかけって」


呼吸を整えながらエイリアスは椅子に座りなおした。

ならクッキーの件は惚れても仕方がないということか。

とはいえ、こんな調子でアランに会うことは到底できない。

今の私は体が恋に支配されていると言っても過言ではないのだ。

なのでどうにか前の状態に体を戻したいところである。


「よし!この想いが冷めるまではアラン様には会わない。こんな状態で会っても仕方がないし。なにより心臓が持たない…。落ち着くまでは仕事に専念するわ」

「まあ、エイミーお嬢様がそれでいいならいいんじゃないですか?」


それからはアランが来る日は事前に教えてもらい徹底的に避けた。

姉さまにも経緯を説明すると理解して協力してくれた。

正直、姉さまとアランが二人きりになるのは心苦しい気持ちもあったがアランのことを考えると胸がきゅーっとなるのは本当に体調に悪いので己の体を優先した。


毎回、姉や使用人にアランが帰ったことを教えてもらってから屋敷には帰ることにしていた。

仕事をしている時はアランのことを忘れ、没頭できる。鑑定士の試験も受けるつもりだったので空いている時間は勉強に専念した。


…なんだかアランが現れる前のような暮らしに戻ったみたいだ。

そうそう。私はこうやって日々を過ごしていたのだ。

クレア姉さまとアランが結婚したらこういう日々が続くのだろう。

二人の結婚した姿を想像したら胸がチクリと痛んだが、姉さまが不幸でなければそれでいいと胸を擦った。

今日もアランが帰ったのを確認してから、屋敷に戻った。

前は間隔をあけて訪問することが多かったが最近は連日来ているので会わないようにするのは気を遣う。


「ただいま戻りました」


仕事から帰ってくると肩の荷が下りたかのように体が軽くなる。

仕事場は好きだがやはり家というのは落ち着く。

アランが笑顔で「お疲れ様」と声をかけてきて笑顔でお礼を言う。やはり家は落ち着く…。


「て、あ、アラン様!?」


油断しきっていたので、ぎょっとして逃げるように壁に張り付いた。

姉さま帰ったって言ってたのに!

ばっと姉を見ると「ごめんなさいね。アラン様がどうしてもって」と弁明した。

姉さまが私を裏切ったのは若干ショックではあったが、気にすべきは今の現状である。


さすがにひと月くらい経っているからもう大丈夫だとは思うけれどあまりにも急だったので心の準備ができていない。

いやいや。最近胸もきゅーっともならないしもしかしたら克服できているかもしれない。

自分を信じるため顔をあげてアランを見据える。


顔がいい。瞳が綺麗。かっこいい。クッキー食べてくれた。なんか全体的にきらきら輝いてるようにみえる。


自分の体が徐々に熱くなってくる。こりゃ駄目だ。逃げるしかない。

私は屋敷を飛び出した。

あと少し、あともうひと月待ってもらえれば平静を取り戻せるからー!今は会うの無理ですー!


庭のほうに逃げ、どこか隠れる場所を探そうと周囲を見回す。

出来ればあんまり暗くないところがいい。お化け出たら怖いから。

きょろきょろしていると腕を力強く掴まれて背筋が凍った。


「お、おばけー!!」


剥がそうと腕を振るがびくともしなかった。


「誰がお化けだ」

「あ、アラン様ー!!」


どっちにしろ私には喜ばしくない。

再び手を振り払おうとしたがやっぱりびくともしなかった。

さすがに逃げることは出来ないと観念し大人しくすることにした。


「…最近、わかりやすく避けていたな」

「…えー、そうでしたかねー」


周囲が暗くなっているので顔が赤くてもわからないだろう。

深呼吸し、平静を装って対応することにする。

しかし、アランの言葉が返ってくることはなく時間だけが過ぎる。

夜の静寂もあり二人で黙るとシーンとして喋っているより気まずい空気になる。


「…怒っているのか? 甘いものが苦手だと隠していたこと」


ん?どうして私がそんなことで怒るんだ?

無理して食べさせたことへの罪悪感はあれど怒ることはない。

私が答えるより先にアランは言葉を続ける。


「あれは別に隠していたわけではない。ただきっかけがなかっただけだ」

「…私別に怒ってませんよ?」

「なら私を避けてる理由はなんだ!?ほかに全然覚えがないぞ!?」

「…」


明らかにイライラしているが、避けている理由を言うことは到底できない。

惚れさせるつもりが惚れてしまったなんて口が裂けても言えるわけない。

寧ろ今の私を罵倒して嫌いにさせてくれたほうが助かるかもしれない。


「…私のことが嫌いになったのか」


アランが切なそうに瞳を伏せる。

一気に胸がきゅうっと苦しくなる。

そんな顔をさせたいわけではない。傷つけるつもりはなくて…。

って、いやいやいや!騙されてはいけない!

危ない危ない。危うく絆されるところだった。

そもそもそっちが先に私のこと嫌いだったじゃない!

私が嫌いになったところで関係ないじゃない!

…とはいえ、目の前で落ち込んでいる姿を見ると胸がきゅうっと苦しくなって心と思考が矛盾する。

正直自分の今までにない変化についていけてない。


「ちがっ…ちがいます…」


あ、あー!もう!どうすればいいのよ!

頭を抱えて左右に振る。誰かこの恋心を止めてほしい。

恋ってこんなにも人をポンコツにさせるものなの!?

姉さまのこんな姿見たことないけど知らないだけで姉さまもこうだったというの!?


「そ、そうだ!アラン様私の頬をつねってみてください」


もしかしたら夢から覚めるみたいに恋も冷めるかもしれない。

とはいえ、乙女の頬を紳士が簡単につねられるわけがな…いたたたた!いたい!

アランは切なそうな表情を継続させながら「こうか?」と容赦なくつねってきた。


「痛いじゃない!」

「君が頼んできたんじゃないか」


彼の手を振り払った。確かに私から頼んだけれど、加減というものを知らないの!?

しかし、効果はあったようでのぼせ上っていた心の熱は引いたようだ。

痛みを感じる頬を擦りながら彼と向き合った。


「私が連日避けていたのは怒っていたからではなく…その、まあ理由は言えませんがこれからは出来るだけ避けませんから」

「それは困る。原因がわからなければ次から気をつけようがない。今日ようやく君と会えたんだ。理由を聞くまでは粘るつもりだ」


あまりのしつこさに、この男分かってて言わそうとしているんじゃないかと勘繰ってしまう。


「ですから、今日は言えませんので、その…後日でどうにか手を打ってくれませんか?」

「なら明日は会ってくれるのか?」

「…」


無言で目をそらす。譲歩してくれるみたいだったがそれに対しての条件が厳しいので返事が出来ない。その態度が引っかかったのか追及してくる。


「これからは避けないと言っていなかったか?」

「で、出来るだけ、出来るだけと言いました。そもそも明日は外せない仕事がありまして…」

「…次の日は?」

「仕事が…」

「その次の日は?」

「その日も…」


追ってくる視線を避けると再び追ってくるので自ずと二人でその場をくるくる回る形になってしまう。堂々巡りをしていることは分かっている。

しかし、無理なものは無理だ。


「ならば避けていた理由を聞かせてもらうしかない。いったい私の何が気に食わなかった?」


質問が再び振り出しに戻ってしまった。

…えい、ままよ!こうなれば言ってやるわ!

勢い!こういうのは勢いが大事なのよ!

意を決して口を開く。


「私アラン様のことが好きになっちゃったみたいなんです!!」


叫ぶような怒鳴るような言い方になってしまった。

暗くて見えにくいが恐らく彼はきょとんとしている。

言った。言ってしまった…!もう後戻りはできない。

黙ったまま数秒、彼は口元を押さえて長考し始めた。


「…待て。聞き間違いか?今私のことを好きだと言われたような気がしたのだが…」

「言いました」

「言ったか?」

「言いました」

「そうか。言ったのか…」


理解してくれたようだ。

さあ、盛大に振るがいい。

もしかしたら悲しくなるかもしれないがこのままモヤモヤしているよりはすっきりした方がいっそ清々しいだろう。

ドキドキしながら彼の返事を待つ。


「そうか…そうだったのか…」


なにやらぶつぶつ言いながら私に背を向けそのまま歩き始めた。

私はその背を黙って見守る。そして見守り続けた結果、彼は帰っていった。…返事は?

彼が帰ったことがにわかには信じられずその場で佇んでいたが、本格的に暗くなってきたのでさすがに屋敷に戻った。

戻ると姉がすぐに謝ってきた。

返事は聞けなかったが自分の想いを告げられたことに私は満足していたので逆に姉にお礼を言った。

首を傾げられたが説明はしなかった。

あれからアランは目に見えてご機嫌だった。

それはとても嬉しそうにニコニコして私に話しかける。

どうやら私の弱みを握れたことがよほど嬉しいらしい。

とはいえ、自分の想いを言ってすっきりしたのは確かなので後悔はない。

無駄に胸もきゅーっとしなくなった。

胸のつっかえが取れたということだろう。

これなら三人で一緒にいても大丈夫だ。

ほっとしてクッキーを頬張り、紅茶を飲んだ。






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