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リリーside


「クレア姉さまとイアン兄さまってとってもお似合いよね」


その言葉は可愛い年下の女の子の口から紡がれた。

諦めたはずの恋心が蘇り、胸が痛くなる。

けれど私はその感情を無視するように淑女の微笑みを浮かべて「本当にお似合いよね」と答えた。

私の心情を知らない彼女は無邪気に笑いかけてくる。

この回答が正解だ。誰も不幸にならない。

自分の気持ちに蓋をして幼馴染と友人の恋を彼女と影から見守ることがきっと私にとっての正解だ。

イアンとの出会いは生まれたときから。

両親同士が仲が良く、生まれた年も同じで兄妹のように育てましょうとのことで自然と一緒に過ごすことが多かった。

昔のイアンは今と違ってそれはやんちゃで棒を振って走り回っていた。

私はそんな彼の後ろをよくついて回っていた。

イアンはよく擦り傷などを手足に作っており私はハンカチを取り出すのだが彼は〝かっこ悪いから”と言って手当させてくれなかった。

それでももしもの時のためにハンカチは欠かさず持っていた。


その日、イアンは盛大に転び膝に傷が出来てしまった。

私は急いでハンカチを取り出そうとしてポケットを探るが忘れてしまったことに気づいた。


「こんなのかすり傷だよ」


そう言って立ち上がろうとする彼を制するように「大丈夫?」と女の子が声をかけてきた。

出で立ちからどこかのお嬢様のようだ。


「ちょっと待ってて。私ハンカチ持ってるから」


そう言って彼女は腰を下ろして手慣れた手つきでイアンの膝にハンカチを結んだ。


「それじゃあ気を付けてね」


それだけ言って立ち去ろうとする女の子に「待って!」とイアンが大きな声で引き留める。


「あの、名前は? その……ハンカチ返さないといけないし」

「クレアよ。別にハンカチは返さなくてもいいけれど……カーティス商会に持ってきてもらえれば私に届くわ」


にっこり笑って彼女は使用人らしき人と帰っていった。

そんな彼女の後姿をイアンはずっと見つめていた。

それを見て私はなぜ今日に限ってハンカチを持っていかなかったのかと後悔した。

だけど彼が彼女を好きになるのにハンカチは関係なかった。

私はただ何かの所為にしたかっただけ。

仮に私がハンカチを渡そうとしても彼は受け取っただろうか?

受け取らなかったはずだ。

クレアだったから受け取ったのだ。


それからイアンはクレアに似合う男になると豪語するようになった。

前々から言っていた騎士になりたいという夢を実現させるため、町に住んでいる駐屯兵などから情報を集め始めた。

剣の練習も勉強も今まで以上に真摯に行っていた。

性格も変わってしまった。

やんちゃだった彼が優しく礼儀正しく振舞うようになり周囲の評判はとてもよくなった。

全てはクレアのためだった。

気づけばイアンはカーティス商会に足を運びクレアとの交流を深めていた。

そして月日が流れある日イアンがクレアを紹介してきた。


「カーティス商会のクレアよ。よろしくね」

「イアンの幼馴染のリリーよ。こちらこそよろしくね」


ぎこちない挨拶だったかもしれない。

そんな私にクレアは気を悪くする様子もなく優しく微笑む。

――イアンの好きな女の子。


「クレアはお嬢様なんでしょう?やっぱり淑女としてのレッスンをしたりするの?」

「ええ。お母さまが教えてくれるのよ。リリーも興味があるなら私教えるわ」


彼女の提案に私は少し興味が湧いた。

そのレッスンを受ければ私も少しくらいならイアンに振り向いてもらえるんじゃないかって期待した。


「クレアが迷惑じゃなければ教えてほしいな」

「まあ!全然迷惑じゃないわ!それじゃあ何から教えたほうがいいかしら?立ち方?座り方から?ああ……なんだかとっても楽しみになって来たわ」


キラキラした瞳でそう言うクレア。

……イアンはこういう女の子が好きなのね。

静かにそう思った。


それからクレアと約束を取り付けてはレッスン教室が開かれた。

傍から見ればごっこ遊びみたいなものだっただろう。

しかし、私はそれでも真剣に取り組んだ。

そんな私にクレアも真摯に教えてくれた。


「リリーは素質があるわ。立ち姿も最初のころと比べて軸があるし。微笑み方も上手くなっているわ」

「微笑む練習もあるなんて変わってるのね」

「淑女はね、苦しい時でも相手に悟られないようにしなければならないの」


苦しい時でも微笑みを作らないといけない。

ならば私は淑女になろうと思った。

どうせ叶うことのない恋であれば表に出す必要もないだろう。


ある日クレアは妹を紹介してきた。

人見知りなのかクレアの後ろに隠れては出てきてこちらの様子を窺っているようだった。

その愛らしい姿に私は口元が緩んだ。


「私はリリーっていうのよろしくね」

「……エイミーです。よろしくお願いします」


たどたどしい挨拶だった。

彼女の人見知りは時間が解決してくれた。

最初のエイミーはどこへやら。彼女は明るく元気に走り回る。

元気すぎてたまに危なっかしい。

その姿が昔のイアンに重なって懐かしさを覚えてしまう。


港町の表通りを4人で歩いている時だった、人にぶつかったクレアをイアンが受け止めた反動で彼は腕に怪我を負ってしまった。

慌ててハンカチを取り出そうとして――やめた。

どうせイアンは私のハンカチを使ってくれないのだから。

そう思った途端、心が暗く沈んだ。

イアンが怪我を負っているというのに断られることが酷く怖い。

自分が傷つかないために私はただ佇む。冷たい女だ。


「リリー姉さまのハンカチを使えばいいんじゃないでしょうか?」


エイミーの言葉にはっとして彼女を見た。

エイミーは綺麗な瞳で私を見つめる。

私は緊張で胸の鼓動が早くなるのを感じたが平静を装いイアンの腕にハンカチを巻いた。

そして巻かれたハンカチを改めて見て……私は救われた気持ちになった。

黒く渦巻いていたものがなくなり、幸せな気持ちで胸が満たされた。

ただハンカチを巻いただけなのに。彼が私のことを好きになったわけではないのに。

ようやくクレアと同じ場所に立つことができたことが嬉しかった。

――だから、もういいわ。

私は自分の恋心に静かに蓋をした。それで十分だった。

悲しいことのはずなのになぜか心は穏やかだった。

そのきっかけを作ってくれたエイミーにお礼を言えば嬉しそうに笑ってくれる。

私はエイミーのことが大好きになった。

クレアの12の誕生日に私は栞をプレゼントした。

押し花をつけたものだ。みすぼらしい栞だったのにクレアは大げさなくらい喜んだ。


「私が本を好きだから作ってくれたのね!本当にありがとう!ああ!なんだか本を読むのが楽しみになったわ!」


お嬢様なんだから買えばもっと綺麗な栞が使えるというのに。

しかし彼女の反応を見ていたらいつか捨てられる栞であっても贈ってよかったと思えた。


13の誕生日には町娘の間で流行っている“切れたら願いが叶う紐”を結わえた。

遊びに来た彼女の腕に早速結ぶ。

彼女は物珍しそうに腕に結んだ紐を見つめる。


「切れたら願いが叶うのね?」

「ええ。切れるまではつけておいてね」

「何をお願いしようかしら?」

「“イアンと両想いになれますように”ってお願いしたら?」


からかうようにそういえば彼女の顔が一気に赤くなった。

それを見て、少し胸が痛んだ。

だから私はただ微笑んだ。


「うーん。それはなんだか違う気がするのよねぇ。…あ、そうだ」

「何?何をお願いするの?」

「内緒」


口元に人差し指を当てていたずらっ子みたいにクレアは笑った。

どうにか聞き出そうと画策したが彼女は笑って誤魔化すだけだった。

それから日が流れ、気づけば彼女の腕に結んでいた紐はなくなっていた。


「ようやく切れたのね。それで……どう?願い事は叶ったの?」

「え~」


そう問うとクレアはもじもじして恥ずかしがった。


「ねえ、切れたんだから教えてくれてもいいでしょう?何をお願いしたの?」


答えはわかりきっていた。イアンとのことだろうと。

ただやけに勿体ぶった態度だったのが気になった。

問い詰めるとようやく観念したのかクレアは照れた様子で答えた。


「リリーとずっと仲良くいれますようにって願ったの」


……ああ、本当に。クレアは馬鹿だ。


「馬鹿ねぇ。そんな当然なことを願うなんて。私が折角作ったのに勿体ないことしたわね」

「ふふふ。いいのよ。リリーから貰ったものなんだからリリーのことをお願いしたかったのよ」

「あー。勿体ない勿体ない」


言い訳のような言葉を私は軽くあしらう。


「ねえ、切れた紐はどうすればいいのかしら?」

「切れちゃったんだから捨てればいいのよ。お役目ごめんってね」


他に使い道なんてないものなんだから。

彼女は「そう」と一言言った。

クレアが16の時、彼女の婚約の話が上がり今までの交流が途端になくなってしまった。

イアンはあからさまに落ち込んでおり、私は彼を励ますように明るく振舞った。


「仕方がないわよ。クレアはお嬢様なんだから」

「それは分かっているけど……やっぱり悔しくてさ」


彼の弱音を聞いて私は胸が躍ったことに気が付いた。

――そんな自分がとても醜くて嫌だった。


クレアと彼女の婚約者であるアランにあった帰り道、イアンの様子は明らかにおかしかった。

心配する私をよそに彼は一人でどこかに行ってしまった。

私は先に帰ったがイアンのことが心配で彼の家に行ってみればまだ帰っていないと言われた。

そのまま家の外で待っていると夜になった。

ようやく帰ってきた彼は覚束ない足取りで倒れそうになっており私は慌てて駆け寄った。

身体を支えると、酒の匂いが鼻についた。


「イアン、あなたお酒を飲んだの!?」


彼は何も答えない。


「お酒だなんて……あと少し待てば飲めるのにどうして」

「俺のほうが特別仲がいいんじゃないか、だって」


ポツリと呟かれた。私は言葉が出せなくなった。

そんな私に構わず彼はつぶやき続ける。


「領主の息子だって……そんなの敵うわけねーじゃん」


昔の彼に戻ったみたいな言い方だった。

傷ついている彼を私は励まそうと震える声で言葉をかける。


「わかる……わかるよイアンの気持ち」


その発言が彼の癇に障ったのか強い力で体を引き剝がされた。


「お前に俺の気持ちなんて分かるわけないだろ!」

「分かるわよ!」


イアンより大きい声で怒鳴った。

無理に声を出した所為か喉がひりひりした。

よほど驚いたのかイアンの顔は呆気に取られていた。

そんな彼に構わず私は言葉を紡ぐ。


「私ずっとイアンのことが好きだった……。だけど、貴女はクレアのことが好きだったわ」


クレアと私じゃ勝負にもならない。

――敵うわけがない。


「だから……だから私貴方の気持ちがわかるの……」


好きにならなくていいから。ただ貴方の悲しみに寄り添ってあげたい。

そんな思いで私は彼を抱きしめた。

抱き返さなくてもいいと思っていたが私の背中にイアンの手が回った。

これはきっと傷の舐め合いだ。


次の日家から出るとタイミングが良いのか悪いのかイアンに会った。

酔っていたから昨日のことなんて忘れているかもしれないと思っていたが彼は私を見ると照れ臭そうに視線を逸らした。


「お、おはよう」

「おはよう」


私はイアンに会ったら恥ずかしくて堪らなくなるんじゃないかと思っていたが彼の照れている姿を見てなんだか可笑しくなった。


「何笑ってるんだよ」

「別にー? さあ、洗濯洗濯」


私が洗濯籠を持って去ろうとすると彼が私の名前を呼んだ。

なんだろうと思い向き合う。緊張した面持ちだった。


「これから先の人生、俺はクレア以外の人を愛することになるのかもしれない。ただそうなったとき……クレア以外の女の子は君が、リリーがいいと思ってる」


……ずるい。

私はこの言葉を拒むことができない。

一番じゃなくてもいい。

二番目でいいから……これから少しずつでもイアンの気持ちが私に向いてくれたら、それでいい。

ささやかな私の願い。

だからその言葉に惹かれてしまった。

私は小さくうなずいた。






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