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クレアの傷心(クレアside)


「…クレア実は」


家から連れ出されイアンと向き合えば彼は口ごもっている。

いつもと違う彼の様子に私はなんとなく察しがついていた。


「今日は君にお別れを告げに来たんだ」


騎士見習いの試験に受かったこと、リリーと付き合っていることを彼は話し始める。

私はその場にあった相槌を打っていた。

そして彼は話し終えて言った。


「泣かないんだね」


そう指摘されて何も答えられなかった。

私は今どんな表情で彼を見ているのだろうか。

最近は日が昇る前に起きてしまう。

不摂生な生活をしているからかもしれない。

――ううん。逆に健康にいいのかもしれない。


思い出すのはイアンと別れの挨拶をした日。

彼と別れてから悶々とした日が続いている。

本当は泣いて、泣きはらしてすっきりしたいのになぜか涙が出ない。

自分でも悲しいのか傷ついているのかはっきりとせず、この気持ちはなんなんだろうと自問自答の日々。


でも、結局は私がした決断の所為。

イアンが自分から離れていったのも自業自得だと理解している。だからだろうか、涙が出ない。

泣く権利くらいあるはずなのに。

こんなときでも涙は出てくれなかった。


そんな日が続き気が付けば1週間が経とうとしていた。

エイミーがすごく心配しているから早く立ち直りたいのだけれど。

息をつき、窓を開けるために体を起こす。

自分の部屋は好きだがずっと籠っていると悪い空気が充満しているように感じる。

朝起きたときに吹き抜けてくる風は心地よくて、あの瞬間はとても好き。

バルコニーのカーテンを開けると人の姿があって胸がはねた。

強盗かと思ったがよくみると知っている人物。

どきどきした胸を押さえているとその人物はのんきに私に手を振ってきた。

大きく深呼吸してから窓を開ける。


「強盗かと思ったわ」

「いやー。すみません。こっそり会いたかったもので」


頭を掻きながらはっはっはと笑うエイリアス。

相変わらずな姿に苦笑した。

でも本当に強盗じゃなくてよかった。


「ここ二階なのによく登れたわね」

「警備の目をかいくぐって忍び込むのは怪盗みたいで面白かったですよ」

「ふふ。怪盗って」


思わず笑ってしまう。

彼のマイペースさには毎回笑ってしまう。

それにしても二階にも上ってこれるほどの身体能力に驚いてしまう。


「それでどうして私に会いたかったの?」

「今日はクレアお嬢様に魔法をかけにきました」

「魔法?」


突拍子もない言葉に首をかしげる。

彼は自信満々にうなずく。


「出かける準備をして屋敷の前で待っていてください。クレアお嬢様だけの王子様が迎えに来ますので」


茶目っ気たっぷりに彼は私にウインクした。

王子様って?

訊き返そうとしたが、彼はバルコニーの柵に手をかけひらりと落ちてしまった。

悲鳴にならない悲鳴が口から出て慌てて柵の前に駆け付け下をのぞいた。

彼は手を上げ「それじゃあ約束ですよー」と何事もなかったように去っていった。

怪我をしていなくてよかった…。

ほっと胸をなでおろす。

しかし、突然目の前に現れて一方的に約束を押し付けていく彼の身勝手さに笑ってしまった。

笑って…いつぶりだろうか。笑ってしまうなんて。

心が軽くなるような、不思議な気分だ。

彼が一方的に取り付けた約束だったが今はなんとなく外に出たい気持ちがあったので言うとおりに外出準備を始めた。

簡単に準備し屋敷の前で待つ。

王子様って誰か連れてくるのかしら? もしかしてイアン…?

あれから会ってないけど…私普通に振舞うことができるかしら?

会ったとしてももう元の関係には戻れないのに…。

ぐるぐると心が重くなるような考えが頭の中で回りだす。

…大丈夫。私ならうまく取り繕うことができるわ。

弱い自分を強気な自分が叱咤する。


「クレアお嬢様!」


エイリアスの声が聞こえぱっとそちらに顔を向ける。


「え…あなたエイリアスなの?」


そこには美丈夫がいた。

くせっけで長い髪は一つ結びにしてまとめている。

前髪も長くはあるが髪を結んでいる影響か量も少なく、癖がある髪が瞳を見え隠れさせ大人の色っぽさを感じさせる。

そもそもエイリアス本人にその気がなかっただけで、もともと背も高くガタイ、顔立ちもよいのでいい男の条件はそろっていた。

しかもあれだけ父と妹が言っても剃らなかった髭も今日は剃っている。


「それでも髪は切らないのね」

「あんまり変わりすぎると俺のアイデンティティがなくなっちゃうでしょう?」


大げさに肩をすくめるエイリアスに笑ってしまう。

それにしてもどうしたのだろうか。

こんなにかっこよくなってしまって。


「…もしかして、王子様って」

「そう。俺のことですよ。今日の日没まで俺がクレアお嬢様をエスコートします」


そういってエイリアスは手慣れた動作で跪き、私の手をとってウインクした。

それから目的もなく港町への道を二人で歩く。


「さて、姫君。ご希望の場所はおありかな?」


そう問われて考え込む。

出来ることなら気分転換できる場所に行きたいと思った。

ここ数日は私室で本を読んで過ごしていたので猶更体が外の空気を欲しているのかもしれない。

ゆっくり出来て楽しい場所…。


「あ。私あの泉に行きたいわ」

「お。いいですね。行きましょう」


あの泉といっただけでエイリアスは察したようで目的地は厩舎になった。

私が提案した場所を二つ返事で了承してくれたことがやけに嬉しく感じた。

昼食や飲み物を港町で揃えてから、厩舎に向かう。

自分から言い出したことだが馬に乗ることを想定していなかったため私はスカートを履いている。

やはり乗るのは諦めたほうがいいかもしれないと思っていると横乗りも出来ると知り諦めずに済んだ。

先に跨ったエイリアスの手を借りて馬に乗る。

エイリアスは体が大きいのでアラン様とはまた違った安心感があった。

前に4人で来た泉。

静かで、緑もあって静養するにはいい場所だ。

実はここでやりたかったことがある。

芝生まで歩き、後ろから倒れこんだ。

大胆なことをしてしまった自分が可笑しくて笑ってしまう。


「お。クレアお嬢様どうしたんですか?」


後ろからからかうような口調のエイリアスの声。


「あの時本当は私も貴方たち二人みたいに寝ころんでみたかったの」


気持ちよさそうに寝転がっている二人に混ざりたかった。

ただお行儀が悪いということが念頭にあったので抑制していたのだ。


「なんだ。早く言ってくれればアラン様も誘って無理やりにでも寝ころばせてたのに」


軽口をたたくエイリアス。彼なら本当にしそうだ。

――想像した。

エイリアスがアラン様を巻き込み、私の手を取り誘う。そんな彼を咎めるエイミーの姿。そして妹はなんだかんだ私が楽しそうならと折れてくれるのだ。そして4人でそろって寝ころぶのだ。


「ふふ。とっても素敵。……早く言ってしまえばよかった」

「また来ましょう。4人で」

「ええ。とっても楽しみだわ」


あの日、家族で来るのとは違う楽しさがあった。

アラン様が昔からの友人のような居心地の良さがあったという言葉に共感を覚えるくらいに。

エイリアスが隣に寝ころぶ。寝ていると彼と同じ目線の高さになり新鮮な気持ちになった。


「こうやって両手両足を広げると更に気持ちがいいですよ」

「ふふ。こうかしら」


周りに誰もいないせいか大胆になれた。彼が言うには開き方が足りないそうだ。

さすがにこれ以上は恥ずかしくてできない。

クスクス笑っているとエイリアスが「こうですよ!こう!」とお手本を見せてくる。

それが可笑しくて笑いが止まらなかった。

しばらく寝ころんで空を眺める。

白い雲がところどころ流れていて静かな時間が心地よい。


「……私は昔から商会のために何ができるかを考えていたわ。それは父と母のために何かをしたいという気持ちからだった」


青い空を眺めていたら私はふいに自分語りをしたくなった。

エイリアスが聞いているか聞いていないのかわからない。

だけれど誰かに聞いてほしかった。

私の心の中の声を。


「エイミーは昔から商会の跡取りとして申し分ない勉強をしていたわ。私はそういうのエイミーほど興味がなかったから……女性としての立場を武器にしようと日々研鑽したわ」


昔のことを思い出し懐かしい気持ちになる。

できない自分に苛々したり時には涙をこぼしたり苦しい日々だった。

ううん。自分のために勝手に苦しくなっているだけだった。


「だから将来結婚する相手は商会の益になる相手と決めていたわ。その幼いながらも揺るぎない覚悟はずーっと続いていたの」


上体を起こして泉を眺める。

将来の嫁ぎ先に恥をかかせないため毎日母のレッスンを受けて自分磨きをしていた。

そんな毎日を過ごしていたある日、たまたま港町に出向いたらイアンと出会ったのだ。


「イアンに想いを寄せられて正直嬉しかったわ。生まれて初めて男性が自分を好きになってくれたんだからそれはもう舞い上がるくらいには嬉しかった。……だけど所詮嬉しかっただけなのよ。彼の想いに応える気は元々なかったのに何年も気だけ散々持たせてしまったわ。酷い女でしょう?」


懺悔のような告白にエイリアスは何も言わない。

ちらりと様子を窺えば無言で空を眺めている。

これはただの自分よがりの告白だから返事はいらない。


「アラン様との婚約の話が上がったときにお父様に言われたわ”嫌なら断ってもいい”って。私その言葉を言われたときどう返したと思う?」

「…迷わず受けますって言ったんだろう」


まるでその場にいたような言い方に目を見張った。

エイリアスに目を向けると彼は上体を起こした。


「旦那様言ってたよ。クレアが嫌だと言ったら縁談を断ろうって。君はわがままを言わないから一つくらい願いを叶えてやりたいって」

「お父様がそんなことを…」


あの時目をそらすことなく父を見ていた。

自分の揺るぎない覚悟を受け取ってほしいと。

父は間をおいてから「わかった」と一言頷いていた。

しかし、まさか父がそんなことを考えていたなんて思いもしなかった。

もしもあの時私が目を一瞬でも逸らしていたなら結果は違っていたのかもしれない。


「クレアお嬢様もたまにはわがままを言ったらどうですか?」


ふいに言われたその一言にカッとした。

自分が簡単にできないことをさも簡単に出来るだろう?という言い方をされたからだ。

いつもはこんなことに怒ったり、傷ついたりしないのに連日の抱え込んでいた想いが爆発した。


「私だってわがままを言いたいわよ!でも、できないのよ!言いたいのにそれを否定する自分がいるの!…わかっているのよ。自分でも驚くくらい意地っ張りで頑固だって…」


あれだけ部屋の中で独りになって泣こうとしていたのに出せなかった涙がエイリアスの前だとこんなに簡単に流れ出た。

それと同時に抑えていた自分の感情があふれ出てきた。

泣き顔を手で覆う。嗚咽が止まらなくなる。

――苦しい。苦しいの。誰か助けてほしい。

そんな願いを叶えるかのように震える体を大きい何かが包み込む。

顔を上げてみればくせっけの髪が頬を撫でた。


「エイリアス…」

「なるほど。“わがままを言いたい”わがままか。さて、どうやって叶えてあげましょうか」


抱きしめられながらそんな冗談を言われる。

――可笑しい。あなたって本当に可笑しいわ。

笑ってしまいたいのに涙が止まらない。


「……私のわがままを叶えてくれるの?」

「ああ。俺はクレアの王子様だからね」


そう言って彼は軽口をたたく。


「じゃあこのまま私が落ち着くまで抱きしめてて。お願い…」

「…お安い御用だ」


泣いたからだろうか体が熱い。

自分の体が熱いはずなのに腕を回した手から感じるエイリアスの熱はそれ以上に熱く感じた。

厩舎に馬を返し、帰途に就く。

もう帰ってしまうのかと名残惜しくなってしまう。

その気持ちが作用してか足取りが重く感じ、いつもより歩くのが遅くなる。

そんな私を急かすことなくエイリアスは隣を歩いてくれる。

地面ばかり見てしまう。家に帰るのが嫌だなんて子供みたいだ。


「クレアお嬢様、よければ少し海を見ていきませんか」


ふいのエイリアスの提案にぱっと顔を上げる。

私の気持ちを汲み取ってくれたのが嬉しくて笑顔で頷いた。

先ほどまで屋敷に帰る足取りは重かったのに海に向かう足取りはとても軽かった。

今の私は現金な人間だ。

海に到着すると二人で砂浜に腰を下ろした。

オレンジ色に海を照らす夕日はいつもより綺麗に見えた。


「今日はありがとう。とっても楽しかったわ」

「それはよかった」


笑って返事するエイリアス。

それから会話はなく二人で黙って夕日を眺めていた。

徐々に海に沈んでいく夕日。

あの夕日が完全に沈んでしまえば魔法が解けてしまうのかと思うと胸が痛む。

このまま時が止まってしまえばこの楽しい時間は続くのかしら?

そんなことを思いながら夕日を眺める。どんどん沈んでいってしまう。

――終わってしまう。

焦燥に駆られる。

この日をなかったことにしたくない!そんな思いが私を突き動かし―――気づけばエイリアスにキスをしていた。

一瞬だったような長かったようなキス。

顔を離せば驚いたような表情をしたエイリアスが目に入った。


「……初めて、初めて悪いことをしたわ」


いたたまれなくて顔を横へとそらす。

本当に悪いこと。

悪いことをしたというのに…不思議と罪悪感はなかった。


「君の初めてをもらえて光栄だよ」


優しく艶があるような声音。

恐る恐る顔を向ければ彼は穏やかな表情とは裏腹に獲物を狙うような鋭さが瞳の中に含んでいる。

いつもとは違う顔にどきりと胸がはねた。

少しの怖さを覚えたがその瞳から目が離せない。

夕日はいつのまにか沈んでしまっている。

それから再びキスをしたのはきっと魔法のせいなのかもしれない。





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