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転化

夜会参加から一週間ほど経ったある日、やけに機嫌のよさそうな姉が自室に入ってきて私に言った。


「もしかしたら婚約解消してもらえるかもしれないわ」

「…え、えー!?ど、どういうことですか!?」


何の前触れもなく婚約が解消されることがあるんだろうか?

驚く私に姉は頬を紅潮させながら話を続ける。


「そしたらエイミーに良いことが起きるかも」


え?私に良いこと?

姉が婚約を解消して私に良いことが起きる…。

少し考えてみたが何も関連づかない。

いや、でも確かに私の目的は姉の婚約解消だったから良いこととはそのことなのかもしれない。


「なるほど。良いことが起きますね」

「…多分、今エイミーが考えていることとは違う良いことよ」

「え?これが違うとなると他に何があるんですか?」

「ふふふ。楽しみにしていてね」


姉はいたずらっ子みたいに笑う。

どうやら教える気はないらしい。

やけに楽しそうにしている姉を見るとまあいいかという気になり追及はしなかった。


「本当に婚約解消になったら気兼ねなくイアン兄さまに会えますね」

「そうね。早速イアンとリリーに手紙を書くわ。しばらく会えてなかったから3人で会えないかって」


姉は両手を合わせて楽しそうに提案する。

とても楽しそうに笑っていた姉さま。

そんな姉を見て私も嬉しかった。

会った時にどんな会話をするのか、遊びに行く計画などを話したり楽しい未来を想像し二人で盛り上がった。

数日後に姉は笑顔をなくし、部屋に引きこもるようになるとも知らずに――。

姉が二人に手紙を送った数日後、イアン兄さまが連絡もなく屋敷を訪ねてきた。

久しぶりに会うイアン兄さまを私は笑顔で出迎えた。

彼も笑顔を向けてくれるのだろうと当然のように思っていたが、イアン兄さまはどこか居心地が悪そうな様子だった。

思い詰めているような、そんな表情をしている。

違和感を感じながらも屋敷内に招こうとしたが断られた。

しかし、姉には会いたいそうで、私は言いようのない不安を抱きながらも姉を呼んだ。

イアン兄さまを見ると姉は笑顔で出迎える。

姉を一目見れば笑顔を浮かべるだろうという思いは簡単に打ち砕かれた。

イアン兄さまの表情は変わらず硬いままだった。

姉もいつもとは違う彼に気づいたようで優しく言葉をかける。


「久しぶりねイアン。今日は私に会いに来てくれたの?」

「ああ。クレアに大事な話があって来たんだ」

「そうだったのね。どうぞあがって」

「いや。話はすぐ終わるから…少しついてきてもらってもいいか?」


どこかぎこちない誘いに指摘することなく姉は「わかったわ」と頷いた。

出ていく二人の背を無言で見送った。

何も悪いことが起きませんようにと静かに祈った。

しばらくして姉は帰ってきた。

二人が出ていった後も心配で動かず玄関の前で待っていたが、姉は私に気が付いていないのか俯きながら私室へと走り去っていった。

二人の間に何かがあったのは明白だった。

私は居ても立っても居られなくなりイアン兄さまを追いかけた。

まだそう遠くにはいっていないだろう。

姉に何を話したのか聞かなければならない。

しばらく走っているとイアン兄さまの後姿が見え、名前を呼ぶと彼は振り返った。

立ち止まった彼の前まで来て呼吸を整える。


「…クレアから事情を聞いたのか」

「いいえ。姉さまは何も話していません。イアン兄さまから聞こうと思ってきたんです」

「そうか」

「ねえ、姉さまに何を話したんですか?」


背の高い彼を見上げると私から顔をそむけるように横を向いた。

拒否を含んでいるような態度に少しのショックを受けつつも彼の言葉を待った。


「実は騎士見習いの試験が受かったんだ」


どんな深刻な話をされるのかと身構えていたが、出てきた言葉は姉とは結び付かない内容だった。

彼が騎士を目指していたことは知っていたので純粋に受かったことを喜んだ。


「イアン兄さまずっと騎士に憧れてましたもんね!そうだったんだ…おめでとうございます!」

「ありがとう」


イアン兄さまは私に微笑んだ。

ようやく笑った顔を見れた私はほっとした。


「それでここから王宮に通うとなるとお金と労力がとてもじゃないが足りないから城下町へ住むことになったんだ」


あ。それで姉さまショックを受けたんだ。

遠距離で気軽に会うことができなくなってしまう事実に傷ついたのだろう。

折角会えるようになったのに…。


「寂しくなりますね」

「…ああ。そうだね。リリーも一緒に行くから猶更だろう」


急にリリー姉さまが会話に出てきて首を傾げる。

なぜリリー姉さまも一緒に城下町に行くのだろうか?

抱いた疑問の答えは私が訊く前に返ってきた。


「今私はリリーと付き合っている」


その言葉を聞いて絶句した。

イアン兄さまが何を言っているのか理解できない。

理解できないはずなのにその言葉は私の中で何度も反芻している。

どうしてリリー姉さまと…。

どくどくと脈打つ心臓を抑えつけるように震える手を胸の前で組んだ。


「い、イアン兄さまがリリー姉さまを好きになったんですか?」


私の問いかけにイアン兄さまの瞳が揺らぎ視線をそらされた。

しかしそれは一瞬のことだった、彼は決心したのか真っ直ぐ私の瞳を見返した。


「そうだ。私がリリーを好きになった」


嘘だ。わかる。これはイアン兄さまの嘘だ。

しかし、指摘は出来なかった。

なぜならその嘘はリリー姉さまを明確に守るための嘘だったからだ。

何も言えずにいる私にイアン兄さまは悲しげに笑った。


「すまなかった。もう会うこともないだろう。元気で、エイミー」


去っていく彼の背中を見ながら私はリリー姉さまに思いを馳せた。

いったいいつから彼女はイアンのことが好きだったのだろうか、と。

そう考えて思い出すのは白いハンカチだった――。

物心ついた時から私は商会のお手伝いをしていた。

小さい私にできることなんて限られていたが、真剣に取り組む私を邪険にすることなく商会で働く大人たちは受け入れてくれていた。

毎日毎日商会に入り浸る私に姉は紹介したい人がいると声をかけてきた。

姉に手を引かれて紹介されたのはイアン兄さまとリリー姉さまだった。

その時の私は人見知りであったが優しい二人にすぐに絆され、簡単に心を開いた。

4人で遊んでいたある日、私は調子に乗って走っていたら盛大にすっころんでしまった。


「まあ、エイミー!大丈夫?」


転んだ私にクレア姉さまが駆け寄る。

イアン兄さまとリリー姉さまも駆けつけてくれた。

リリー姉さまが白いハンカチを取り出したのをクレア姉さまが手で制し、懐から出したハンカチで私の擦りむいた足に結んでくれた。


「次から気を付けるのよ」

「はーい」


擦りむいた傷は痛かったが皆から心配される状況は嬉しかった。

それから気を取り直して4人で表通りを歩いた。

段々と人通りが多くなってきた。

危ないからとリリー姉さまが手をつないでくれる。

目の前をクレア姉さまとイアン兄さまが歩いている。

二人を見つめていると姉が目の前からきた人にぶつかりよろけた。

それをイアン兄さまが受け止めるが、咄嗟のことだったからか体勢を崩したのだろう。彼は道に積み上がっていた木の箱に体がぶつかった。

それと同時に「いっ」と彼は小さく声を上げた。

異変にリリー姉さまと駆け寄るとイアン兄さまの顔がわずかに歪んでいる。

どうやら木箱から飛び出ていた釘に腕が当たったらしく血が出ていた。


「ごめんなさい!私を受け止めたばかりに…」

「いや。クレアの所為じゃないよ。それにこんなのかすり傷だよ」


焦る姉になんともないように笑うイアン兄さま。

そんな言葉に安心できる姉ではなく、急いでポケットの中に手をいれた。


「あ…さっきエイミーに使ってしまったのだったわ」


そうとう焦っていたようでハンカチがないことを忘れていたようだった。

姉は私の顔を見る。

普段商会しか行き来しない私はハンカチを持ち合わせておらず首を振った。


「リリー姉さまのハンカチを使えばいいんじゃないでしょうか?」


リリー姉さまを見るとはっとして私を見返した。

驚いているような戸惑っているような表情だった。


「そうだわ。リリーあなた持っていたわよね。申し訳ないのだけれどお願いできるかしら?」

「あ…ええ。わかったわ」


私が転んだときは率先してハンカチを出していたリリー姉さまだったが今回は姉に頼まれてからハンカチを取り出していた。


「かすり傷だから大丈夫だって」

「駄目よ。ばい菌が入ったらどうするのよ。それにクレアが心配するわ」


腕を出し渋るイアン兄さまはリリー姉さまの言葉を聞いて観念したように腕を出した。

リリー姉さまは手慣れた手つきで彼の腕にハンカチを巻き付けた。


「す、すまないな」

「クレアのためよ」


幼馴染間でのやりとりで照れ臭いのか二人はぎこちないように見えた。

ハンカチが巻かれて姉もようやく安心したのかほっとしていた。


「リリー姉さまがハンカチを持っててよかったですね」


イアン兄さまに声をかけると「そうだな」と苦笑しながら頷いた。

再び姉とイアン兄さまが前を歩き、私はリリー姉さまと手をつないで通りを歩き始める。


「ありがとうね、エイミー」


ふいのお礼を不思議に思ってリリー姉さまを見ると、彼女はイアン兄さまの腕に巻かれたハンカチを眩しそうに見つめていた。

それが大切なものをみるお客様の瞳に似ていてあのハンカチはリリー姉さまにとって大事な物なのだと気づいた。


「あのハンカチはリリー姉さまにとって大事な物なのですか?」

「ええ。ずっと使ってもらいたかったの」

「なら使ってもらえてよかったですね」

「うん」

リリー姉さまは笑顔で頷いた。

そんな彼女を見て私も笑顔になった。

過去の記憶を掘り起こし、私は人の気持ちに疎かったことに絶望した。

ハンカチを大切そうに眺めるリリー姉さまはハンカチが大事だったんじゃない。

イアン兄さまにハンカチを使えてもらったことが嬉しかったのだ。

ハンカチを通してみていたのはイアン兄さまだった。

なんて思い違いをしていたのだろうか。

それなのに私は――。


『クレア姉さまとイアン兄さまってとってもお似合いよね』


リリー姉さまにかけた言葉を思い出し血の気が引いた。

私は…なんて酷いことを…。

気づいてしまった事実は酷く残酷なものでそれが重くのしかかってきた。





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