アランside2
顔合わせから数日しか経っていないが、ずるずると先延ばしにするのもよくない。
私は向かいに座っているクレアに意を決して問う。
「本当にいいのか?このまま婚約を受けてしまって。君には好いている男がいるんじゃないか?」
私の問いかけにクレアは持っていたカップに口をつけることなくソーサーに戻した。
「エイミーから聞いたのですか?」
「ああ」
そういうことにしておいたほうがいいだろうと嘘を吐く。
クレアは目を伏せ、少考してから口を開いた。
「私は商会のためにこの婚約を受けました。私に想い人がいるにしろ、この婚約を私から解消する気はございません」
私の瞳を射貫く。揺らぎない覚悟を感じた。
彼女の見目から穏やかで他人に流されるタイプかと思っていたが彼女は意思を貫き通す強さを持っているようだった。
自分の置かれた状況に嘆かない彼女の強さは素直に好感を持てた。
愛のない結婚になるのは目に見えていたがこれなら互いに尊重しながらいい関係を築けていけるだろう。
「しかし、早急すぎたのは確かだ。仮の婚約として1年の期間を設けてもえるようカーティス殿に提案しよう」
「お心遣い感謝します」
クレアはふわりと笑った。その笑顔につられて口元が緩んだ。
早速夫妻を呼び、契約の内容などを検討している時に唐突にエイミーが入室してきた。
なぜだかその表情がやけに得意げで嫌な胸騒ぎを覚えた。
彼女は迷いなど見せずに一直線に私に近づき、腕に絡みついてきた。
鳥肌を感じる間もなく彼女はクレアに言い放った。
「姉さま、私アラン様に一目ぼれしちゃいました」
――絶句した。なんて馬鹿な女だと。
彼女について最初に見かけたときと、一緒に過ごしてわかったことがある。
このエイミーという女はよく言えば天真爛漫。悪く言えば厚顔無恥だった。
とはいえ、あの発言をした後即刻夫妻によって連行される姿は見ものだった。
泣きながら「ごめんなさーい!」と連れられる姿は胸がスッとするような清々しさがあった。
そんな性格だから彼女は人の気持ちに気が付けないのだろう。
「あの子が自分から人に興味を持つなんて初めてのことだから…少し驚きました」
独り言のように呟いたクレアの表情は寂しそうな嬉しそうな、言いようのないものだった。
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それから仮婚約の契約を交わした後、私の温情でエイミーは釈放された。
出てきた彼女は母君が怖いのか委縮しながら謝罪した。
コロコロ表情が変わる姿に珍獣でも見ているかのような気になる。
本心を隠す貴族令嬢との交流のほうが多い私にとって感情あらわなエイミーは珍しかった。
だからだろう。気まぐれに彼女の賭けに乗ってしまった。
ただの暇つぶしくらいの軽い気持ちで。どうせ私が彼女を好きになることはない。
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クレアが商会の案内をしてくれるとのことで訪問するとニヤニヤしているエイミーに出迎えられた。
私を案内するのが楽しみだったそうだ。変な女だ。
商会でエイミーが紹介したエイリアスという男は不思議な男だった。
彼女たちが退室した後、男二人で猟の話で盛り上がった。
「エイリアス殿は狩猟をしたことがあるのですか?」
「ええ。昔ですけどありますよ。いや~、一時期はまってましたよ。あの獲物を狙うときの緊張感が堪らないんですよね。こう…パンッ、っとね」
彼は銃を構えるジェスチャーをし、撃つ真似をした。
気安さはあれど彼の所作からはところどころ気品を感じる。
元々は貴族の出だったのかもしれない。
そう当たりを付けたが、事情を探るような不躾なことはしなかった。
「そうでしたか。どのあたりの狩場で狩猟を?」
「あー、昔のことですからねぇ。あれは…ハーゼント州の狩場だったかな?」
「ハーゼントというと隣国の?」
「…ええ。そうですね」
ハーゼント州の狩場…あそこは確か一般には解放されておらず、国が保有する狩場があるのみだったような。
少しの違和感を俺が訝しく思っているとエイリアスは明るく話しかけてきた。
「ところでアラン様は今まで狩った中で一番の獲物はなんでしたか?俺はきつねですかねぇ。あいつ結構すばしっこいので当てるのに苦労しましたよ」
「あ、ああ。そうだな……」
そこから別の話題に切り替わり、違和感を指摘する機会を見失ってしまった。
牛耳られているような話術を感じつつも、内容自体は興味のあるものであったため会話を楽しめた。
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午後の港町の散策はエイミーのために来たようなものだった。
彼女は店から店へ顔を出しては食べ物を買いあさっていた。
最後にデザートまで食べようとしていた姿を見てさすがに呆れた。
「…先ほどから食べ物ばかりだな」
指摘すればしおらしくなりつつも果物を受け取っている姿が可笑しく思わず吹き出してしまった。
クレアも笑っていたことも作用し気づけば声を出して笑っていた。
頬を赤らめてもなお果物を頬張るエイミーは更に笑えた。
騒がしくしていたからだろうか、彼に気づかれた。クレアの想い人に。
久々に再開したであろう二人は話す言葉がみつからないようであった。
見かねた私はクレアに声をかけた。
「クレア、こちらの方は知り合いか?」
「え…ええ。昔からの友人ですわ」
それからイアンに挨拶を交わす。礼儀正しい青年だった。
何も知らないようなそぶりで会話を続けているとあの日見た女性まで現れた。
思わずエイミーに目を向けると目が合い、すぐ逸らした。
再びクレアと彼女が仲がよさそうに話しているのを眺める。
彼女はイアンが好きだというのに彼が想いを寄せているクレアに話しかけられ何を思っているのだろう。
二人の姿が母とミラに重なって見え、心がずきりと痛くなる。
「仲がいいのだな」
「ええ。リリーもクレアとは昔からの友人ですので」
「…イアン殿のほうがクレアとは特別仲がいいのでは?」
気づけば言ってしまっていた。なぜ口にしたのかわからなかった。
もしかするとリリーの気持ちを知らない彼に意地悪を言いたくなったのかもしれない。
しかし、彼は取り繕うのがうまかった。
後でエイミーにこの発言について咎められたが、言ってしまったものは仕方がない。
彼がクレアを好きだったとしてもこの婚約は覆ることはない。クレア自身も覆す気はないだろう。
ただイアンのほうはいいとしてクレアの方は彼のような情熱を感じなかった。
寧ろ彼に申し訳なさそうな、後ろめたさがあるように思えた。
考え事をしながらエイミーの問いかけに応えていくと突拍子もなく「私はどうですか?」と聞いてきた。
あまりにも関係ない問いに今まで考えていたことが吹っ飛んだ。
期待したような瞳で私を見つめてくる。
評価が上がるようなことをしていないのに期待している姿が妙に可笑しくて鼻で笑う。
「お前はこれくらいだ」
指でちょっとのジェスチャーを作って見せた。
馬鹿にされたと怒るだろうと高をくくっていたが予想外の反応をした。
「やったー!ね、あとどれくらいで惚れてくれるの!?」
大げさに喜び、飛んではねた。思わず口から「は?」とこぼれた。
そんな私を気に留めることなく彼女は「これくらい?それともこれくらい?」と続けて聞いてくる。
そんな姿を見て今まで考えていた悩みが馬鹿馬鹿しくなった。
「…ふ。さあな」
私の返答を聞いたエイミーは分かりやすく肩を落としていた。
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ある日父宛てにカーシー伯爵から夜会の招待状が届き、私も参加することとなった。
クレアは仮の婚約者ではあったが後々のことを考え、参加してもらうようカーティス殿に申し入れた結果了承を得た。
クレアは夜会の参加は初めてだそうで、それならダンスは無理をしないでいいと言ったが彼女は踊りたい、というよりは踊らなければならないといった回答をした。
こちらの都合もあり、もともとダンスの練習は付き合うつもりではあったが、前向きな彼女に触発され積極的に付き合う気になれた。
しかし、練習に付き合ってわかった。彼女の責任の強さは彼女自身に負担をかけるものだと。
疲れなど取れていないであろう顔で練習の続きを急かされる。
気遣いたかったが彼女のことを思うのであれば付き合うほうが彼女にとって助かることなのだろうと再開しようとした。
「私もアラン様と踊りたいです!」
そんな素っ頓狂な発言に思わず取り繕うこともなく「は?」と口にした。
エイミーを見れば今の自分がいかに間の抜けた顔をしているのかを指摘するように口元に手を当てていた。
気は乗らなかったが、きらきらした瞳でお願いしてくるので嫌々ながら引き受けた。
――彼女とのダンスは一言でいえば最悪だった。踏むのは仕方がないとして、彼女の足の出し方は勢いが
良く、タイミングが悪いと足を蹴られるのだ。ダンスの経験がないのは一目瞭然だった。
最後に全体重を乗せているのか!?と疑いたくなるくらい足を踏んできてさすがに蹲った。
それで練習はお開きになり帰り際に「へたくそ」と罵ってやった。
再びクレアとの練習に訪れるとエイミーの姿はなかった。
さすがに懲りたかと息をついた。
クレアと練習を始めると前回と違って彼女は落ち着いて、リラックスした表情で踊っていた。
踊り終えると私は彼女に声をかけた。
「今日の君はとてもいい。いい意味で要らない力が抜けているようで、踊りやすくなったよ。なにかあったのかい?」
「ありがとうございます。実は、この前のあの子のガチガチのダンスみたらもう少し気を抜いてもいいのかなって思っちゃって。変ですかね?」
「…いや。変じゃないよ」
どうやらクレアにとっては良い薬になったようだ。
たまには良いことをするんだなあの子もと見直した。
しかし、それは自分の足の犠牲があったからで、あまり見直すのもよくないのかもしれない。
後日クレアの元に訪れると彼女は不在のようで代わりにエイミーが出迎えた。
ダンスの再挑戦をしたいとのことだった。
見直したお礼に受けてもよかったが足を踏まれたことを思い出し意地悪したくなった。
帰ろうとする私の腕を掴み必死に止めようとするがまあ、力が弱いのでいとも簡単に引きずられている。
「ひ、引きずられる~!」
声に出されて思わず噴きだしてしまった。
足を踏まれたこともどうでもよくなった。
さて、どれだけ上手くなったのかみてやるか。
――まあ、前回よりは動きは良くなっていたがどう見ても自信満々で挑むには早すぎた。
ポジティブすぎると呆れていたら私がへたくそだとぬかす。
睨むと目をそらされる。こいつ……。
と思えば、それはもう残念そうに、悲しそうに肩を落としてみせる。
あからさまに目の前で落ち込まれると居心地が悪くなる。
まるでエイミーの言動一つで自分の感情を振り回されているようだ。
ため息を吐く。これくらいの実力であれば私が振り回したとしてもついてこれるだろう。
そう思ってダンスを踊ってやれば先ほどの落ち込みはどこへやら花のような笑顔で喜び、鼻歌まで歌いだす。
そんな彼女に頬が緩むのを感じた。
――可愛いな。
……ん?
自分の思った発言がにわかには信じられず気が付けばエイミーを突き放していた。
「なにするのよー!」
「散々足を踏んでくれたお返しだ」
そう言って舌を出す。
そうだ。こいつは私の足を散々踏んだんだ。可愛いわけがない。
そう自分に言い聞かせる。
可愛いなどと思うわけがない。




