幻想的、女子会的
*****
市街地にある居酒屋にいた。それなりにグレードは高い。安い焼酎もボトルを入れると悠然と諭吉を取られてしまう。ま、そんなことはどうだっていい。私は高給取りだし、後輩ちゃんもまたそうなのだから。
後輩ちゃんは美人だ、私には敵わないけれど。胸だって大きい、やっぱり私には敵わないけれど。ベージュの下着ばかりをつけるので「よくないよ」と指摘してやると「う、うぅぅ、そうですか……?」といじらしい顔をする。どうやらそれなりに色っぽくしたいらしいのだけれど、その手法がどうにも明後日の方向を向いているようにしか思えなくて本人も苦労しているらしい。ピンクのTバックでもつけて女豹のポーズで悩殺してやれば一発だろうになって考える。後輩ちゃん、ほんとうにイケてるから。だけど、「そんなことじゃ、私の好きなヒトには振り向いてもらえないと思うんです……」などと目にじんわり涙を浮かべられては、おっと、考え直したくもなる。まあ、そうだ。後輩ちゃんの想い人はちょっと変わったニンゲンだ。たぶん、目の前に「穴」があっても押し込まないくらいに。
後輩ちゃんはえぐえぐと泣きだしてしまった。まったく、らしくない。「クールビューティ」なる異名はどこに行った?
私はお猪口に日本酒を注いでやり、「まあ、飲みなよ、っていうか飲みな」と言い、右手を伸ばして後輩ちゃんの左の肩を叩いてやる。まだ手の甲で涙を拭い、えぐえぐと泣く。たぶん後輩ちゃんがこんなところを見せるのは、私の前でだけのことだ。だったら尊い。姐御として存分に話を聞いてやろうではないか。
「そもそも、私から言わせてもらうと当該人物はYくんとなるわけだけれど、彼のなにがあなたのアソコを濡らすわけ?」
「あああ、アソコとかっ?!」
「あはははは」
「ぬぬぬっ、濡らすとか!?」
「あはははははは」
後輩ちゃんは身をきゅっとすぼませ、ますます頬を赤らめた。
「私、こないだ、先輩とキスしたんです……」
「へっ」寝耳に水とはまさにこのこと。「どういうシチュエーションで?」
「その、それは、えっと、いろいろありまして……」
「どうしてそのままセックスしなかったの?」
「えぇぇっ、えぇぇーっ!」
「ねぇ、それはどうして?」
「だ、だって、外でしたし」
「いいじゃん、外。解放感があって」
「で、でも、寒かったですし」
「してるうちにあったかくなるんだってば」
「えぇぇーっ!」
「ま、フツウは無理だよね」私は笑った。「ふーん、そっかぁ。一方的に入れ込んでるだけじゃなくって、二人はそこまで進んでたのかぁ、へぇぇ」
私がなかば感心していると、後輩ちゃんは赤らめた顔を両手で覆った。
「私はダメです。じつはいやらしい女だったんです。普段はいいんです。でも、酔うとその日の記憶ばかりが蘇って、フツウじゃいられなくなるんです」
私自身、それが悪いことだとは思わない。むしろそれくらい、なんというかこう、下半身にも覇気があったほうがよいのではないか。
「ううぅ、私は死んだほうがいいんです。いえ、死ぬべきなんです。でないと、組織のメンバーにもいつか迷惑をかけてしまう気がして……」
そんな馬鹿な、と思う。後輩ちゃん、頭がいいから、情報収集についてはメンバーの誰より長けているし、最近は、変な意味ではなく、いい身体にもなってきた。鍛えているのだ、しっかりと。もう立派な仲間なのだ。ただ、一番の年少、後輩だから必要以上にかわいがられている部分はある。それも彼女自身が気にするようなファクターではないはずなのだけれど――。
私はバタフライタイプのサングラスを取り、薄い和紙のランプシェードを見上げた。煙草が吸いたいなと思う。一人で吸うのはなんだか寂しいからと取りやめる。
「でも、彼はさぁ、きみの想い人くんはさぁ、Yくんはさぁ」
「は、はい、なんですか?」
「聞きたい?」
「はい。なんでも聞かせてください」
「たとえばだよ、きみが彼の敵に回った場合は、どうなると思う?」
後輩ちゃんはびっくりしたように目を見開き、「そんなことありえませんっ」とかぶりを振った。
「まあ、そうなんだけどさ、その場合、彼、きみのことを殺すと思うよ?」
「それは、しかたのないことだと思います、けど……」
「あ、嘘、いまの冗談。きみのことは殺さないと思う」
「えっ、そうなんですか?」
「だって、ラブラブなんだもん、見てて、じつは」
「う、嘘です、そんな、まさか」
とかなんとか言いながらも、後輩ちゃんは嬉しそうだ。「ひゃあぁ」と声を漏らしながら、ほっぺを真っ赤にしながら、小さなお猪口を両手で持ち、日本酒をすする。にこにこ笑う。うへ、かわいい。ソッコーでベッドに連れ込みたい。
ケータイに着信、通話の要求。
相棒からだ。
「もしもし? どこ?」
『着いた。もう下にいる』
「迎えに行ったほうがいい?」
『違う』
「なにが違うの?」
『ちゃんと喫煙席かよ』
「それはま、つつがなく。連れは?」
『いるよ。猫にエサやってきた。かわいかったよ』
「噂のみーちゃん?」
『ああ』
電話が切れた。
事務的なのが、奴さんのいいところだ。
*****
「俺はどっちに座ればいい? 馬鹿女の隣か? それともこっちの賢い女の隣か?」
相棒がいきなりそんなことを言ったので――とはいえその登場と発言にぎょっとなったのは後輩ちゃんだけである。「女子会なのに……」。とりあえず、そんなことを言いたげな素振りは見せない。
「あ、えっ? 先輩、でしたら、私の隣に――」
「先輩ってのはどっちの先輩だよ」
ウチの相棒にそう言われ、それでも怯むだけではないのが後輩ちゃんだ。口をとがらせ「なにもそこまで言わなくても」みたいな顔をする。相棒もそれがわかるから、「悪かったよ」と簡単に折れるのだ。相棒はなにも言わずに窓を背にして私の隣に座った。後輩ちゃんの隣には――後輩ちゃんの想い人が座る。黒い大きなヘッドホンをようやくはずした。それを首にぶら提げたまま、注文表を兼ねたタッチパネルを操作する。「あ、あの、じつは私も追加の注文が……」と顔を寄せる格好でアプローチするあたりには後輩ちゃんの健気さが窺えるというものだ。
相棒がアメスピをくわえ、シュボッとジッポライターに火を灯した。私は私でパーラメントをくわえ、そのライターの火に口を寄せる。炎のキス。私は相棒とかわすそれを、そう呼ぶことに決めた。
大ジョッキが二つ運ばれてきた。相棒は単細胞の馬鹿なので「喉渇いてんだよ」の一言で一気飲みしてしまう。いっぽう、後輩ちゃんの想い人Yくんはこくこくと静かに細い喉を鳴らした。私は阿呆のほうが好きだなと思う。後輩ちゃんはその逆だということだろう。ただ、私も後輩ちゃんも相手を入れ替えてもセックスくらいはできる気がする。――よくないな、そんなのは、大人として。
また煙草。
炎のキス。
その様子を見てどことなくうっとりしたような目をしたのち、優しげに微笑むのが後輩ちゃんだ。
「お二人はほんとうに、生まれたときから一緒って感じですよね」
その意見には異議を申し立てたい。相棒もそうだったようで、だから奴さんは「ふん」と鼻を鳴らすと「そりゃ勘違いだ」と、つまらなそうに言った。
「えっ、でも、一心同体というか、なんというか……」
あるいは相棒が後輩ちゃん相手にずけずけ上から目線で物を言うのではないかと心配になったので、私が教えてあげることにする。まあ、相棒だって後輩ちゃんのこと、メチャクチャかわいがってるんだけどね。
「これまでのあいだ、ずっと違う人生を歩んできたんだよ。だからこそ知り合えたことにも交われたことにも価値がある。私はこれから苦労するんだろうね。なにせこいつ、モテるから」
そう言って、私は笑った。
「で、でも、心配されるくらいなら、いっそ同棲されてはいかがですか?」
「やだよ、そんなの」相棒はやっぱりつまらなそうに言う。「俺は基本、一人がいいんだ」
「とか言ってるけど、そのほんとうの理由はね、逃げ場を作っておきたいからなんだよ」
「逃げ場?」
「女が誰かになびいたとき、男は困るじゃない?」
「逆もまたしかりだと思いますけれど……」
「男は男。女は女。生まれついての立場が違う」
相棒が隣で大きな舌打ちをした。
こいつのはほんとうになんでも大きいんだ、身体も、声も、アレも。
「さっきから思ってたんだけどよ、この店の刺身はまずいな、どれもよ」
いよいよ止むを得なくなったので、私は相棒の頭を引っぱたいてやった。「大人げなさすぎ」とツッコミを入れた。
「ああん? しゃあねえだろうが。ほんとのことなんだからよ」
「小さい声で言う分にはいいの。大きな声で言うから文句を言ってる」
相棒は口をへの字にして、不服を示した。それから正面に座る後輩ちゃんの想い人、Yくんに「まずいッスよね、先輩」と話を振った。
「まずいよ。たしかにおいしくない」
「だったら、先輩、俺はべつに間違ったことを言ってるわけじゃあ――」
「そうだとしても、きみは黙ったほうがいい。上下関係にそつがないのがきみだと思うけれど?」
「……ウス」
相棒はうなずき、大人しく引き下がった。私はおなかを叩いて笑い、後輩ちゃんもクスクス笑った。男がおもしろい飲み会はおもしろい。男がおもしろくない飲み会はおもしろくない。尊い真実だ。
*****
後輩ちゃんは「えいえい」と丁寧に丁寧にオレンジ色の鉄球を拭いている。私はそれはもう偉そうに席にふんぞり返っている。Yくんは居酒屋メシがよほど気に食わなかったのかウィダーを飲んでいる。相棒が一投した。なにをって黒い鉄球、飛び切り重いボーリングの球を。見事ストライク。器用なのだ、このへん、案外。そのへん、自分でもわかっているだろうに、派手なガッツポーズをする。酔ってる? そうでもない? わかんないな、いっつも、そのへん、私には。つーか、くわえたばこで放るのはよせ。お店のヒトが気を揉んでいるぞ?
「じゃ、じゃあ、次は私が投げます!」
右手をピシッと上げた後輩ちゃん、メチャクチャ緊張している。オレンジ色の鉄球を持ち、むずむずしたようにおしりを動かしてから前進し、「えい」と投げた――ガーターを投げた、ご愁傷様。「うぅぅ」と情けない顔をして戻ってくる。戻ってきたオレンジ色の鉄球をまた「えいえい」と磨く。またフォームを整えボールを構える。おしりをむずむず動かす。見かねたようにして、Yくんが席を立った。ウィダーをくわえたまま、幽霊みたいにして後輩ちゃんの後ろから覆いかぶさる。後輩ちゃんが「うひゃぁっ!」と馬鹿みたいな悲鳴を発したせいだ。周囲から目を集め、それが愉快だったのだろう、相棒は大声で笑った。もちろん、Yくんはそのおしりのかたちのよさに惹かれて接触したわけではない。投げ方をきちんとレクチャーしてあげようとしただけだ。その成果はすぐに現れ、見事、後輩ちゃんはスペアをとった。
「わーっ、わーっ!」
後輩ちゃんはこちらを向いて、ばんざいをしながらぴょんぴょんと跳ねた――けれど、すぐに自分のキャラにないことをしてしまったことに気づいたらしく、前髪でおでこを隠しながら戻ってきた。そのあいだにも相棒がストライクを叩き出す。球速が異常だ。ピンが弾け飛ぶ様が尋常ではない。腕力馬鹿の面目躍如。こいつより力強い馬鹿はいないって、私は確信してる。
*****
繁華街から出て、少し離れた高層ビルの上にある観覧車に乗ろうという話になった。なにがそんな浮ついた気持ちにさせたって、ちらほらと舞い降りてきた粉雪がそうさせた。一周するのに十五分もかからないのだという。「どうする? 二人ずつ乗る?」と私は提案し、「あっ、でも、それじゃあお二人に悪いですから」という謎めいた返しが後輩ちゃんからあり、だから私は「グッパしよっか?」とあらたに提案した。グッパをしたらあべこべなマッチングになることもじゅうぶんに予想される。そのへん察したのか――それでいて咄嗟にだろう、後輩ちゃんは、「じゃ、じゃあ、四人で乗りましょう!」と発言した。まあ、そうなるんだろうなとは予想していた。かわいいんだ、後輩ちゃん。
黒服をまとった大の大人四人が次々にゴンドラに乗り込む様子は、少々シュールで笑えるかもしれない。
私は相棒と並んで座り、正面には後輩ちゃんとYくんが並んだ。狭苦しい。観覧車のゴンドラとはえてしてそういうものだ。男と初めてゴンドラに乗ったのはいつだったっけと思い返す。たぶん、高校時代、修学旅行先でのことだったかな。私はてっきり口づけを交わすものだと考えていたのだけれど、むしろ向こうがおっかなびっくりで、そんなふうにはならなかった。いい思い出? それとも悪い思い出? どっちでもいい。いまの私は幸せだから、それでいい。
相棒の首筋に下からべろんと舌を這わせた。「やめろ、馬鹿」と忌々しげに相棒は言って私の頭をのけようとする。めげずにすがりついて舌を這わせる。喉から手が出るほど、とろけるようなキスがしたい。「やめろ」と動く口を唇で塞いでやった。甘い吐息を交わしながら舌を絡ませることに興じる。あんたたちはどう? やってみれば、後輩ちゃん?
「人前でキスはそのっ――できませんっ!」
後輩ちゃんがえらく声を張ったので、私も相棒も彼女を見てきょとんとなった。
「で、でも、手くらいは、そのっ、手を握るくらいは、許してほしい、です……」
なんとも後輩ちゃんらしい慎ましやかな願望ではないか。Yくんはなにも言わず、ただぼーっと外を見たまま、後輩ちゃんの左手に右手を重ねた。ああ、なんて素敵な瞬間なんだろう。阿保みたいにキスしてた私たちのなんと浅ましいことか――とまでは思わないけれど、このままキスを続けるのは、なんだか違う気がした。
私と相棒も手をつないだ。
Yくんと手を重ねている後輩ちゃんは、それはもう穏やかに微笑んでいる。
「雪、か……」相棒が言った。「ときどき、思うんだよ。神戸沖の人工島。神戸ってのは神戸だ。でもここは、ヒトが作った島だ。なのに、こんなとこにも、雪が降るんだな、ってよ」
すると後輩ちゃんが「気象学的には降っても全然おかしくありません」とおかしな回答をして。だからYくんが「そういう話じゃないんだ」と適切なツッコミを入れ、私は私でしきりに雪が舞う外を眺め。
「幻想的だなぁ。いい女子会になったね」
「男がいるのを女子会とは言わねーよ」
「小難しいなぁ、相棒殿は」
「うるせー」
「はいはい」
いきなり後輩ちゃんがぐすりと鼻を鳴らした。
「私、幸せです。みなさんと仕事ができて、とっても幸せです……」
ほんとうにそんなキャラじゃないのに、今夜はぽろぽろと涙まで流して、どうしたんだ、後輩ちゃん、らしくないな――だけど、大好きなヒトに手を握ってもらえていて、それこそ幸せなのだろう。その瞬間を刹那を噛み締める自分を噛み締めることができているから、いまの時間が尊いと感じるのだろう。
私の相棒が大きな手をぬっと伸ばして、後輩ちゃんの頭を撫でた。
「おまえは永遠に俺の後輩だ。でもな、永遠に俺の仲間だ。忘れんなよ」
「はい、はい……っ」
ヒトを泣かせるのもうまいんだ、我が相棒は。
Yくんがガラス張りの天井を仰ぎながら、「雪、やむのかなぁ、やまないのかなぁ」とぼんやり言った。私が「やまなきゃ困るの?」と訊くと、「困りません。積もっても電車で通勤すればいいだけですから」との返答があった。
「朝までコースで考えようよ。べつに遅刻したっていいじゃない」
「いまどきのタクシーはスタッドレスをはいていますか?」
「そこは自信がないけれど。そもドライすぎるんだ、きみは」
「自覚していますけれど、いまは少しウェットかもしれません」
「それはどうして?」
Yくんはクスっと笑った。
「ぼくも後輩には優しくありたいみたいです」
私たちはそれぞれのパートナー同士で手と手を握り合いながら、きっとみなが穏やかな気持ちで、雪景色の静けさに、身を委ねている。