エイミークッキーを焼く
売り場で品補充していると女性客二人が入ってきた。
若い女性と年上の女性だ。
邪魔にならないように配慮しながら補充を進める。
二人は会話しながら商品を選ぶ。
なにやら恋愛相談のよう。
気になり聞き耳を立てる。
「男なんて簡単さ。私は旦那の胃袋を掴んで結婚したよ」
ほほう。胃袋を掴む…?
気になる言葉に動かす手を止めずにさらに耳を傾ける。
「相手に自分の手料理をまた食べたいと思わせればこっちのもんさ」
そういうものなのか。
実際に彼女は胃袋を掴んで結婚しているらしいのでそういうものなのかもしれない。
なるほど。
手料理で惚れさせるのもありかもしれない。
私は料理はしないけど。
しかし、また私の料理を食べたいと切望させることで料理を作ることを条件になにか交渉ができることがあるかもしれない。
「お菓子でも作ってプレゼントしたらどうだい?」
なるほど。お菓子か。ならクッキーだ。
クッキーは何度か作ったことがあるし、なにより私の好物だ。
若い女性もやってみますとやる気のようだ。お互い頑張ろう。
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出来るだけ焼きたてを食べてもらいたいのでアランが来る日を確認し厨房にクッキーを作る予定を入れてもらう。
折角だから商会の人たちにもクッキーを焼いて持っていこう。
普段お世話になっているのだからたまにはお礼をしなくては。
調理人に手伝いをしてもらいながら大量のクッキーを焼いた。
アツアツの焼きたてのクッキーは柔らかくてとても美味しい。
調理人からもお墨付きを得られたので人に食べさせても問題ないだろう。
私と姉、アランの分を取り分けてから余りを大皿に乗せる。
上からカバーをかけ、落とさないように商会の休憩室へと運んだ。
着くと既に休んでいる使用人が数人おり、注目の眼差しを浴びつつもテーブルの上に皿を置いてカバーを外した。
彼らは食い入るようにクッキーを覗き込む。
「はー。また大量に焼きましたね」
「余った分は持って帰っていいわよ。ほら、奥さんや子供さんにお土産としてさ」
「いやー、助かりますよ。たまにしか甘いものとか食べられませんから」
手を伸ばして食べ始める姿をドキドキしながら見守る。
味見はしているから大丈夫だと思うけれど。
「やっぱり甘いもの食べると疲れが吹き飛びますね」
「お、美味しい?」
「美味しいですよ」
その言葉に他の人も同意する。
よ、よかったー。
これならアランに出しても大丈夫だ。
厨房に戻り、さっそくティートロリーにクッキーとティーセットを載せて客間に運ぶことにした。
客間のドアをノックし、アランに挨拶してからティートロリーを運んだ。
「あら。珍しいわね。エイミーがティートロリーを持ってくるなんて」
「ふっふっふ。今日はアラン様のためにクッキーを焼いてみました」
クッキーが載っている皿を取り出し、アラン、姉、私の席へと並べていく。
紅茶も並べ準備が完璧なことを確認して私も席に着いた。
「どうぞお食べください」
「あ…エイミー、アラン様は…」
「有難くいただくよ」
姉の言葉を遮るようにアランはクッキーに手を伸ばした。
姉の言いかけた言葉も気になったが今はクッキーの感想のほうが重要だった。
美味しいと言え。美味しいと言え。
祈りというより呪いのように念じた。
…まあこんなに念じなくても姉の前ではいい顔をする男がまずいとは決して口には出さないだろう。
とはいえ誰かのために作ったクッキーは上手にできたのか、食べてもらえるまでどきどきするものだ。
「うん。美味しいよ」
その言葉が嘘でも嬉しかった。
…いや、味見もしたし他の人も美味しいって言ってくれてたから嘘ではないはず。
姉がいたからだろうけどアランは残すことなく食してくれた。
嫌々食べたのかもしれないが完食してもらえるのは気持ちがよかった。
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「エイミー」
帰るアランを見送った後、姉に声を掛けられる。
何かを言おうか迷っているのか眉尻が下がっている。
その様子から言いにくいことなのかもしれないと、黙って姉の言葉を待つ。
「言おうか迷ったのだけれど、実はアラン様甘いものが苦手なのよ」
「…」
そうだったのか。やってしまった。
まさか本当に嫌々食べていたとは…。
私の口に合わせたクッキーは普通のクッキーよりそれは甘かっただろう。
それを美味しいと言った彼は内心では苦痛と葛藤していたのか。
食に関しては本当に申し訳ないことをしたと素直に謝れる。
だからといって――。
「姉さまの前だからといって苦手なものを無理して完食しなくても…」
一枚食べてくれただけでも作った私としてはよかったのだ。
残った分は責任をもって私が食べたのに。
姉の前だからと無理をして食べてくれた彼はよほど良い兄を演じたかったのか。
はあ。やっちゃった。
こんなことなら思い付きでクッキーなんて作らなければよかった。
「だけどね、エイミー。アラン様が全部食べたのはエイミーが作ったクッキーだったからよ」
…それはどうだろうか。ただ見栄を張っただけだと思う。
私のクッキーで完食なら姉の焼いたクッキーは泣いて喜んで食べるんじゃないだろうか。
「アラン様ならクレア姉さまが作ったものならなんでも喜んで完食しますよ」
「あら?そんなことはないのよ。前にクッキーを作って渡したら甘いものは苦手って言われて一枚も食べることなく断られたわ」
…え?あいつ断ることあるの?
姉さまに対してそんな態度をとったことに驚く。
あの男なら無理して食べてしまいそうなのに一枚も食べなかったんだ。
意外な一面を知ってしまった。
しかもその食べなかったクッキー私のおやつに回されていたらしい。気づかなかった。
軽い気持ちでクッキーを焼いただけなのに意外な真実が明かされていく。
「…それならどうしてアラン様は私が焼いたクッキーを食べたんでしょうか?」
「ふふ。どうしてでしょうね」
姉はおかしそうに笑った。
何か知ってそうな表情だったがそれ以上は教えてくれなかった。
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次のアランの訪問日。私はアランを出迎えるために家の外で独り待つ。
馬車が目の前で止まり御者が扉を開ける。
降りようとしたアランが私を見て目を丸くした。
「ごきげんようアラン様」
「ああ」
挨拶の後、少しの沈黙が生まれる。
この間のことを訊きたいが、なんとなく顔を見ることができずに明後日の方向を見ながら、尋ねた。
「この前のクッキー、美味しくなかったんじゃないですか?」
「…ああ。とても甘くて食べられたものじゃなかったよ」
…じゃあなんで全部食べたのよ。
体がそわそわしてむずがゆくなる。
ますます顔を合わせづらい。
馬車から降りたアランは「これでも食べて勉強するといい」と言い私に紙袋を押し付ける。
見てみると高級菓子店の紙袋だ。無言で受け取る。
中身を確認する私を気に留めることなく彼は足早に家へと入っていった。
クッキーを手に取り、口に含んで咀嚼する。私好みの甘いクッキーだ。
「…甘いんだけど」
ぽつりとつぶやく。顔が熱い。