第八話 「託すこと、託されること」
第八話「託すこと、託されること」
「Где... (どこだ…)」
岩陰のあたりで西山さんと交戦していた男は歩き回っていた。退避し、姿をくらました西山さんを探しているようだ。
「突然いなくなって悪かったな。俺はここだ」
その声とともに西山さんは現れる。両手にはいつものサブマシンガンを携えていた。そしてその二丁を男に向け、連射し始める。だが先ほど西山さんも言っていた通り、長期戦に入りダメージへの耐性も強化されているその男には銃弾はまるで通っていなかった。だが西山さんは構わず連射を続け、そのまま男へと突進する。
「Это не сработает! (効かんわ!)」
銃弾を全身に浴びながらも男はどっしりと構える。そこへ西山さんはゼロ距離まで接近し、男の胴体めがけてタックルをした。そして相撲で言う鯖折りのような姿勢で相手に組み付く。両腕で抱き付かれ脇腹を締め上げられながらも、相手の男は余裕で口を開く。
「Что бы вы сделали с такой вещью? Ты думала, что сможешь меня задушить?
(そんなことをしてどうする。絞め殺せると思ったか?)」
だが西山さんはそれには答えず、その姿勢を崩さぬままサブマシンガンのうちの一丁を自分の後ろへ投げた。
「やれ、桜木!」
そうして僕のもとへサブマシンガンが飛んできた。僕はそれを何とかキャッチする。そして意を決してそれを西山さんらのほうへ向け、先ほど僕の言った作戦を思い返した。
***
「僕に考えがあります」
僕がそう言うと西山さんは黙って耳を傾けた。僕は続ける。
「まず敵のその能力についてなんですが、『長期戦』の定義が重要になってきますよね」
それを聞いて西山さんも何となく僕の言いたいことが分かったようだ。
「もっと言えば『交戦』の定義だな。つまりお前が言いたいのは、どこからが戦闘の開始でどのあたりから長期戦とみされるのかが重要だということだな?」
「はい。最初に少しの間だけ襲ってきたのは、能力の仕様上で『戦闘開始』を定義するためだったとは考えられませんか? それ以降は戦闘相手と離れすぎず一定の距離内にさえいれば『戦闘』とみなされる能力の仕様だったとすれば、襲撃後すぐの隠れる行為も意味が分かります」
「つまり初めに軽くでも交戦してしまえば、それ以降は無意味な時間稼ぎでも『長期戦』とみなされ奴の戦闘力はみるみる上がっていくというわけか」
「そうです。そしてここからが一番重要なんですが、僕はまだその敵と『交戦』していないことになりますよね?」
僕は少し得意げに口角を上げ、西山さんに言った。
「そう…だな。まだ姿も見ていないからな」
「つまり、僕とその敵との間には『長期戦』は発生していないんです。だから僕に対してはその敵の戦闘力は高くないはずなんです」
「なるほど…。奴の能力の詳細が分からない以上確証はないが、理論上はそうかもしれん」
「もう長期戦に入ってしまった西山さんの攻撃は、ダメージ耐性の強化されているあいつには効かないんですよね。でも、今の理論で行けば僕の攻撃は効くはずです。西山さんが撃っても効かない銃も、僕が撃てば通るはずなんです」
西山さんはそれを聞いて、少し口に手を当てて考える。
「というと、俺がなんとかあいつの動きを止めている間にお前が奴を殺す、というやり方で行けばいいのか?」
「はい。それを提案したいんですが、どうでしょう」
「…今までの話はすべて仮説でしかないんだぞ」
「そうですが…仮説があっていたかどうかは、ぶっつけ本番で試してみるしかありません」
***
もしこの仮説が間違っていたら、この銃弾は通らない。そしていずれ西山さんの両腕は振りほどかれ、僕はすぐに殺されてしまうだろう。だが今思いつく最良の手立てはこれしかなかった。サブマシンガンを握る手に力がこもる。そして今は相手の男の顔がはっきり見える。先週駐車場で拳銃を撃った時は敵の顔も見えないままだったが、今ははっきりと見えてしまっていた。今から殺すかもしれない、生きている人間の顔が。一度引き金を引くだけで人の命が奪われる重みを僕の指が切に感じた。だが、ためらっている暇はなかった。
「うあああ!」
僕は情けなく咆哮して、サブマシンガンの引き金を引く。そして銃弾のある限り撃ち続けた。両手に激しい振動を食らう。そして弾が出なくなって振動が止まり、始めて僕が前をしっかりとみると、蜂の巣になった死体が二つあった。そのうちの片方はのそりと動き始め、徐々に蒸気を上げて再生する。そして見覚えのあるスキンヘッドの男性になった。
「よくやった桜木」
西山さんはこちらへ歩いてきて、僕の肩をがしりと掴む。
「すみません…弾を切らしてしまいました。」
「ああ大丈夫だ。いくらでもストックはある」
そういって鞄からすごい量の弾帯をとりだす西山さん。僕はホッと一息ついて、地べたに座り込んだ。そしてそこから遠くを見つめると、遠くの暗くなっている森の中になじみのある人影が見えた。
「あ! あそこで戦ってるのって、堂本さんじゃないですか?」
僕が言うと西山さんもすぐにそちらを向く。
「そのようだな。よしじゃああそこへ増援に向かうか」
西山さんはそういって立ち上がりながら、周囲を確認した。そして後ろを向いて、顔色が変わる。
「なぜやつがここに…」
西山さんが向いた方向のかなり奥のほうに、小さく別の人影が見えた。
「誰なんです?」
「增だ…」
「えっ、その人はこないだ西山さんが倒したんじゃ…それに、中国の能力者がなぜここにいるんです?」
「やつは能力で増殖するから、まだ個体がいくつか生きていることに疑問はない。だが、この戦いに姿を見せたとなると話は別だ。ロシアと日本の領海争いじゃなかったのか…? なにか予想外の事態が起きている…」
真剣な顔で西山さんは考え込んだ。そしてポケットから小さな銃を取り出して、僕に指示を出す。
「この小銃をお前に渡しておく。お前は反対側の堂本のほうへ行って援助しろ。俺は增と戦う」
先週のように駄々をこねている暇はなかった。僕は小銃を受け取ると、
「了解です。ご武運を」
とだけ手短に告げ、走り出した。
***
「什么是错的,什么是错的。 你根本就不值得战斗。(どうしたどうした。まるで歯ごたえがねえな)」
ニヤニヤしながら言う中国人の男。服にはほとんど傷がついていない。対する堂本はすでに数十か所を殴られかなりくたびれているように見えた。
――どうやったらこいつに攻撃を届かせれるのか全くわかんねえ。だが一度も通らなかったってわけじゃなく、十数発に一発は当てることができてる。でもその法則性もいまいちわかんねえ。ほとんどは近づこうとすると体が固まって動けなくなるばっかりだ。どうすりゃいい…
だがどれだけ攻撃が届かなくても攻めの手は緩めない堂本。能力の都合上、攻撃を受けること自体はそれほど問題にはならず自身の身体能力を高めるためのエネルギーになるので良いのだが、この苦境にはさすがに頭を悩ませていた。
「堂本さん!」
そこへ聞き覚えのある可愛らしい声が響いた。振り返ると桜木が立っている。
「策も武器も全然ないですが、助っ人に来ました」
申し訳なさそうに言う桜木。堂本はフッと息を吐き出して言った。
「ありがてえがな、現状は相当ピンチだ。死にたくなかったら逃げたほうがいいかもな」
すると桜木はいたずらっぽい笑みを浮かべ、
「だったらとっくに泳いで帰ってますよ」
と言った。そして真面目な顔に戻り、真剣に状況を観察し始める。
――堂本さんばかりが相当攻撃を受けていて、男はほぼ無傷…確かにピンチなのかもしれないな。こちら側の人数が一人増えたのを見ても男はうろたえずにニヤニヤしている。相当自信があるのか?
堂本はすぐにまた攻撃を繰り出す。だが先ほどまでと同じように男に接近すると、ピタリと体の動きを止められてしまい、男の拳の格好の的となってしまう。
――堂本さんの体が動かなくなった? そういうタイプの能力か…2m程離れた位置なら自由に動けるが、男から半径50cmほどの圏内に入ると身体の自由を奪われるというわけか。発動条件は何かあるのか? 人間ではなく物体だとどうなる?
桜木は考えながら、すぐさま西山にもらった小銃を取り出し、男の背中に向けて発砲する。が、しかしその銃弾も男の近くで動きが止まった。男は振り返りもせず、空中に停止した背後の銃弾を握り、地面に投げ捨てた。
「不起作用。 你能用这样的小枪做什么? 你要杀一只老鼠?(効かねえな。そんな小さな銃で何ができる。ネズミでも殺すのか?)」
――中国語…! 暗くて顔はよく見えなかったが、こいつも中国人か! なぜここにきて中国の能力兵が絡んできているんだ? …まあそれは西山さんもわかっていなかったみたいだから考えても仕方がない。今考えるべきはこいつの能力とその弱点。ひとまず、撃った弾でも動きを止められてしまうことは分かった。対象は人間に限らないというわけだ。
今度は桜木はバットを持って自分で攻撃に出た。男の真横からのフルスイング。だがそれも男の能力によって停止されてしまう。
「现在是棒球? 你让我笑了。(今度は野球か? 笑わせてくれるねえ)」
動きを止められている僕を男が殴ろうとした瞬間、堂本は続けざまに正面から男に襲い掛かる。そして堂本が繰り出した右ストレートは見事男の胸部を撃ちぬいた。
「哎哟。 这是很好的一拳。(ゔっ…痛えな。なかなかいいパンチじゃねえか)」
――堂本さんの攻撃が当たった! 僕の動きが止められている最中の出来事だった。この男の能力では、同時に二つの対象を停止させることはできないということか…!
桜木が結論に至る。しかし、桜木の頭には例のパチッという音は響かなかった。弱点を発見したことを告げる、桜木の能力の発動音だ。
――あの音がしない…? ということは今の結論は正解ではなかったということか? じゃあこいつの能力の弱点はなんなんだ? だが、さっき堂本さんの攻撃があたったのは紛れもない事実。やつの能力は完璧ではないのは確かだ。考えろ…。
頭を悩ませている桜木に、男は言う。
「是时候结束这出戏了。(そろそろ遊びは終わりにするぜ)」
白い歯を見せてにやりと笑い、男は積極的に攻撃姿勢に転じ始めた。幾度となく男は堂本や桜木に殴りかかり、そのたびに反撃しようとする堂本の拳や桜木のバットは男には届かない。苦しい戦況が十数分続いた。
「うおおお!」
それでも精一杯の大声で自分を奮い立たせ、桜木はバットを持って再び突進する。そして今度は正面からのバットによる突きを繰り出した。するとそれはなぜか男の腹部に届き、男はすこし痛そうな声を漏らした。
――これは当たるのか? 突きなら当たる…?
そう考えた桜木は様々な方向から数発の突きを繰り出す。だがそれらはすべて男に届く前に停止してしまった。その隙に男は回し蹴りで桜木を後退させた。堂本は敵に休む暇を与えまいとすぐに攻撃に出る。そして敵の視界の外である背後や真横から様々な攻撃を仕掛けたが、どれも男には届かない。男はまたも、堂本のほうに振り返りもせずノールックで後ろ蹴りを決めた。それを見て、桜木は気づく。
――こういった場面を先ほどから何回か見た。男は後ろから攻撃されたとき、あえて振り返らずに蹴りなどを返している。振り返りたくない理由があるのか? それに、今まで僕や堂本さんの攻撃が通ったのはすべて真正面からの攻撃だったような覚えがある…まさか…この男は『自分の真正面にある物体だけは停止することができない』?
パチッ
例の音が桜木の脳に直接響く。桜木の予想は当たっていた。この男の能力は『自分の周囲で、真正面以外にある物体の動きを停止する』というもの。人呼んで『束縛する盲虎』。盲虎とは、現在は存在しないが十二世紀ごろ使用されていた将棋の駒の名前である。背後や左右、斜めにも効力を発揮することができるその駒は唯一、真正面だけは攻撃することができない。
――あの音だ! つまり今の考察は正解。あの挑発的な言動でまさか真正面が弱点だとは思わなかったな。あの言動もブラフみたいなものか…。そして、今僕はこいつの弱点と真逆の能力を僕は身に着けたはずだ。つまり…
桜木はこれにより『自分の真正面にある物体だけ、その動きを停止することができる能力』を手に入れたことになる。真正面にだけ攻撃できる将棋の駒、歩で例えるとするならば『束縛する歩』である。だがこの戦いにわずかな勝機を見出すには、最弱の駒である歩で十分であった。
――僕が今手に入れた能力を使うには、まずあの男の真正面に立つ必要がある。さっきから全然攻撃が当たらなかったことを考えると、この能力において『真正面』と定義される範囲は相当狭い。少しでも立ち位置を間違えれば命取りだ。そして先週初めて瞬間移動の能力を手に入れて使った時もそうだったけど、使ったことのない能力を使うのは相当集中力がいる。多分あいつの正面に立って動きを止めている間は自分では攻撃できないだろう。それをするには多分かなり訓練が必要になる。
そう思い立った桜木は堂本に小声で耳打ちする。
「全部を説明している時間がないので要点だけ言います。僕があいつの正面に立った瞬間、あいつに食らわせられる限りの攻撃を食らわせてください」
それを聞いた堂本は一瞬、いくつも質問をしたげな表情になったがすぐにうなずき。
「わかった」
と言った。堂本が返事をし終えるや否や、桜木は敵へ向かって歩き始める。そしてバットと小銃を地面に投げ捨てた。
――ただ武器を持って男の正面に近づいて行ったのでは、正面からの攻撃は停止できないことに僕が気付いたのだと、男も勘付く。それでは男が向きを変えて対応してくるだけだ。ならば武器を捨て攻撃の意思がないことを見せなければ。
「あなたの居場所は仲間には絶対に言いません。逃がしてくださいませんか。あなたを倒すすべが見当たらないんです」
情けない声で桜木は言い、すこしずつ男の正面へ近づいて行った。
「我明白了。 干净是好事。(なるほど、いさぎがいいのは良いことだぜ)」
男はそういってニタリと笑い、
「在这里优雅地死去!(潔くここで死にな!)」
と続け桜木の方へ一気に殴りかかってくる。
――よし! 武器を持ってない僕に油断して、弱点の真正面を晒して向かってきた。チャンスはここしかない!
男が桜木の真正面、距離にして50cmほどの位置まで近づいたとき桜木は男を見つめ全身全霊で念じた。
――止まれ! 男の体!
ピタリ、と動かなくなる男。その表情は驚きに満ちていた。何か言おうとしているが口が開かない。そこへ、桜木の指示通り堂本が飛びかかってくる。そして桜木は考えた。
――さっき僕が立ち止まっている男を銃で撃った時、銃弾は途中で停止して男に当たらなかった。『止まっている相手にだけは銃弾を命中させられる』という能力を得ている僕が撃ったのに、だ。つまり男の停止能力では『相手の動きを停止する』ということの定義は、相手の能力の使用も一時的に停止することを含んでいることになる。だから僕の撃った弾も当たらなかったのだ。そうなれば今僕が動きを止めているこの男も、動けないだけでなく今は能力も使用できないはずだ…!
桜木の予想通り、堂本の攻撃は男にすべて届いた。相当殴られてダメージの蓄積していた堂本は、自身の能力によりすさまじく身体能力が増強されており、放つ攻撃は一つ一つが甚大な重みをもっていた。そして今まで殴られた分をすべて仕返しするかのように殴り続ける堂本の手がやっと止まったころには、男はすでに絶命しボコボコの肉塊と化していた。
「はぁ…倒せた…よかった…」
腹の底から安堵の息を吐き出し、桜木はそう言った。
「ありがとな。助かった。だが、最後どうやってあいつの動きを止めた? どうやってあいつの能力を解除した?」
殴りすぎて真っ赤になった拳をさすりながら、堂本は聞く。
「うーん…僕の能力は…説明すると長くなるので、今度でもいいですか?」
疲れ切った表情で、桜木は言った。
桜木の能力は彼の自認している通り『相手の弱点を見つけることで、その真逆の長所を身に着けることができる能力』である。
その名も、『最後の鍵の収集人』。