ボーイミールガール
私の姉、クレア姉さまには素敵な恋人がいる。
港町に住んでいる騎士希望のイアンという男性だ。
正式な恋人ではないが誰の目から見ても明らかに二人は想いあっておりお似合いの二人。
たまに私が二人に「いつイアン兄さまは私のお兄様になるのかしら?」と茶化すと二人は顔を真っ赤にさせていた。
それを見た私は感嘆のため息をつき、見てるだけで幸せでほっこりするのだ。
もちろんお似合いだと思っているのは私だけではなく姉の友達でありイアンの幼馴染であるリリー姉さまも「本当にお似合いよね」と言っており私と同意見であることは確認済み。
二人の関係に波風が立つことなく変わらない毎日が過ぎてゆく。
ゆくゆくはイアン兄さまは私の義理の兄になるのだろうと信じて疑わなかった。
しかし、当たり前のように描いていた未来は何の前触れもなく壊されようとしていた。
「本当の!本当に!お父様はその申し入れをお受けになられるのですか!?」
書斎の机を力の限り両手でたたき、目の前に座っている父にずいっと顔を近づける。
私の追及を逃れるかのように瞳を閉じていた父は一つため息を吐く。
それでもめげることなく父が答えるのを根気強く待つ。
観念した父は目を開き、眉を曇らせ困ったような表情をした。
「エイミー。お前だってわかっているはずだ。未来のうちのことを考えるとそのほうが後々の利益、商売につながる、と」
確かに。確かに商会のことを考えればこの申し入れは手放しで喜べるのだけれど。
ぐっと口を噤むがそれでも納得いかない決定に反論せずにはいられなかった。
「なぜクレア姉さまなのですか!私じゃ駄目なんですか!?」
「お前はまだ14歳。結婚するにはまだ早い。それに先方もクレアを希望している。…この地を拠点にしている以上、うちから断ることは出来ない」
父は机の引き出しを開けて父宛ての白い封筒をテーブルの上に置く。
言っていることは事実だという証拠なのだろう。
厚みのある封筒に目を落とす。何度読んだとしても封筒の中の文言が変わっていることはない。
姉に縁談の話が来たのはひと月も経たないほど前。
内容としては領主の嫡男が姉を気に入ったので是非とも嫁いでほしいとのこと。
この地を拠点にしているうちの商会としても領主と関係を築けるのはまたとない機会。
父としても逃したくはないだろう。
私情がなければ私としてもこの件は有難いことだ。
私情というのはもちろん姉とイアン兄さまのこと。
今まで父は二人の関係に口を出すことはしなかったが今回の話がきたと同時期に姉に逢瀬を控えてほしいと苦言した。
そんなことを言われたら真面目な性格の姉は素直に従うしかない。
…二人の心情を考えると胸が痛む。
「お父様は娘が可愛くないのですか!?」
「馬鹿な!可愛いに決まっている!!」
目の前で泣き崩れてみると父は慌てて立ち上がり私に寄り添ってくれる。耳元で「エイミーにクレア…二人とも大事な私の娘だ」と優しくささやく。
「お父様…」
私を抱きしめよしよしと頭をなでてくれる。
これまでもこの泣き落としでどうにかなった出来事があったので流れ的に今回もいけるのではないかと心の中でガッツポーズする。
婚約解消まではいかなくても先延ばしにしてもらえれば何かほかの解決方法が探せるかもしれない。
「それじゃあこの件はいったん保留に…」
「しかしそれとこれとは話が別だ」
ばっさりと切り捨てられる。
包み隠すことなく不満を顔に思いっきり出す私をみて父は呆れながらそばを離れた。
自分の椅子に戻り再び座りなおすと私と向き合った。
「これはクレアにとってもいい話だ。領主の妻となれば戦争でもない限り将来安泰は確約されているといってもいい。それに私は既にアラン様にお会いしているが好青年でクレアのことを大切にしてくれそうだった」
「でも…」
「エイミー。この件はすでにクレアも了承済みだ」
それは…クレア姉さまが真面目だから…家のことを思って了承したのよ。
だけどその正論を言ってしまうと姉さまが決断したことを踏みにじってしまう気がした。
それに父は直接姉と向き合っているので姉の決断がどれほどの覚悟だったのか父が一番わかっているはずだ。
私が何も言えずに佇んでいると父は一言「すまないな」といった。
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父の書斎を後にした私は廊下の床を見ながら部屋へと戻る。
どうすればいいんだろう。
何の力もない私。できることなんてないに決まっている。歯がゆい。
はあ。とため息をつきとぼとぼと歩く。
だけどなぜ領主の嫡男が姉を名指ししてきたのか。
その理由は手紙には書かれていなかった。
姉に直接面識があるのか問うたが首を傾げるばかり。
ただ忘れているだけなのかもしれないがなんとなく引っかかる。
それから悶々とした日々が過ぎていたがとうとう領主の嫡男、アラン様が顔合わせに来られるという話があがってしまった。
当然いい解決方法は思いついていない。
気持ちは焦るばかりだったが時間は止まってはくれない。
顔合わせの当日、私の心は落ち着かずそわそわしていた。
アラン様を乗せた馬車が着いたとの知らせを受け、玄関口に家族総出で出迎える用意をする。彼が入ってくるまでカーテシーの頭を下げている状態を保つ。この姿勢結構辛いのよね。
玄関の扉が開き、見知らぬ男性の声がした。父と母、続いて姉が挨拶している声が聞こえる。ああ。ついに来てしまった。
下を向いているので誰にもわからないように顔をゆがめる。
父が私に挨拶を促す声が聞こえたので観念するように頭を上げた。白い正装姿が最初に目に入り、顔を見た瞬間呆気にとられた。
アラン様はとても整った顔立ちをしていた。金髪の髪にエメラルドグリーンの瞳。鼻は高く、薄い唇は弧を描き微笑んでいる。昔読んだ絵本の中に出てくる王子様のような見目だ。
領主という響きで勝手に荒々しい男をイメージしていたので予想外の姿に言葉を発することを忘れてしまう。そんな私を変に思うことなく彼はにこりと笑いかけてきた。
「クレア嬢の妹君だね? 私は領主の嫡男アランだ。よければ仲良くしてもらえると嬉しいな」
「あ…エイミーです。お会いできて光栄です」
気を取り直しどぎまぎしながらカーテシーをする。
何か話したほうがいいのかと焦っていると、アラン様は背後の従者から受け取ったものを私に「気に入ってもらえるといいんだが…」と付け加えて差し出した。
受け取らなくても包み袋でそれがなんなのかわかった。
有名なお菓子店の商品だ。中身の確認を促され開けてみる。
私の大好きなチョコレートマフィンだった。それだけで私の中のアラン様の好感があがる。
「これ私の好きなお菓子です!」
「よかった。君のお父様にあらかじめ聞いておいたんだ。少しでも私のことをよく思ってもらえればと思ってね」
そう冗談ぽく言ってウインクされる。
アラン様…いい人だ。
姉の恋路を邪魔する男はどんな意地悪な奴だと身構えていたが蓋を開けてみればアラン様は紳士的でとても優しそうな青年だった。
よくよく考えてみたらアラン様はそもそも姉にいい人がいることを知らないのだ。
もしかしたら相談してみたら身を引いてもらえるかもしれない。
心にわずかな希望が芽生えた。
それから場所を移動し、客間で私の家族とアラン様で話をする。
話を振るのは父が多く、アラン様の父君には懇意にさせてもらっているなど当たり障りのない会話だ。
父と母は頃合いを見て立ち上がった。自然と退室の流れになり、もちろんそこには私も含まれている。
…出来れば二人きりにしたくない。
無理を承知で私はもう少しアラン様とお話がしたいとわがままを言った。最後の抵抗と言ってもいいかもしれない。
姉は眉尻をさげて困ったように頬に手を当てた。
「この子ったら。そんなわがままを言ったらアラン様がお困りになるでしょう?」
「はは。構わないよ。それに妹君がいてくれたほうが私が緊張しないで済むよ」
「…実は私も妹がいるほうが緊張しないなと思っていたので助かります」
自分から言い出したことだが、二人から滞在許可を得ることができるとは思わなかった。
喜びを表すために二人にとびきりの笑顔で「嬉しいです!ありがとうございます!」と伝えた。
そんな私に父と母は若干不安そうな表情をしつつも「それでは」と一言つげ二人は扉へと向かう。
「エイミー。くれぐれも迷惑はかけないように」
ピシャリと母に釘を刺される。下心を見透かされているような気分になる。
怪しまれないように「わかってます」と返事する。
返事を聞いた母は部屋を後にした。
…変なことを言わないように努めよう。
会話の中心だった父がいなくなって気まずい雰囲気になるかと思ったが会話が途切れることなく穏やかな時間が過ぎていく。
「それにしても二人ともとても仲がよくて羨ましいよ。私も弟か妹が欲しかったな。…しかしそんな私にももう少ししたら可愛い妹ができそうだ」
「まあ」
アラン様の茶目っ気を含んだ物言いに姉と一緒に笑う。
…いやいや。笑っている場合じゃなかった。
まあアラン様みたいに優しい人が義兄になってくれたらそれはそれで嬉しいのだけれど、重要なのは姉の幸せだ。
「すみません。少し席を外します」
姉さまはそう言って部屋から出て行った。
おのずとアラン様と二人きりになる。
…絶好の相談する機会だ。意を決してアラン様に向き合う。
「あのアラン様」
「ん?」
彼は優しい笑みを浮かべながら首を軽く傾げる。
私は胸に手を置く。
数回深呼吸して心を落ち着かせてから話す。
「姉さまとの婚約…考え直してもらうことはできませんか?」
「…どうして?」
「姉さまには…その想い人がいます。姉さまは家のために今回の婚約を断らなかったけれど…きっと辛い選択でした」
「だから私に身を引いてくれ、と?」
アラン様の瞳をみつめて頷く。
エメラルドグリーンの瞳がとても綺麗。
誠実そうな彼なら少しは考え直してくれるかもしれない。
そう期待を込めて彼の返事を待つ。スッと彼は視線を私から外した。
「はあ」
悪意が含まれているわざとらしいため息をつかれた。
先ほどの穏やかな雰囲気がすっと引いていく。
戸惑う私を余所にアラン様は背もたれにどかっと体を預け天井を仰いだ。
「君は人の不幸の上に幸せが成り立っていることを知らない。それがただむかついた」
…何を言っているのだろうかこの男は?
私に向けていっているのか、ただの独り言なのかいまいちよくわからない発言だった。
状況を呑み込めない私を彼は蔑むように目だけを向ける。
「つまり私が嫌がらせしているのはクレア嬢にではない。君にだよ」
「い、嫌がらせ…」
衝撃を受けた。心臓の鼓動がどくどくと早くなる。
嫌がらせのために婚約の話を持ち出した?
意味が全くわからない。
それきり特に話を続ける気がないのかアラン様は天井を見上げている。
私は何かを言わなければならないと思っているものの考えがまとまらなかった。
「だ、だったら私と婚約すれば…」
「それじゃあ意味がない」
どういう意味だろうか。
ドアのノックの音に体が震えた。クレア姉さまが戻ってきた。
目の前の男はもたれかかっていた体を瞬時に正した。
「私が席を外している間エイミーが失礼をしませんでしたか?」
「いえ。とても楽しく話をさせてもらっていたよ」
先ほどとは打って変わってさわやかな笑顔を姉に向ける。
目を見張った。
…は?
「エイミーったら、どうしたの?口が開きっぱなしよ?」
姉に指摘され口が開いていることに気が付き、口を閉じるが油断すると再び開きそうになる。
それからアラン様主導の会話が始まり、見るからに爽やかな笑みを浮かべている彼を茫然とみつめる。
そんな私を姉が不思議に思ったのか名前を呼ばれる。返事ができない。
アラン様曰く私が疲れているようなので今日は帰るとのこと。
姉と二人でアラン様が乗っている馬車を見えなくなるまで見送った。
自室へ戻りベッドに腰を下ろす。しばらくぼけーっとしていたがアラン様とのやり取りを思い出しふつふつと怒りがわいてきた。
「あんなの外面が良いだけの最低男だわ!あんな男にクレア姉さまを渡せない!」
乱暴に掴んだ枕をベッドにたたきつける。
人の幸せをぶち壊そうとする男に嫁ぐなんて不幸になるのは目に見えている。
絶対に阻止しなければ!
今回の件でより自分の決意が固まった。
それにしてもあの男が言っていた言葉が引っかかる。
人の不幸の上に幸せが成り立っていることを知らない?
思い当たることがないか記憶を探ってみるがわからない。
そもそもあの男とは初対面であることは間違いない。
あんな美形を忘れるほど記憶力は悪くないと思っている。
…そんなことよりとりあえず何か婚約をぶち壊せるような方法を考えないと。
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顔合わせから数日経ち、隣国に注文していた商品が到着したようでその日の商会内は使用人たちが忙しそうに走り回っていた。
今日もアランは訪ねてきており、姉と逢瀬している。
どうにか二人を引き離したいところだが次の一手が考え付かないため、できれば彼に会いたくはない。
とりあえず二人のことを考えることを止めにして、私はすでに納品済みの商品を確認しに保管庫に足を運んだ。保管庫に入ると父の右腕であり私の子分である男エイリアスが座り込み商品の品定めをしていたので声をかける。
「お疲れ様」
「ん? おー、エイミーお嬢様か」
エイリアスは嬉しそうに顔を上げた。
こちらを見ているであろう瞳は長い前髪で見え隠れしている。
手入れをしていないであろうブラウン色の長い髪は見事なくせ毛でぼさぼさしている。
顔には立派な髭を携え、がたいもよく高身長の男がエイリアスだ。
出会ったときは割と細身だったが商品の積み下ろしや食事のおかげで筋肉質な体を手に入れている。
それにしても絶対髭は剃ったほうがいいと思う。
私と父が何度髪と髭を整えろと言っても絶対に整えない。
本人は信念があるとかなんとかいうが絶対整えたほうがいい。
なぜなら彼は元がいい。美男子になれる素質を持っているのだ。
しかし、本人が嫌がるので強要はできない。
それに容姿以上に商品に関しての知識、特に美術品に関しては信頼のおける鑑定力を持っており、鑑定士の資格まで取得している。商会としてはその知識さえあれば大助かりなので容姿は二の次でよかった。
「新しい商品はどう?」
「上々ですよ。エイミーお嬢様に似合いそうなアクセサリーも仕入れてますよ」
「…そう」
「おや?元気ないですか?」
「うん。元気ない」
「明日は雪ですね」
「…どういう意味?」
「とても珍しいという意味です」
エイリアスはのんきにはっはっはと笑う。
笑い事じゃないのよこっちは。
じろりと睨むがやはり彼はのんきに笑っている。
まあ、あんまり真剣になられても再び陰鬱な気分になりそうなのでいいけど。
「悩み事はクレアお嬢様のことですか?」
「…うん。どうにかして二人を引き離したい」
「なるほど」
「エイリアス、なにかいいアイデアない?」
「そうですねー。相手が格上の相手である以上旦那様といえどどうすることもできないですからねー。むしろ商会が不利益を被ることすらあるなら猶更ですね」
「そうだよねー」
深い深いため息をつく。最初からわかりきっている現実。
だけどクレア姉さまが不幸になる未来は避けたい。
入荷された商品に目をやる。
いつもならいろいろな商品に飛びつくのに今はそんな気分ではなかった。
商品を眺めていると机に載っている本がシンプルな本のカバーとは違い洒落たカバーをしているのに興味が湧いた。
「新しい本も入荷したんだ?」
「ああ。それね。隣国で流行りの小説ですね。なんでもご婦人の間で評判だとか」
「ふうん」
本をパラパラとめくってみる。
簡単に目を通したがどうやら恋愛もののようで姉の婚約者が妹に恋をしてしまう話。
こういう女性関係のドロドロした話は正直苦手。
どちらかと言えば冒険譚とかのほうが好みだ。
しかも姉妹間での話。姉と仲のいい私が姉とギスギスしてしまうなんて考えただけで辛くなる。
絶対にない話だけれどイアン兄さまが私を好きになったらなんだか嫌だなー。
「…ん? 婚約者が妹に恋?」
「どうかしました?」
「妹…妹は私」
「そうですね」
「婚約者はアラン様」
「はい。クレアお嬢様の婚約者はアラン様ですね」
こ、これだ!
私は閃いてしまった。隣国のご婦人たちありがとう。これなら少しなら抗えそう。
後先考えることなく私は保管庫を飛び出した。
エイリアスの制止の声が聞こえた気がしたがそんなことに構ってはいられない。
向かうは客間にいるクレア姉さまたちのところ。
ノックをして入室する。姉とアランの姿を視界にとらえる。
こういうのは勢いが大事だ。
ずかずかとアラン様に歩み寄り腕を絡めとる。
そして姉のほうを見てにっこり笑う。
「姉さま、私アラン様に一目ぼれしちゃいました」