初めてのダンス
ある日、母からしばらくレッスンはお休みという言葉を聞き嬉しくて小躍りしたくなった。
もしかして私が淑女に近づいてきたから!?
そんなことを期待していると「休んだ分だけ厳しくしますからね」ピシャリと付け足された。
「休んで厳しくなるぐらいなら休みたくないですお母さま!」
「私も貴女が折角やる気になっている時に休ませたくはないのだけれど、クレアにダンスのレッスンをしなければならないのよ」
ダンス?
首を傾げると母は事情を説明し始めた。
領主様と交流のある貴族が夜会を開催するという招待状が届き、アランも参加が決まった。
アランが参加するということはおのずと婚約者である姉さまも参加しなければならなくなる。
参加するうえで気にすべきことは立ち振る舞いとダンス。
夜会においてダンスは貴族のたしなみといっていいほど重要なもの。
なので普段踊りなれていない姉は、アランに恥をかかせないために完璧に仕上げたいという希望を母に伝えレッスンをする流れになったらしい。
母と姉が合わさると行動が早く、今からレッスンを始めるとのこと。
レッスン室に入っていく二人の姿を見送る。
私は邪魔にならないようにドアのカギ穴から練習の様子をそっと覗いた。
母は男性パートも踊れるようで姉の相手をしていた。
顔を強張らせて必死に踊っている姉の姿に私は感動した。
姉さまなら出来る!心の中で応援しながらしばらく守った。
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次の日アランが訪れ姉さまのダンスの相手をする。私も物珍しさに見学させてもらった。一通り踊り終わった二人に私は拍手した。
「やっぱり慣れてないからぎこちないですね」
「いや、クレアは初めてにしては良く踊れている。これなら夜会までに十分間に合うよ」
アランの言葉に姉はほっとして胸をなでおろしていた。
練習でアランに恥をかかせないように必死に頑張っている姉の姿を見ていたので心の中で「よかったですね姉さま!」と声をかけた。
それから何度か踊ってから休憩ということで私が用意したお茶を二人に振舞った。
汗をかいているので冷たいお茶はさぞ美味しいだろう。
少し休憩した後、姉は立ち上がった。
「それじゃあ続きを始めましょう」
「再開するには少し早いんじゃないか? それに君はまだ疲れが取れてないだろう?」
「大丈夫です。それに私はまだ満足したダンスを踊れていません。…早く上達したいんです」
クレア姉さま真面目だからなあ。
アランは少し迷っている様子だったが姉さまの揺らぎない意志を感じたのか立ち上がった。
言おうか迷っていたが言ってもいいかもしれない。
私は手に置いていたカップを置いて挙手した。
「私もアラン様と踊りたいです!」
「は?」
突飛な発言に驚いたのかアランの素がでた。
私がハッとして口に手を当てると気づいたのかアランは咳ばらいをした。
「えーっと…エイミーも私と踊りたい、と?」
「はい。お二人が楽しそうに踊っているので私も踊ってみたいなって」
「…うーん」
「義理の妹になるかもしれない私のささやかなお願いを断るのですか!?」
手を握り合わせて瞬きを何度もしてアラン様の目に訴える。
苦虫をかみつぶしたような表情に変わる。
ふっ。クレア姉さまの手前、外面のいいお前は断れまい。
「ダンスの経験はあるのかな?」
「はい」
母に1,2回ほど教わったような気がする。
まあ、教わっていないとしても先ほどから二人のダンスをみているので足の動かし方はなんとなく覚えている。
「まあ、君も女性だからダンスを覚えていても損はないかもしれないな」
折れたのかダンスをしてくれるみたいだ。初めてのダンス!楽しみだ!
ドキドキしながらアラン様の手を取りホールドする。
姉の掛け声でダンスが始まる。
よし!心の中で気合を入れて一歩踏み出す。
なにかを踏んだ。
下を見るとアランの足だった。
「アラン様!?大丈夫ですか!?エイミー、最初は右足を引くのよ!」
「え!?そうでしたっけ!?アラン様ごめんなさい!」
「だ、大丈夫だ。エイミーは初めてだから仕方がない」
という割には顔に青筋が立っているような気がする。
足を踏まないようにしなければ…。今までにないプレッシャーを感じてきて変な汗が出てくる。
姉が「次はゆっくり始めましょう」と提案する。
再びホールドする。
私は歯を食いしばって、ぎこちなく動く。
どきどきする。
アランが異変に気付いたのか顔を近づけて「やめてもいいんだぞ」と囁いてくる。
私は両瞼に力を入れながらアランを見返し首を振った。アランの顔は若干引いている。
一歩目は右足後ろ。後ろ後ろ。
念じながら姉の言葉を待つ。
「それじゃあ始めるわね」
始まるとともに私の頭は真っ白になった。
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あれから何度も踏んでしまった。
何度踏んでも付き合ってくれたアランはとてもやさしい人だと思った。
最後にとどめを刺すように思いっきり踏んでしまった足をアランはうずくまって靴の上から押さえていた。
「アラン様足は大丈夫でしょうか?」
「ああ。大丈夫だ。とても元気のあるステップで踏み出す足にためらいがない。なかなかない体験だったよ」
アランは立ち上がり私の横へきて姉さまに笑顔を向ける。
横に来たアランがやけに密着してくるなと思えば肘で何度も小突いてきた。
クレア姉さまにばれないように報復しているのか。
しかし、足を何度も踏んでしまったのは事実。
抵抗せずアランに笑いかけながら「アランお兄さまが優しくてよかったです」と返事した。
足を負傷したアランを気遣い、その後の練習はお開きになった。
アランは最後の最後まで足を踏んだことを根に持っていたようで帰り際に耳元で「へたくそ」と罵られた。
…悔しい思いをばねにして私も練習をしようと思う。
母は姉のレッスンで忙しいため父に相手を頼むことにした。
娘と踊れるのが嬉しいのか二つ返事で了承してくれた。
ステップを覚え、父と踊る。しかし、父との練習は2日ほどで終わった。
必ず足を踏んでしまう呪いにかかっているのかというくらい父の足を踏んでしまった。
最初は優しい顔をしていた父も恐ろしくなったのか仕事が立て込んでるということで断ってきた。
仕方なくシャドーで練習する。
自分のペースで踊れるので気楽でいい。
合っているのかわからないがアランと姉が踊る度に見学し練習しているので合っていると思いたい。
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今日は商会の在庫照会をするために保管庫を訪れた。
エイリアスは人知れず私がダンスの練習をしていることを知っているので愚痴をこぼす。
「うまくなってるとは思うんだけど…。練習相手がいないのよ…。お父様も私に足を踏まれるのを恐れて付き合ってくれないし…」
深いため息をつく。
こうなったらぶっつけ本番でアランに挑むしかない。
汚名返上しなければ!
…ちょっと自信はないけど気合でなんとかなると思う。うん。
「俺がお相手しましょうか?」
ん?と顔をあげるとエイリアスが挙手している。
「踊れるの?」
「はっはっは。昔少しかじってました」
本当に優秀な男だ。
なんでもできる。
あの時勧誘していてよかった。
保管庫から移動し、商会の使われていない部屋があるためそこに移動する。
その部屋はいつでも使えるように何も置いていないので踊るには十分だ。
それではさっそくと、エイリアスと向き合う。
まずはホールド…。
特に意識はしていなかったが、自分の手が大きな手につつまれた瞬間どきっとした。
エイリアスの手ってこんなに大きかったんだ。
大人なんだから当然かもしれないけれど。
「それじゃあ最初はゆっくり動きますよー。ワン、ツー」
エイリアスの口ずさむリズム通りに足を動かす。
誰かと踊るのは久しぶりなので緊張する。
「足に意識を集中せずに、目は俺の目を見て」
「わ、わかった」
彼の顔を見るために見上げると笑顔で私を見ていた。
緊張で強張っていたであろう私の体はふっと軽くなった。
とはいえ、今までこんなに近距離にいたことはなかったのでなんだか照れ臭くなった。
「な、なんか照れるわね」
「アラン様を落としたいなら別にダンスの上手さの良しあしを気にすることなんてないんですよ。とりあえず二人の世界を意識させさえすれば、男なんて単純なんでころりですよ」
ほほう。やはりエイリアスは優秀な男である。
私はダンスを上達することに意識を向けていたが、そういう効果も期待できることに気が付くことができた。
「さすが将来私の右腕になる男ね!」
「はっはっは!そうでしょうそうでしょう!とはいえ、踊り方を体に覚えさせるのもいいかもなっ!」
ぐいっと引っ張られる。
少し焦ったが彼の口ずさむリズムがテンポアップしている。
「お…!おおっ!」
なんだか自分の足じゃないみたいに踊れる。
エイリアスの引き寄せ方や動きで足をどこに置けばいいのかが自然とわかる。
「エイリアス!私上達したみたい!」
「はっはっは!そりゃあよかった!」
「これでアラン様をぎゃふんと言わせることができるわ!ありがとう!」
「はっはっは!結果報告楽しみにしてますよ」
それから彼は私の気が済むまでダンスに付き合ってくれた。
ありがとうエイリアス。
しかし、在庫照会が終わってなかったので手伝ってもらい少し残業させてしまった。ごめんエイリアス。
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アランと踊る日が来た。実は今日は姉は不在なのだ。
父が取引先に招かれたのだが、その取引先の娘さんは姉の友人で今回父とともに招かれている。
アランが訪れるということは事前にわかっていたため姉はお断りの手紙を出そうとしていたところを私が制した。
姉の代わりにおもてなしをする提案をして無理やり踊る機会を作った。
「アラン様私と踊ってください!練習してうまくなったので今回は大丈夫です!」
「お断りだ」
輝かんばかりの笑顔で拒否される。
取り付く島もないくらい早かった。
「クレアもいないことだし今日は帰ろうかな」
「一回でいいので!この前の汚名返上させてください!」
身をひるがえそうとするアランに必死にすがる。
腕をつかみ引き留めようとするが意外にも力があるようで私のほうが引きずられていく。
「ひ、引きずられる~!」
ただ状況を嘆いただけなのにアランは顔を背け噴き出した。
声を殺して笑っているようだ。
こちらは真剣だというのに失礼な。
ひとしきり笑った後、彼は部屋の中央まで歩いた。
「ほら、踊るんだろう?」
ホールドの立ち姿を保ってこちらを見るアランに私は嬉しくなって笑顔で頷いた。
アランに近づきホールドをつくる。
大丈夫!あれだけ練習したんだから!
意気込み、合図とともに足を動かした。
――ひと通り踊って足を止める。
「…どこが上手なんだ? 足を5回も踏まなかったか?」
「あれー?おかしいな?」
じとっとした目を向けられたため背を向け、腕を組み首を傾げる。
エイリアスと踊ったときは本当にスムーズに、自分が一流の踊り子になったような足さばきだったのに。
テンポが遅いのかと思って再び挑戦し(アランは嫌そうにしていたが)テンポをあげてみたがやっぱり足を踏んでしまう。
考えられる原因があるとすれば…。
「わかった。アラン様が下手なんだ」
キッと睨まれたので目をそらした。
だってエイリアスと踊ったときは上手に踊れたもーん。
とはいえ少し居心地が悪くなる。
折角練習したのにちゃんと踊れる姿見せたかったな…。
思わず肩を落とす。
上から深いため息が聞こえた。
…まあ、足を何度も踏んでしまったのは流石に謝ったほうがいいわね。
謝ろうと顔を上げると手を取られホールドを促される。
状況がつかめない私はアランの勢いに素直に従う。「いくぞ」とかけられた声にこくりと頷き足を動かした。
「…すごい!すごいすごい!踊りやすい!」
「私は踊りにくいし疲れる」
嬉しい声をあげると、不機嫌そうに言い放つアラン。
折角褒めてるというのになんてひねくれた男だ。とはいえ見直した。
上手に踊れていると思うと気持ちが高まってきて自然と鼻歌を歌ってしまう。
機嫌よく踊っていると急に突き放されるようにホールドを解かれる。
バランスを保てなかった私は悲鳴とともに床に倒れた。
「なにするのよー!」
「散々足を踏んでくれたお返しだ」
意地悪そうに舌を出す。
折角見直したというのに前言撤回だ。
まったくもう!
不満を抱きながら起き上がり、服についているであろうほこりを払う。
「それにしても下手な君が上手に踊れるなんて、その男は一流のダンサーなんだろうな。…誰なんだ?」
探りを入れるような聞き方。
私はうーんと少し考えるそぶりをみせた。
まあ、返事は決まっているのだけど。
「秘密です」
お茶目にウインクして見せた。
アランと踊ったのはそれきりで後は姉さまとの練習に集中してもらおうと邪魔することなく過ごした。
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そして夜会当日。
支度が終わった姉がようやく部屋から出てきたのを出迎える。
「クレア姉さま素敵です」
髪をアップにし、淡い水色のドレスを身にまとった姉はおとぎ話で出てくる妖精のようだった。
目を輝かせながら感動している私に姉は照れながらお礼を言った。
迎えに来たアランも髪を後ろに流して固めており、張りのあるタキシードを着ていたためいつも以上に美しくかっこよく見えた。
…見た目だけなら目の保養になるのだけれどねぇ。
しみじみそう思う。
アランはクレア姉さまの手を取りエスコートする。王子様とお姫様にしか見えない。
悔しいけど今日だけはお似合いの二人と認めましょう。
二人は馬車に乗り、会場へと向かった。
家族で見送った後、夕食の席へと着いた。
夕食を食べ終えた後、自室へと戻った私は明かりをつけずに窓の前へと椅子を移動し座った。
窓越しに見える月を眺めながら姉が参加している夜会へと思いをはせた。
キラキラなシャンデリアに煌びやかなドレスを身にまとった女性、スーツを身にまとったスラッとした紳士。
皆が手を取り合いダンスを踊る。
想像しただけで胸が弾む。
じっとしていられなくなり立ち上がる。
手でホールドを作り、月明かりがさす部屋で鼻歌を歌いながらシャドーダンスを踊った。




