アランside3
本屋に行った日、エイミーは私に絵本をプレゼントしてくれた。
家に帰り着いた後も自室で再び本を取り出し、ページを開いた。
母のことを思い出すとあの日のことばかりが思い出されたが、久々に幼い時の記憶が蘇ってきた。
眠りにつくまで母は根気よくこの本を読んでくれたものだ。
あまりに私が何度も頼むので母は本の内容をいつの間にか暗記していた。
得意げに話す母だったが私も暗記していたので間違ったところを指摘すると「おかしいわね?」と小首をかしげて本を開いていた。そんな母に私は笑った。
……そうだ。母との記憶は辛いものだけではなかった。
なぜ今まで思い出せなかったのだろうか。
『懐かしくなるほどの本ならそこにアラン様の大切な思い出があるんじゃないですか?』
微笑んだエイミーの姿が蘇る。
……ああ。確かにあった。
こみあがる気持ちを抑えるように本を閉じた。
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誰から言い出したのか思い付きのように観光名所の泉に遊びに行くことになった。
当初は3人で向かう予定であったが、エイミーが乗馬を希望し急遽エイリアスも同行することになった。
厩舎で馬を借りると彼は手慣れた様子で馬を扱っていた。
日常的に馬に乗る機会があったのかもしれない。
前に感じた違和感が蘇ってくる。
隣国の出だとすれば……まさかな。
5年前程に一時期隣国で騒ぎになっていた事件を思い出した。
隣国の第二王子が行方不明になった、と。
しかし、しばらくして騒ぎは収まったので彼のことではないだろう。
そもそも第二王子が商会の使用人をしているわけがない。
自分の考察を馬鹿馬鹿しいと一蹴し、私はクレアをエスコートした。
目的地に着くとエイリアスの髪が馬に食べられるというアクシデントが起き、慌てて頭絡を持ち馬を宥めた。彼の毛量が多く、草かなにかと間違えて食べたのだろう。
「毛量多いから減ってよかったじゃない」
エイミーの言葉についつい噴き出してしまった。
笑うつもりはなかった。ふいの油断を突かれただけだ。
しかし、そんな言い訳が通用するわけがなくエイリアスが詰め寄ってくる。
彼のこだわりは私にはよくわからなかったが、クレアはどうやら好きらしい。
エイミーたちは寝転がり、クレアは本を読み始める。
私は何をすることなく視界に入る自然を眺めた。
光が泉に反射し、その眩しさに目を細める。
風のそよぐ音が聴こえてしまうほど静かで穏やかだ。
ぼーっとしていたので暇をしていると思ったのだろう。
エイミーが隣に腰かけた。色々と気にかけてくれており彼女の優しさが伝わる。
「正直、君たちと過ごす時間はとても楽しい。こうして静かに流れていく時間ですら悪くないと思っているよ」
「ふっふっふ。姉さまもエイリアスも素敵なんだから一緒にいて楽しいのは当たり前ですよ」
得意げに言われる。
しかし、彼女の言う素敵には彼女自身が入っていなかった。
いつもはポジティブな彼女が謙遜する姿に「それもそうなんだが……」と口にして彼女の顔を見つめる。
絵本の件で私は彼女の評価がガラリと変わった。
厚顔無恥だと思っていたが、彼女は彼女なりに気を使うべきところは気を使い、気に掛けるべきところは気にかけている。
あくまで純粋爛漫に振舞うのはクレアが、周りが楽しそうにしているときだった。
彼女は多分、人が喜んでいる姿が好きなのだろう。
だからそうやって振舞っている。本人は無自覚かもしれないが。
「アラン様も最初は意地悪だと思っていたけど姉さまたちに優しく接してくれるから一緒に過ごすの悪くないですよ。…では!私はこれで!」
早口でそう言うと彼女は急に立ち上がりそそくさとエイリアスの隣へと戻った。
……言いそびれてしまった。
戻った彼女はなぜかエイリアスと追いかけっこを始めた。
仲のよさそうな二人にまるで兄妹みたいだと思った。
エイリアスをエイミーが必死に追いかける姿を微笑ましく思っているとクレアが声をかけてきた。
「エイミーってうさぎに似てると思いません?」
確かによく跳ねているイメージだ。
うさぎ、か。うさぎ。
言われてみれば似ているかもしれない。
それに今思えば物を頬張っている顔もうさぎのようだった。
そう思うと無性に彼女が可愛く思えてきた。
楽しい時間はあっという間に終わり、馬を返した後噴水広場を通ると何やら騒がしい。
子供のいざこざだ。仲裁するべきか、しないべきか。
悩んでいれば何かを持っていた男の子の手が噴水へと振り下ろされる。
と同時に視界に何かがよぎった。エイミーの後ろ姿が視界に入る。
噴水に向かってエイミーが走っていったと思えば彼女は飛び込んだ。
大きく水しぶきがあがる。その一連がスローモージョンのようだった。
「お宝見つけたー!」
水の中から飛び出るようにエイミーが起き上がり、元気よく片手をあげて嬉しそうに叫ぶ。
理解が追い付かない。確かに見ていたというのに彼女が噴水に飛び込んだ事実が飲み込めない。
「あの子らしい」
横にいたエイリアスが呟いた。
顔を見れば穏やかな、羨望にも似たようなそんな瞳でエイミーを見ている。
そして、彼も噴水へと走り出した。
視線で追うと案の定彼は同じく噴水に飛び込んだ。
驚いている私の耳にクスクスと笑う声が耳についた。
そちらを見ればクレアが目を細めて彼らを見ていた。
「本当に仕方のない娘」
その姿を見て私だけがわかっていないのだと知った。
後で飛び込んだ理由をエイミーに直接訊いたがお宝だと思ったからだと答えた。
太陽みたいな明るい笑顔を私に向けて。
一瞬その笑顔に目を見張ったが、やはり理解が出来なかった。
楽しそうに飛び跳ねながら帰るエイミーとは裏腹に、なぜだか少し言いようのない不安を覚えた。
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お礼のクッキーを渡してからエイミーに会えない日々が続き、気づけばひと月も経とうとしていた。
いつもは間隔をあけていた訪問もエイミーに会いたいが一心で連日約束を取り付けていた。
今日も客間にはクレアと二人きりでエイミーはいつもの“仕事が忙しい”だった。
「明らかに避けられている」
ぽつりと呟いた独り言に本を読んでいたクレアが大げさに体を震わせた。
じっと見つめていると彼女はどぎまぎした様子で開いていた本を閉じた。
「ど、どうされましたかアラン様?」
「どうもこうもないだろう。エイミーのことだ。最近顔を見せない」
動揺しているクレアに隠すことなく核心をつく。
彼女はぎこちない微笑みを浮かべた。
「最近商会のほうの仕事が忙しいみたいで…まあ、そのうち落ち着くと思いますよ」
「……クレア、私に隠し事をしているだろう?」
「まあ。どうして私がアラン様に隠し事をなさらないといけないのでしょう?」
頬に手を当て小首をかしげる。
芝居めいたその動作に少しイラつきを覚えた。
「エイミーはいったい何が気に食わないんだ!」
「い、いえ。別にエイミーはアラン様を不満になんて思っていませんよ」
頭を抱える私にクレアが気休めのような励ましをいれる。
ため息を吐き、背もたれに体を預ける。
「気に食わない意外に避けられることなんてないだろう?」
「そ、そんなことありませんよ。嫌われる以外にも……ほら、あるじゃないですか。その……あの……」
視線をさまよわせているクレアは奥歯に何かがはさまったかのような言い方をする。
必死に私を傷つけまいとする言葉を考えているのだろうが、嫌われる以外に避けられることなんてないと十分理解している。
最後にエイミーに会ったのは勉強と称してクッキーを渡した日。
あの時になにか失礼をしたのだろう。
しかし、今思えばあの時の彼女は様子がおかしく、私と決して目を合わせようとしなかった。
つまり原因はあの日ではなく――クッキーを焼いた日か。
「原因はクッキーか…」
クレアが口元を手で覆う。
正解だと言っているようなものだ。
「実はエイミー、アラン様がクッキーを残さず食べたてくれたことがとっても嬉しかったみたいなんです」
微笑むクレア。
――なるほどそういうことか。合点がいった。
エイミーは私が甘いものを苦手だと隠していたことが気に食わなかったのか。
喜んだのも束の間私が嫌々食べていたと知ってショックだったのだろう。
だが言わせてほしい。決して嫌々食べていたわけではない。
私のために焼いたと言われたときは嬉しかったし、残したことで悲しませたくなかった。
エイミーが焼いたクッキーは正直甘ったるく舌に合わなかったが、自分のために焼いてくれたと思えば胸が満たされ幸福を感じた。
好意にお礼をしたいと菓子店に出向いたときは彼女の喜ぶ姿を想像して胸が弾んだ。
あれからひと月も会えていない。彼女に会えない日が続くのは胸が苦しく辛かった。
「クレア、協力してほしい。私とエイミーを会わせてくれ」
「えぇ……でも私エイミーに嫌われたくないわ」
私の頼みに彼女はあからさまに尻込みをする。思わず眉間に力が入る。
気に食わない。私は嫌われてこんなに落ち込んでいるのに彼女は自身の保身のために協力を躊躇していることが。
というかいくら姉妹だとはいえ、少し距離が近すぎるのではないのだろうか。
クレアはエイミーに好かれすぎている。嫉妬にも似たような感情が生まれる。
「彼女の誤解を解きたいだけなんだ。頼む、協力してくれ」
「うーん……やっぱりエイミーに嫌われたくないわ。まあ、じきに顔を見せてくれるようになりますよ」
「……そのじきにとはいつのことだ?」
「そのうちですよ」
「だからいつのことだ?正確な日にちが知りたい。そうすれば私も待とう」
しつこく追及するとクレアは黙り込んだ。
葛藤しているのかその表情は悩ましげなものだった。長考した結果、小さくため息をついた。
「わかりました。協力いたします。……あの子に嫌われたらアラン様のこと恨みますからね」
観念したように言い放つクレアに素直にお礼を言った。
クレアの計らいでエイミーに会うことは出来たが、彼女は私の存在に気づくと一目散に飛び出していった。
逃げられたことへのショックより、彼女と話しがしたいという気持ちが勝り追いかける。
なにやら周囲を見回している彼女の腕を掴んだ。お化けと言われ訂正するも彼女は抵抗し続ける。
私はどんなに彼女が抵抗しても手を放す気はなかった。
この手を放してしまえば彼女はきっと逃げてしまう。そう考えるだけで焦燥で胸が苦しくなる。
クッキーの件は彼女に否定された。それが理由でなければ皆目見当もつかなかった。
そうなると考えたくもなかった言葉が口からこぼれ出た。
「……私のことが嫌いになったのか」
言葉に出してしまえば気持ちが一気に沈んだ。
自分の中のなにかが消失してしまうようなそんな感覚。
そんな私に彼女は頬を抓ってほしいとお願いしてきた。
彼女の願いはなんでも叶えてあげたいという一心で抓ってみれば痛みを訴え手を払われる。
それからも押し問答が続き、一向に問題は解決しそうになかった。
理由を聞くまでここで一晩過ごすほどの覚悟はある。
いつまでも待とうと構えていると彼女は背け続けていた顔をあげた。
「私アラン様のことが好きになっちゃったみたいなんです!!」
叫ぶような怒鳴るような言い方。
一瞬怒られているのかと目を見張った。
しかし、その言葉は怒っているには似つかわしくないもので理解が出来ず、エイミーに確認する。
「…待て。聞き間違いか?今私のことを好きだと言われたような気がしたのだが…」
「言いました」
「言ったか?」
「言いました」
「そうか。言ったのか…」
ようやく理解できた。
そうか今まで避けていた理由は好き避けというものだったのか。
クレアが“嫌われる以外にも”と言っていた理由はこのことだったのか。
でもそうか……。エイミーは私のことが好きだったのか。
そうか……好きなのか。
帰宅してからもそんな言葉を反芻しながら過ごし、寝床につき眠りについた。
そして日の光で目を覚まし、体を起こした。
「そうか。エイミーは私のことを好きだったのか」
そう言って実感した。
胸のあたりが温かくなって、視界に映るすべてが美しく見えた。




